所謂、お家乗っ取られ系令嬢
「さて、今年もこのシーズンがやってきました。今年は何件ありますかね」
「今年入学したのは五十名ですね。公爵家一、侯爵家三、伯爵家八、子爵家十五、男爵家二十、平民三。公爵家と侯爵家は問題ないでしょう。伯爵家に一件、該当しそうな家がありますね」
「既に手は打ってます。寮のメイドにうちの職員潜入させてますんで」
「既に心証は黒だそうだ。入浴介助時に傷跡確認済みだとよ」
「じゃあ、証拠固めしますか。精霊課のヤツに屋敷精霊に話聞くように依頼しといてー」
「あ、令嬢の事情聴取はちょっと待って。三日後に王国特殊法の授業あるから、そこで気付くかも。本人から通報入ったら、そのほうが動きやすい」
とある、新年度の一日。王国特殊法監督局取締課は今日も忙しいのだった。
(これは……)
王立魔導学院一年Sクラスは『王国特殊法』の授業時間だ。マシャッカ・ナハブは本日配布された『王国特殊法(第八百九十四版)』を読みながら驚きに目を見開いた。
王国特殊法の授業は、基本的に講義形式ではなく、各自が特殊法を読み、疑問を講師に質問する形式を取っている。身分や階級、各家での立場(後嗣かそうでないかなど)で関係する部分が異なるため、他の教養としての授業とは形式を異にしているのだ。
マシャッカは魔法ペンを取り出すと、ノートに自分の状況に関係すると思われる箇所を書き出していく。因みに魔法ペンとは魔力を籠めるとインクなしで書けるガラスペンである。学院から生徒一人に一本配布され、魔力登録して個人占有備品として使用する。このペンのおかげで生徒は筆記具はこれ一つで済むし、魔力登録しているので盗まれても紛失しても必ずすぐに手元に戻ってくるという優れモノだ。
(寮に戻ったらメイドのフィリさんに相談してみよう)
そう心に決めて、マシャッカは特殊法を読み進めるのだった。
王立魔導学院は全寮制である。学舎と寮からなる敷地には王城と同等レベルの侵入防止結界が張られており、教職員と学生以外は基本的に入ることが出来ない。これは家族であっても同様で、在学中に家族と会うには学外に出るしかない。セキュリティレベルがある意味王城以上に高いのは実は特殊法監督局が関係しているからだ。
また、貴族の子女には学院から一名のメイドもしくは従僕がつく。これは貴族子女が自分で身の回りのことが出来ないことから配されている。実家から連れてくることは出来ない。表向きは結界管理のためとされているが、特殊法案件に絡む理由があり、そのような取り決めが為されているのだ。
マシャッカが全ての授業を終え寮の自室に戻ると、専属メイドのフィリが出迎えてくれた。フィリは前述のとおり、学院が手配したメイドだ。二十代後半と思われる落ち着いた女性である。
学院からメイドがつくと知ったとき、マシャッカはホッとした。実家の義母が自分の専属メイドを手配してくれるとは思えなかったからだ。実家のナハブ伯爵家は特に困窮しているわけではない。先代・先々代が農地改革や商業振興を行なった結果、伯爵家の中では裕福な部類に入る。それこそ、義母や義妹がドレスや宝飾品を買い漁っても余裕があるほどだ。
三年前、マシャッカが十二歳の時、母が亡くなった。そして母の喪も明けぬうちに父は愛人とその娘を家へと招き入れた。流石に結婚は喪が明けてからだったが、父の行動はマシャッカにはショックだった。
義母たちが来てからの三年間は地獄のような日々だった。学院が全寮制であることにどれほど安堵したことか。少なくとも今後三年間は穏やかに過ごせるはずだと。
「フィリ、王国特殊法監督局へ行きたいのだけど、突然行っても大丈夫なのかしら」
「何かございましたか?」
メイドのフィリ──実は監督局潜入課メイド班職員──は内心『やった!』と喜びながら問いかけた。
入寮してから約十日でしかないが、フィリはかなりマシャッカに同情していた。入浴の手伝いをしたときに背中の傷を見てしまったからだ。恐らく鞭や木製の物差しなどで打たれたであろう跡が残っていたのだ。
貴族の子女であれば、普通はこんな傷を負うことはない。仮に何らかの傷を負ったとしても、治癒魔術師に傷跡が残らぬように治してもらう。それが為されていないということは、恐らくマシャッカは虐待を受けているのだろう。
