第14章 覚醒と混乱と隠された望み

 ラガシュのアンシャル祭壇に100人弱のプレイヤーが集まっていた。今日はタドミール討伐に向けての演習のため、ラガシュのボス、アンシャルとエンリルを狩るための合同クランハントだ。

 ここラガシュはシッパルとともに『特殊狩場』と呼ばれる狩場だ。現実世界リアルの3日に一度、入口がフィアナの何処かに開かれ、通常であれば現実世界リアルの3時間でマップは閉ざされる。しかし、マップの奥にある神殿に入り、神殿の最奥にある祭壇に出現するボスを倒すことによって、マップ開放時間が24時間に延長されるのだ。特殊マップらしく、このマップ特有のレア武器などもドロップするため、開放されたときにはかなりのプレイヤーがこの狩場に殺到する。

 とはいえ、特殊狩場であるだけに開放条件は厳しい。このマップのボス、アンシャルとエンリルは1パーティでは倒せない。祭壇には24人の入場制限があるため、3パーティで挑むことになるのだが、かなりのレベルと連携が要求されるのだ。そのため、アルサーデス・サーバーでは実装から初開放まで約半年を要したほどだった。

 そんな狩場であるから、、この日は各血盟から選抜されたメンバーで臨むことになった。更に初回ということもあって様子見の要素も強く、ゲーム内での討伐経験のある【曼珠沙華】【ピルツ・ヴァルト】【スピリット・スピリッツ】の3血盟に、くらき挑戦者、うめ蔵、ビオネイロの3人のLv.90以上のメンバーが加わるという構成だ。指揮官は実樹が務めることになっている。

 レベルからいえば主力となるべきは【悠久の泉】だっただろう。何しろ、第4陣の2人を除いて全員がLv.90以上、第1陣・第2陣に至ってはLv.100前後なのだ。デサフィアンテと夏生梨かおりのLv.100、理也まさやと迅速のLv.98、冥き挑戦者のLv.101はそれぞれのクラス最高レベルとなっている。しかし、【悠久の泉】は狩り血盟だ。大規模な討伐戦となれば普段の狩りとは全くの別物となる。つまり、レベルは高いが討伐戦には不慣れなため、役に立たないどころか足を引っ張りかねないのだ。

 今回は実樹から『初戦でもあることだし、今回は経験者のみで』という希望があったため、【悠久の泉】からは冥き挑戦者のみが参加している。このような複数パーティでの討伐戦となると、単にレベルやパーティスキルだけでは対応できない部分も大きいから、仕方のないことだ。それは『モナルキア連盟』参加血盟全体として、今後の課題ともなるだろう。そのための今回の訓練なのだ。

 ここでもゲームとの仕様変更が為されており、入場制限がなくなっていることが祭壇に入ってから明らかになった。たまたま足を踏み入れた25人目が中に入れたことによってそれが判明したのだ。そのため、当初は祭壇外の神殿内でクランハント予定だった各血盟の君主と幹部も見学することになった。今更メンバーを増やしてもパーティ構成や作戦を変更しなければならないし、そうなると連携にも齟齬を生じる可能性がある。ゆえに当初の予定どおりの討伐隊で臨むことになった。もっとも、アンシャルやエンリルが討伐隊以外を狙う可能性もあるから、気は抜けないが。

「本鯖と同じなら、このメンバーでの討伐失敗は有り得ないんだが、ここじゃモンスが格段に強くなってるから油断もできない。最優先の命令は『死なないこと』だ。危ないと思ったらすぐに飛べ」

 最後の打ち合わせで実樹はそう厳命していた。この世界での唯一絶対のルールは『ENDしないこと』だ。現実世界リアルで死んでしまう可能性がある以上、絶対にENDすることだけは避けなくてはならない。

 実樹の指示に頷き、それぞれが準備の最終確認を行なう。前衛の中心はうめ蔵、後衛の中心はビオネイロが務める。彼らはゲームのころからクラス最高のプレイヤーとして名が知られていたこともあって、誰も異を唱える者はいない。

「ちょ、アズ、何それ」

「クラハン記録用に買ってたんだ。で、今日も持ってきた」

 アズラクの手にはハンディカムがある。その有り得ない製品に思わずデサフィアンテは突っ込んだ。やっぱりこの世界は何でもありなのだ。パソコンがある時点で今更という感じがしないでもないのだが。

