「ホンマにタドミール、倒さなあかんのやろか」
そのディスキプロスの言葉は居間に重く響いた。
「……何、言ってるんだよ。倒さなきゃ、
乙が反論するが、その声に力はない。微かに震え、弱い声だった。
「俺、死にたないねん。
紛うことなきディスキプロスの本心だった。
タドミールを倒さなければ
ディスキプロスの言葉は、皆の心に深く突き刺さった。誰もが考えていたことだった。いつかは誰かが言い出すことだった。それを率直に言葉にしたのがディスキプロスだったというだけだ。だから、居間は沈黙に包まれた。何も言うことなどできなかった。
「まだ、倒せないと決まったわけじゃない。結論を急ぐな。ニザーの話を聞いてからだ」
沈黙を破ったのはデサフィアンテの穏やかな声だった。彼を見つめる仲間たちの揺れる瞳に、デサフィアンテは柔らかな微笑を返す。
「どうなるか、なんてまだ判らないんだ。でもな、俺の目標は変わってない。誰一人欠けることなく、皆で生きて戻る。それだけだ。戻っても死んでるんじゃ意味はない。
それだけを目標に、【悠久の泉】は動いてきたのだ。血盟員全員、生きて戻るのだと。
デサフィアンテは静かに立ち上がると、居間を出る。それを
デサフィアンテは喫煙室にいた。何処か遠くを見ているような目をして紫煙を燻らせている。
「
そんな彼に夏生梨は声をかけた。けれど、それ以上の言葉は出てこない。
「ディスの言うことももっともだと思ってさ。誰だって死にたくない。だったら、状況が変わる可能性を待つのもありかな」
夏生梨を見ずにデサフィアンテは呟く。彼らしくない、感情の読めない淡々とした声音だった。
「ディスが言ったことは、多分、皆心の何処かで思ってたことだ。だから、何も言えない。俺だってそうだからね。死にたくない。だから、戻れなくてもいい」
ようやくデサフィアンテの声に色が滲む。けれど、それは常の彼からは考えられぬ、弱く脆いものだった。
自嘲するようなデサフィアンテの表情に、夏生梨は彼を抱き締めた。君主として常に前向きに明るく振舞っていた彼が果敢無く見えた。今にも崩れ落ちてしまいそうに見えた。
この1年数か月、デサフィアンテはずっと前に向かって走り続けてきた。自分たちはそんなデサフィアンテの背中を見ていたからこそ、諦めることなく絶望することなく進むことができた。
けれど、デサフィアンテの前には誰もいない。ともに並んで走る椎姫、ショウグン、アズラクの存在はあったが、前には誰もいない。デサフィアンテたちが道を切り拓き、手探りで進んでいたのだ。その背にたくさんの命を背負って。
何故、デサフィアンテがこんなにも苦しみを背負わなくてはならないのか。今、夏生梨は彼の妻として傍にいる。だから、血盟員たちが知らぬことも彼女だけが知っている。アンシャル戦以降、デサフィアンテが悪夢に苛まれていることを。安息を齎すはずの夜の闇は彼に安らぎを与えてくれない。
いっそ全てを諦めて捨ててしまおう。そう何度も言いそうになった。けれど、君主としてあろうとするデサフィアンテを見ていれば、それを言い出すことはできなかった。
「違うな。戻れなくていい、じゃない。俺は戻りたくないんだ。戻ったら、俺は死ぬのが判ってるから ……」
力なく漏れたデサフィアンテの言葉に夏生梨は彼を見つめた。思いがけない言葉だった。それはどういう意味だ、そう問いかけようとして気づいた。まさか、それは ……。そんなはずはない。そう思いたい。けれど。
じっと自分を見つめる夏生梨の視線に気づき、デサフィアンテは顔を上げる。夏生梨は蒼白な顔色でじっとデサフィアンテを凝視していた。
「うん、そういうこと」
デサフィアンテは穏やかな透明な声で告げる。
「再発したんだ。余命半年って言われた」
どうせ死ぬ命だ。ならば、この世界で死んでも構わない。そうも思った。けれど、この世界には仲間がいる。かつてと同じように自分を信頼し、好意を寄せてくれる仲間たちがいる。この仲間たちは生きて戻さなくてはならない。そう決意した。自分の命を『守る命』から除外したからこそ、自分は走り続けられたのかもしれない。
