父の苦悩

 場面はしばし遡る。

 この夜会の主催者である王太子サジェスフォルスとフィエリテの父ピグリエーシュ伯爵ペルセヴェランスは全体を見渡せる後方で茶番を眺めていた。

 ちょうど今、愚かなブリュイアンが、ペルセヴェランスが公爵でありその娘のメプリは間違いなく公爵令嬢だと主張したところだった。

「ピグリエーシュ伯爵、アレをフィエリテの婚約者に選んだのは卿だったな?」

 サジェスフォルスの呆れたようで冷たい問いにペルセヴェランスは頷き冷静に返す。身分の隔たりはあるものの、彼らはある意味同志であり、兄弟同然の関係でもあった。

「左様でございますな。本命であったは公爵家の後嗣ゆえ諦めざるを得ませんでしたから。次の候補者である侯爵家の中からアレを選びました」

 同じ公爵位にフィエリテと年の合う令息はいなかった。ゆえに侯爵家から選んだ。クゥクー公爵家にとって害にならないとして選んだのがコシュマール侯爵家だ。

「多少愚かなほうがフィエリテの邪魔にならぬと思い選んだのですが、思っていた以上に愚か者だったようです」

 フィエリテは優秀な娘だ。次期公爵としての教育を受け、前公爵である母亡き後は実際に領地経営を行なっていた。自分や伯父の助けがあったとはいえ十三歳から実質的な領主として行動していたのだ。

「まさか侯爵家の者がクゥクーの役割を知らぬとは思いもせず……子爵家の出である私ですら表の役割は存じておりましたのに」

 クゥクー公爵家の表の役割は上位貴族や古くから続く名門貴族であれば当然知っていることだ。裏の役目は王家と公爵家・侯爵家、伯爵家の一部しか知らないため、ペルセヴェランスは婿入りしてから知った。知ったときには複雑な思いを抱いたが、夫婦仲は悪くはなかったと思っている。

 幸いというかフィエリテは血統的な意味で裏の役目からは解放されている。ゆえに表の役目と領地経営に専念できるように適度に愚かな種馬を選んだつもりだった。しかしこれほどに愚かだったとは。

「卿の実家は十代以上を襲ねた名門であろう。爵位は低いがそこらの侯爵家や伯爵家よりは王国には詳しかろうて。アレの実家はまだ二代の成り上がりだ。歴史は三十年にも満たぬゆえ知らぬとしても不思議はない」

 ブリュイアンの実家の侯爵家は祖父の戦功によって爵位を得ている。もとは傭兵だった祖父が当時の王太子(現国王)の命を救ったことから叙爵されたのだ。

 初代コシュマール侯爵は当時既に老齢に近く、現侯爵も既に成人していた。つまり平民時代が長く、王家のことにも貴族のことにも疎い。

 功績によって侯爵に叙爵されたとはいえ元は平民。三代続けて功績がなければ子爵に落とされる可能性がある。

 それを恐れた現侯爵の必死の売り込みによってブリュイアンはフィエリテの婚約者となったのだ。王家に次ぐ権威を持つクゥクー公爵家と縁を繋ぐことで生き残りを図ったのである。

 しかし、ブリュイアンはそれを理解していなかった。自分が優秀であるから、そしてフィエリテが自分の美貌に惚れ込んだから婚約が結ばれたのだと、とんでもない勘違いをしているのだ。

 元々フィエリテの婚約者選びは難航していた。フィエリテの世代の貴族子女は少ない。王太子ともその子とも世代が違うからだ。

 本来両親が婚約者にと考えていたのはヴェルチュだった。しかし、彼はフォーコン公爵家の後嗣であり婿入りすることは出来なかった。それでも母が存命であれば、フィエリテが嫁ぎ、ヴェルチュとフィエリテの長女をクゥクー公爵の後嗣とすることも可能だった。

 けれど、母は短命だった。それゆえ、父は急いでフィエリテの婚約者を選ばねばならなくなった。

 元々ペルセヴェランスがコシュマール侯爵家に婚約を打診した時点で候補者は三男のブリュイアンではなく、次男のアンブル・タシチュルヌ・ド・フォルミだった。

 アンブルは次男として長男の兄の補佐をするために様々なことを学んでいた。特別に優秀という人物ではないが補佐役としては申し分ない能力を持っていた。ゆえにペルセヴェランスは彼を婿養子としたいと考えていた。

 しかし、コシュマール侯爵夫妻、特に妻はブリュイアンを推した。兄よりも容姿に優れているし、学園でも優秀だ。フィエリテと並ぶには次男では見劣りしてしまうからと。

 実際のところ、容姿でいえばブリュイアンもフィエリテの隣に立てば霞んでしまう程度でしかない。しかし末っ子に甘い母の目には親バカフィルターがかかっていた。だから、末っ子のほうが相応しいと本気で思っていた。

 また、侯爵としてはそこそこ優秀な次男は手元に置いておきたい。末っ子は可愛いがこのままでは穀潰し以外の何物にもなり得ない。その程度の能力しかないことも理解していた。

 しかし、自尊心だけは高いブリュイアンだ。自身が兄よりも高位の公爵家の婿となれると判れば満足し、当主補佐教育も真面目に取り組むだろう。当主は令嬢のフィエリテ様なのだから、あの盆暗でも問題あるまい。こちらのお荷物が両家の鎹となるならば重畳と考えたのだ。

 ペルセヴェランスは次男だけではなく三男も候補として調べていた。次男には数段劣るものの、そこそこ学業は優秀らしいし、適度に愚か者で娘の邪魔をすることはあるまい。そう判断し、消極的ながら今後の侯爵家との縁を考えてそれを了承したのである。

 それがまさか自尊心だけは高い自信過剰の愚か者だとは思わなかった。もっとしっかりと調べなかったことに悔いが残る。尤も既にブリュイアンとは婚約解消を前提に動いているのだが。

 しかも、ブリュイアンはあろうことかヴュルギャリテとメプリとも手を組んでいる。愚か者同士が手を組んだことでこんな愚かな茶番が起こってしまったのだ。

 折角のフィエリテの晴れ舞台──新公爵としてのお披露目の夜会でのこの茶番にペルセヴェランスは自分の不明を後悔するのだった。