「記録残しておけば、今後の参考にもなるだろ。今日終わったら、まずはプリでこれ見て意見交換だな」

「だなー。ああ、討伐隊メンバーにも参加してもらったほうがいいか?」

「それだと人数多すぎだろ。プリも3人参加してるし、各クランのプリが意見聞いてまとめて持ち寄ればいいだろ。判らないことがあったらクラ茶で確認すればいいんだし」

 そんなことを話しながら、2人は討伐隊の様子を眺める。

「フィアナWebのデータだと、アンシャルもエンリルも本鯖の10倍のHPだったよな。っつーことは単純に全パラメータ10倍かな」

「そう考えたほうがいいだろうな。24人で行けるかね ……」

「実樹はヤバイと思ったら即時撤退させるって言ってたな」

 ショウグンも会話に加わり、いつの間にかデサフィアンテの周囲には君主が集まっている。幹部たちもそれぞれのクラスごとに分かれて集まっているようだ。それぞれのクラスごとに注目する部分も違うから、自然にそうなるのだろう。

「来たぞ!」

 討伐隊から声が上がり、アンシャルが出現したことを知る。君主たちは一斉に『プローグレッシオ・ドロ』『フォルティス・ドロ』『フルゲオー・ドロ』の3つの君主魔法を発動させる。君主魔法は視認可能な範囲内にいればパーティを組んでいなくても血盟員には効果がある。従って討伐隊に入っていないデサフィアンテやクリノスが発動することで冥き挑戦者やうめ蔵たちにも効果があるのだ。

 見学組が見守る中、討伐隊はアンシャルに向かっていく。ファーストアタックを入れたのはうめ蔵。そのうめ蔵にはビオネイロが『イムモルターリス』をかけている。うめ蔵に続いて、冥き挑戦者、ガイル・ラベクといった前衛の要が攻撃を加えていく。そこに更にナイト、エレティクス、しい姫とガビールも加わり、アンシャルを囲んで攻撃を加える。

 ビオネイロをはじめウィザードたちは回復魔法を水エルフに任せ、『コクレア』『オブスクリタス』『テルム・ワスターレ』といった阻害魔法をかけて直接攻撃陣を支援する。充分に前衛陣が蓄積ダメージを与えているためにターゲットが変わることもないことから、『サンクトゥス・アールデンス』や『メテオリテース』『ゲロー・ラビナ・ニウィス』といった強力な攻撃魔法も放つ。

 エルフは今回の参加者は全員が水属性で回復を一手に担っている。『ナトゥラ・ミラクルム』で全員のHPを一度に回復し、『アクア・ウィータ』でその効果を高める。或いはアンシャルが回復しないように『カルケル・ウィータ』をかける。

「そろそろエンリルも出てくる! 凱様! 冥さん! 頼みます」

「了解! きのこ! エンリルに備えろ!!」

「ラジャ!」

 実樹の声にガイル・ラベクと冥き挑戦者が応じる。エンリルはアンシャルのHPが半減したころに追加で現れるのだ。

 ここまでは一見順調に見えた。しかし、当初の予測よりもウィザードとエルフの魔力消費が大きい。ウィザードたちは交代で『カンターメン』によりMP回復を図っており、エルフたちは頻繁に『サングィス・アニマ』でHPをMPに変換している。つまり、それだけ直接攻撃陣のダメージが大きいのだ。

「ヤバいな ……」

 ゲームの10倍のパラメータを持つアンシャルの力は強大だった。平均Lv.90を超える討伐隊が押されている。それを見た見学組のウィザードたちも『イムモルターリス』や『サナーレ』を飛ばし、エルフたちは『アクア・ウィータ』で回復効果を高め、『テッラ・ソリトゥス』『イグナウス』『ウェントゥス・カースス』『エレメントゥム・ベルデレ』でアンシャルの妨害をする。

「見学組、飛べ!」

「退却!!」

 デサフィアンテが叫び、ほぼ同時に実樹も撤退指示を出す。

 2人の指示にプレイヤーは一斉に『帰還スクロール』を発動して離脱する。血盟員を逃すために最後まで残って攻撃を加える3人の君主に、デサフィアンテら見学組の君主たちは回復魔法を飛ばす。

「俺らにタゲ移るまでに時間はある! 飛べ!!」

 君主以外がいなくなったことを確認し、アズラクが叫ぶ。その声に討伐隊の3人の君主、椎姫、ガビール、実樹も退却する。3人が飛んだ次の瞬間、見学組の君主たちも撤退した。

 帰還し安全な町中に戻ったところで、デサフィアンテは血盟チャットで全員の安否を確認する。見学組の幹部も討伐隊に参加していた冥き挑戦者も無事であることにホッとした。

〔危なかったよ。HPが2桁前半になってた。咄嗟にチャルからイム飛んできたから助かった〕

 冥き挑戦者のその言葉にどれほど強い敵だったのかと恐ろしくなる。冥き挑戦者は現在のこの世界で最高レベルのエレティクスだ。HPこそナイトのガイル・ラベクやうめ蔵よりも少ないが、その分ACはよく回避率も高い。つまり、ダメージは受けにくいのだ。しかも、エレティクスである冥き挑戦者はファーストアタック担当ではない。その冥き挑戦者がENDしかねない状況だった。それほどまでにアンシャルは強大だったのだ。

