無知の罪

 様々な思惑のあったクゥクー公爵就任祝賀の夜会から数か月が経った。クゥクー公爵邸は半年後に迫った当主の結婚式に向けて大忙しだ。

 前公爵の夫で現公爵の父であるペルセヴェランスはピグリエーシュ伯爵の継承をつつがなく終わらせるために婿となるヴェルチュにあれこれと指導し、引継ぎを行なっている。

 尤も三年間フォーコン公爵として広大な公爵領を治めてきたヴェルチュに教えることはなく、継続事業の引継ぎのための打ち合わせが殆どだった。

 妻となるフィエリテは祖母や伯父の妻、弟や姑となるヴェルチュの母と婚礼の打ち合わせを行なっていた。尤も招待客や式次第の選定策定は祖父や伯父が率先して片付けているため、女性陣(+弟)は主にフィエリテの婚礼衣装について喧々諤々と意見交換をしていた。

 公爵領は何の問題もなく治まり、穏やかな日々が続いている。

 

 

 

 あの夜会の後、ヴュルギャリテとメプリ、ブリュイアンは王都騎士団に拘束された。王都騎士団は王家の守りであるとともに王都における貴族犯罪を取り締まる機関でもある。

 そこで彼女たちは犯罪者として捕縛され、貴族審判によって罪を裁かれた。

 ヴュルギャリテは血筋を騙ったことによる詐欺と公爵家乗っ取りの罪に問われた。どちらも血脈を重視する貴族社会においては重罪であり、離縁の上絞首刑となった。

 メプリとブリュイアンは詐欺罪には問われなかったものの、公爵に対しての誣告、名誉棄損、不敬、更に公爵家乗っ取りの罪に問われ、平民として裁かれた。メプリは元々平民であったが、ブリュイアンも侯爵家から縁を切られ平民となっての裁きだった。やはり二人も絞首刑となった。

 王家を頂点とする身分制度の厳しい国において、貴族の名誉を傷つけることも名を貶めようとすることも重罪だった。一つでも死罪となる。更には公爵家乗っ取りを画策していたのだ。しかもその公爵家は準王家である。ゆえに王太子はこれは反逆罪に準じると判じた。

 なお、コシュマール侯爵家は直接関わってはいないものの、息子の教育不足を責を負うことになった。侯爵から子爵へと爵位を下げ、領地の三分の二を失った。失った領地は王領とされ、フィエリテに息子が生まれたら分家のための領として与えられることになっている。

 ある種の見せしめでもあった。

 メプリたちは自分たちが死罪になるなどとは予想もしていなかっただろう。精々慰謝料や罰金を支払う程度で済むと考えていた。平民同士であればそれで済んだ。どんなに重くても王都追放か修道院行き程度だろうと思っていた。

 しかし、死刑判決が下った。

 貴族を相手にするとどうなるのか。準王家であるクゥクー公爵家を貶めればどうなるのか。それを示すための刑でもあった。

 貴族は尊ばれる存在だ。領民のために領地を整え政策を施し外敵から守る。時にはその命を以って領民領地を守る。領地領民、そして国のために一族の命を捧げる覚悟を持つのが貴族だ。そしてその覚悟を代々受け継ぐのが貴族である。ゆえに長く続く貴族家ほど尊ばれる。

 そして、長く女性としての尊厳と誇りと愛を犠牲にして、それを王家のために捧げてきたのがクゥクー公爵家だった。メプリたちの行動はクゥクー公爵家の誇りを貶めるものだった。

 貴族の役目を今一度肝に銘じよ。そして誇れ、尊べ。

 王太子の名でメプリら三人の罪状と刑罰が周知され、その刑罰に至った根本的な理由がそう示されたのである。

 

 

 

 サジェスフォルス王の御世から数代を経て、ティーグル王国は終焉を迎えた。それは時代の流れで王族や貴族を必要としない世が訪れたからであった。

 サジェスフォルス王以降、王国の悪習であった『添臥』は廃止された。クゥクー公爵家は表の役割のみを残し、真摯に賢明に王家を支えたといわれている。