母と父たち①

 フィエリテの両親、マルシャン子爵家次男ペルセヴェランスとクゥクー公爵家長女アンソルスランはクゥクー公爵家が主導した政略結婚だった。幾人かの候補の中から補佐能力の高いペルセヴェランスが選ばれてのものだ。

 婚約が結ばれた当時、ペルセヴェランスは十八歳、アンソルスランは十二歳だった。その頃ペルセヴェランスは学院生ながら当主となった兄の補佐をしていた。その能力が買われたのだ。

 四年間の婚約期間を経てアンソルスラン十六歳の成人と同時に二人は結婚した。婚約期間に交流を深め、二人は家族としての情愛と信頼を築き上げていた。

 結婚して一年後、クゥクー公爵家の裏の役目をアンソルスランが果たすこととなった。その役目については理解していたものの、ペルセヴェランスにはつらい時期だった。

 昼間はアンソルスランの当主の仕事を補佐し、いつもと変わらぬ生活を送った。アンソルスランが気に病まないよう、表面上は何もないふりをした。

 そんなペルセヴェランスを義兄のシャン・シャッス・ド・シュエットが支えてくれた。けれど、鬱屈が晴れることはなかった。

 そんなとき、学院時代の友人に誘われて王都の繁華街へと遊びに出かけた。そこで間違いが起きたのだ。アンソルスランの務めが始まって半年近くが経過していた。

 後になって考えれば巧妙に仕組まれていた出来事だ。つまり、ペルセヴェランスはハニートラップに引っかかってしまったのだ。

 強かに酔っ払い、意識を失い、目が覚めたときには裸で寝ていた。横には同じく裸のままの、情事の気配を色濃く残したヴュルギャリテがいた。

 ヴュルギャリテは一応ペルセヴェランスとは幼馴染ともいえる関係だった。王都のタウンハウスが隣同士だったのだ。尤もペルセヴェランスの認識は近所の面倒な少女だったが。

 目が覚めたヴュルギャリテはペルセヴェランスが強引に迫ってきたのだと泣いた。傷物になった自分はまともな結婚は出来ないから責任を取ってくれと。

 全く以ってベタな展開だった。そもそも酔っ払って意識を失う前にヴュルギャリテはいなかった。そして深夜の王都歓楽街に独身の貴族女性が一人でいるなど有り得ない。確実にペルセヴェランスは嵌められたのだ。

 ペルセヴェランスはすぐに妻の許へと戻り、包み隠さず全て話した。

「あらあら、ペルセったらお馬鹿さんねぇ。随分手垢のついたベタな『甘い罠』に引っかかったものね」

 全てを聞いた妻はそう言って笑った。笑い事ではないが、夫を責めることはなく、すぐに策を講じた。

 公爵家の影の者(いわゆる諜報部隊)に指示し、ヴュルギャリテを調べさせた。

 そうして判ったのは、ヴュルギャリテの実家であるデトリチュス男爵家が困窮していること、次女を大商会の好色な隠居に後妻として売ろうとしていることだった。

 ヴュルギャリテの境遇に同情しないでもなかったが、困窮の原因は男爵家に見合わぬ贅沢をしていたことであり、同情の余地はない。

 また、三人の姉妹の中でヴュルギャリテが選ばれたのは、彼女だけが既に純潔ではなかったからだった。ヴュルギャリテの身持ちの悪さはそれなりに有名だった。

 ヴュルギャリテにとっても男爵家にとっても自業自得という嫁入りだったが、ヴュルギャリテは嫌がっていた。そしてそこで目を付けたのが幼馴染であり高位貴族となったペルセヴェランスだったのだ。

 ペルセヴェランスの学生時代の友人に幾何かの金を握らせ、ヴュルギャリテは罠を張った。当然、その協力者はヴュルギャリテの家族だ。そうしてペルセヴェランスはまんまとヴュルギャリテの、男爵家の罠に嵌まってしまったというわけだった。

「ヴュルギャリテはあなたに相当執着しているようね」

 報告書を見ながらアンソルスランは言う。婚約期間にペルセヴェランスの実家のマルシャン子爵家に遊びに行くと、隣家から憎悪の視線を感じたものだ。おそらくそれがヴュルギャリテだったのだろう。

 そういえば母が言っていた。ペルセヴェランスの兄、マルシャン子爵バヴァールがこの婚約を喜んでいたのは、格上との縁組というだけが理由ではなかったと。亡父と親しかった下位貴族からしつこいほどに次男と次女の婚約申し込みがあったのだそうだ。

 マルシャン子爵家は商売と領地経営が上手く子爵家の中ではかなり裕福だった。何よりペルセヴェランスは同世代ではその美貌で有名だった。だから、ペルセヴェランスには縁談が多かった。その中で亡父との友誼を盾にマルシャン子爵家に何の得も利益もない婚約を押し付けてくるデトリチュス男爵家に辟易していたらしい。

 そこに筆頭公爵家との縁談だ。クゥクー公爵家の入り婿は身分を問わない。過去には他国の平民冒険者が婿入りしたこともあるくらいだ。だから、男爵家も身分違いだから断ったほうがいいなどとは言えなかったらしく、ようやく引き下がったのだそうだ。

「あんな問題だらけの家も、問題しかない娘も御免ですよ」

 子爵家当主のバヴァールはそう言って笑っていたらしい。

「そんなに執着されていたのか」

 妻から聞かされた話にペルセヴェランスは呆然とする。おそらく兄が自分を煩わせないために黙っていたのだろう。だが、知っていればもう少し警戒できたかもしれない。

「このまま放置も出来ないわね。まぁ、サクッと潰してしまってもよいのだけれど」

 クゥクー公爵家であれば、末端の貧乏男爵家を潰してしまうのは簡単だ。領地経営の状態を見ても潰してしまったほうが領民のためにもなる。

 だが、流石に『夫がハニトラに引っかかったから』なんて理由で筆頭公爵家がそれをするわけにもいかない。男爵家は色々と問題も多いが、法を犯しているわけでもない。

「ここのところ頻繁にヴュルギャリテがどう責任を取るんだと遣いを寄越しているんだ。入り婿だから婚家と相談して許しを得ないといけないと引き延ばしているんだが」

 本当ならこのまま放置しておきたい。関わりたくないというのが本音だ。

 けれど、無駄に行動力のある男爵家だ。このままではクゥクー公爵家に迷惑を掛けかねないし、アンソルスランに何かしかけてこないとも限らない。ヴュルギャリテが誑し込んだ愛人たちは下町の破落戸が多く、貴族の常識からは考えられない暴挙を行うこともあるという。

 そういった懸念もあり、クゥクー公爵家の方針としてペルセヴェランスはヴュルギャリテに夢中になっている演技をしている。

「そうね……手元で監視下に置いたほうが良いかしら」

 アンソルスランも溜息をこぼす。良い婿を迎えたと喜んでいたが、良い婿は他にとっても優良物件で、とんだ面倒を持ってきてしまったようだ。