さて、この世界がどのような世界であるかはご理解いただけたかと存じます。
つまり現在、ヒロインたるゲアリンデはエルナンドルートを突き進んでおり、わたくしの立場は悪役令嬢ということでございますわね。
なお、このフィロマ、逆ハーレムエンドはございません。各攻略対象に入るルートは同時進行できないシステムですので、他の4人の攻略対象がヒロインの取り巻きになって侍っているということはございませんの。
しかも、『卒業パーティでの断罪イベント』が発生しているということは、エルナンドルートバッドエンド一直線という状態でございますわね。であれば、このエルナンド皇子は相当なお馬鹿さんで、ゲアリンデもかなりの愚者ということになります。皇家や貴族の役割、それに伴う責任と常識を理解していれば断罪イベントは発生いたしませんから。
わたくしが悪役令嬢の立ち位置になるのはバッドエンドルートに進んでしまったときだけですもの。ですから、プレイヤーは悪役令嬢として私の名が上がり始めた時点で失敗を悟り、リセットすることも多かったそうですわ。
因みにベストエンドに向かう流れでございますとわたくしは頼りになるサポートキャラクターとなり、それ以外では殆ど出番はございません。全くこれまで関わることがなかったのでてっきり別の攻略対象者狙いかグッドorノーマルのルートに乗っているのだと思っておりました。
「わたくしが謝る? 理由がございませんわ」
エルナンド皇子が告げたわたくしの『罪状』とやらは、平民出身と馬鹿にした・素行を咎め意地悪をした・無視した・お茶会に誘わない・足を引っかけて転ばせた・泥や飲み物を引っかけてドレスを汚した・突き飛ばした・教科書を破いたり落書きしたりした・大切な形見のペンダントを盗んだ・階段から突き落とした、でしたわね。
罪状といいますけれど、明確に犯罪であるのは足を引っかけて転ばせた・突き飛ばした・階段から突き落としたが暴行罪、ドレスを汚した・教科書を破損したが器物破損、ペンダントを盗んだが窃盗というところでしょうか。それ以外は罪とは申せませんわね。
というか、これくらいのこと、社交界では至極当たり前に起こることです。それを如何に巧くいなすかが貴族令嬢ひいては貴婦人としての腕の見せ所でございます。殿方の庇護を願って殿方の権力で断罪するのは自分では何もできない無能であることの証明に他なりません。
つまりゲアリンデは『私は貴族の令嬢・夫人としては無能で旦那様のお役には立てません』と宣言していると同じことです。これでは男爵家や子爵家からの縁談も望めませんわね。
「心優しき我がゲアリンデが罪を認めて謝れば許してやると言っているのだ! しらを切らずに潔く認めろ! 傲慢な女め! 貴様がやったことは判っているんだぞ!」
エルナンド皇子はギャンギャンと喚きます。公式の場でのこの振舞い、誉れ高きフィアナ皇家の方のなさることとは思えませんわ。
そもそもわたくしがゲアリンデを苛める理由などございませんのに。それに、もし苛めたとしたら、そんなに生易しい児戯に等しいものでは済みませんわよ。
仮にもわたくしは公爵家令嬢。しかも四神公爵家直系でございます。ゲアリンデを排除したければアルホフ男爵家を社会から排除することも簡単に出来ますのよ。
それにわたくしは魔術師ですから、エルナンド皇子が言ったような稚拙な嫌がらせをするとしても、わたくし自身が直接手を下す必要はありません。
ああ、恐らくエルナンド皇子やゲアリンデが主張するであろう『取り巻きにやらせた』ということもありませんわよ。取り巻きなどおりませんし。
稚拙な嫌がらせ程度であれば、召喚獣(使い魔)に命じればいいことですし、魔法を使えば簡単に出来ます。魔法であれば姿を見せずに出来ますし、直接手を下すにしても魔法で姿を消してしまえば目撃等されるはずもございません。
尤も、エルナンド皇子もゲアリンデもわたくしが魔術師であることは知らないようですけれど。国に5人しかいない『賢者』であるわたくしを知らないという時点で色々と世間知らず過ぎて問題ではございますけれどね。
これらのゲアリンデへの嫌がらせは全て学院内で起こったことでございますので、わたくしには不可能ですわね。わたくし、学院には殆ど登校しておりませんもの。
当学院は全寮制ではありますけれど、既に寮は引き払っております。卒業までに必要な単位は入学した初年度に全て取得しておりますから、昨年度と本年度は必要な行事にしか参加しておりません。それは幼馴染たちも同様です。学業よりも大切な魔族討伐という役目がございますから、そちらが優先ですわ。
貴族として学院を卒業することは義務でございますから、一応在籍していたに過ぎません。わたくしたち四神公爵家直系子女は入学する15歳までに貴族としての必要な知識と教養は全て身に着けております。
学院側もわたくしたちの『冒険者』としての役割を知っているため、1年間で全ての単位を取得し、残りの2年は必要行事だけの参加でよいと認めておりますもの。
