最初の攻城戦が起きてから約1ヶ月。それ以降、戦争は起きていない。ゲームであれば、
攻城戦は城主に対して宣戦布告する相手がいなければ起きない。『モナルキア連盟』の君主たちは戦争などに関わる気はないから、当然宣戦布告はしない。だから、城主が変わることもなく、戦争が起きることもない。今のところ『ファトフ同盟』はそれで大人しくしているから、新たな死者も出ていない。もっとも、大人しくしていることに飽きれば、『ファトフ同盟』内で城主交代のための戦争 ── まさしく戦争ゲームを始めるかもしれないが、幸い今のところその気配はない。
その一方で、懸念していた狩場独占は起きた。忘却の孤島、翡翠の塔中層以上、そしてカラベラ要塞からファナティコス城へのルートと、現在のこの世界でレアアイテムが入手でき、経験値的に『美味しい狩場』の独占に『ファトフ同盟』は動いたのである。そして、独占するためにその狩場に来た他血盟のプレイヤーを襲うようになった。しかし、事前にこれを予測していた君主たちが、襲い掛かられた瞬間に帰還するように指示を徹底していたことから、死者や怪我人は出なかった。
かつてのゲームのころと違い、『
挑発を受けた『ファトフ同盟』側は例えば『【水都華園】ALL KILL』と皆殺し宣言を出すなど、どんどんフィアナの雰囲気は殺伐としたものへと変わっていった。現在までにその対立による死者は出ていないが、このままの状況であれば、それも時間の問題といったところだ。
もちろん、君主たちもそんな状況を指を咥えて眺めていたわけではない。しかし、君主たちがどれだけ声を嗄らそうと心を砕こうと、それが届かない者もいる。敵対関係となってしまった『ファトフ同盟』だけではなく、『モナルキア連盟』の血盟の血盟員ですらそうだった。
それらの者は特に第3陣召喚者に多かった。彼らはこの世界のルールができあがり、世界が、人々が一定の安定を得てから召喚されている。初めからできあがった居心地のいいフィアナしか知らないのだ。最初のころの荒れた人心による殺伐とした雰囲気と、先の見えない不安の時期を知らない。だから、彼らは安易な行動を取る。ゲーム世界のように気楽に気軽に、深く考えることなく。第1陣・第2陣のプレイヤーであれば無視してスルーする『ファトフ同盟』の挑発に乗ってしまう。或いは逆に彼らを挑発する。そんな、この世界の安定を崩すような、子供じみた行動を取る。それがこの世界に、他のプレイヤー ── 住人にどんな影響を齎すのかも考えないで。
そして、最も問題なのはこの行動が徐々にこの世界の『普通』となっていくことだった。第3陣はそれまでの人口よりも多い人数が召喚されている。物事を深く考えずに楽観視しているプレイヤーが世界の半数以上を占めれば、世界はその色に染まっていくのだ。第1陣・第2陣でもそれに影響を受ける者も出始めている。
何もそれは一般プレイヤーだけではなかった。君主たちの中にも安易な行動に出る者はいる。
「華、クラン員にPK挑発するなって厳しく言えよ」
恒例の会合で、華水希に厳しい口調で言ったのはアズラクだった。華水希の血盟【水都華園】は『ファトフ同盟』に敵対宣言を出され、狩場で会えば皆殺しにすると宣言されている。それはPKやMPKを仕掛けられた【水都華園】がワールドチャットで彼らを嘲笑し、挑発するような言動を繰り返したことが原因だった。
「んー、だって、あいつら腹立つしさ。黙ってるのも癪じゃない?」
華水希自身も止める気がないのだ。そのことに大半の君主は溜息をつく。しかし、テールム、オブロは何故他の君主たちがそこまで深刻になるのか理解しがたいといった表情をしている。
「いいか。この世界で死ねば
ショウグンですら珍しく厳しい声で華水希に言い聞かせる。否、華水希だけではなく、理解していないらしい他の2人にも。
「でも、本当に死ぬの? 証拠があるわけじゃないんでしょ? イル・ダーナとかが出鱈目言ってるだけじゃないの?」
どうしてゲーム世界でこんなに責められなければならないのだと華水希は不満そうだ。