更に言えば、マシャッカはかなりやせ細っているし、肌も髪も艶がなく荒れている。貴族令嬢とは思えない容姿の状態だったことから、フィリは一目で虐待案件だと確信していた。
監督局では様々な調査も行なっているが、その中で虐待の可能性ありとされていたのがナハブ伯爵家だった。令嬢のマシャッカは十歳のときにお茶会デビューしている。それからは母と共に様々なお茶会に参加していたが、母の死後、公の場に一切姿を現していないのだ。その代わりに義妹が出張るようになった。
だが、それだけでは虐待されている証拠にはならず、マシャッカの魔導学院入学を待っていたのだ。
そう、魔導学院が全寮制であるのは、各貴族家の邸内で行われている特殊法違反を炙り出すためでもあるのだ。ゆえに怪しいと思われた家の子女の従僕・メイドは監督局の潜入調査員が務めることとなっている。
「どうやら、我が家は特殊法違反しているみたいなの。わたくしへの虐待とお父様のお家乗っ取り疑惑があるわ。それに伴って、お父様と義母・義妹の伯爵家資産の横領ね」
マシャッカはこれまで特殊法を知らなかった。五歳のころから貴族教育・令嬢教育を受けていたが、特殊法を学ぶ前に母が死去した。母の死後は父や義母の方針──というよりも虐待の一環で全ての教育が取りやめられた。ゆえに自分の受けている仕打ちや環境が特殊法案件であることに気付いていなかった。
なお、母の生前に受けていた教育はかなり高度だったこと、魔力量が豊富であることから学院では最高レベルのSクラスに所属している。
「畏まりました。では、すぐに告発しに行きましょうか」
そう言ってフィリはすぐさま寮監に外出する旨を伝える。この寮監も監督局職員の出向である。学院内のあらゆるところに出向した監督局職員がいるのだ。
「では、監督局相談窓口に転送しますね」
寮監に招かれた小部屋には監督局への転移魔方陣が設置されていた。
マシャッカが監督局を訪れた翌日、取締官と精霊課職員数名及び王都騎士団がナハブ伯爵家の強制捜査に入った。そして、ナハブ伯爵代行オボーデッヤ・
「なっ、無礼な! 俺はナハブ伯爵様だぞ!」
捕らえられ、マシャッカの父オボーデッヤは喚き散らす。が、取締官はそれを冷静に否定した。
「あなたは飽くまでも正当な後継者であるマシャッカ様が成人するまでの伯爵代行に過ぎません。入り婿に過ぎなかったあなたには伯爵家の血は一滴も入っていませんから、継承権はありませんよ。公の場では代行の名を省略する慣例がありますから誤解していましたか。あなたが伯爵を名乗り、庶子であるラグバに跡を継がせようと画策していたことは既に判っています。伯爵家の乗っ取り未遂ですね」
そう、ナハブ伯爵家はマシャッカの亡き母の家だ。父は別の伯爵家の穀潰しの三男だった。三男の行く末を案じた父伯爵がマシャッカの祖父に泣きついて結ばれた婚姻だったのだ。当然、入り婿であるオボーデッヤにはナハブ伯爵家における権利は一切ない。にも拘らず、オボーデッヤは自分が伯爵なのだと勘違いをし、財産を好き勝手に使い、愛人の子を後継者にしようと画策していたのだ。
なお、伯爵家の領地は祖父の代からの真面目な領政官が治めていたため領地経営に問題はなかった。オボーデッヤたちは領地から送られてくる王都別邸用資産をただ使い潰していただけで、伯爵家の財産への影響は少ない。
尤も、王都別邸用の資産は主にマシャッカのために使われるべきものであり、マシャッカの承認のもとに運用されなくてはならなかった。だが、マシャッカに資産が使われることはなく、マシャッカの承認を得ずに浪費していたことから伯爵家の資産の横領と見做されている。
「確かに俺はナハブ伯爵家の血は引いていないが、籍には入ってるんだ! ナハブ伯爵は当然俺だろうが!」
「籍に入っていようが血を引いていない時点で爵位は継げませんよ。それにあなた、二年前にナハブ伯爵家の籍から抜けているではありませんか。そこの元娼婦と結婚したときにあなたはオボーデッヤ・ナハブからオボーデッヤ・ナッサーブに戻っているんですよ。そして、既にあなたの兄君がナッサーブ伯爵家を継承していますから、あんた自身は既に貴族でもありません。いやぁ、平民が伯爵を僭称してたことになりますから、これも重罪だねぇ」
