そろそろ茶番も終わらせましょう

 何を言っても信じず、自分と恐らく母上の幻想だけを信じ込んでいるエルナンド皇子と、目を白黒させているリザリア。

 ああ、リザリアは恐らくエルナンド√バッドEDをベストEDと勘違いしていた層ですわね。でなければ、エルナンド皇子が皇太子ではないことも、皇位継承権がないことも知っているはずですもの。

 未だにブツブツと呟いているエルナンド皇子にお兄様は深い溜息をつかれます。このエルナンド皇子の起こした騒動は恐らく既に皇帝陛下や宰相であるお父様の耳にも入っているはず。もう暫くすれば事態を収拾するために近衛騎士か司法省の役人あたりが派遣されてくることでしょう。

 けれど、このエルナンド皇子の様子では、フィアナ皇国独特の皇位継承条件もご存じないのでしょうね。本当にエルナンド皇子の教育係は何をしていたのかしら。

「エルナンド第15皇子、あなたは色々と勘違いをしているし、根本的な知識が欠如しているようだ。これもご存じないのでしょうね。冒険者登録をしていない皇族に皇位継承権はありませんよ」

 お兄様は呆れ返った声でエルナンド皇子に告げます。

 このフィアナ皇国のあるアンファング大陸にはわたくしたち魔術師がいることからも判るようにファンタジー世界です。ですからいにしえより魔族も出現いたします。原案小説や同設定のMMO-RPGほど魔族が横行しているわけではありませんが、都市部から離れる際には護衛が必要な程度には魔族が出現いたします。まぁ、高位魔族は少なく迷宮に出る程度ですけれど。

 その魔族討伐を為すため、或いは自衛のために1500年ほど昔から冒険者が存在しています。原案小説の時代には既に冒険者ギルドは1000年を超える歴史を持っておりましたしね。

 旧フィアナ王国の王子であったフィアナ皇国の祖・聖賢帝イディオフィリアもかつては冒険者であり、その仲間とともに魔族に国を売った反王オグミオスを倒し皇国を築いたのです。その仲間となったのが四神公爵家の祖たちであり、彼らもまた特級冒険者と呼ばれる英雄でした。

 そのような成り立ちもあり、フィアナ皇家は『皇家は最前線で魔族討伐を行なうべし』との家訓を持ち、ゆえにその家訓に背く『冒険者とならない皇族』には皇位継承権がないのです。

「なっ!? 知らんぞ、そんなこと!」

 やはりご存じなかったのですね、この馬鹿皇子は。本当にエルナンド皇子の教育係は何を教えていたのでしょう。

 そしてリザリアも驚いています。彼女も知らなかったようです。彼女が隠しキャラを開放出来なかったことは確定ですね。隠しキャラの各エンディングで皇妃となる条件と皇位継承に関する条件は明かされますから。

 皇国貴族であれば子供でも知っていることを知らなかったエルナンド皇子に、舞踏会参加者のほぼ全員が呆れ返っています。これまで殆ど全くといっていいほど注目されることのなかった皇子ですから、誰もエルナンド皇子がこれほど非常識でお馬鹿さんだとは気付かなかったのでしょう。気付いていれば誰かが軌道修正していたでしょうから。

「馬鹿で阿呆だと思ってはいたが、まさかここまでの愚者だったとはね」

 背後からこれまで聞かなかった声がします。涼やかで品のある麗しい声。前世のわたくしは彼の声を聴くためにフィロマを攻略したのでした。漸くお出ましになられましたのね。真打登場といったところでしょうか。

「ミセル様、遅かったのですね」

 振り返れば燃える炎のような赤い髪に凍るような蒼氷色アイスブルーの瞳を持つ美丈夫がいらっしゃいました。皇国で最も美しく精悍な殿方と称され、現在特級に最も近い冒険者であるもう1人のわたくしの幼馴染。ヴォルフガング・クラウス・レオンハルトとともにパーティを組んで5人で行動することの多い大切な仲間でございます。尤も最近の彼は公の仕事が忙しく、大きな魔族討伐クエストでなければ同行することも少なくなってまいりましたが、それもまた仕方のないことですわね。

「ああ、父上に呼ばれていてね。年寄りは話が長くて困る。レーナのファーストダンスに間に合わないかと思った」

「既に間に合っておりませんわ。お兄様が踊ってくださいました」

 彼の呼んだ『レーナ』はわたくしの洗礼名からの愛称。この名を呼べるのは家族の他は彼だけです。彼をミセルと呼ぶのもご両親と同母姉だけ。家族を除けばお互いだけの特権なのです。

「兄上……」

 突然現れた彼にエルナンド皇子は呆然としています。そしてエルナンド皇子の腕に絡みついていたリザリアは彼を見て目を輝かせておりました。やっと巡り合えた、これで攻略できる、これで愛される、そう思っているかのように。

 そう、彼こそがフィアナの隠しキャラであり公式が真のヒーローと呼ぶ第1皇子レグルス・ミセリコルディア・アロイス・フォン・フィアナ。現在最も皇太子に近いといわれる皇子であられます。

