「俺はここに宣言する！ 未来の皇后たるゲアリンデ・フォン・アルホフを不当に傷つけた罪により、アレクサンドラ・フォン・クロンティリスとの婚約を破棄する！ そしてゲアリンデを新たな婚約者とする！！」
大勢の学生とその家族、来賓が揃う盛況な卒業記念の舞踏会の最中、突然の大音声が響き渡りました。
声の出所を探れば、会場の最奥、最も上座にある壇上に立ち高らかに宣言する、何処かの阿呆……基、何方かがいらっしゃいます。
輝くたてがみにも似た金の髪、蒼天を映したかのような青い瞳、見る者によっては美しいといえる容貌。けれどその美しさは中身を伴わない見せかけ、白痴美ともいえるものでございます。場を弁えず大声をだし、剰え婚約破棄宣言などなさるなんて、なんと愚かな方でしょう。
とはいえ、他人事ではございません。呼ばれた名はわたくしのもの。名指しされたのはわたくしですけれど、その殿方はわたくしではなく、全く違うところを見ておられました。もしかして誰がわたくしなのか判っておられないのでしょうか。
しかし、名を正しく呼ばないとはなんて無礼な方でしょう。わたくしの名はアレクサンドラ・マグダレーナ・フォン・クロンティリスですのに。それに呼び捨てにするのも無礼ですわ。公爵家の娘ですから、皇帝陛下もその身分と血筋を尊重して公の場では『
「お兄さま、わたくし、いつの間に婚約したのでしょう？ 聞かされておりませんけれど」
一体どういうことなのでしょうね、お兄さま？ と隣に立つ兄──セーヴェル公爵家嫡男であり、現スコル侯爵であるリスティス・イオニアス・フォン・クロンティリスを見上げます。
まぁ、わたくしに何も仰らずにお父さまやお兄さまがわたくしの婚約者を定めるなど有り得ないことですけれど。
「うーん、私も初耳だねぇ」
首を傾げるお兄さま。けれど、眼が恐ろしゅうございます。壇上に立つ男性を凍てつきそうなほど冷たい眼で見ておられました。これは相当なお怒りですわね。
「サナドラの婚約者ならば私たちが知らぬ筈はありませんが……」
「というか、アレがサンドラの婚約者とか、天地がひっくり返っても有り得ないだろ」
「そうだね。条件を何一つ満たしてないからなぁ」
お兄さまに続くのは幼馴染であり信頼する冒険者仲間でもある3人の男性です。順にヴォルフガング・スペルピア・フォン・フェーレンシルト、クラウス・アウダクス・フォン・シェーラー、レオンハルト・シンケルス・フォン・エレット。
お兄さまも含め四神公爵家嫡男が揃っております。そのせいか、周囲の令嬢たちの熱い視線で火傷しそうなほどですわ。
確かに皇国で最も名門の子息、それぞれに異なった趣の見目麗しく精悍な容貌（目の前で喚いている似非美青年など足元にも及びませんわね）、しかも全員が独身で婚約者もいないとなりますと、お相手の決まっていない令嬢にとっては垂涎ものの獲物でございますものね。
「そもそも現時点でレーナの婚約が決まっているほうが可笑しい」
お兄さまは溜息をつかれます。わたくしの婚約は立太子礼が終わらなければ決まることは有り得ませんので、それも当然ですわね。
ああ、わたくしだけではありません。お兄さまもヴォルフガングもクラウスもレオンハルトも、四神公爵家直系子女は立太子礼の後に婚約者が決まるのが通例なのです。
「ですわよね。では、何故あの方はわたくしが婚約者などと誤解しておられるのでしょう。あの方と正式に対面したことなど一度もございませんのに」
これまでに壇上にてみっともなく騒ぎ立てるあの方に正式にお目にかかったことはございません。学院や夜会でお見かけしたことはございますけれどね。
あの殿方は誰がわたくしなのか判っておられないのもある意味仕方ありませんわね。尤も、四神公爵家直系子女の顔を知らないというのは、皇家の一員として有り得ないことなのですけれど。まぁ、何度教えてもすぐに忘れる鳥頭として有名らしい殿方ですから、仕方のないことかもしれませんわ。
わたくしと対面したこともないのに、婚約者など可笑しなことを仰る愚かな殿方。まるで道化でございますわね。恐らくこれからその道化を更に曝け出すことになるのでしょうけれど。
まぁ、
「いつまで隠れておる！ 俺の前に姿を見せろ！ アレクサンドラ・フォン・クロンティリス!!」
姿を見せよと申されましても、目の前におりますのに。彼が立っている場所はわたくしのほぼ正面にある壇上。少し目線を下げればわたくしがおります。
ですから、周囲の学生や来賓、参加者の方々が戸惑っておられます。お探しのセーヴェル公爵令嬢は正面におられるではないかと。
というか、この方無礼が過ぎますわね。わたくしは筆頭公爵家の娘です。皇帝陛下でさえも名を呼び捨てになさることはございませんのに。しかも正式な名を呼ばないなんて。
「名は正しくお呼びいただけますかしら。わたくしの名はアレクサンドラ・マグダレーナ・フォン・クロンティリスでございます、名も知らぬ無礼な殿方」
正確にいえば名前も顔も存じておりますが、この貴族社会、対面し名乗らぬ限りは知らぬことと同意。社交界は色々と面倒な慣習がありますもの。
但し、皇族だけはこの慣習外ではありますけれど。皇族は国内の有力貴族の名前と顔を知っていて当然、最低限の皇族としての義務であり知識として扱われますの。つまりこの方は最低限の義務も果たしてはおられないのですわね。
