ゲーム開始時、王太子と婚約者の仲は然程よくありません。特に悪いわけでもありませんが、互いに政略結婚なのだからこの程度だろうという感じですわね。
ですが、問題はございました。ゲームの王太子は恋愛至上主義なのです。婚約者のことは政治が絡むゆえに一応尊重はするものの、本当は恋愛を夢見ているのです。
なので、婚約者に対して『本当に愛する者を得たらそなたは飾りの王妃だ』なんて阿呆なことを堂々と言うのです。『いや、恋愛したいなら婚約者と愛情を育めよ』と前世のわたくしは突っ込みを入れておりましたわね。
何故そんなことを言う王子が出来上がったかといえば、原因は彼の幼少期の教育係でございました。王子の教育係であったはローエイ伯爵夫人はロマンス小説大好きなお花畑脳だったのです。何故そんな教育係を選んだのだと言いたいところでございますが、彼女の夫の政治力が凄かったということですわね。
そんなお花畑恋愛脳教育係の影響で、王太子は尊大な俺様野郎でひそかに運命の恋を夢見る恋愛脳という、王族としてはどうなのといった残念王子になってしまうのでございます。ゲームのわたくしに同情が禁じえませんわ。
乙女ゲームとしては理想的なヒーローでしょうけれど、こんな王子、現実問題としては大問題でございます。
王子に教育係がつけられるのは五歳のときです。なので、その前にわたくしは行動を開始いたしました。当時わたくし(同年の王太子も)は3歳でございました。
前世の記憶があり大人びていたわたくしは、両親や使用人など周りの大人に早熟な天才児と認識されておりました。勿論、幼児らしい舌ったらずな喋り方や仕草は愛らしいと愛でられてもおりましたけれど。
そういった周囲の誤解を利用して、ローエイ伯爵夫人を自分の教育係として招いていただいたのです。彼女やその家族が教育係としての就活をしておりましたから容易でしたわね。
因みに教育係の名前は設定資料集にございました。王太子のページに『政略結婚の空しさと真実の愛の尊さを教えた』として紹介されておりましたもの。
そうしてやってきたローエイ伯爵夫人。ことあるごとにお花畑恋愛脳を炸裂させました。真実の愛がいかに尊いか、政略結婚がどんなに悲惨か。真実の愛を知らずに政略結婚する愚かさと惨めさ。そんなことをまるで洗脳するかのように
マナーや礼儀作法の講義は真面なのですけれど。いえ、かなり洗練されていて、それだけ見れば当代一の貴婦人といっても過言ではないような、気品のある洗練された美しさをお持ちでした。所作と頭の中身は関係ないのだと実感し、少々空しくもなりましたわね。
何度か夫人の講義を受けたわたくしはお父様に泣きつきました。勿論お芝居ですわよ。
「おとうしゃま、おかあしゃまのことをおきらいなの? せんしぇいがおっしゃるの。おとうしゃまとおかあしゃまはせいりゃくけっこんだからしあわせじゃないのよって」
確かに両親は政略結婚でございます。貴族社会において恋愛結婚などほとんどございませんものね。ですが、両親はその婚約期間に互いに信頼と愛情を育み、今でも仲睦まじいご夫婦でございますの。
最愛の妻との関係を否定されたお父様はお怒りになられましたわ。目が笑っていない笑顔で優しく凍えるような声でわたくしに詳細を尋ねられましたの。あれは今思い出しても恐怖体験ですわね。
「どういうことかな、ブラン? お父様はお母様のことが大好きだし、お母様もお父様のことが大好きだよ? だから今お母様のお腹には赤ちゃんがいるし、マシューやブランやケヴィンやジェフが生まれたんだよ」
我が家はこの当時六人家族でございました。現在は八人家族でございます。父と母、長男のマシュー、長女のわたくし、次男のケヴィン、三男のジェフリー、四男のマイクと五男のポールがおります。わたくしより下は年子ですわね。お母様、空き腹が殆どない状態でしたもの。どれほど仲睦まじいのかが判るというものですわ。
そうしてわたくしから詳しい話を聞いたお父様はローエイ伯爵夫人のことを徹底的に調べ、侍女たちに命じて授業内容を詳細に報告させました。雇う前にも評判などはお調べになったようですが、あのマナーと礼儀作法ですもの、問題は見つからなかったようですわね。
その結果、お父様は夫人を解雇なさいました。庶民や下位貴族の間で流行っている『真実の愛』という名の身分制度軽視の物語に毒されている、教育係に相応しくない人物と判断して。
やがて王太子(当時はまだ立太子しておられませんでしたから単なる第一王子でしたけれど)の教育係の選定が行われました。彼女は一応候補には上がったのですが、直ぐに弾かれたそうですわ。お父様が解雇の事情を説明なさったので。公爵家の教育係として相応しくないと解雇された人物を王家が雇うわけはございませんものね。
王太子の教育係はゲームとは別人となり、現実の教育係はしっかりとした教育をなさいました。政略結婚の意味、王族としての責任、寛容と慈愛の精神、平等と公平の違いなどなど。その結果、王子はまさに理想の王太子へと変化なさいました。ゲームの俺様恋愛脳ではなく、穏やかで紳士的な王族の責任と自負を持った貴公子へと。