評判

 ゲーム開始からおよそ一年と少しが経ちました。お兄様は学院を卒業し、マーガレットお義姉様と無事ご結婚。公爵家を継ぐまでの間は公爵家の持つローグ伯爵の爵位を得て、若き伯爵として王宮に文官として出仕なさっておいでです。

 お兄様の結婚を知ったメアリーは怒り狂っていたそうです。これは公爵家のお庭番からの報告でございますわ。メアリーは我が家のお庭番と王家の影が常時監視を行なっておりますの。その結果、政治的背景の一切ない、単なるお花畑乙女ゲーム脳の迷惑な少女と判明しております。

「なんで? 在学中は確かにイベント不発だったけど、それでも二年目で挽回できるはずじゃん! なんで結婚するのよ!」

 と自室で枕やクッションを振り回しながら叫んでいたようでございます。確かにゲームでは一年目のイベント不発や失敗は二年目でリカバリー出来る仕様になっておりました。お兄様がゲーム期間中に結婚することもございません。ですから、ゲームと違う出来事が起こって、メアリーは相当混乱していたようでございます。

 ここで気がつけばよろしゅうございましたのに。ここは現実であってゲームではないのだと。

 けれど、メアリーは飽くまでもここは乙女ゲーム『キラ恋』の世界なのだと思い込んで、この世界の常識を学ぶことはありませんでした。自分のままに、二十一世紀日本の一般市民の常識で行動するのです。まぁ、その常識も社会人ではなく狭い世界しか知らない学生のもののようでございましたけれど。

 メアリーは貴族の娘としてはかなりの非常識でした。貴族のマナーにも礼儀作法にもルールにも疎いままでした。ゲームのヒロインもそうでしたけれど、現実のメアリーはもっとひどいものでした。

 ウェブ小説の悪役令嬢物あるあるですが、自分より上位貴族(新興男爵家なので平民以外は全て上位貴族といってもいい)に平気でタメ口で話しますし、自分から声を掛けますし、名前を呼びます。

 基本的に貴族社会では上位者から声をかけられないと発言は出来ません。では用事があるときにはどうするのだということになりますが、突発的な急用ではない限り、事前に手紙でお伺いを立てたうえで面会して話をするのです。或いは直接その貴族に話しかけるのではなく側にいる侍女や従僕、或いは同位の側近に声をかけ取り次いでもらうものでございます。

 学院内では円滑な学生生活のためにそこまで厳格には適用しないルールではございますが、第一声は『失礼いたします、お話をよろしいでしょうか』と発言を求めるための声掛けをするように暗黙の了解がございます。メアリーはそれを丸っと無視しているのです。

 更に名前。貴族は互いにファーストネームを呼ぶには許しが必要でございます。必要ないのは家族だけですわね。

 基本的には『家名+様』。王族の場合は『第〇王子(王女)殿下』。既に相手が爵位を持っている場合はお兄様なら『ローグ伯爵閣下』、リチャード殿下であれば『王太子殿下』とお呼びしなければなりません。

 メアリーのように『名前+様』や愛称は親しい友人や婚約者にしか許されない呼び名なのです。

 メアリーは散々殿下をリック様、お兄様をマット様、エドワードをエド様と呼び、そのたびに殿下やお兄様からは『名前呼びも愛称呼びも許していない』と拒否されています。正確には殿下とお兄様は存在を無視、注意するのは護衛騎士たちですが。その場では改めるものの、一度離れれば振り出しに戻ります。実家の男爵家からも注意を受けているでしょうに、学習能力はないようですわね。

 ゲーム内では一応敬語は使っておりました。それでも丁寧語程度で、貴族らしくきちんとした尊敬語や謙譲語の使い方は全く出来ておりませんでしたけれど。それにむやみやたらとスキンシップを取ることもございませんでした。でも、ここのメアリーはそれをするのです。拒否されてもお構いなしに。

 その馴れ馴れしさを咎められると『元平民だから……平民ならこれくらいのスキンシップ当たり前だし、身分なんて判らないもの』という有り得ない言い訳をするそうですわ。

 尤も、その言い訳は同じ平民の生徒から可笑しいと批判されてもおります。

 そもそも平民にとって貴族は雲の上の存在。理不尽で横暴な勘違い貴族も少なくないせいで、平民にとって貴族はアンタッチャブルな存在です。下手に関わると無礼者と処罰されるかもしれませんから、仕事上の関わり以外は避ける傾向にあります。

 それに平民であっても異性に必要以上にスキンシップを取るなんてことは致しません。友人や幼馴染などであっても恋人や婚約者が出来れば遠慮するものです。初潮を迎えて以降に男性にスキンシップを取るような女は阿婆擦れ認識されるそうですわ。

 平民の友人たちは『あれが平民のスタンダードだなんて思われたら迷惑です』と憤慨していたほどですものね。