鷹絢タカジュン ……死者が出た〉

 しかし、血盟員の無事にホッとしたのも束の間、実樹から沈痛な声でウィスパーが入った。

〈うちのナイトが1人、やられた。チャットに反応しないし、血盟員リストから名前が消えてる ……〉

〈実樹 ……〉

 齎された凶報にデサフィアンテは言葉を失った。この世界にいない者は血盟員リストにグレーの文字で表示される。しかし、実樹は『名前が消えている』と言った。それの意味するところを考えたくはなかった。

〔死者が出たらしい。ちょっと行ってくる。理也まさや、クランを頼む〕

〔……ああ、判った〕

 狩りで初めて出た死者に血盟員たちも息を呑んだ。

 ともかく実樹のところへ向かうべく、デサフィアンテは彼の血盟居館アジトのあるノーデンスへと飛んだ。

〈椎、そっちは無事か?〉

 足早に歩を進めながら、椎姫にウィスパーを送る。

〈うん、うちは大丈夫。ガビールのところも大丈夫だって〉

〈そうか。でも、実樹のところから死者が出た〉

〈……そう。もしかして鷹絢、実樹のところに向かってる?〉

〈ああ。今、ノーデンスに来たとこ〉

〈私も合流する。ショウとアズにも連絡して、回してもらう〉

〈頼む〉

 ウィスパーを終え、デサフィアンテは立ち止まる。そして、同じ内容をゼフテロスとクリノスにも伝えた。彼らは実樹にとっては憧れの存在だ。彼らがいてくれたほうが実樹のためによいのではないかと思ったのだ。

 そして、ノーデンスに椎姫、ショウグン、アズラク、ガビール、クリノス、ゼフテロスが集まる。全員で訪ねるのは避けたほうがいいだろうと、他の君主たちは混乱している自血盟での事態収拾に当たっている。

「遂に、出てしまったな」

 誰にともなく、ガビールが呟く。

「作戦行動自体は間違っちゃいなかった。実樹の指揮も問題なかった。予想以上に、アンシャルが強かったんだ」

 アズラクの声も深く沈んでいる。

くらさんがHP2桁前半まで削られたって言ってた。強すぎだろ ……」

 だから、死者が出たのは実樹の責任ではない。けれど、指揮官として君主として自血盟から死者を出したことを実樹は深く悔い、己を責めているだろう。どんな言葉をかければいいのか思いつかない。けれど、このまま実樹を放っておくこともできない。

 7人は意を決して【スピリット・スピリッツ】の血盟居館アジトを訪ねた。応対に出たのは黒竜刃だ。彼もまた血盟員の死に衝撃を受け、顔色は優れなかった。回復役ヒーラーとして参加していただけに彼自身も自分を責めているようだ。しかし、血盟最年長者として、副盟主として今は自分を責めて落ち込んでいる場合ではないと己を奮い立たせていた。

「実樹は?」

「執務室に閉じ篭もってる。俺たちが声をかけても反応しないんだ」

 その答えにデサフィアンテたちの表情が曇る。無理もないことだ。もし自分が彼の立場だったら、やはり同じようになってしまうだろう。それが判っているからここに来たのだ。それでは血盟主の役目を果たせないから。

「入っていいかな?」

「ああ。俺たちじゃ実樹は何も言ってくれないから ……頼みます、鷹絢さん」

 デサフィアンテたちは黒竜刃の承諾を得ると、4階の実樹の執務室へと向かった。

「実樹、俺だ。入るぞ」

 ノックして声をかけるが反応はない。時折何かを壁にぶつけているような音が聞こえるだけだ。デサフィアンテはひとつ大きく深呼吸して、扉を開けた。

「鷹絢、椎、ショウ ……」

 執務室へ入ってきた同胞の顔を見、実樹の表情が苦しげに悲しげに歪む。その顔はまるで幽鬼のようだった。

 デサフィアンテは何も言わずに実樹に近づくと渾身の力で彼を殴った。受身を取る暇もなかった実樹はその衝撃で床に倒れる。それに椎姫とクリノスが息を呑むが、ショウグンたち男性陣はデサフィアンテを制止しようとはしなかった。

「今、お前がやるべきことはこれじゃないだろう! お前はプリなんだぞ。動揺して悲しんで混乱してる血盟員をまとめるのが先だろうが!!」

 実樹の苦しさは理解できる。同じ君主なのだから。同胞として1年以上ともに活動してきたのだから。けれど、だからこそ、今は自分たちが言わなくてはならない。まずは君主としての責を果たせと。