「そうね。イル・ダーナが出鱈目言ってるのかもしれない。だけど、死ぬという証拠がないのと同じに、死なないという証拠もないの。判らないのよ。だったら、可能性がある以上、この世界で死ぬことは絶対に避けなきゃいけないの。死んでしまったと判って、後悔しても遅いのよ。華は自分の仲間を人殺しにしたいの?」
子供に言い聞かせるように
「別に挑発しようが、挑発に乗ろうがいいんじゃないか? 要は死ななきゃいいんだろ」
うんざりしたように言うのはオブロだった。それにテールムが同意するように頷いている。そんな2人に他の君主たちの顔に失望が浮かぶ。一部の血盟員が挑発を繰り返すことで血盟全体が危うい立場に立たされる。何の罪もない非もない良識ある血盟員が命の危険に晒される。そして、君主がそれを理解していないのだ。失望するのも当然だった。
「挑発を繰り返していれば、どんどん過激化する。PKクランの連中は元々廃人だっただけあって、レベル上げも早いからな。もう殆どの幹部はLv.80近くになってるぞ」
ガビールが突き放すような口調で言う。そう、わずか2ヶ月前にこの世界に召喚された彼らは、元々高レベルだったこともあり、既に第1陣・第2陣のレベルに追いつきつつあるのだ。
「しかも、あいつら元々戦争クランだからな。対人には慣れてるし、PK ── 人殺しにも躊躇はない。ゲーム世界だって思い込んでるからだろうけど」
やはり実樹も冷たい声になる。もう彼ら3人を諌めるのは無駄だと思ったようだった。
それでも君主たちは説明を繰り返した。自分たち君主は血盟員の命を預かっている。だから、最悪を想定して、それを回避するために指示を出さなくてはならない。挑発を続けていればいつか死者が出るかもしれない、死は
「っていうかさ、なんでプリってだけでそこまでクラン員の行動の責任を持たされるわけ? クラン員はクラン員じゃん。それぞれの責任でやってることでしょ。私が責められることじゃないと思うんだけど」
今更それを言うのかということを華水希は言う。この『モナルキア連盟』に参加している時点で、君主として彼らは血盟員の全てに対して責任を負っているというのに。血盟員の命、心を守る責任、そして、行動に対してももちろん、君主たちは責任を持っているのだ。それが、血盟を背負うということであり、血盟員たちもその旗を背負う意味を理解している。だからこそ、軽率な行動を取る者がいないのだ。 ── 理解していない君主の3血盟を除いて。
「ただ単にプリってだけでそんな面倒押し付けられるわけ? じゃあ、プリ辞めるわ」
投げ遣りな口調で言う華水希に、君主たちはこれ以上どんな言葉を以ってしても彼女の心には届かないのだと感じた。そもそもこの会合の最初に説明しているではないか。全員で生きて
「無理よ。クランを解散するコマンドはないわ。キャラクターチェンジだってできないの。君主でログインした瞬間から、ここでは君主なの。少なくともあなたたちは君主であるためにこの会合に加わったんでしょう」
苛立った声も露わにファーネが言う。
「放っておきましょう。華水希さんは好きにすればいい。だが、もうあなたはこの会合に参加する資格はない」
番長が眉を顰め、吐き捨てる。
「そうだな。ここは君主としての責務を果たす者たちの集まりだからな」
同じく第3陣召喚のゼフテロスも華水希の君主としての自覚のなさには呆れ果てたようだ。それはクリノスも同じようで、不快げな表情を隠しもしない。
華水希、オブロ、テールムの3人とそれ以外の君主の間に冷たい空気が流れる。このまま3人と決裂かと思われたとき、それまで無言だった声が割って入った。
「待ちなよ。皆、熱くなりすぎ」
それまで沈黙していたデサフィアンテがようやく口を開いた。けれど、その口調は何処か投げ遣りな、冷めたものだった。
「俺らだって、最初から『君主』としての責任に目覚めてたわけじゃないじゃん。それをすぐに求めるのは間違いだろ?」
デサフィアンテはそう言うが、第3陣が召喚されて既に2ヶ月だ。第1陣・第2陣とて、そのころにはすでに自分たちが君主として何をどうすべきか、基本的な方針は定めていた。それは華水希たちと同じ第3陣召喚者のクリノスもゼフテロスもクエルボも同様だ。また、第1陣に至ってはこの世界の初日からデサフィアンテが率先して動いてきた姿を知っている。それに励まされ、触発され、自分たちも動き始めたのだ。第1陣の君主たちはそれこそ初日から『君主』としての役割を果たしてきた。