けれど、違う。本当は死にたくない。愛する女性と再び出会った。再び愛し合うようになった。ずっとともに過ごしたいと思った。夏生梨だけではない。親友だといってくれる
デサフィアンテの言葉に、夏生梨は色を失っている顔を更に白くした。何故、どうして。どうして彼が ……。どうにもならない疑問、そして怒りと哀しみが夏生梨の胸に渦巻く。
「嫌 ……嫌よ。
この世界に来てようやく自分の心を素直に認められた。彼の思いを素直に受け容れられた。愛している。愛されている。ただそれだけのこと。その想いの他、何もいらないと思ったのに。
「ずっとこの世界にいましょう。ね、戻らなくていいわ。いいえ、戻らずにいましょう」
涙を浮かべる夏生梨に、デサフィアンテは優しい笑みを浮かべた。そっと彼女の頬を伝う涙を拭う。
「そうできたらいいな。でも、駄目だよ。俺は【悠久の泉】の君主だから。皆、待ってる家族がいるんだ。だから、皆を帰さなきゃいけない。
子供に言い聞かせるような優しい声でデサフィアンテは言う。
「絢人を失うくらいなら、戻らなくていい。ここにいる」
それを拒否するように夏生梨は頭を振る。
元々、夏生梨はそれほど
けれど、この世界は違う。かつての仲間たちがいる。自分を姐御と呼び慕い、信頼してくれる人たちがいる。信頼する仲間たちがいる。自分を必要としてくれる人たちがいる。『夏生梨』という1人の女性を認めてくれる人たちがいる。この世界のほうが余程『生きている』ことを実感できた。自分を偽ることなく、心のままに生きることができている。そう夏生梨 ── 風織は思っていた。
「風織。俺は君主なんだよ。皆に責任がある。タドミールを倒せるなら、倒さなきゃ。そして、皆を大切な人たちの待つ
デサフィアンテは穏やかに微笑む。その表情に夏生梨は何も言えなくなった。
君主であることはこの世界でのデサフィアンテの存在意義だった。君主であることを辞めろというのは、その責任を放棄しろというのは、彼に生きるのをやめろというに等しい。
「そろそろ、行ってくるよ。全てはニザーの話を聞いてからだ。諦めるのか、諦めないで済むのか」
君主の顔をしてデサフィアンテは夏生梨に告げる。
「……
デサフィアンテが君主としての務めを果たそうとするのならば、自分は希望を繋ごう。それが彼を支える者としての、妻としての自分の役目だ。
「いいね、それ。うん、そうしよう」
夏生梨の心に応えるように、デサフィアンテは笑った。
セネノースの宿屋のホールに『モナルキア連盟』所属の君主23人全員が揃っていた。22人の視線は全てゼフテロスに向けられている。
「ニザーから話を聞いてきた」
ゼフテロスは努めて落ち着いた声を発した。表情が硬くなるのは仕方ない。
「今回のタドミール討伐隊は総勢160人だったそうだ。フォルカの【レベリオン】が中心になって、【アウトクラシア】と【コールプス】の3クランで向かったらしい。平均レベルは85」
淡々とゼフテロスは言葉を続ける。
「タドミールは半分地中に埋まった状態。これは本鯖と同じだった。最後まで地中から出てくることはなかったらしい」
前衛がタドミールを取り囲み、攻撃を開始する。それまでの間にタドミールが先に攻撃を仕掛けることはなかったそうだ。他のボスとは違ってタドミールはノンアクティブらしい。しかし、攻撃を受けたタドミールは反撃する。武器はない。長く太い腕を振るう。それだけでナイトとエレティクスたちは吹き飛ばされた。その一打で殆どの前衛が半分までHPを削られたという。後衛は辛うじて前衛に『サナーレ』が届く範囲の外周で必死に回復魔法をかけた。
消耗が激しいことからフォルカは作戦を変更し、タドミールの直接攻撃範囲外から魔法と弓矢による攻撃に切り替えた。すると、今度はタドミールの魔法が討伐隊を襲う。限界まで魔法抵抗力を高めていた討伐隊ではあったが、タドミールの魔法は貫通こそしないものの、それでもやはり半分から3分の1までHPを削られた。
そして、彼らは最後の策を取った。それは『モナルキア連盟』の君主たちが思いつき、計画しようとしていたものと同じだ。タドミールの魔法攻撃の範囲外からの弓矢による一斉射撃。ひとつひとつの攻撃は魔法や近接攻撃よりも低かったが、それでも徐々にタドミールへのダメージを蓄積させていった。
