そして、アンソルスランが役目を終えたころ、ヴュルギャリテの兄ポーヴルが公爵邸に押し掛けてきた。事前の連絡もなく、である。
会ってやる義理はなかったが、面倒を避けるためポーヴルと面会した。そこには義兄のシャンも同席した。妊娠中の妹に代わって話を聞くと告げれば、ポーヴルは驚いていた。まさか正妻も妊娠しているとは思いもしなかったのだろう。
因みに応接室の隣の隠し部屋では妻と姑もしっかり話を聞いていて、あとから散々女傑の姑には盆暗婿と叱られた。
そうしてポーヴルが告げたのはヴュルギャリテの妊娠だった。あの一夜でヴュルギャリテは身ごもったのだと。それでは大商会の後妻に入ることも出来ない。どうしてくれるのだと。暗にヴュルギャリテを公爵家に入れろ、愛人にしろと要求していた。
「それはそれはうちの妹婿が失礼したね。貴殿の言い分も尤もだろう。よろしい、縁談が破談になった分の慰謝料はお支払いしよう。当然、破棄された婚約証明書はあるのだろうね」
ペルセヴェランスよりも三歳年下の義兄は高位貴族らしい尊大な雰囲気をまといポーヴルに問いかける。この場ではペルセヴェランスは情けない入り婿を演じ、シャンがポーヴルと話をすることになっていた。
なおクゥクー公爵家ではヴュルギャリテと商会の隠居との縁談は話が出たばかりで口約束にも至っていないことを掴んでいる。つまり破談も何もない状態だ。
破談の慰謝料を要求するのであれば、最低限婚約証明書がなければならないというのは貴族の常識だ。後々のトラブル回避のために婚約証明書は貴族院と両家にそれぞれ破棄された旨が記されたうえで三年間の保存が義務付けられている。
しかし、婚約は成立していなかったのだから当然ながらそれはない。ゆえにポーヴルは慰謝料を吹っ掛けることは諦め、恐れ多いと断らざるを得なかった。
「我が公爵家としても婿の不始末を放置するわけにもいかぬゆえ、愛人は容認しよう」
不本意そうな表情を作り、シャンが言う。それにポーヴルは満足そうに下卑た笑みを浮かべた。ペルセヴェランスもホッとしたような、嬉しそうな笑みをこぼす。
ペルセヴェランスも下位貴族出身とはいえ今は高位貴族の婿だ。それくらいの演技は容易だった。
男爵家がそう要求してくることは予想していた。一夜の過ちで済ませるはずがないことは想像に難くなかった。だから、アンソルスランはヴュルギャリテを愛人として認めることにしていた。ペルセヴェランスとしては不満だったが、まさしく自分の蒔いた種だ。
「では、近日中にヴュルギャリテを連れてまいります。部屋はどちらにいただけるんで? ああ、別館をご用意いただけるんですかい?」
おそらく安心して素が出たのだろう、貴族らしからぬ口調でポーヴルは言う。公爵邸にヴュルギャリテを住まわせようというのだ。
だが、常識的に考えて愛人を正妻の住む家に入れることなど有り得ない。ましてやペルセヴェランスは入り婿なのだからそれは出来ないとシャンは突っぱねた。
「妹は今大事な時期なのだよ。愛人を公爵家の敷地に入れるなど有り得ぬ。妹には僅かな心労すら与えたくない。それは同じく妊娠中の妹を持つ貴殿ならご理解いただけよう」
きっぱりと告げたうえでシャンはヴュルギャリテを愛人として認めるための諸条件を伝えた。その間、ペルセヴェランスはオロオロソワソワしている。当然演技だ。
ヴュルギャリテには王都内に家を与えること、月々の生活費を渡すことを約束した。但し、男爵家に対して公爵家が何かを援助したり支援したり融通することはないことも明言した。当然だろう、正妻の実家が愛人の実家を好くわけはないのだから。
それに対してポーヴルは激しく抵抗した。しかし、シャンは断固として譲らなかった。この条件を呑めないのであれば、ヴュルギャリテを愛人とすることも認めないと告げれば、渋々と引き下がった。
ついでに念のために念書も書かせた。デトリチュス男爵家が公爵家にもペルセヴェランスの実家のマルシャン子爵家にも一切関わらないというものだった。
男爵家にしてみれば不満はあれどそれで納得することにした。直接公爵家から金を引き出せなくても、潤沢に与えられるだろうヴュルギャリテの生活費から幾何か融通させればいい。ヴュルギャリテに耽溺しているペルセヴェランスであれば、ヴュルギャリテが願えばいくらでも金を持ってくるだろうと。
「近日中に家を用意して連絡する。貴殿ら家族がそこに出入りするのは自由だが、当公爵家とは一切無関係であることを忘れるな」
「へい、承知しておりやす」
ポーヴルはヘコヘコと頭を下げた。納得し受け入れた振りをしたが、内心では馬鹿にしていたのだ。
このシャンとかいう兄は家督を継げない盆暗と専らの評判だ。だから、妹婿のペルセヴェランスが公爵家を継ぐ。
ペルセヴェランスの妻が子供を産めば公爵は引退し、爵位を譲るという噂だから、あと一年弱待てばペルセヴェランスの天下になる。そうすれば今の妻はお飾りになり、ペルセヴェランスが溺愛するヴュルギャリテが実質的な公爵夫人となるのだ。
クゥクー公爵家の役割を知らず上位貴族の常識も知らぬポーヴルは自分たち男爵家に都合のいい夢を見て、公爵邸を後にしたのだった。
「面倒な相手に目をつけられたね、ペルセヴェランス」
「申し訳ない」
ポーヴルが出て行った応接室で疲れたようにペルセヴェランスは義兄の言葉に応えた。既に室内には妻と姑も入ってきている。
「まぁ、わたくしがこれこそはと選んだ婿ですもの。引く手数多でモテるのは当然ね」
笑いながら言うのは現クゥクー公爵である姑のクラージュである。いい婿を選んだと自画自賛している。そんな『好い男』の婿なのだから、女性問題が起きるのは当然だと思っているらしい。
「母上、笑い事ではありませんよ」
母に似ず真面目なシャンは頭痛を堪えるような表情で、ペルセヴェランスとしては申し訳なくなる。
「あら、お兄様、仕方ありませんでしょ。わたくしが愛するほどの殿方ですもの。他の女が執着するのも当然です。ペルセヴェランスはわたくし一筋だから問題ありませんわ」
コロコロと笑うのは妻だ。妻は確実に姑に似ているとペルセヴェランスは思う。愛情を疑われていないのは嬉しいが、やはりこの家は女性が強かなのだと実感した。
「しかし、ペルセヴェランスは年初めに断種の術を受けているのだろう? 子供が出来るはずはないのだが」
首を傾げながら義兄のシャンは言う。そんな仕草にはまだ何処か幼さが見えた。