「一体お前は何をしているのやら。折角の舞踏会を関係のない私事で台無しにして」

 呆れ返った表情でレグルス殿下は仰います。エルナンド皇子を見遣る視線は呆れ返り、何も理解しておらぬ末弟に対する蔑みがございました。そして、熱い視線を送っているヒロインのことは完全に無視です。そもそも視界にも入れておらず認識外なのかもしれませんわね。この方、興味のないものは目の前にあってもお気づきにならないところがございますもの。

「皆には済まぬと思っている。しかし、今暫く私に時間をくれぬか。この愚かな弟の蒙を啓かねばならぬゆえ」

 レグルス殿下は舞踏会の参列者に向かってそう告げられました。このままでは皇国の害になりかねない愚かな末皇子にしっかりとお灸を据え、エルナンド皇子を利用しようとしている某国や関係貴族に釘を刺す意味もあるのでしょう。

「第15皇子エルナンド、これまでアレクサンドラ嬢やリスティス卿が言ったことは全て真実だ。アレクサンドラ嬢はお前の婚約者ではないし、お前の母は皇妃ではなく、お前は皇太子どころか皇位継承権も持ってはいない」

 まずレグルス殿下はエルナンド皇子が頑なに信じようとしなかったことが事実であることを改めて仰います。恐らく自分が皇后所生の皇太子であると信じていたエルナンド皇子は、レグルス殿下のことも側室腹の卑しい皇子とでも思っていたのではないでしょうか。けれど、仮にも兄。片親だけとはいえ血の繋がりもあり皇族であるレグルス殿下の言葉はエルナンド皇子にも無視できないようでした。

「エルナンド、お前は既に皇位継承権を放棄しているんだ。15歳になったときに父上や宰相、傅役から言われただろう、冒険者登録しろと」

 エルナンド皇子自身が継承権を放棄したのだと突き付けられます。誰でもない、自分の選択で皇位継承権を放棄したのだろうと。

 冒険者は15歳から登録が可能となります。わたくしも幼馴染たちもお兄様も15歳の誕生日に登録をいたしました。既に冒険者になっていたレグルス殿下とお兄様、幼馴染たちに連れられて最初の冒険に出たことは今でも懐かしい思い出でございますわね。

 けれど、同年に皇家から冒険者になった方はいらっしゃいませんでした。同年齢であるエルナンド皇子は登録なさいませんでしたから。その前年には第12皇子・第13皇子・第14皇子と第8皇女、翌年には第9皇女と第10皇女が冒険者となられましたが。

 現皇帝陛下には15人の皇子と12人の皇女がいらっしゃいますが、冒険者となっておられないのはまだ登録可能年齢に達していない第12皇女とお体の弱い第7皇子、そしてこのエルナンド皇子の御三方だけです。残りの24の皇子皇女方は公務と魔族討伐を両立しておられるのです。そういえば先日第1皇女であるメルテ侯爵夫人がそろそろ子どもが欲しいから冒険者を引退すると仰っておられましたわね。

「きっ、聞いていない! そんなこと聞いてない! 冒険者にならねば皇位を継げぬなどっ」

 ここまでお馬鹿さんですと、聞いたけれど覚えていないということもありそうですわ。仮にも皇子の教育係が何も教えていないというのは職務怠慢以外の何物でもございませんし、皇帝陛下が選ばれた教育係がそこまで無能なはずはございませんでしたわね。だとすればこのお馬鹿皇子は自分に都合の悪いことは覚えていない可能性のほうが高うございます。わたくしと一度も会ったことがないということを都合よく忘れてわたくしに冤罪を被せたくらいですもの。

「説明しているよ。その場には私もいたから覚えている。お前はそれを『冒険者など野蛮人のやることだ』と拒否したじゃないか。それが皇位継承権を放棄したことになるんだ」

 グリグリと眉間を揉みながらレグルス殿下は仰います。頭痛がしておられるのでしょうね。皇位継承権もない、何れは臣籍降下する皇子とはいえ、仮にも弟君。他の御兄弟姉妹がそれぞれそれなりに有能、もしくは無害な方々ですから、こんな愚かな皇子がいることが信じられないのかもしれません。

 まぁ、皇国臣民といたしましても、信じたくはございませんけれど。

 それにしても冒険者を野蛮人などとは聞き捨てなりませんわね。ここに集う貴族各家の御当主や御夫人の半数以上が冒険者を経験しておられますのに。学院生の半数が長期休暇には冒険者として活動していますのに。そして冒険者こそがこの国を、この大陸を魔族から守る最前線の盾であり剣であるというのに。そういったことすらご存じないのですね。呆れ果てますわ。

 他国であれば社交の場はお茶会や夜会となりますけれど、我が国では同等かそれ以上の社交場となっておりますのが冒険者ギルドであり、クエストでございます。燕尾服やドレスの代わりに鎧やローブを纏い、グラスや扇ではなく剣や杖を持ち、ギルドのクエストによって得た皇国各地の情報を交換し合い、ともに冒険をすることによって交流を深めるのです。命を預け合い、寝食を共にし、お茶会や夜会では得られぬ信頼と絆と築き上げるのです。

 だからこそ、我が国の貴族は結束が固くなり、他国に比べれば政争が少ないのだともいえます。

 そんなことも知らずに何が皇太子ですか。本当に嘆かわしいほどのお馬鹿さんですわね。