「今晩、何時になってもいいから、うちのアジトに来い。悲しむのも後悔するのも、自分を責めるのもそれまでお預けだ。今は、お前は立ち上がらないといけない。違うか?」

 穏やかな声音で諭すようにデサフィアンテは言う。それが実質的に『モナルキア連盟』の主催者となっているデサフィアンテの役目だ。

「実樹、今はクラン員よ。彼らを支えられるのはあなたしかいないの」

 温かな、母のような優しい口調で椎姫が実樹を立ち上がらせる。

「俺たちもフィアのアジトで待ってるから。まずは【スピリット・スピリッツ】盟主としての役割を果たして来い」

 敬愛する君主の1人であるゼフテロスの静かな声に実樹は顔を上げる。その顔は生者のそれに戻っていた。

「ああ ……そうだな。すまなかった、手数かけて。あとで行くよ」

 まだ力を完全には取り戻していない声で実樹は応じる。それでも声に意志はあった。

 しっかりとした足取りで血盟員のいる広間に向かう実樹の背中を見送り、デサフィアンテたちは【スピリット・スピリッツ】の血盟居館アジトを後にした。

「お前らのところは大丈夫なのか?」

「うちは凱様と親分いるから大丈夫」

「うちも幹部が落ち着いてるしな」

 ここに集まった君主の血盟では大きな混乱は起きていないようだった。というよりも起きていないからこそ集まれたのだ。

「ひとまず、それぞれのアジトに戻って、あとからフィアさんのところに集まりましょう」

 クリノスが言い、一旦7人は解散することにしたのであった。






 デサフィアンテたち君主が実樹の許へ向かっていたころ、【悠久の泉】の血盟居館アジトでも血盟員たちが集まり、深刻な表情をしていた。

「死者、出たのか ……。現実世界リアルで生きててくれればいいな」

 ソファに身を沈ませ、理也が呟く。

「そうだな ……」

 冥き挑戦者も頷く。この世界に来てから初めて命の危険を感じた。これまでのクランハントでは一度も感じたことのない恐ろしさだった。クランハントでは血盟員への信頼からそれを感じなかったというのもあるが、充分な安全マージンを取っていたことからモンスターの力をそこまで脅威に思っていなかったのだ。けれど、アンシャルには恐怖を感じた。圧倒的な力を身を以って感じさせられた。

「死んだのって、実樹さんのクラン員らしいな。ショックだろうな、実樹さん」

 仲間が命を落としたのだ。ショックを受けないわけがない。それは他血盟の自分たちでも同じだった。

 これまで、この世界での死者は第3陣召喚後間もなく起こされた戦争の際のものだけだった。あのときは最終的に50人強の死者が出た。数でいえば今回の比ではない大人数が死んでいる。けれど、そのときはこれほどのショックは受けなかった。戦争 ── つまり、殺し合いが前提。だからこそ、君主たちは必死になって止めたのだ ── での死者だったこと、第3陣召喚者で面識のない者ばかりだったこと、それゆえにあまり実感を伴っていなかった。50という数字でしかなかった。けれど、今回は違う。何度かともに狩りをしたことのある知り合いだ。ともに戦っていった『仲間』だった。その死は単なる死者1人という数字ではなく、顔を持った1人の『人』の死だった。

「……怖いな」

 理也が呟く。だが、彼が怖いと言ったのは死ぬことではなかった。

「俺、この世界の死を軽く考えていたのかもしれない」

 その理也の言葉に不思議そうな視線が向けられる。

 【フィアナ・クロニクル】というゲームにおいて『END』は厳密にいえば『死亡』ではない。確かに『デス』ペナルティといい、ゲーム内において『死』という言葉が使われるが、リスタートすれば、或いは魔法やアイテムを使えばすぐに生き返る。オフラインゲームのようにゲームオーバーになることもない。だから、彼らは『死』と言わずに『END』という。『死』は生命の終わりではなく、戦闘不能状態のことだと思っているのだ、ゲームでは。

 この世界はゲームとは違う。それは判っているはずだった。けれど、本当は判っていなかったのかもしれない。何処かで『死』を軽く感じていたのかもしれない。だから、現実世界リアルでは言うはずのない『っていい?』『殺させろ』なんて言葉が容易く出てくるのだ。

「第4陣でシオちゃん卿たちが来たとき、あいつらがじゅんに何をしたか知ったとき、俺ら言ったよな。『殺してやる』って。あれって、俺らが本当はちゃんと死ぬことについて何も判っていなかったから、言えた言葉なんじゃないかって思ったんだ」

