カヌーン魔導王国編

何でも欲しがる妹

「あなたはカリーザ嬢を愛していたのではないのですか」

「あんなモノ、愛したことなどないわ。わたくしが愛するのはマウトの遺したアクラネッヤだけよ」

 とある日の、王国特殊法監督局の取調室。取締官と容疑者カラヘッヤ・タフリールが対峙していた。

 

 

 

「狡いですわ、狡いですわ! お姉様ばかり!」

 妹が言葉を話せるようになって以来、何千回と聞いた言葉にアクラネッヤはうんざりした。今度は一体何なのだろう。妹はどうやら玄関ホールにいるようだが、階の違うここまで響くほどの大声には呆れるしかない。これも両親が妹を溺愛して甘やかした結果だ。これでは公爵令嬢として社交界に出ることもままならないではないか。

 妹のカリーザは十四歳。社交界デビューにはあと二年ある。しかしたった二年でこれまでの十数年分の教育を詰め込めるはずもない。十歳のときにお茶会デビューしたはいいものの、余りの作法のなさに公爵家にも関わらず招待状が来なくなったほどなのだ。

 ああ、どうせまた、わたくしにだけ招待状が届いたのを不満に思っているのだろうとアクラネッヤは予想をつける。これからの面倒を思い、アクラネッヤが溜息をついたとき、ノックもなしに自室の扉が開いた。

「お姉様ばかり狡いですわ!! あたくしもシュオール様のお茶会に行きたいです!」

 どうやら招待状はアクラネッヤの婚約者シュオールの実家アドワ侯爵家からだったようだ。恐らくシュオールの妹アカワートからのものだろう。アカワートは魔導学院の同級生だ。長期休暇に入って社交シーズンが幕を開けたからお茶会を開くようだ。恐らく親しい友人を集めてデビュタントの夜会の相談でもするのだろう。

「カリーザ、まず勝手に部屋に入らず、ノックをして返事を待ちなさい。公爵令嬢ともあろう者が大声を出すのではありません」

 アクラネッヤは妹の言葉に取り合わず、まずは基本的な素行の注意をする。どうせ聞くことはないだろうが、言い続けるしかない。本人のためにも、公爵家が恥を晒さないためにも。

「話をそらさないで、お姉様! どうしてシュオール様はお姉様しか招待しないの!?」

 シュオールの婚約者がわたくしだからだ、と正当な返事をしてもこの妹が聞き入れることはないだろうとうんざりしながらもアクラネッヤは妹を見据える。

「わたくし、まだその招待状とやらを見ていませんのよ。だから何のことか判りませんわ」

「これよ!」

 ずいっとカリーザは招待状をアクラネッヤに突きつける。宛名はアクラネッヤ、差出人はシュオールではなくアカワートだ。差出人も見ず、封蝋の紋章だけ、或いは使用人の『アドワ侯爵家』という言葉だけでシュオールからだと思い込んだのだろう。いや、甘やかされるばかりでまともに勉強していないカリーザは各家の紋章を知らないから、使用人の言葉から判断したのだろう。

 使用人たちもカリーザには甘いから、求められて招待状を渡してしまったのだ。正確には甘い訳ではなく、面倒なのだ。カリーザは自分の要求が通らないと癇癪を起して騒ぎ立て、仕舞いには暴れて手が付けられなくなる。

 おまけにカリーザの騒ぐ声を聞きつけて両親が出てくる。そうすると両親はカリーザの要求を通さないことに腹を立てて使用人を怒鳴りつける。それが面倒で使用人たちはカリーザの要求に応じる。結果として、公爵一家で一番割を食うのはアクラネッヤだ。

 招待状はペーパーナイフも使わず封蝋を剥がすことなく乱暴に封を切られている。恐らく執事かメイドか侍女がアクラネッヤのところに届けようとしたのを奪ったのだろう。

「シュオールからではないわ。シュオールの妹のアカワートからよ。デビュタント前の相談ね」

 招待状とそれに添えられた手紙を見てアクラネッヤが告げれば、一瞬カリーザはきょとんとした。自分が思ったものと違ったからだろう。カリーザが見たのはアクラネッヤ宛の招待状だけだ。自分宛てのものがなかったから抗議にきたので内容までは理解していなかった。

