ゲーム開始

 あっという間に時は過ぎ、ついに迎えた学院入学の日でございます。

 前世の記憶について話をしてからも特に変わったことはございませんでした。五大公爵家で情報を共有した程度でございますわね。

 ああ、それから両親と陛下・妃殿下にはヒロインのパーソナルデータもお知らせいたしましたのでひそかに監視しておられたご様子。お父様が『ないわー、あれはないわー』とキャラクターを崩壊させて呟いておられました。

 それからウェブ小説でよくある魅了や洗脳といった特殊能力がないか、宮廷魔導士と他大陸の大賢者様によって確認もしておられました。十歳のときと入学前日の二回。

 なお、これらのヒロイン情報は殿下とお兄様には伝えられませんでした。陛下やお父様曰く教育の一環だそうでございます。わたくしから忠告を受けていてなお誑かされるようでは国を任せることは出来ないからと。

 殿下との仲は相変わらず良好でございます。いえ、その、殿下に男性の色気が出てきてドキドキさせられることが増えてまいりましたけれど。でも殿下も『ブランがセクシーで悩ましすぎる!』と仰ってますからお互い様でしょうか。

 流石にまだ十五歳で婚姻前でございますから、触れる程度の口づけ以上は出来ません。お父様にもお母様にもお兄様にも弟たちにもそれ以上の接触は固く戒められております。陛下や妃殿下はイケイケと囃し立てられることもございますけれど……。

 なんでも庶民や貴族の令嬢方の間ではわたくしたちは『理想的な恋人同士』と言われているそうですの。ゲームとは状況が全く異なっておりますわね。

 さて、この国では前世の世界でいう高校に該当する王立学院がございます。基本的に貴族の子女が通う学院ではございますが、優秀な庶民も入学が可能です。殆どは裕福な商人や豪農の子供ですけれど。この辺りも乙女ゲームの定番でございますわね。

 そして、ゲームのベタなオープニングイベントもございます。

 入学式前、馬車降り場にて馬車から降りられた王太子のもとへ遅刻しそうだと慌てていたヒロインが走ってきて転び、王太子にぶつかるというものですわ。その場には王太子の側近候補である攻略対象もいるというある意味お約束ですわね。

 でも、学生寮に入っているヒロインが何故逆方向にある降車場に来たのでしょうね。それに遅刻しそうな時間に王太子が来るなど有り得ませんわ。

 実際に殿下が来られたのは式典開始の一時間前でございました。打ち合わせがございますからね。

 そして殿下の出迎えにわたくしをはじめとした側近たちもおりますし、馬車の周囲には当然ながら護衛騎士もおります。

 ですので、ヒロインらしき少女は殿下にぶつかる前に護衛騎士に阻まれました。普通であればぶつかりそうになったことを謝罪するでしょうに、少女は不満げな顔をしておりました。ありありと『なんで邪魔するのよ』と。

 その表情を見てわたくしとお兄様、殿下は『あ、これは……』と思いました。恐らくこの少女はゲームのままのヒロインではないと。

 いえ、見た目はヒロインのグラフィックと同じでございます。ところどころ飛び跳ねたふわふわのピンクブロンド、純朴そうな見た目、どこか庇護欲をそそるような小柄な体。

 けれど、その目が違うのです。ギラギラと獲物を狙うかのような目。中身は恐らく本物のヒロインではなく転生者でしょう。

 とはいえ、転生者と結論付けるのも早計でございます。ゲームのヒロインとは性格が違って、単に王太子狙いで出会いを印象付けようとしたとも考えられます。この世界の貴族の常識からは有り得ないことでございますが、乙女ゲームのヒロインそのものが常識的には有り得ない存在でございます。攻略対象たちも攻略が進めばどんどん貴族の常識や社会の良識からは外れていくのですし。

 ヒロインらしき少女は護衛騎士に拘束され、どこかへと連れていかれました。恐らく尋問を受けることになるのでしょう。

 何しろ偶然ぶつかりそうになったというには不自然すぎます。明確に殿下を目指して走ってきていましたもの。ギラギラと獲物を狙うような目をして。

 護衛騎士たちもそれに気づいていたからこそ、少女の手が殿下に届く範囲に来る前に拘束したのです。尤も護衛騎士たちは暗殺者の可能性を考えて動いたのでしょうけれど。

「今の娘はなんだったのでしょう……」

「中々に可愛らしい娘ではあったが、あの目はないな」

 殿下の側近候補として側にいたヘンリー様とエドワード様が呆然として仰います。護衛騎士候補であるトマス様は殿下の前に立ち身構えておられましたが、ようやく体の力を抜かれました。

 ……トマス様の様子が少しおかしいですわね。何処か陶然とした表情にも見えます。え、まさか、今のでヒロインに一目ぼれとかございませんわよね? いくら脳筋の単純枠とはいえ、あの状況で?

 お兄様に視線を向けますと、お兄様は厳しい表情でトマス様を見ておられました。わたくしの視線に気づくとわたくしに蕩けるような笑顔を向けられます。シスコン健在です。

「さぁ、皆、不審者は騎士たちに任せて入学式に向かおう。ブラン、お手をどうぞ」

 殿下が冷静に皆様を促し、わたくしをエスコートしてくださいます。わたくしの斜め後ろにお兄様がつかれ、そっと話しかけてこられました。

「ブラン、トマスがおかしい。注意しろ」

 ええ、どう見てもあの表情は一目ぼれですわね。面倒なことになりそうですわ。