オボーデッヤの態度に辟易していた取締官はだんだん対応が雑になる。貴族の子女は兄弟が爵位を継いだ時点でその実家の貴族籍からは外れる。従属爵位などで別の爵位を得ているか、嫁入り婿入りで別の貴族家の籍に入っていない限りは平民となるのだ。一代限りで実家の姓を名乗ることは出来るが、平民であることに変わりはない。
「平民オボーデッヤ・ナッサーブ、王国特殊法 第二章貴族編 第一項 第三百九十八条 入り婿の身分僭称、第四百一条 お家乗っ取り未遂、第四十七条 子女虐待、第四百九条 子女の資産横領の罪により捕縛」
「平民モブタザル、王国特殊法 第二章貴族編 第一項 第四十七条 子女虐待、第四百九条 子女の資産横領の共同正犯、第三章平民編 第十三条 身分詐称の罪により捕縛」
「平民ラグバ、第三章平民編 第十四条 未成年者の身分詐称の罪により捕縛」
「なお、それぞれに特殊法ではなく通常の刑法による処罰もあるが、これは我々の管轄外のため省略する」
「使用人たちは、王国特殊法 第二章貴族編 第五項 第七百三十一条 主家乗っ取り幇助、第八百三十二条 子女虐待幇助の罪により捕縛。なお、刑法による処罰もあるが同じく管轄外のため省略する」
取締官たちにより次々に告げられる罪状にオボーデッヤとモブタザル、使用人たちは愕然とする。まだ十二歳のラグバは理解が及ばないのか不思議そうにしている。ラグバは何故自分や親が捕縛されているのかも理解していないようだった。
なお、お家乗っ取りのほうに意識を持っていかれたオボーデッヤ達は虐待については証拠がないと高を括っていた。しかし、証拠はしっかりとある。それが屋敷に憑いている所謂『屋敷精霊』と呼ばれる精霊の存在だ。
精霊師と呼ばれる特殊な魔術師にしか見えない精霊の中でも一風変わった精霊で、基本的に何もできない。だが、精霊師の求めにより邸内で起こったことを全て映像で見せることが可能なのだ。この精霊の存在により、様々な犯罪捜査の証拠集めが容易になった。尤も基本的にこの精霊は屋敷の主人の味方なので、屋敷の主人が捕縛されない限りは協力してくれないのが難点である。なお今回の場合は精霊はマシャッカを主人と見做しているため、彼女が監督局に赴いた後秘かに訪れた精霊師に依頼され協力していた。
因みに屋敷精霊は築十年未満の建物には存在せず、浅慮な犯罪者は十年以内に新築への建て替えを行う。流石にそれは目立つので十年未満での建て替えイコール犯罪の自白と同様と見られている。
ともかく、この屋敷精霊によってマシャッカが父と義母と義妹・使用人たちから精神的肉体的暴力を受けていたことは証明されていた。取締官が動いた時点で、もはや罪からは逃れられないのである。
オボーデッヤたちが捕縛されてから数日後。マシャッカは正式にナハブ伯爵位を継いだ。成人の十六歳まではあと一年近くある。成人し学院を卒業するまでは先々代の祖父が後見を務めることになった。
先々代である祖父はマシャッカが五歳のころ爵位を母に譲ると、幼いころからの夢を叶えるために夫婦揃って別大陸に渡り冒険者となっていた。そのため母の死も知らず、当然伯爵家の実情も知らなかった。たまたま別大陸に旅行に来ていた旧友と出会い娘の死を知り、慌てて夫婦共々帰国してみれば、今回の事態に遭遇する結果となっていた。
肝心な時にいなかった前々伯爵夫妻に孫のマシャッカは思うところがあって当然で、その対応が冷たくなったのは仕方がない。これほどに元気な祖父母ならまだ充分現役で伯爵を務められたはずだ。ならば、母が亡くなったとしても父が愛人を連れ込むことはなく、仮に再婚してもナハブ伯爵家から出て行かせるだけで済んだだろうにと思えば、その対応も当然だろう。
それでも学院在学中の三年間でそれなりに交流を持ち、次第に関係を修復していった。その際祖父母が多大な努力をしたのは言うまでもない。
捕縛されたオボーデッヤたちにもそれぞれに罰が下った。
オボーデッヤとモブタザルの身分詐称・お家乗っ取りについては死刑相当の罪であるが、横領の処罰である二十年の強制労働(横領した分を返還するため)の後、処刑されることになった。虐待の罰として強制労働前に鞭打ち三十回も課せられている。なお、この鞭打ちは三回で皮膚が裂け、通常十回で痛みで意識を失う過酷なものである。
ラグバはまだ十二歳ということもあり、十年間の修道院預かりとなった。この修道院は教育機関でもある。なお、義姉マシャッカのドレスやアクセサリーを盗んでいたことから刑事罰も受けており、修道院にいながらの社会奉仕が別途課せられている。