「狡いですわ! あたくしだってデビュタントしますわ! だからお茶会も行きますわ! お姉様だけお茶会なんて狡いですわ! お姉様だけシュオール様にお会いになるなんて狡い狡い狡い!」

 理屈の通らない主張をするカリーザにアクラネッヤは頭が痛くなる。デビュタントは十六歳を迎える貴族子女が行うもので、カリーザがしたいと言ってもどうしようもない。お茶会は同級生の中でも親しい者たちでの集まりだから、学院生ですらないカリーザが招待されるわけがない。そして、婚約者同士が会うことの何処が狡いというのか。

 カリーザが理不尽な主張を始めてそれなりの時間が経っている。そしてカリーザに甘い侍女がどこかへ行ったことも把握している。そろそろ次の波が来るはずだとアクラネッヤは更に頭が痛くなった。

 案の定、それからほどなくはしたないほどの足音を立てて両親がやってきた。なお、はしたないほどの足音は父のものだけで、母は貴婦人らしく殆ど足音をさせていない。母はカリーザが絡まなければまともな洗練された貴婦人なのだ。

「どうしたんだい、可愛いカリーザ!」

「お父様ぁ! お姉様が狡いのです! あたくしもシュオール様のお茶会に行きたいのに、ダメだって言うの! 酷いです! 狡いです!」

「まぁ! アクラネッヤ、それは本当なの! なんて酷い姉でしょう!」

 目の前で始まった三文芝居にアクラネッヤは溜息を漏らす。

「シュオールからの招待ではありません。シュオールの妹のアカワートから、学院のクラスメイトであるわたくしへの、デビュタント前の相談のためのお茶会です。カリーザが行く意味はございません」

 アクラネッヤの正論の返答に両親は一瞬言葉に詰まる。だが、どう考えてもアクラネッヤが正しいのだから、カリーザが満足する答えをアクラネッヤから引き出すことは難しい。

「そうだ、アクラネッヤがいない間に、シュオール殿を我が家に招待してカリーザと二人でお茶会をすればいい! そうすれば意地悪な姉に邪魔されることなくカリーザはシュオール殿と過ごせるぞ!」

「まぁ、素敵ね。そうしましょう、カリーザ。とっておきのドレスを着てシュオールと楽しめばよいわ」

 呆れ果てる父母の提案だが、途端にカリーザは機嫌を直す。シュオールと二人でお茶会をするということに既に意識が持っていかれたらしい。因みに提案されたシュオールとカリーザ二人のお茶会が開かれることはない。父が招待状を送るがシュオールからは『婚約者の妹とのお茶会をする意味はない』ときっぱりと断りの返事が届くのだ。

「お母様、ドレス選ばなきゃ! ねぇ! 新しいドレス作りたいわ! この前はお姉様だけだったのだもの! 狡いと思わない?」

 狡いと思うのはカリーザだけだとアクラネッヤと使用人一同は思う。いくら公爵家とはいえ、贅沢に思うままにドレスを作れるわけではない。シーズンごとに作る枚数は決まっている。前回はアクラネッヤのデビュタントのための注文だったのだ。

 カリーザに甘い母ではあるが、公爵家の財政を握る母はその点は厳しい。母もアクラネッヤもドレスや装飾品は年間で決められた数のみを購入する。カリーザはすぐに狡い狡いとドレスや宝飾品を強請るが、母がそれに応じたことはない。規定外のドレスや宝飾品は父の私財から賄われている。

 カリーザの気がそれたのを機に両親はカリーザと共にアクラネッヤの部屋から出て行った。嵐が過ぎ去り、アクラネッヤと専属侍女・専属メイド・専属執事の三人は深い溜息をついた。

「本当にカリーザお嬢様には呆れますね」

 メイドが思わずと言った風情で呟く。アクラネッヤの私室はドアを閉めれば室内の物音は一切漏れないような防音結界を施している。カリーザの侍女やメイドが扉の外で聞き耳を立て、アクラネッヤのアレコレをカリーザに密告していたことが発覚したからだ。