「皆さ、疲れてるんだって。特に、俺ら。第1陣・第2陣はもうこの世界に8ヶ月もいるんだ。死なないように、死なせないように、殺さないようにビクビクしながら生きてきた。一体いつになったら
ソファに身を沈めたまま、虚空を見つめながらデサフィアンテは言葉を発する。
「おまけに第3陣の召喚とともに色々システムが変わった。戦争が可能になったし、本鯖仕様が色々加わって、ゲームっぽくなった」
デサフィアンテは誰に語りかけるでもなく続ける。
そう、第3陣の召喚と時を同じくして、またもやいくつかのシステムの変更があった。それは増えた人口に対応するための措置ともいえるものだ。ゲームの仕様に比べれば多少手間はかかるが、キャラクター ── プレイヤーの名前が視認できるようになったのだ。タッチパネルを起動し、システム設定項目の『キャラクター表示設定』を『常時ON』にすることでそれは可能になる。そうすると、視線の焦点を合わせるだけで、そのプレイヤーの頭上に名前と所属血盟のエンブレム、称号が表示されるようになった。まさにゲームと同じ表示である。その機能が実装されたことによって、より一層この世界の『ゲーム』感覚が強まったことは確かだった。だから、デサフィアンテはできるだけその機能を使わないようにしている。
その他にもアルメティットバトル(2日ごとに各町で開かれるモンスターを相手にした闘技大会)やペットレース、モンスターレース(通称『豚』といわれるバグベアーを使っているため豚レースとも言われる)、ペットバトルなど、ゲームの中でも特に娯楽色の強いゲーム的な要素が加わっているのだ。
「イル・ダーナも何やりたいんだろうな ……。本来の目的は、俺たちにタドミールを倒させることだろ? このフィアナを守ることじゃなかったのか」
その世界に召喚された日に、自分たちは確かにそう聞いたのだ。そのときを思い出しショウグンは苦々しげに言う。
「8ヶ月も経つのにまだタドミールは現れない。なのに戦争が可能になってる。この世界には必要のない仕様のはずなのに。不要どころか無用な、有害な仕様なのにね」
椎姫も不快感を隠さない。何故こんな仕様が出てくるのだ。それが判らない。理解できない。
「まさか、目的が変わってるとか言わないよな ……。単にイル・ダーナがこの世界が活性化してることで満足しちまってるとか」
「あー、有り得るかも? この世界が活性化してるから、タドミール目覚める可能性下がりましたーとか?」
ガビールが口にした疑念を笑う者はいない。ロハゴスも肯定する。
人口が増え、確かにこの世界は活性化している。『ファトフ同盟』が狩場を独占しているとはいえ、実質的には完全な独占には至っていない。大抵の一般プレイヤーは巧く『ファトフ同盟』とは狩場の棲み分けをしているのだ。美味しい狩場の殆どを『ファトフ同盟』に独占されているとはいえ、そうでない狩場でもそれなりに稼げるし、レアだって出る。極上狩場を独占されている不満はあるが、大抵のプレイヤーの狩りの目的は安全にレベル上げを行なうことだから、旨い不味いといったゲームのような狩り効率は求めていないのだ。
ともあれ、人口は増え、プレイヤーは色々な狩場に出かけ、世界は活気がある。ゲームサーバーよりもずっと。それにこの世界の主神イル・ダーナは満足しているのではないか。だから、娯楽要素を強くして戦争まで可能にしているのではないか。だから、いつまでもタドミールを出さないのではないか。そんな疑いを持ってしまう。
「しばらくさ、休まないか? ぶっちゃけ、俺疲れた」
常の彼らしくもない、覇気のない声に皆が驚いてデサフィアンテを見た。どんなときでも前向きに明るく振舞ってきたのがデサフィアンテだった。お前無駄に前向きだよな、楽天家だよな、そう言われてきたはずのデサフィアンテが。
「
デサフィアンテの様子に数年前を思い出し、椎姫が表情を曇らせる。重なるのだ。【悠久の泉】を解散すべきか悩んでいたときに。そして【硝子の青年】末期の様子に。当時を知っている華水希もそれに気づいたのか、先ほどまでの表情から一変し、気遣わしげにデサフィアンテを見つめる。