ウィザードたちが魔力を回復させたところで、前衛は再び近接攻撃を開始しようとした。そのときにそれは起こった。
タドミールの目がカッと光り、全方位に向けて閃光が走った。その一閃でウィザードたちは消滅した。そして殆ど
逃げ延びた彼らは恐怖から恐慌状態に陥っていた。それでも何とか待機組だったニザーとキヤーナは話を聞き出し、恐怖した。もう、自分たちではタドミールを倒すことなどできない。そう思ったから、ニザーはワールドチャットをしたのだ。彼らが知る強い者たちに託すために。否、託すのではなく押し付けるために。そして、それゆえにコンタクトを取ってきたゼフテロスに全ての情報を伝えた。
「ニザーから聞いた話はこれで終わりだ。『ファトフ同盟』は消えたも同然だな。ニザーもキヤーナも戦えない」
そう言ってゼフテロスは話を終えた。沈黙が場を満たす。誰も声も出なかった。
彼らが考えた作戦ではタドミールを倒すことはできない。唯一の希望ともいえた作戦は意味がない。『ファトフ同盟』の討伐隊はそれで壊滅したのだから。恐らくタドミールの攻撃範囲外から攻撃した場合に、特殊攻撃は発動するのだろう。魔法抵抗力の高いエルフですら生き残れなかったのなら、特殊攻撃は魔法ではない可能性が高い。防ぎようがない。
そうなれば、タドミールの攻撃範囲内から攻撃するしかない。しかし、物理攻撃も魔法攻撃も1撃でHPの半分以上を削られる。ヒット&アウェイの波状攻撃を繰り返すとしても、
タドミールは倒せない。倒すことなど不可能だ。君主たちの心を絶望が染め上げる。
「タドミール、行くのやめようか」
ポツリとデサフィアンテが呟いた。その声に集まった君主たちはのろのろと顔をデサフィアンテに向ける。
「未来永劫、永遠に倒すのを諦めるってことじゃない。でも、当分、10年単位か或いは100年単位か判らないけど、延期しよう」
完全に放棄するのではない。デサフィアンテはそう言う。詭弁なのは判っている。自分たちの弱さを正当化するためのものでしかないことをデサフィアンテ自身がよく判っている。
「今の俺たちがタドミールに挑んでも、待ってるのは死だけだ。俺、死にたくないからね」
静かにデサフィアンテは言葉を続ける。
「俺らの目標って、生きて
デサフィアンテの言葉に君主たちは己の怯懦を正当化する方便を見つけ出し、それを受け容れた。
「そうだな。俺たちは死なずに戻るんだ。だから、今は戦えない。タドミールが予想以上に強かった。目標のLv.80じゃ全然足りない。もっともっと上げないとダメだってことだ」
「うん、そうね。最低でも討伐に向かうメンバーはHP3000以上は必要だわ。前衛なら5000はあったほうがいい」
「それならレベルは100を超えるな。GM級まで上げないと。そこまで上げるとなりゃ、数年どころか10年以上かかるかもしれないな」
「波状攻撃をかけるためにも、全員で行くのが望ましいし、そうなると一番レベルの低い人がやっぱりHP3000を超えるまでは戦えない」
君主たちは次々と発言する。活気があるようにも見えるが、真実はそうではない。戦わない理由を、もっともらしい理由を挙げているだけだ。自分たちが逃げているということは判っている。けれど、命を守るために逃げることの何が悪いのか。自分たちは君主だ。死ぬと判っている戦いに他者を向かわせることなどできない。それは、君主としての、命を預けられた者としての最低限の責任だ。
「それに、フィアナが本当に滅びるんだとしたら、イル・ダーナだって新たな手を打ってくれるでしょうね」
「本鯖にはない強力な武器や魔法が出てくるかもしれないな」
「ファナティコスだって、タドミールの支配から逃れるために行動を起こすかもしれない」
「本鯖じゃ有り得ないけど、ファナティコスとフィアナの民の連合軍ってのも考えられるしな」
そうして、君主たちは『全員がHP3000を超えるまで、タドミールは放置する』という結論に達した。どれだけの年月がかかるのかは判らない。そして、達成できるのかも。
「たださ、目標達成する前にフィアナ滅亡が確定したら、そのときは戦うか」