「カリーザお嬢様も来年は学院へ通われるのでしょう? 大丈夫なんでしょうか」

 侍女の言葉にアクラネッヤは眉を顰める。学院は全寮制で、メイドが一人学院からつくだけで何事も基本的に自分でしなければならない。そんなところであのカリーザがやっていけるとは思えないし、メイドが耐えられるとも思えない。

「いえ、カリーザお嬢様は魔導学院ではなく女学院へご入学予定と伺っています。カリーザ様は殆ど魔力をお持ちではないですから、魔導学院への入学は許可が下りなかったそうですよ」

 家令からの最新情報を執事が告げればアクラネッヤはホッとした。学院生活のいいところはあの妹から解放されることだ。昨年までは二歳年上のシュオールとも学院で過ごすことが出来た。学院にいればシュオールからの手紙や贈り物がカリーザに奪われることもなく、アクラネッヤに届く。

 更にシュオールは『アクラネが屋敷にいないから、公爵邸を訪ねる必要がなくなってホッとしてる。あの妹君は苦手だ』と嫌悪感を滲ませて言っていたから、それも学院生活の利点かもしれない。学院入学後の長期休暇時は基本的にシュオールの侯爵邸で会うようにしている。シュオールは入り婿予定でアクラネッヤの学院卒業後すぐに婚姻することになっているから、出来るだけ侯爵邸で会いたいとアクラネッヤが侯爵夫妻に気を遣ってそのようにしていた。勿論、そこには妹に邪魔されたくないという彼女の心情も入っている。

「どうしてあんなふうにお育ちになったんでしょうねぇ」

 侍女の言葉にそうねぇと呟きながら、アクラネッヤは両親の、特に父親のせいだとも感じていた。

 幼いころからアクラネッヤは次期公爵として厳しい教育を受けてきた。母はカリーザを出産後に体を壊し、今後の妊娠は見込めないとのことで、長女のアクラネッヤが後嗣となったのだ。

 アクラネッヤが厳しい教育を受ける一方、二歳年下のカリーザは両親に溺愛されて育った。とにかく両親はカリーザに甘かった。

 カリーザの願いは殆どのことが聞き入れられた。カリーザは自分の優位性を示すかのように、アクラネッヤのものを欲しがった。ぬいぐるみや人形、綺麗なレースのリボン、可愛らしい花のブローチ、お茶会に着ていくドレス。どれも母方の祖父母や親族がくれたプレゼントだった。

 欲しいと強請るカリーザにこれは自分が貰ったものだからと拒否すれば、すぐに父に妹を思いやれない浅ましい姉だと罵られた。母には姉なのだから妹に譲りなさいと叱られた。そして妹はにんまりと卑しい笑みを浮かべ、アクラネッヤから奪っていくのだ。

 ただ一つだけ、カリーザが強請っても奪われなかったのは婚約者だった。生まれたときからのタフリール公爵家とアドワ侯爵家の契約だからと母が断固として婚約者の変更を認めなかったのだ。尤もそれでもカリーザは未だシュオールを諦めていないらしく、事あるごとに彼に近づこうとする。姉の婚約者というだけでなく、シュオールは容姿端麗なので、その点でも狙っているのだろう。

 そんなカリーザだが、強請らないものもある。それが家庭教師たちであり、書物などの勉学に関係するものだ。綺麗なガラスペンも貴重な書物も、『勉強の道具』というだけでカリーザは避けた。とことん勉強嫌いなのだ。

 カリーザにも家庭教師はいた。主に貴族令嬢としての行儀作法を教える教師だ。だが、ほんの少し注意をするだけでカリーザは『苛められた』と泣き喚いた。それを聞いた両親はすぐさま教師を馘首クビにした。そんなことが続けば、仮令公爵家とはいえ、新たな家庭教師は見つからなくなった。その結果、カリーザは公爵家令嬢として必要なマナーも作法も身についていない。