「ああ、『モナルキア連盟』解散とか、そんなんじゃなくて」
古い付き合いの姫2人の視線の意味を正確に読み取って、デサフィアンテは苦笑を漏らす。大丈夫、あのころのように全てを投げ出したいと自棄になっているわけではない、そう示すように。
「たださ、ちょっと疲れたから、しばらく休息取ろうぜ、ってだけ。ホント言葉どおりの意味だよ。俺たち、8ヶ月も殆ど休みらしい休みも取らないでやってきたんだぜ? 下手な政治家より働いてるだろ。しかも給料もなしで」
笑いを取るように明るくデサフィアンテは言う。
「タドミールが出る気配もないし、ある意味世界が安定してるから、大した問題も起こらないだろうし。だったら、しばらくだらーんとだらけても大丈夫じゃないか? 俺たちがこんなにイライラするのもさ、疲れてるからじゃないか? 体よりも心がさ」
デサフィアンテの言葉にそうかもしれないと皆が思い当たる。第3陣召喚、攻城戦以来、ずっと苛々している。穏やかな心持ちとは縁遠くなっている。神経がささくれ立っているのだ。血盟員の前でそんな姿を見せるわけには行かないから、余計にストレスが溜まる。
「そうだな。確かに疲れてるんだろうな。よし、皆で休もう。この会合もしばらくは休みだな」
「じゃあ、最低3ヶ月は休もう。そんだけ休めば休み飽きたーってなるだろ」
「だな。ああ、でも緊急事態起こったら会合はするしかないよな。ってことで、第4陣召喚か、タドミール出現したら集まるってことで。それ以外は集まらない!」
「んで、今日が6月21日だから次に集まるのは3ヵ月後の9月20日にするか」
「だな。じゃ、何もなければ次に集まるのは9月20日。それまではのんびりすること!」
次々に言い合い、決めていく。誰もが感じていたのだ。疲れていた。このままでは疲れで心が押し潰されてしまう。君主という責任感に押し潰されてしまう。だから、一旦全てを忘れて休息を取ろう。また歩き出すために、それは必要なことだ。
「クラン員たちは納得するかしら」
ふと疑問を感じたようにファーネが口にする。しかし、アズラクはそれを笑い飛ばした。
「納得しないようなクラン員はいらねぇよ。俺たちが日ごろ何やってるのかを理解してるなら、反対はしないはずだ」
幹部連の動きも知っている。彼らは自分たち君主が動きやすいように、遣りやすいようにと心を配ってくれている。ただ彼らの君主のためだけに。そして、血盟員もそれを支持しているところが殆どだ。だとすれば、血盟員は今回の君主たちの休養を納得こそすれ、反対はしないだろう。反対するとすれば、それは何も理解していない者たちだけだ。血盟をただの生活を保護してくれるための入れ物として利用している者だちだけだ。
「ぶっちゃけ、プリに全部おっかぶせて、のんべんだらりと暮らしてるだけのクラン員なんていらないんだよ。共同生活してるんだ。何かしら皆役割を背負ってる。なのに、それを何ひとつ負わずに文句だけ言う奴なんざ、
これまでの不満を吐き出すようにショウグンは言う。未だに彼の血盟員の中には全く動こうとしない者もいる。それだけならまだしも、戦わないならせめて家事を遣れと指示してもそれにも従わず、ただ部屋に篭もっているだけの者もいるのだ。生活費が一切無料だから文句を言うこともしないが、不満は感じているのだ。これで生活費がマルクを消費しなければならないのだとしたら、とっくの昔に血盟から追放していただろう。
「狩りをするもしないも自由。プリ同士遊ぶも遊ばないも自由。でも、この世界の在り様をあれこれ考えるのはナシ。しばらくは単純な1プレイヤーとして、1住民として過ごす、と」
「そうそう。王子様と王女様は王家の暮らしに嫌気がさして家出して、しばらくの間責務を忘れて庶民の暮らしを楽しむのでした、ってことさ」
クスクスと笑い合いながら、君主たちは自らの休息のときを定めたのである。
それが、この世界の歩みを停滞させることになるのは、充分に予想していた。それでも、今の彼らにとっては必要なことなのだ。疲れ切った心のままでは、前に進むことは出来ないのだから。
「うん、いいんじゃね?」
「そうそう、フィアさん、働きすぎやん。給料もあらへんのに」