 その言葉に幾人かがはっとしたように理也を見つめた。【フィアナ・クロニクル】の『死』は一瞬の後にはなかったことになる。しかもアルサーデスはPK不可のnonPvPサーバーであるため、PKはコンバットゾーンか戦争でしかできない。デスペナルティもない。戦争血盟に属していなければ、そのプレイにおいて経験することは殆どないのだ。そのことが一層ゲーム内での『死』、特に対人戦での死を軽く思わせる結果となっていた。

「そうかもしれないな ……」

 疾駆する狼が溜息混じりに応じる。自分もシオちゃん卿を『殺す』と言ったうちの1人だ。現実世界リアルであれば、あの言葉は出てこなかっただろうと今になればそう思う。現実世界ならば精々、『殴らせろ』といったところだろう。とすれば、自分たちの認識は『殺す=殴る』程度の軽さになっていたことになる。

「それに気づけたんだから、いいんじゃない?」

 暗い表情の男たちに夏生梨かおりが声をかけた。過ちを犯す前に気づけたのだから、それでいいと。

「問題は、プリたちの心理的な負担だろうな。実樹もそうだろうが、プリたちは皆、今回のことで自分たちを責めてるだろう」

 話題を変える ── 否、思考を進めるように冥き挑戦者が口を開いた。

「ラスールが下手を打ったわけじゃない。実樹の指揮が拙かったわけでもない。誰かが責められることじゃない」

 実樹の指揮は的確だった。死亡したラスールとて誤った行動を取ったわけでもない。ただ彼らの、自分たちの予想以上にアンシャルが強かったのだ。

 君主たちはこの世界のアンシャルがゲームよりもずっと強いことは予測していた。だから、今回は選抜メンバーで討伐隊を組んだのだ。Lv.85以上という縛りを設けて。ゲームであれば余裕で短時間討伐のタイムチャレンジに挑めるほどのパーティだったのだ。

 ラスールのHPは3000近かったし、魔法抵抗力MRも120%を超えていた。【スピリット・スピリッツ】のウィザードたちも『イムモルターリス』でサポートしていたし、回復役ヒーラーたちも懸命に援護していた。それでも死亡したのだ。これで誰が悪かったなどと言えようか。ただ運が悪かったとしか言いようがない。

 けれど、それでも初めてのモンスター討伐での死者に、きっと君主たちは心を痛め、自分たちを責めているに違いない。彼らは命を預けられているのだから。

「……タドミール、倒せるんやろか」

 最も恐ろしい問いを発したのはディスキプロスだった。倒せるはずだ、倒すのだとずっと思ってきた。そのために皆で懸命にレベルを上げ、スキルを磨き、装備を整えてきた。

「倒さなければ、現実世界リアルに戻ることはできません」

 バルシューンが静かな声で応じる。けれど、その声に力はない。彼とて同じ疑問を抱いてしまったのだから。

「戻らなあかんのか? 時は止まってんねんで。戻らんかて、ええんやないか? 死んでまうより、そのほうがずっとええんやないか。イル・ダーナが飽きるまで、俺ら解放する気になるまで、このままでもええんと違うか」

 ディスキプロスの言葉に応えられる者は誰もいなかった。複雑な思いを秘めた沈黙が、居間を満たしていた。






 ディスキプロスが抱いた思いは何も血盟員たちだけのものではなかった。君主たちとて同じだった。

 否、彼らのほうがずっと強かったかもしれない。彼らは君主だ。自分たちの言葉ひとつで血盟員は戦いへと赴く。そして命を懸けることになる。自分たちの一言で彼らは死んでしまうかもしれないのだ。

「自分たちが死ぬほうが、まだ怖くない気がするな」

 その日の夜、集まった【悠久の泉】の血盟居館アジトで酒を酌み交わしながら、デサフィアンテはポツリと呟いた。

 屋上のサンルームに『モナルキア連盟』所属の君主たち全員が集まっており、【悠久の泉】の血盟員たちは遠慮して屋上へは上がってこない。最初のうちに夏生梨たち女性陣が肴を持ってきてくれて以降、君主たちの邪魔をしないように屋上には近づいていない。幹部たちは幹部たちで【ピルツ・ヴァルト】の血盟居館アジトに集まり、何やら話しているようだった。

「そうだな ……。俺たちの言葉で誰かを死なせるよりは、自分が逝くほうがマシだよな」

 静かにアズラクが応える。

 誰だって死に対する恐怖はある。生きている者であれば、根源的に持つ恐怖だろう。それは変わらずにある。命は平等なのだという。命の重さは全て同じなのだと。本質はそうなんだろうとは思う。けれど、同じではないのだ。自分の命は相対的に軽くなる。他人の命を預かった瞬間から、自分の命は預かった他者の命よりも遥かに軽くなるのだ。