 令嬢としては致命的なそれについて、両親は楽観視しているらしい。カリーザはまるで花の妖精のように愛らしいのだから、問題ないと。それを聞いたときアクラネッヤは頭を抱えた。いくら容姿が優れていてもカリーザはそれ以前の問題なのだ。話を聞いたシュオールは『結婚したらすぐに爵位継承できるようにしよう。君が公爵になったらご両親は領地に蟄居させてカリーザ嬢は修道院に隔離だな』と至極真剣な顔で言ったほどだ。アクラネッヤとしてもそれが妥当だろうと考えている。

 カリーザは確かに容姿に優れている。母の金髪と緑目、父の甘やかな容姿を受け継ぎ、大層愛らしい。中身がまともならきっと社交界の華となれただろう。両親、特に父親が期待をかけるのも判る。

 一方のアクラネッヤは顔かたちは母に似ているものの、銀糸の髪に蒼の瞳という、この家の誰もが持たない色彩をしている。父方の祖父母とも、既に亡くなった母方の祖父母とも違う色彩だ。

 敢えていうならばマシュナカ侯爵家が持つ色彩に似ているが、マシュナカ侯爵家とタフリール公爵家に血縁関係はないはずだ。

 この色彩を持つせいか、父はアクラネッヤを疎んじているようにも見える。実際、父はアクラネッヤではなくカリーザに公爵家を継がせようとしていた時期もあった。

 尤も爵位継承については母がアクラネッヤを後嗣とすることを譲らなかったため、カリーザの爵位継承話はなくなっている。その際、母が父に言った言葉は今でもアクラネッヤの胸に棘のように刺さっているが。

 母は言ったのだ。『公爵位なんて継いだらカリーザが可哀想よ。領地経営しなきゃいけないし、貴族同士のお付き合いもあるわ。社交界なんて魑魅魍魎蠢く人外魔境よ。そんなところに可愛いカリーザを放り込むなんて出来ないわ。アクラネッヤに爵位を継がせたら、カリーザは風光明媚な別荘地で過ごせばいいと思うの。あなたもそこで幸せに暮らしましょう』

 母は面倒は全てアクラネッヤに押し付け、カリーザには何の苦労もさせたくないと思っているのだと悲しくなった。僅かにあった両親への期待も崩れ去った。自分の家族は夫となるシュオールだけなのだと悲しい決断で家族を諦めた。

 しかし、そうして父母の愛を諦めてみると、これまで見えなかったことが見えるようになった。もしかしたら、お母様はカリーザを憎んでいるのではないかと。

 

 

 

 全てのことが動いたのは、アクラネッヤのデビュタントの夜会でのことだった。

 カヌーン王国では社交シーズンの初めに十六歳を迎える貴族子女のデビュタントが行われる。若き紳士淑女は色とりどりの装束を身にまとい、胸元に挿した白薔薇がその初々しさを象徴する。

 王宮で行われる夜会では、貴族子女は付き添いとなるパートナーと共に入場する。婚約者がいれば婚約者がパートナーとなり、婚約していなければ既婚の親族がパートナーを務めることになっている。

 当然アクラネッヤはシュオールにエスコートされて会場入りした。国王陛下をはじめ壇上の王族への挨拶をし、国王陛下から寿ぎの言葉をかけられて成人貴族と認められる。義務を終えてほっとしたアクラネッヤにシュオールが微笑み、漸くアクラネッヤも緊張がとけた。

 その後はシュオールとダンスをしたり、友人と話をしたりと穏やかな時間を過ごした。会場には両親もいるはずだが、姿を見ない。どうせ自分になど興味はないのだろうと少しばかり悲しくなりながら、アクラネッヤは初めての夜会を楽しんだ。

 夜会も中盤に差し掛かったころ、王家の侍従がアクラネッヤとシュオールを呼びに来た。案内されたのは夜会会場から少し離れた一室で、そこには国王陛下と王太子殿下、更にシュオールの両親であるアドワ侯爵夫妻がいた。

 そして告げられたのは、この場でのアクラネッヤの公爵位継承だった。いや、書類上は既にアクラネッヤが公爵だった。デビュタントを終え成人した瞬間にアクラネッヤがタフリール公爵家当主となるよう、母が全ての準備を整えていたらしい。