使用人たちは乗っ取り幇助と虐待幇助により鞭打ち二十回と十年間の強制労働となった。貴族だったものは貴族籍を剥奪されている。
基本的にお家乗っ取りも身分詐称(より上位階級を詐称、今回は平民が伯爵位を詐称したことになる)は死罪、その他は強制労働が特殊法の処罰だ。強制労働は鉱山や開拓地などで働くことになるが、通常これらは危険を伴うことから高額報酬でもある。そこで働くことによって、横領した分の返還や賠償金を支払うこととなるのである。
勿論、報酬は受刑者に渡されることなく被害者へと直接渡される。返還金や賠償金を支払い終えるまでは過酷な労働で途中で命を落とすことがないよう手厚く管理されるが、完済後は安全管理・健康管理は自己責任となる。
なお、完済後は刑罰であるため無給であるが、刑期を終えれば一般労働者の十分の一の金額が支払われる。これは刑期を終えた後の生活のための措置だ。今回の場合はオボーデッヤ夫婦は強制労働の後に死刑が決まっているため、刑期を終えたラグバに渡されることになる。尤も、十年間の修道院生活で改心したラグバが受け取ることはないのだが、それは未来の話である。
学院を卒業したマシャッカは学院で出会った子爵家次男と結婚し二男二女恵まれ、祖父母とも良好な関係を築き領地を運営していった。孫夫婦が幸せに暮らし領地経営も安定したのを見届けた祖父母は再び冒険の旅に出ようとしたのだが、流石に年齢的にも厳しいとマシャッカ夫妻が必死で引き留め、ひ孫たちに泣かれて断念した。
ナハブ伯爵家は祖父母と孫夫婦、四人のひ孫と彼らを敬愛する使用人たちによって穏やかで豊かな日々を送るのだった。
今回の王国特殊法
(条文そのものではなく、内容のまとめ)
- 第二章貴族編 第一項 第三百九十八条 入り婿の身分僭称
- 入り婿は婚家への権利は何一つ有しないし、婚家の爵位を継承することもない。ゆえに婚家の爵位を名乗ることは身分僭称に当たる。
- 第二章貴族編 第一項 第四百一条 お家乗っ取り
- 爵位継承は直系血族によって為されるものであり、傍系血族は直系子女がいない場合にのみ認められる。入り婿は直系血族ではなく、入り婿の庶子に婚家の継承権は当然発生しない。また、入り婿は再婚することにより婚家の籍から外れるため、後妻との子には元婚家の継承権はない。これを違え庶子・後妻の子に継承権を与えようとするのは即ち婚家の簒奪となる。
- 第二章貴族編 第一項 第四十七条 子女虐待
- 以下を子女の虐待と規定し、禁ずる
・子女に適切な衣食住など生活環境を与えないこと
・子女にいかなる理由であれ肉体的暴力を加えること
・子女にいかなる理由であれ、尊厳を傷つけるような言葉を放つこと
・子女にいかなる理由があれ教育を施さないこと - 第二章貴族編 第一項 第四百九条 子女の資産横領(入り婿編)
- 保護者たる者には子女の資産を管理する権利を有するが、これを子女の許しなく使用することはその使用目的の如何によらず横領と見做す。入り婿については本来婚家の財産についての権利は一切なく、婚家の直系たる妻亡き後は子女の許しなく全ての資産を使用する権利はない。よって、婚家の資産を子女の許可なく資産を使用することはその使用目的の如何によらず横領と見做す。
- 第二章貴族編 第五項 第七百三十一条 主家乗っ取り幇助
- 主家の正当な後継者である子女を主とせず、第四百一条を為す者に与することは即ち簒奪幇助である。
- 第二章貴族編 第五項 第八百三十二条 子女虐待幇助
- 第四十七条が行われていることを知りながら然るべき機関に通報しないことは虐待幇助に当たる。また、自らもこれを行う者は刑法によっても裁かれる。
- 第三章平民編 第十三条 身分詐称
- 平民が貴族を名乗ることは罪である。貴族であるならば、必ず年の終わりの王宮夜会の招待状が届くため、これが届かない者は貴族の邸宅に住んでいたとしても貴族ではない。
- 第三章平民編 第十四条 未成年者の身分詐称
- 親が貴族であると自称し、それを信じていた場合、罪は減じられる。ただし、王立魔導学院もしくは王立貴族学院の入学案内が届かない者は貴族ではない。十四歳を過ぎこれらが届いていないにも関わらず貴族を自称した場合は罪は減じられない。