アズラクの言葉に君主たちは頷いた。フィアナ滅亡が確定するならば、放っておいても自分たちは死ぬことになる。ならば、そのときは一か八かに賭ける。何もせずに死ぬよりはそのほうがまだマシだ。戦いを回避し、逃げた自分たちの最後の役目だ。
「『モナルキア連盟』の会合も休止するか。少なくとも今までみたいに頻繁に集まっても意味ないだろ」
ショウグンがそう言えば、それもそうだなと賛同の声が上がる。
「いっそ解散しよう。そのほうがすっきりする。どうせ解散したって俺らのことだから、なんやかんやとつるむだろうしさ。タドミールが討伐可能なレベルになってまた連携訓練とか必要になったら、改めてまた組織すりゃいいさ。そのときはタドミール討伐指令本部としてね」
事実上の主催者であるデサフィアンテの言葉に反対する者はいなかった。
新フィアナ暦2年12月21日。『モナルキア連盟』はその役目を終えて解散した。
デサフィアンテは穏やかな表情で
居間に入ると、全員が揃っていた。しかし、デサフィアンテが出かける前の憔悴した表情ではなく、何処か落ち着いた表情だった。デサフィアンテのそれとよく似ている。
「『モナルキア連盟』の最後の決定を伝える。タドミール討伐は全員のHPが3000を超えるまで行なわない」
デサフィアンテの言葉に仲間たちは何も言わなかった。ただ静かにデサフィアンテの声を聞いている。
そして、デサフィアンテは会合で決まったことを話した。ニザーの報告、それを受けて数年或いは数十年か数百年単位でタドミール討伐を見合わせるという決定を。ただ、フィアナが滅びる際には君主たちが最後の戦いに挑むということだけは伏せた。これは彼らなりの責任の取り方だから。
「ただ、この決定に不満ならクランを抜けてくれて構わない」
あくまでも早期の決着を望むというのならば、同じ思いの者たちとともに進んでくれ。そう、デサフィアンテは言う。
「何を今更。俺らは絢とずーっと一緒って決めてんだし」
理也が迷いのない明るい声で言う。
「そうそう。絢と一緒じゃなきゃ意味ないし。楽しくないだろ」
「だよねー。俺ら、絢がいるから明るく暮らせてるんだし」
「あ、姐御と2人でラブラブ生活したいってんなら、自分たちで別宅でも構えてね。NPCが家貸してくれるらしいから。んで、こっちに出勤すればいい」
イスパーダ、迅速、チャルラタンが口々に言う。
「つまり、俺らはお前から離れる気はないってこと。何処までも、いつまでも一緒だ」
疾駆する狼が穏やかに笑う。
デサフィアンテがいない間に皆で話していたのだ。これからどうするのか。そして、君主たちの決定をおおよそ察していた。君主たちは自分たち血盟員の命を守ることを最優先事項とするに違いない。これまでもそうだったように。ならば、彼らは戦いをやめる決断をするだろうと。
彼らは決めていた。デサフィアンテの決定に従おう。それが戦わない決断でも、戦うことでも。デサフィアンテが望むままに、それを受け容れようと。ずっと自分たちを守ってくれていたデサフィアンテへの深い信頼ゆえに。
ある者は会社からリストラされ、ある者は勤めていた会社が倒産し、アルバイトや派遣社員として食い繋いでいた。働きたくとも働く場を得られない者もいた。働いても暮らしが楽にならないワーキングプアもいた。またある者は離婚し家族を失っていた。様々な要因から引き篭もり社会との交渉を断った者もいた。何度も自殺しようとして失敗していた者もいる。彼らは皆、
だから、彼らは積極的に
この世界は死と隣り合わせの世界だ。だからこそ『生きている』ことを実感できる。傍にいるのは利害関係などない、本心から信頼し合える仲間だ。ただの人と人として付き合える存在だった。心を許せる仲間だった。
「お前ら ……」
君主たちの弱さが齎した決定に異を唱えることなく、全てを受け容れてくれる仲間にデサフィアンテは胸が熱くなった。死にたくないから選択したことだった。けれど、それだけではない。死なせたくない。彼らを守りたい。大切な仲間を。
「あ、あとな。絶対これ、確信してるんだけど」
ふと思いついたように理也が正面からデサフィアンテを見つめた。