『モナルキア連盟』の会合から戻り、最低3ヶ月は全員君主業を休止することになったとデサフィアンテが告げると、
「大体、
キンキンに冷えた缶ビールを手渡しながら、イスパーダは言う。
「だな。背負いすぎっつーか、責任感強すぎっつーか」
疾駆する狼もそれに同意する。そんな君主がいてくれたから、自分たちは安心してレベル上げだけをしてこれたのだ。生活やこの世界のあれこれを全く考えることなく、自分やその周囲の者のことだけしか考えずに済んでいた。
「しばらくは自分のことだけしか考えないで、のんびりすりゃいいって。
「そうですよ、絢さん。あなたは若いのに責任を負いすぎです」
シーカリウスやバルシューンも賛同する。
「若いって、バル。俺もう三十路。ってか、お前同じ歳じゃん」
確かに『モナルキア連盟』の中では華水希と並んで最年少ではあるし、血盟でも自分と同じ歳のバルシューン、ディスキプロスの他は年下なのは乙だけだ。それでももう三十路だ。
血盟員たちとて、デサフィアンテがストレスを溜めていることには気づいていたのだ。彼の責任感の強さを知っていたから、敢えて何も言わなかった。もっとも、あと1週間も我慢するようであれば、理也とイスパーダ、迅速は実力行使で泣かせるつもりだった。かつてのゲームでもそうしていたように。泣いて発散させるために叱るのはいつも3人の役目だった。INの少ない迅速がそれでもデサフィアンテの側近と認められていたのは、それができるからだった。そして、泣いたデサフィアンテをフォローするのは疾駆する狼とチャルラタンの役目だ。こういった叱ってフォローする役は彼ら5人にしかできないことだった。他の誰にもそれはできない。
「けど、確かに俺、働きすぎだよなー。よし、しばらくはぐーたらフィアちゃんになる」
両手を頭上に伸ばし、精一杯伸びをする。体の不要な力を、色々な不要なものを抜くように。
「じゃあ、とりあえず今日は時間を忘れて飲んだくれましょうか? 絢いつも節制してたでしょ」
夕食の支度を終えた夏生梨たち女性陣も厨房から出てきながら言う。男たちの会話は聞こえていたようだ。厨房と居間の間の扉は開け放たれていたのだから当然だが。
「そうですねー。じゃあ、おつまみも作りましょうか。今日の晩御飯は軽めの冷やし中華ですしー」
「日本の夏のおつまみといえば、冷奴と枝豆よね。あとはお菓子でいいかな。柿ピーとかスナック菓子」
「あとはチーズとハムとサラミでも適当に切ればいいわね。じゃあ、夕食終わったら、男性陣は食糧庫から屋上にお酒運んでね」
そうと決まれば、さっさと夕食を済ませましょう。夏生梨がそう笑い、皆を食堂に追いやる。胃袋を掴んでいる夏生梨と千珠とアルシェには誰も逆らわない。
「なぁ、絢。お前しばらくのんびりするなら、この機会に姐御にアタックしろよ」
食卓に着きながら、迅速がこっそり耳打ちする。この8ヶ月ずっと2人を見てきたのだが、なんともじれったい。互いに憎からず思っているのは明らかなのに、君主と血盟員、ゲーム仲間としての距離を変えようとはしない。
「だなー。お前、まだ姐御のこと好きだろ?」
聞こえていたらしいチャルラタンも嗾けるように言う。
「……放っとけ」
それにデサフィアンテは仏頂面になる。心配してくれているのは判るが、それ以上に面白がっているのが明白だ。
「フィアが口説かないんなら、俺が口説こうかな」
冥き挑戦者までがそんなことを言い始める。
「姐御と俺なら、歳回りもちょうどいいしな。俺も彼女も独身だし、なんら問題ない」
「あるよ。色々あるよ」
ブスっとしてつい反論してしまったデサフィアンテに話を聞いていた者たちは笑う。具体例も何もなく、反論にもなっていないのに口に出さずにはいられなかったらしい。
「ねぇ、そういう話は当事者の私には聞こえないところでやってくれるかしら?」
話が筒抜けだった夏生梨は苦笑しながら配膳していく。
「それに口説くもなにも、ここじゃ夏生梨と絢君って夫婦よね?」
やはり聞いていたらしい千珠も笑いながら言う。
「そうね。引退のときに離婚してないし、一応、絢はまだ夫のままね」
クスクスと女性2人は笑っている。この2人、同じ歳ということもあって昔から仲がよく、彼女たちがタッグを組むと口で勝てる者は血盟内には誰もいなかった。