「元公爵夫妻と妹カリーザは現在衛兵に捕らえられ貴族牢に入っている。カリーザがデビュタント会場に乱入しようとし父親がそれを幇助した。母親は止めずに傍観しておった。取り敢えずはそれを以て捕らえたが、ほぼ時を同じくして特殊法監督局にタフリール公爵家の執事長が前公爵の指示を受けて特殊法違反の旨訴え出たのだ」

 国王の言葉を聞き、アクラネッヤは全ては母の思惑通りに進んだのだと感じた。母が何を思い何を企んでいたのか正確なところは判らない。けれど、漠然と母は父と妹を憎み、タフリール家から排除しようとしていると感じていたのだ。

「既にそなたが爵位を継いでおり、本日付で両親と妹は公爵家の籍を離れ、キマーマ男爵家であったか、父方の籍に入っている。ゆえに此度の騒ぎはタフリール公爵家に累は及ばぬ」

 母は──前タフリール公爵となった母は全てを自分の計算通りに動かしたのだろう。そして、娘と家に罪を及ばせぬようにした上で、自らの罪に父と妹を道連れにしたのだ。王国特殊法という、他の国にはない法律を使って。

「そなたは被害者だ、アクラネッヤ嬢、いやタフリール女公爵。改めて後日監督局の者が事情を聴きに行くだろうが、今日のところは帰宅し心身を休めるがいい」

 国王の気遣いに感謝し、アクラネッヤはシュオール、アドワ侯爵夫妻と共に王城を辞し、帰宅した。帰宅すると使用人の一部──カリーザに与する者──は解雇されていた。アクラネッヤを心配したアドワ侯爵夫人──母カラヘッヤの親友とシュオールも共に公爵邸に残ってくれた。そして、アドワ侯爵夫人から渡された母からの手紙に涙するのだった。

 

 

 

「王国特殊法 第二章貴族編 第一項 第二十八条 教育の不備、第四十七条 子女虐待、第四十八条 優しい虐待、第五十二条 兄弟姉妹間格差……これがあなたが犯した罪になります。狙い通りですか、義姉上」

 王国特殊法監督局の取締官マシュナカはカラヘッヤに問いかけた。

「周囲の者は皆、義姉上がジャシェーとの子であるカリーザだけを溺愛して、我が兄マウトとの子であるアクラネッヤを蔑ろにしていると思っていたでしょう。実際、第五十二条に抵触するのではないかという問い合わせはありましたしね」

 マシュナカの言葉にカラヘッヤは穏やかに微笑むだけで言葉では答えない。

「十五年がかりの復讐ですか。私ですら見事に騙され、あなたを蔑んでいましたよ」

 カラヘッヤは二度結婚している。二度目の夫がともに捕らえられたキマーマ男爵家次男のジャシェーだ。最初の結婚はマシュナカ侯爵家次男マウトとだった。マウトはカラヘッヤがアクラネッヤを妊娠中に事故に遭い亡くなっている。喪が明けるや否やカラヘッヤはジャシェーと再婚した。そのときには既に胎内にカリーザが宿っていた。

 だから、世間では元々カラヘッヤとジャシェーが身分差のある恋人関係にあり、マウトは政略で結ばれた婚姻だと思われていた。だから、夫が亡くなるやカラヘッヤは嘗ての恋人と縒りを戻したのだと噂されていたのだ。

 これはカラヘッヤには我慢のならないことだった。カラヘッヤはジャシェーを愛したことなど一度もない。寧ろ嫌っていた。彼女が愛したのは生涯でただ一人マウトだけだ。

 独身時代からジャシェーに付き纏われていた。幸い婚約者のマウトは騎士でもあり彼が守ってくれていた。マウトと結婚するころにはジャシェーがカラヘッヤの周囲に姿を現すこともなくなり、安心していた。相思相愛のマウトと幸せな結婚生活を送った。やがて懐妊し、カラヘッヤは幸福だった。

 しかし、その幸福も長くは続かなかった。夫が突然事故で亡くなった。夫の事故死を聞いたショックでカラヘッヤは早産し、一月ほど生死の境を彷徨った。漸く床上げが出来たころには既に葬儀も終わっていた。