「どうせお前らのことだから、フィアナがいよいよ滅びますってときは、
お前らの考えなんてお見通しなんだよと笑う理也にデサフィアンテはばつの悪そうな顔になる。理也の後ろでは他の仲間たちがニヤニヤと笑っている。
「俺らも行くからな。プリだけで行こうなんて無謀だっての。プリだけじゃ倒せるもんも倒せないだろ。なんせ『狩場じゃ役立たず』なクラスなんだから。俺らも連れて行けよ」
そう強い瞳で言い切る理也にデサフィアンテは言葉を失う。
「言っただろ。何処までも、いつまでも一緒だって。最期までな」
理也の言葉に頷く仲間たち。その姿は涙で曇って朧に霞んで見えた。
『ファトフ同盟』壊滅後、城主のいなくなった城はアズラク、実樹、ゼフテロス、クリノス、クエルボ、テールム、ロハゴス、徽宗によって占拠された。ほぼ無血開城に近く、戦いが起こることなく城主交代が行なわれた。
新たな8人の城主たちは、各地の税率を最低の5%に設定し、領内の廃屋を整備して血盟無所属者へ開放した。また各城にある特別ダンジョンも無料開放して狩場の提供を行なった。
それらの施策を行なったあとはNPCであるガードや憲兵、官僚に任せ、彼らが『為政者』として権を振るうことはなかった。
そうしてフィアナは落ち着きを取り戻し、穏やかで平和な時間が流れる。
心配されたタドミール覚醒によるフィアナの状況悪化は今のところ起こっていない。モンスターが活性化することもなく、天候不順になることもない。ファナティコスが人間の町に侵攻してくることもなかった。タドミールも地中に半分埋まったままの状態で変化はない。フィアナが滅びるというイル・ダーナの言葉を今では誰も信じていなかった。
唯一変わったのは、フィアナモールの商品が全て有料のまさに『商品』となったことだけだ。フィアナモールで提供される全ての物品はマルクによる購入へと切り替わった。
それが起きたのは、『モナルキア連盟』解散から10日が過ぎ、新フィアナ暦3年を迎えた日のことだった。プレイヤーたちの消極的なサボタージュへのイル・ダーナのささやかな報復とも言えた。マルクを獲得するためには狩りに出なくてはならない。狩りに出れば必然的に経験値は上がる。レベルを上げることになる。
少しずつ、緩やかに、プレイヤーたちはレベルを上げていった。
十年一日のような緩やかな時の流れの中で、彼らは生きていた。しかし、時にその長い生を倦む者も出る。
「昨日、また1人死んだんだな ……」
「ああ、仕方ないさ。生きることに厭きちまったんだろ」
久しぶりに会ったショウグンとそんな会話を交わす。長い生に倦んだ者はタドミールに特攻をかけ、自らの命を終わらせる。
「
「そうだな」
そう言葉を交わしてデサフィアンテとショウグンは別れた。数年ぶりの会話は素っ気ないほどあっさりとしたものだった。
デサフィアンテは夏生梨たちに頼まれた買出しを終わらせて、
「おせーよ、フィアさん。もう皆、準備できてるんだよ」
「ああ、悪い悪い」
迎えた暴走剣士の言葉にデサフィアンテは苦笑して詫びる。今日はこれから翡翠の塔100階にクランハントに行く予定になっていた。10日ぶりのクランハントだ。皆張り切っている。
今の狩りは生活費を稼ぐためのものだ。そして、変化のない日常に刺激を与えるための。自分たちのレベルなど最早確認はしていない。今の彼らは翡翠の塔のモンスター程度ならば1撃で屠ることもできるほど強い。翡翠の塔最強のボス・バアルとて、『ちょっと手応えのあるモンスター』でしかない。
けれど、まだタドミール討伐には行かない。この世界の全プレイヤーがHP3000になるまでは。それがあの日に決めたことだ。
「レア、出るかな。出たら金持ちだ」
長い年月の中でそれなりに資産を持つ者も出始めた。だから、かつてのMレアと呼ばれたアイテムもようやく売れるようになってきた。
「まぁ、激レアとは言わなくてもそれなりのが出てくれりゃ、1ヶ月はゆるーく過ごせるな」
そんな会話を交わしながら、彼らは翡翠の塔へと転移した。
新フィアナ暦286年11月12日。こうしてまた何の変哲もない1日が過ぎていくのだった。
彼らが