 君主であることの重さを改めて思い知った。ひとつの命を失ったことで、その命の重さ、そしてそれを預かる自分たちの責任の重さを感じた。信頼して預けられた命を失うことは、哀しみだけではなく後悔と罪悪感をも一生背負うことになる。

「やめるわけにはいかないよね ……。タドミール、倒しに行かなきゃいけないんだよね ……」

 己に言い聞かせるように華水希が小さな、弱い声で呟く。やめたい、戦いたくない。けれど、君主である自分がそう言うわけにはいかない。戦いをやめることは即ち、現実世界リアルへの帰還を諦めるということに他ならないのだから。

「皆を、現実世界リアルに戻さなきゃいけないんだ。家族や大切な人たちがいる世界に ……」

 皆が現実世界リアルに家族を持っている。両親や兄弟姉妹、或いは配偶者や子供。そんな大切な人たちがいるはずなのだ。

「だけど、戻るためにはタドミールを倒さなきゃならない。アンシャルも倒せないのに、できるのか、それが」

 何処か突き放したような、自棄になったような口調でショウグンが言う。それに応える声はない。

「進まなきゃいけない。立ち止まるわけにはいかない。でも ……」

 椎姫の声も弱い。彼女だって現実世界リアルには夫がいる。彼の許へ戻らなければならない。たとえ、現実世界リアルでの時間が止まっているのだとしても、永遠にこの世界にいることはできないだろう。

「ゆっくり考えましょう。すぐに答えなんて出ないわ。少なくとも、今の私たちには、答えなんて出せない」

 クリノスの声にもいつもの張りはない。何を考えても今はネガティブな思考しか湧かない。だから、一旦考えることを放棄しよう。

「ほら、これ美味しいわよ。さすが夏生梨ちゃんよね」

 気を引き立てるようにファーネが皆に料理を勧める。思考を放棄して逃げているのかもしれない。それでも答えの出ない問題を愚図愚図と引き摺り、更に沈んでいくよりはずっといい。今日はショックが大きすぎた。そして夜は思考がネガティブになる。酔っ払って眠って、朝になればまた違った思考も生まれるかもしれない。

「確かに旨いですね。フィアさん、いい奥さんもらいましたよね」

 ファーネの気遣いに応えるように、番長が明るい声を出す。

「鷹絢の愛妻家ぶりは本鯖時代から変わらないよな」

 徽宗も調子を合わせる。

「鷹絢は愛妻家じゃなくて、恐妻家だろ。奥さんに頭上がらないじゃないか」

 オブロもそれに乗り、場を明るくしようとする。

「恐妻家はお前だろ、オブロ」

 それに応えるようにデサフィアンテが反論する。

 暗い顔をしていた君主たちは、無理矢理笑顔を繕い、声を励まし、明るく振舞う。空元気も元気だ。そう振舞うことで気持ちも浮上するかもしれない。

 けれど、なかなか彼らに優しい酔いはやってきてくれなかった。






 死者を出してしまったことを君主たちは受け入れ、背負い、それでも前に進もうとしていた。タドミールがどれほど強大なモンスターなのかはおおよそ推測はできた。本当に倒せるのかは判らない。けれど、倒さなければ現実世界リアルには戻れない。少なくともイル・ダーナはそう言っている。ならば、帰るためにできるのは自分たちが強くなることしかなかった。

 しかし、それぞれの心の中に少しずつ別の考えが広がり始めた。現実世界リアルに帰るためにはタドミールを倒さなくてはならない。けれど、帰ることを諦めたらどうなるのか。『現実世界リアルへ帰る』という大前提を変えてしまったら、どうなるのか。少なくともそうなれば、タドミールと戦う必要はなくなる。そうすれば、現実世界リアルで死ぬこともない。この世界にいる間は時間が止まっているのだから、ここに何十年いようとも問題はない。そうして、何十年も或いは何百年もタドミールが放置されていれば、イル・ダーナは何か新たな手を打ち、それによって自分たちは解放されるかもしれない。諦めた『現実世界リアルへの帰還』が叶うかもしれない。

 イル・ダーナはタドミールが覚醒しフィアナを滅ぼそうとしていると言った。だが、本当にこの世界は滅びるのだろうか。滅びるのだとしたら、そのときには自分たちも死ぬことになるのだろう。或いは解放されるのかもしれない。ならば、そのときまで待てばいいではないか。何も積極的に死にに行くことはない。