「姐御と千珠さんはFCH婚してますからー、口説いても無駄ですよー。フィアさんとバルさんに勝たなきゃ」
アルシェまでがそう言って笑う。千珠は【フィアナ・クロニクル】ではバルシューンと結婚している。ゲーム内でその結婚式をしたときには、2人の依頼を受けて夏生梨が仕切り、理也、疾駆する狼、迅速、サディークがスタッフとして走り回ったりもしたものだ。
「つまり、クランで独身女性はアルだけってこと。さぁ、男ども、見事にアルのハートを射止めてみなさい」
「姐御ー、変なこと嗾けないでくださいー」
「つーか、アルじゃ口説く気にもならん ……」
「天然すぎておもちゃにしかならないからなぁ」
めんまとドロフォノスの言葉に皆が笑う。
「むー。失礼ですよー。というか、姐御や千珠さんより男前じゃないと、お呼びじゃないですー」
「うわ、それ無理。姐御たちより男前って、タドミール倒すよか無理」
「アル、うちら一応女だからね?」
「女性でも性格男前ですからー」
明るい笑いが食卓に満ちる。
「じゃあ、食おうか。夏生梨、アル、千珠さん、今日も食事、ありがとう。では、いただきます」
ひとしきり笑い、収まったところでデサフィアンテが号令をかける。そして、楽しい雰囲気のまま、夕食が始まった。
「で、夏生梨。正直なところ、どうなの?」
夕食後、屋上に集まっての宴会が始まった。女性3人は男たちから少し離れたところに座り、のんびりとカクテルを中心に飲んでいる。もちろん、缶のカクテルだが。
「ん? 何が?」
「何が、って、姐御。フィアさんとのことですよ」
女性3人は
その一方で、風織が決して
「ここは ……夢の世界だわ」
「でも、ちゃんと生きてるし、感情もあるわ。それにね、
私とバルシューンもそうだし。そう言って千珠は笑う。
千珠とバルシューンも
そして、この世界に来てすぐに再会した。最後のログアウトは同じ場所で行なっていたから、この世界に来たときには互いが目の前にいた。それからはそれがさも当然であるかのように行動をともにし、自然に縒りが戻った。
だから、2人は
「そうですよ、姐御。フィアさんが姉御のこと、大事に想ってるのは、私が見ても判りますもん。昔と同じ」
ゲーム内でも互いを思い遣り合っているのが判るデサフィアンテと夏生梨の姿は、ある意味アルシェにとっては理想の恋人たちの姿だった。ブログや会話から覗く
「それにね、絢君、色々背負ってるでしょ。彼、本当にプリだもの」
千珠は言う。
彼女がかつて過ごした血盟がこの世界にはふたつある。どちらもバルシューンとともに在籍した血盟だ。【自由気まま】と【悠久の泉】。どちらに行くか迷ったのは一瞬だった。別のゲームへの移住で血盟を放置したファーネ。血盟がなくなった自分たちを迎え入れてくれたデサフィアンテ。2人を比べれば、明らかにデサフィアンテのほうが君主として頼りになる。夏生梨がいることも大きかったし、理也ら頼りになる仲間もいる。だから、2人で【悠久の泉】に合流した。
バルシューンは【自由気まま】ではファーネの片腕的なナイトだったから、そちらに行くべきかとも思った。けれど、片腕だったからこそ、失望も大きかった。【自由気まま】にはシスティスやシルヴァンといった幹部も合流しているようだから自分は好きにさせてもらおうと、バルシューンは千珠とともにデサフィアンテの許に来た。何も判らない世界で自分たちの身柄を預けるとなれば、デサフィアンテへの信頼のほうが勝っていた。
そして、その判断は間違っていなかったと思っている。デサフィアンテはゲームのころと変わらず、責任感の強い、頼り甲斐のある君主としてそこにいたのだ。阿呆プリ、ネタプリと揶揄われながらも血盟員に信頼されていたあの当時のまま。否、かつて以上の信頼を受けて、そこにいた。
「私、フィアさんが弱音言うの、聞いたことがないんです。絶対、私だったら泣いてるようなことでも、フィアさん笑うんです。EOが壊れたときも、YGが壊されたときも ……」