因みに貴族側が存じ上げなくても不敬にはなりませんのよ。皇家は子だくさんでいらっしゃるので、皇位継承権をお持ちでない愛妾腹の皇子皇女を存じ上げなくても不敬には問われませんの。
凡そこの男性がどういった立場の方かお判りいただけましたかしら。あら、わたくし、誰に問いかけているのかしら。
一歩前に足を踏み出せば、お兄さまと幼馴染たちがわたくしを守るように傍に控えていてくださいます。
声を上げたわたくしの姿を見て姓名不詳の無礼な殿方は瞠目されました。恐らく初めてわたくしの姿をご覧になったのでしょう。
「それで、わたくしが何の罪を犯したと仰いますの？ 見知らぬ殿方」
はっきりと初対面であることを告げます。同じ学院に在籍しておりますけれど、諸事情でわたくし殆ど学院には通っておりませんから、顔を合わせたこともございませんし、夜会でもお会いしたことはございませんからね。
けれど目の前の愚かな殿方はそれを無視なさいます。わたくしが自分を知らないとなればこれから行なうことの大前提が狂ってしまいますものね。
一体わたくしが何を致しましたでしょうか。身に覚えはございませんが、凡そのことは判っております。これは『卒業パーティでの断罪イベント』ですわね。
「何を白々しい！ 我が最愛の未来の皇后ゲアリンデを虐げていたではないか！」
愚かな彼の後ろでは1人の少女が怯えるようにこちらを窺っています。亜麻色の髪をした一部の殿方には庇護欲をそそる可憐な少女。一見すれば、恐ろしさに震えながらも懸命に立ち向かおうとする健気な美少女でしょうけれど、口元には隠しきれない愉悦と嘲りが浮かんでおりましてよ。
「わたくしがその方を虐げたと？ 身に覚えがございませんわ。そもそも初めてお目にかかりましたもの、その方とも貴方とも」
「言い逃れをするな！」
わたくしは正真正銘の事実を申し上げただけですのに、姓名不詳の愚かな殿方──面倒ですわね。エルナンド・アヒム・ダーフィト・フォン・フィアナ第9皇子はわたくしの言葉を聞かずに反論なさいます。わたくしの顔も判らなかったくせに初対面であることは絶対に認めようとなさいません。
皇家の皇子と公爵令嬢が初対面というのも不思議に思われるかもしれませんが、それは皇国独特の習慣ゆえ社交場が異なっておりましたの。有体に言えば皇位継承権を持たず下位貴族として臣籍に下る予定の第9皇子は上位貴族の出る社交場への参加は認められていないゆえでございますわね。
「よかろう、お前がそのつもりならばとくと聞くがよい！ お前の罪をな！」
それから出るは出るは、わたくしがゲアリンデを虐げたという罪状。平民出身と馬鹿にした、素行を咎め意地悪をした、無視した、お茶会に誘わない、足を引っかけて転ばせた、泥や飲み物を引っかけてドレスを汚した、突き飛ばした、教科書を破いたり落書きしたりした、大切な形見のペンダントを盗んだ、階段から突き落とした、等々。
馬鹿馬鹿しい。仮にも公爵家令嬢が嫌がらせをするならそんな幼子がやるような稚拙な嫌がらせでは済まないでしょうに。まさにテンプレといった嫌がらせの羅列ですわね、阿保らしい。コホン、失礼いたしました。
けれど、わたくしは一切これらに関わってはおりません。そもそもゲアリンデにも第9皇子にも一切関わったことはございませんもの。
「あ、謝ってくれれば、それでいいの、サンドラ」
第9皇子の陰から可憐と本人と第9皇子だけが思っている表情で、震える声でゲアリンデが言います。
第9皇子は『そなたはなんと心が広いのだ』と感動していますが、ゲアリンデの無礼にお兄さまと幼馴染たちが気色ばみ、この茶番を強制的に眺めさせられている舞踏会参加者たちも眉を顰めます。こういったところが、ゲアリンデが令嬢令息方から指導を受け嫌味を言われる原因でしたのに、全く理解していないのですね。
このフィアナ皇国があるのは貴族のいる世界です。強固な身分制度とそれによる区別と差別がある世界です。フィアナ皇国に限りませんが、身分制度がはっきりした社会では、当然理解しているべき暗黙のルールがございます。
身分の低い者が高位の者へ声を掛けることは許されない無礼なのです。声を掛ける前に側に控え、上位者から声を掛けられて初めて発言が許されます。なのに、男爵の娘に過ぎないゲアリンデは、筆頭公爵家令嬢のわたくしに対して勝手に発言を致しました。これは有り得ないことなのです。
そして、名を呼ぶにはこれもまた許しが必要です。それなのに彼女はわたくしの名を敬称もつけずに、しかも愛称を呼びました。本来であれば彼女はわたくしに声を掛けることすら許されない身分差があり、名を呼ぶとしたら『セーヴェル公爵令嬢様』と言わねばなりません。それを許しも得ていないのに親しい者だけが呼べる愛称で呼ぶなど、あってはならないことなのです。
ああ、やはりそうなのですわね。
21世紀の日本に生きていたのであれば、身分制度など理解できないでしょうし、それに従おうとも思わないでしょう。そして、第十五皇子とゲアリンデが口にしたわたくしの罪状。全て
これはもう確定してしまっていいでしょう。このゲアリンデは元プレイヤーの転生者だと。
わたくしと同じ、転生者だと。