 そんな考えが徐々に人々の中へ広がりつつあった。

 そして、世界がそれを肯定する雰囲気へと一気に流れる出来事が起こった。

【タドミール覚醒。ファナティコスの聖地にてタドミールが覚醒した。勇者たちよ、ファナティコスの聖地へ向かえ。タドミールを討て】

 高らかに響いたイル・ダーナの声が、この世界の終焉へのカウントダウンが始まったことを告げる。

「絢、どうする?」

 血盟居館アジトでそれを聞いていたデサフィアンテに理也が問いかける。

「アンシャルにも勝てない俺らが今行ったところで、即死するだけだろ。前に言ったよな。確実に倒せると判断できるようになるまで、タドミールには行かない」

 デサフィアンテは静かに応じる。今タドミールに向かうのは無謀以外の何者でもない。

「方針に変更はなし、と。ゲームマスターGMレベルにならなきゃ倒せないだろって感じだしな」

 迅速が頷き、普段どおりの生活をするように血盟員たちに告げる。幸い、タドミールが出現したからといって、町やフィールドに何かの変化が起こった様子はない。日常生活に今のところ影響は出ていない。タドミールの覚醒と同時に魔族が町々を襲うのではないかとの予測もあったが、現時点ではそんな気配もなかった。

「椎たちと方針の確認してくるよ。ああ、狩りに出かける奴は念のためファナティコス城には近づくな。あと、モンスが活性化してる可能性もあるから、いつもより用心して慎重にな」

 血盟員にそう注意してから、デサフィアンテは執務室に入った。パソコンを起動してスカイプを繋ぐ。

『モナルキア連盟』の関係者は皆、様子見を兼ねて普段どおりの生活を送っており、ファナティコスの聖地のタドミールの許へ向かった者はいなかった。

『フィアナWebにタドミールの情報、出てるわよ。もっとも、全く役に立たないけどね』

 肩を竦めながら椎姫が呆れたように言うのも無理はない。更新された情報は少ない。タドミールの画像と出現位置、攻撃範囲が記されているだけで、HPなどのパラメータは一切不明だった。

 彼らが本当に知りたいのは、このパラメータのほうだ。どれだけのHPがあり、MPがあるのか。そして、どれだけの自然回復力があるのか。物理攻撃に関わるSTR、HP自然回復量HPRに関わるCON、魔法威力に関わるINT。これら計7つの数値は最低でもほしい。いや、命が関わっているのだ。数値データは全てがほしい。

 それに詳細な攻撃データ。どんな魔法を使うのか。それが判れば、それに合わせた装備を揃えることもできる。魔法はタドミールに通るのか。阻害魔法は有効なのか。

 それらのデータは攻略には必須なのだ。ゲームでアンシャル討伐に出現から半年かかったのはそれらの情報を収集するためでもあった。だからこそ、一度討伐が成功して以降はほぼ毎回開放することができたのだ。

『物理攻撃範囲8セル、魔法範囲16セル ……ってさ、セルじゃ判らないっつーの』

 ショウグンも呆れている。ゲームの画面ならともかく、この世界では役に立たない。

『まぁ、1セルは人1人が立てる場所だから、大体7~80センチ四方くらいか? 余裕見て1メートルと考えて、8セルだと8メートルくらいになるだろうな』

 真面目にアズラクが答え、自分の発言にハッとしたように言葉を続けた。

『つまり、タドミールから16メートル離れていれば、ダメージは受けないってことだよな』

 その言葉に他の君主たち ── 『モナルキア連盟』の全君主がスカイプに接続し、Webミーティングを行なっていた ── もハッと気づく。

 そうだ、ゲームのころからこの攻撃範囲は頭に入れていたことではないか。前衛はともかく、後衛は物理攻撃が届く2セル、或いは3セル以内には近づかなかった。5セル以上離れれば強力な魔法を使うボスには、ファーストアタック担当者は素早く近づきもした。攻撃範囲は常に意識し、それを基に行動を組み立てていたはずだ。あまりにも当たり前のこと過ぎて意識しなくなっていた。だが、アンシャル戦でも、それは作戦に組み入れていたではないか。

「アンシャル戦がショックすぎて、基本的なこと、すっかり失念してたな、俺ら。アホやん」

『だな。ってーことは、タドミールから16メートル離れてればダメージは受けないってことだよな。俺たちの魔法の射程は8セルだから無理として、全員弓だったら届くか?』

 多少の明るさを取り戻した声でデサフィアンテが呟けば、ガビールも応じる。勝機はあるのかもしれない。

『多分届くんじゃないか? こっちに来てから本鯖だと届いてなかったんじゃないかって距離のモンスに矢当たってるっぽいし』

『リアルの弓道が近的でも28メートル、遠的なら60メートル離れたところから的を射る。16メートル程度なら余裕だろうな』

 現実世界リアルで学生時代に弓道をやっていたという徽宗がその可能性を更に高める。

『弓の攻撃力は直接攻撃よりかなり弱いけど、大人数で一斉に射て連続射撃すれば何とかなるかも?』

『何人マップに入れるかが問題だな。入場人数確かめるために偵察行くか?』

『それはもう少し様子を見よう。チェルノボーグが何人までって言ってくれると助かるけど。チェルノボーグが送ってくれるとはいえ、YES・NO確認じゃなくて話しかけたら強制送致ってことも有り得るし。戦わない偵察でもメンバーは慎重に選ばないとな』