数年前のことを思い出したように、アルシェは表情を曇らせる。かつての友人が元で【悠久の泉】は壊れた。『待っている』といっていたはずの血盟員たちが【硝子の青年】を壊した。あのころのデサフィアンテはどんなに辛かったのだろう。アルシェは彼が当時苦しんでいたなどと思いもしなかった。デサフィアンテはいつも通りに明るくて、楽しそうにしていた。けれど、それはそう見せていただけなのだ。アルシェたちに心配をかけないために無理をして繕っていただけなのだ。アルシェがそれを知っているのは、あとから近しい人たち ── チャルラタンや椎姫に聞かされたからだった。
「きっと、今のフィアさんの辛さって、あのとき以上だと思うんです。だって、フィアさんは命を背負ってるんですよ? 私たちを、クランの皆だけじゃなくて、この世界にいる人たち皆の命を背負ってるんです。辛くないわけないんです」
理也たちと騒いで笑っているデサフィアンテをアルシェは見遣る。
「姐御しか、そんなフィアさんを支えて癒すことはできないと思うんです」
そう言ってアルシェは夏生梨を見つめる。
「大好きな人が傍にいてくれれば、フィアさんもきっと心から安らげると思うんです」
真剣な眼差しのアルシェに、夏生梨は微笑を浮かべる。
「絢って幸せ者よね。こんなに皆に愛されてる」
誰もがデサフィアンテを心配している。彼の心の負担を思って案じている。それは、デサフィアンテがどれほどこの世界で皆のために努力をしているかを知っているからだ。彼が頑張りすぎることを、とても真面目な性格であることを知っているからだ。そして、信頼に足る人物であることを認めているからだ。
否、もっと単純だ。皆がデサフィアンテを好きなのだ。友として、家族として、案じているのだ。
「絢が、私に助けを求めてきたら、応える用意はいつだってできてるわ。まぁ、あれで結構プライド高いから、簡単には助けを求めたりはしないだろうけど、そこは元恋人ですからね。限界になる前に怒鳴りつけてでも、助けてって言わせるわ」
夏生梨はデサフィアンテを見つめる。かつてのような激しい想いはないけれど、愛しさはある。確かに自分の中に彼への愛情はあるのだ。別れて他の男性と結婚して、その生活の中で消えていったと思っていた想い。それはこの世界で再び息を吹き返した。そして、穏やかな見守る愛として、それは確かに息づき、育っている。
「でも、恋人になるかはまた別問題ね。少なくとも私から動くつもりはないし」
そして、夏生梨は悪戯っ子のような表情になる。
「やっぱり、女としては求められたいし? 草食系男子はお呼びじゃないのよ」
そう笑う夏生梨に、千珠もアルシェもクスリと笑みを零す。
「昔もガンガン攻めてきたんだけっけ、絢人君。そう言ってたよね、風織」
「そうよー。もうね、最初の告白、近所のコンビニの前だったからね。恥ずかしくてしばらくその店、行けなかったわよ」
「毎日電話とメールで攻勢かけてきたんですよね。フィアさん、そう言ってましたもん」
3人でクスクスと笑いながら思い出話をする。2人の馴れ初めは血盟チャットでデサフィアンテがよく話していた。当時のデサフィアンテはまだ若かったこともあって、夏生梨への好意を全く隠すこともなく、様々なエピソードを話しては、『話しすぎ!』と夏生梨に叱られ、理也たちからは『甘すぎて砂吐きそう』と呆れられていたものだった。
「うん、確かにそうよね。女としては求められたいわよね。大体、最近の若い男の子は軟弱なのよ」
「ですよねー。うちの会社の若い社員なんて、もう、ホント情けないったら」
「あら、アル、なんかお局様な発言」
「とっくに三十路超えてますから、立派なお局ですよ、私もー」
「アルでお局だったら、私は何かしら。嫌だわー」
「まぁ、フィアさんなら、ガンガン行きそうですよねー。結構肉食系だし。ん? ロールキャベツ男子っていうんですっけ? 見た目草食系で中身肉食」
「ロールキャベツは食べられる側なのにね」
笑いながら3人はデサフィアンテを見る。
「……大丈夫よ。絢人が ……絢が潰れる前に、私が彼を支えるわ」
今はまだ大丈夫。彼は自分で弱っている己を自覚して、立ち上がるための休息のときを自ら取った。その判断ができるうちは、まだ心配は要らない。
デサフィアンテがこの世界の住人を、プレイヤーたちを守ろうとするならば、自分たちは彼を守ろう。
それは夏生梨だけではなく、この場にいる血盟員たち全てに共通する思いだった。