 生まれて間もない乳飲み子のアクラネッヤを抱きかかえ、カラヘッヤは涙に暮れた。そんなときに親切を装って近づいてきたのがジャシェーだった。カラヘッヤはジャシェーを嫌悪し追い返そうとしたが、使用人を買収したのか、何度もしつこくやってきた。そしてあるとき、ジャシェーは買収した使用人たちの手引きでカラヘッヤに無体を働き、その結果、カラヘッヤは不本意な妊娠をしたのである。

 丁度その頃、マウトの事故を調べていた夫の弟(現在の取締官)から、事故の日に現場でジャシェーを見たという話を聞いた。ただの偶然だとは思えなかった。何の証拠もないけれど、無関係とは到底思えなかった。マウトは王都騎士団の中でも乗馬の巧みさで知られていた。そんな彼が何もないところで馬を暴走させ落馬するとは思えなかったのだ。

 だが、当時は騎士団調査部にいた夫の弟をしてもジャシェーの関与を裏付けるものは何もなかった。だから、なんとしても証拠か自白をもぎ取りたいと、カラヘッヤは愚かな賭けと理解しながらもジャシェーを夫として迎え入れたのだった。

 そして、ジャシェーの本心を知った。ジャシェーは長女のアクラネッヤを差し置いて自分の胤の子を公爵家の後嗣にするつもりだったのだ。実家の男爵家の兄とそんなことを話していた。

 ただ、これは公爵家の乗っ取りとは言い難い。生まれてくるジャシェーの子が男児であれば、その子が後継者となるのは当然だ。王国は基本男子相続だ。直系男子がいない場合に限り直系女子に相続権が発生する。

 けれど、そんなことをカラヘッヤは許すつもりはなかった。公爵家の後嗣は正当な夫であったマウトとの子であるアクラネッヤしかいない。仮令男子であってもジャシェーの子に公爵家を継がせるつもりは微塵もない。

 そこでカラヘッヤは考えた。王国特殊法 第三百九十八条 入り婿の身分僭称や第四百一条 お家乗っ取りには該当しない。ジャシェーは自分は入り婿であることを理解している。彼は公爵の夫、公爵の実父として公爵家の財産を使いたいだけで自分が公爵になる意思はない。ジャシェーの子は確かにカラヘッヤの子でもあるから、公爵家の直系であることも間違いない。

 だから、カラヘッヤは己が罪を犯すことで確実にジャシェーとその子を排除する道を選んだ。それが生まれてくる子に教育を与えず、愚かに育てるというものだった。

 やがて生まれたのは女児だった。カラヘッヤは産婆と医師を抱き込み出産の際に体を損ないこれ以上の子を望めないと偽った。それを理由に一切の閨も拒否した。

 幸いなのか、生まれた次女カリーザはジャシェーによく似ていた。愛らしい容姿の娘にジャシェーは夢中になり、愚かなほどに溺愛した。教育を与えないことにも何の不審も抱かないほどだった。

 どんどん愚かに育っていくカリーザとは対照的に愛娘のアクラネッヤは優秀だった。ジャシェーとカリーザ、彼らの息のかかった使用人たちのいる前ではアクラネッヤに優しい言葉を掛けることも抱きしめることも出来なかったが、お茶会などに二人で出かけるときには精一杯の愛情を伝えた。

 アクラネッヤは混乱していたようだが、賢い愛娘は何も言わずに受け入れてくれた。このとき既に復讐に目が眩み半ば狂気の中にいたカラヘッヤはアクラネッヤの葛藤と苦しみに気付かなかった。

 そうして、カラヘッヤの十五年掛かりの復讐の終幕がやってきた。愚かしいほど愚かに育ったカリーザは姉だけがデビュタントを迎え高価で華やかなドレスを着ることが許せず、よりにもよってデビュタント会場に乱入しようと騒ぎを起こした。それを愚かなジャシェーが擁護した。