『だよな。弓主体で攻撃すんなら、最低でも6パーティはほしいかな』

 君主たちに希望の光が差し込む。タドミールのHPもHPRも判らないが、こちらが無傷でタドミールを倒せる可能性が出たことに間違いはない。

 やれるかもしれない。勝てるかもしれない。現実世界リアルに戻れるかもしれない。

 アンシャル戦以降、初めて君主たちの表情に心からの明るさが戻った。

『よし、倉庫の中身総浚いして、オリハルコンアロー作りまくるか』

『オリ矢だと、ミスリル原石とスチール鋼とエントの枝か。スチール鋼って何から作るんだっけ』

『早速エルフにエントの枝集めてもらうか』

 細かなことを話し合う君主たちの声には、昨日までとは違った張りがあった。

 けれど、それはわずかな間のことだった。彼らの興奮に水を指し、顔色を失わせるワールドチャットが流れたのだ。

{ニザー:タドミール討伐失敗。討伐隊、ほぼ壊滅。タドミールは範囲無制限全方位の特殊攻撃を持っている}

『ファトフ同盟』のひとつ、【コンキスタ】血盟の盟主のワールドチャットだった。タドミール覚醒の報のあと、それに『ファトフ同盟』は何も反応していなかったからきっと彼らも様子を見ているのだと思っていたが、そうではなかったのだ。

 齎された報せにデサフィアンテたちは愕然とする。見合わせた顔はどれも血の気を失っている。

『大変だ。人口が一気に850まで減ってる』

 声まで蒼白にしてクエルボが告げる。

『ニザーに詳しく聞いてくる。1時間後、セネノース宿屋に集合しよう』

 ゼフテロスの言葉に君主たちは頷く。それを受けて、ゼフテロスは接続を切った。

『ファトフ、タドミールに行ってたのか』

『みたいだな ……。今、あいつらの勢力って、大体300くらいだったから、半分がやられたことになるな』

 恐らくワールドチャットしたニザーは今回待機組だったのだろう。デサフィアンテたちは深刻な表情のまま、1時間後に集まることを確認して接続を切った。動揺しているであろう血盟員たちを落ち着かせねばならない。

 案の定、居間に入ると全ての血盟員が真っ青な顔をしていた。入ってきたデサフィアンテに不安げな視線を向ける。

「夏生梨、なんか温かい飲み物、用意して」

 デサフィアンテは意識していつもどおりの声と口調で夏生梨に頼む。

「……ええ。アル、千珠ちず、手伝って」

 深呼吸をして夏生梨は答える。声はまだ震えているが、落ち着きは取り戻したようだ。

 男たちは全員無言だった。取り乱して騒ぐ者はいない。全員が沈黙し、それぞれの思考に沈んでいるようだった。

 やがて3人が戻り、ホットワインをそれぞれに配り終えて座ると、デサフィアンテが声を発した。

「皆、ニザーの全茶聞いたよな? 今、ゼフテロスがニザーに話を聞きに行ってる。それを受けて、15時からプリが一旦集まることになってる」

 静かな、静かな声だった。動揺も狼狽も絶望も何もない、ただ穏やかで落ち着いた声だった。それに血盟員たちは不安が薄れていくのを感じた。

「タドミールを倒せるかもしれない方法が見つかりかけてたんだ。ただ、ニザーの全茶でそれが無効になるかもしれない可能性が出た。だから、今、ゼフテロスが話を聞きに行ってる。今はまだ何も判らないからね。落ち着いて詳細が判るのを待ってくれ」

 ニザーのワールドチャットに即対応して動いている君主たちの存在を、血盟員たちは心強く思った。タドミールを倒す策を諦めず検討し、前向きに進んでくれていたことにも。

 君主たちがニザーのワールドチャットに動揺していないはずがない。それでも即座に動いてくれている。どれほど彼らは強靭な精神を持っているのだろう。それが君主としての責任感によるものだろうとは思う。けれど、彼らがそうしてしっかりと立ってくれているからこそ、自分たちもこうして落ち着きを取り戻すことができるのだ。本当に彼らがいてくれて良かった。心からそう思った。

「……なぁ、フィアさん。ホンマにタドミール、倒さなあかんのやろか」

 決して大きくはないディスキプロスの言葉が、居間に沈黙を齎した。