それに学院にいないのですから、お茶会など開きようもありません。開いていないお茶会にお招きすることも出来ませんわ。
社交は貴族としての人間関係を構築するうえで大切なことですから、ご招待があればできる限り参加しております。けれど、どのお茶会でもゲアリンデと会ったことはございませんわね。まぁ、成り上がりというだけならともかく、礼儀礼節を弁えない男爵令嬢を招く酔狂な方がいらっしゃるとは思えませんし、当然ではないでしょうか。
なお、これらのわたくしが行なったとされる悪事、フィロマのゲーム内でもアレクサンドラがやったとは明言されておりません。飽くまでもヒロインがそれとなく匂わせ、エルナンド皇子がアレクサンドラがやったと思い込んでいるだけでござます。
なので、断罪イベントが起こった場合でもアレクサンドラが処罰されることはなく、アレクサンドラと関係者は反論もせずに呆れた表情で『畏まりました』と場を辞するだけですわ。それも断罪イベント好きなユーザーには不評だったようですが。おまけにアレクサンドラシナリオで冤罪であることがはっきり証明されますしね。
といいますか、実際にわたくしがこれらのことを行なっていたとしましょう。ですが、それがどうしたというのか。四神公爵家令嬢であるわたくしは皇家に次ぐ身分を持っております。一方のゲアリンデは成り上がりの男爵家。その身分の差から、仮令わたくしがゲアリンデを殺したとしてもわたくしが咎められることはございませんのに。
殺してしまえば多少やり過ぎではないかと注意を受けることはあるかもしれませんが、それだけです。正直なところ21世紀の日本に生きていた前世のわたくしでしたら、それに忌避感を持ち反吐が出そうになりますけれど、この身分社会ではそれが罷り通るのでございます。
「先程から申し上げておりますが、そのようなことをする理由がございませんわ」
第一存在を知らない方をどうやって苛めるというのか。前世知識から彼らが存在していることは判っておりましたけれど、『ただのアレクサンドラ』としてはゲアリンデをここで初めて認識するのですし。ああ、それをエルナンド皇子もゲアリンデもお判りではないのでしょうね。
「理由ならあるだろう! 婚約者の私が寵愛するゲアリンデに嫉妬したのだ!」
そう、まずはそこですわ。わたくしが婚約者ではないと理解すれば、冤罪であることも理解するのではないでしょうか。
何故このエルナンド皇子はわたくしが自分の婚約者などと誤解しているのか判りませんわね。確かにわたくしは皇家と四神公爵家の取り決めにより皇太子が決まればその方の婚約者となりますけれど、まだ特定個人との婚約はしておりませんのに。
ですから、まずはそれから申し上げると致しましょう。とてつもなく面倒臭くはございますけれど。
「それが可笑しいのですわ。そもそもわたくしはあなたの婚約者などではございません」
扇で口元を隠し、呆れた溜息を隠します。扇は表情を隠すのに便利ですわね。
「なっ!?」
思ってもみなかったことを言われたエルナンド皇子は口をパクパクさせています。随分と間の抜けた表情でございますこと。
この方、本当にわたくしが婚約者だと信じていたのですね。一度も会ったことがないのに不思議に思わなかったのでしょうか。婚約者であれば夜会などのエスコートは必須でしょうに。なお、わたくしのエスコートは大抵お兄様か従兄のヴォルフガングが務めてくださいます。
「そうだよな。アレクサンドラは皇太子の婚約者になるんだし。一皇子の婚約者とか有り得ないだろう」
エルナンド皇子の反応に呆れつつ、隣に立つクラウスが呟きます。
そうですわね。わたくしは『皇太子』の婚約者候補ですもの。特定個人ではなく地位に対する婚約者候補です。取り決めによって現時点では唯一の皇妃候補でございますから。
「生まれたときから決まっている、わたくしに選択権のないものですけれどね」
クラウスに応じます。そう、この国の皇家の決まり事によってわたくしは己の意志関係なく次期皇帝の皇妃となることが決まっております。まぁ、次期皇帝が拒否為されば自由になれますけれど。
「仕方ないでしょう。当代に四神公爵家直系令嬢はサンドラしかいませんから」
クラウスとは逆隣に立つヴォルフガングがわたくしを宥めるように言います。
そうですわね、言っても仕方のないことです。皇国第二代皇帝がお決めになったことですもの。おじ様方が頑張ってヴォルフガングたちの妹を作ってくださっていれば、わたくしにももう少し選択の自由もございましたでしょうに。
「やはりお前が私の婚約者ではないか! 私は皇太子なのだから!」
はぁ? 何を言ってるのでしょう、この馬鹿皇子は。初めからゲアリンデを未来の皇后とか意味不明なことを言っていましたけれど、エルナンド第9皇子が皇太子ですって? そんなことあるわけないではないですか。