 カラヘッヤは何もしなかった。ただ、カリーザの求めるままに『公爵家の控室で大人しくしているのよ』と到底不可能なことを言いつけて、王城に連れてきただけだ。年少の兄弟が控室に入ることは許されているから、言いつけ通りにしていれば何の問題もないのだ。勿論、カラヘッヤは愚かなカリーザがそう出来ないことを充分に予測していた。

「あなたはカリーザ嬢を愛していたのではないのですね」

「あんなモノ、愛したことなどないわ。わたくしが愛するのはマウトの遺したアクラネッヤだけよ」

 かつての義弟である取締官の問いにカラヘッヤは晴れやかな笑みを浮かべて答えた。

 

 

 

 アクラネッヤは爵位継承後、必要な単位を取ると学院を早期卒業した。そして、シュオールと予定を早めて婚姻し、夫の実家の助けも借りながら恙なく公爵家を運営していった。

 前公爵であるカラヘッヤは特殊法違反の罪で強制労働となるはずだったが、精神を病んでいると診断され、辺境の地の修道院へと送られた。ここは精神を病んだ女性の療養と社会奉仕を行う場所で、カラヘッヤのような罪人が送られる修道院だった。

 ジャシェーはカラヘッヤと同じ罪で裁かれ、強制労働所へと送られるはずだった。だが、事情聴取の際に前公爵の前夫の事故を誘発したことを自白したため、貴族殺害の罪で処刑された。当時は既にジャシェーは男爵家子息ではなく、平民となっていたのだ。平民による貴族殺害は死刑が決まっているため、特殊法ではなく刑法で裁かれ、死刑となったのである。

 カリーザについては、デビュタント会場への乱入未遂という罪はあったが、未成年のためその責は父であるジャシェーが負うことになった。王国特殊法に関してはカリーザは被害者の立場である。よって、教育・矯正機関である女子修道学院へと送られた。

 これはカリーザのように優しい虐待によって教育が為されていない令嬢を再教育するための施設である。修道院と併設され、神の教えを学び神の慈悲に触れつつ、貴族としての礼儀作法と教養を身に着けることが出来る。在学年数は決まっておらず、教師陣が社交界に出ても問題ないと判断すれば卒業となる。早い者は半年程で卒業するが、生涯卒業が認められない者もいる。

 カリーザが卒業できたら、アクラネッヤはカリーザを公爵家に呼び戻すつもりでいる。カリーザ次第ではあるが、嫁ぎ先を見つけるもよし、嫁がないのであれば領内で心穏やかに過ごせるようにするつもりである。

 夫となったシュオールには甘いと笑われたが、カリーザは母カラヘッヤの狂気の被害者でもあるのだから、唯一の姉としてはそれくらいはしたいと思うのだった。

 

 

 

王国特殊法

第二章貴族編 第一項 第二十八条 教育の不備
貴族は国家に奉職する公僕である。ゆえに権利には義務と責任が伴うことを忘れてはならない。次代を背負う子女の教育は王国の安寧のためには絶対不可欠であり、それを怠ることは王国の未来を危機にさらす罪である。王国特殊法違反を犯す王族・貴族の子女は教育の不備があったと断じ、その両親はその責を負うものとする。
第二章貴族編 第一項 第四十七条 子女虐待
以下を子女の虐待と規定し、禁ずる
・子女に適切な衣食住など生活環境を与えないこと
・子女にいかなる理由であれ肉体的暴力を加えること
・子女にいかなる理由であれ、尊厳を傷つけるような言葉を放つこと
・子女にいかなる理由があれ教育を施さないこと
第二章貴族編 第一項 第四十八条 優しい虐待
貴族子女たるに相応しい教育を与えず、己の欲望のままの振舞いを許し、自制心を欠く振舞いを許容するのは、これもまた虐待である。
第二章貴族編 第一項 第五十二条 兄弟姉妹間格差
後嗣とそれ以外、男女の違いという二点において教育や扱いに差があることは貴族としては当然のことである。しかしながら、それ以外において兄弟姉妹の扱いに差をつけることは罪である。また一方を優遇するだけでなく、それによる不利益を他方に負わせるのはあり得べからざる罪である。