第4章 望まぬ再会<

 フィアナ召喚2日目。

 デサフィアンテたちは前日決めたとおり、竜谷浜に来ていた。ここは竜谷地域の中では難易度の低い狩場であり、今は竜谷の洞窟と呼ばれる中級レベルのダンジョンへ向かっているところだ。竜谷はゲーム内の適正レベルとしては45から52といったところで、様子見をするためにはちょうどいい難易度の狩場だ。

 心配していた戦闘能力については杞憂に終わった。チャルラタンの予想どおり、身体能力と戦闘能力は現実世界リアルのものではなく、ゲームのステータスに沿ったものだった。一番の懸念材料だった『体が動くか』という点も問題がなかった。むしろ問題がないことが問題だろうか。

 これまで【フィアナ・クロニクル】のモンスターは画面の中の画像でしかなかった。しかし今この世界のモンスターは血肉を持った実体である。デサフィアンテの膝の高さくらいまでの体長しかないゴブリンやキキーモラのような小さなモンスターはともかく、竜谷に出現するトロールやオーガのような巨人モンスターには恐怖心が生まれ動けなくなるのではないか ── そんな心配もあった。しかし、狩場に辿り着きトロールが出現したとき、慌てた者は1人もいなかった。

「FAはくらさん。ナイト3人は背後に回れ。ディスは右、俺は左。迅ちゃんは周辺警戒もよろしく」

 気がつけばいつもと変わらぬ声でそう告げ、冥き挑戦者がファーストアタックを入れたトロールに剣を振るっていた。手に伝わる肉を切り裂く感触に恐怖も違和感も覚えなかった。トロールが倒れたあとにようやく『何の恐怖も感じず違和感も覚えず戦った』ということに気づいたくらいだった。

「── 怖いな」

 疾駆する狼の呟きは皆に共通した思いだった。モンスターに対することが怖いのではない。モンスターと戦い、命を奪い、傷を負うこと ── 初めてのおのが体を使った戦い、それを何の恐怖もなくできてしまったことが怖い。モンスターを、戦いを、負傷を怖いと思うのは、生命を守りたい生物としての根源的な恐怖のはずだ。なのに、全く怖いとは思わなかった。

「ゲームと思ってるから ……かな」

 自分でも疑っている声で理也まさやは言う。けれど剣の重さ、肉を裂き骨を断つ感触はこれがゲームではなく現実なのだと知らしめている。

「よく、判らないな。でも、これが『フィアナ人』としても俺らの普通の感覚なのかも」

 しばらく考えてデサフィアンテは言った。それに対してどういうことだ? と視線が向けられる。

「うーん ……漠然としてんだけどさ。FCHでの俺らって、フィアナの民じゃん? プレイヤーとしての俺らはゲームだし、パソコン操作してるだけだから、怖いなんて思わないの当たり前。んで、キャラクターとしてフィアナで生きてる『デサフィアンテ』たちは、モンスがいて、戦って、怪我して、倒すのは日常だから、恐怖なんて今更感じないってことかなー、なんて思ったわけ。多分、イル・ダーナが何かしたんだろ。恐怖心持ってたら戦えないんだし」

 前半はともかく、最後の『イル・ダーナの仕業』には全員が納得した。確かに戦えないのでは意味がない。だからゲーム内の能力値とともに『ゲーム世界においてその住人たるキャラクターが持っている認識』を自分たちにも付与したと考えられなくもない。

「あー ……これが現実世界リアルまで持ち越されるとちょっとヤバイけど、この世界を乗り切る分にはラッキーか?」

 うーんと首を傾げながら言う冥き挑戦者に『そうかもなぁ』と消極的な同意が返される。

「ちゅーか、狩場で悩んでんの、危ないんとちゃう? 大体、まだパーティも組んでへんし」

 ディスキプロスの言葉にハッと我に返る。確かに狩場の入口で悩んでいる場合ではない。狩場に着いたばかりでまだパーティも組んでいないではないか。

 そうして、デサフィアンテをパーティリーダーにしてパーティを組み、現在に至っている。

 クランハントにおいてパーティリーダーは大抵君主が勤める。君主がパーティリーダーであれば経験値ボーナスがつくからだ。

 パーティを組んだあとは支援魔法エンチャントを掛ける。デサフィアンテが『プローグレッシオ・ドロ』と『フォルティス・ドロ』のふたつの君主魔法をかけ、チャルラタンが武器の強化魔法フィデス・テルムHP・MP増幅魔法スプレンディドゥスを、迅速が地属性の防御力強化魔法テッラ・フィデスをかける。デサフィアンテ、理也、疾駆する狼は自分に回避・命中率アップ魔法マテリアダートゥム・ウェロキタス攻撃力アップ魔法マテリアダートゥム・ウィレースをかけ、エレティクスの2人も同様の効果を持つ闇精霊魔法を自らに施す。

『マテリアダートゥム・ウェロキタス』と『マテリアダートゥム・ウィレース』は本来君主やナイトが使えないランクの魔法ではあるが、『魔法補助ヘルム』を装備することによって使えるようになるのだ。大抵の君主とナイトはそのためのヘルムを所持しており、自力でエンチャントをかける。所持はしているもののMPの足りないイスパーダにはデサフィアンテが魔法をかける。

 こういった支援魔法エンチャントの分担はゲームと同じだ。ウィザードとエルフも当然支援魔法エンチャントは行なうのだが、前衛も自分でできることは自分でやる。魔法職であるウィザードとエルフはMP量も多いが、その分様々な魔法を駆使して戦う。ゆえにできる限り支援魔法エンチャントの負担は掛けないように心がけているのだ。ウィザードに全ての支援魔法エンチャントを負担させるようなパーティや血盟は早々にウィザードから見捨てられてしまうのである。

 【フィアナ・クロニクル】ではどのクラスであっても魔法を使うだけに、この世界での魔法使用の容易さにも助けられる。一々画面を開いてアイコンをタップするのではとっさの場合に間に合わないことも有り得る。だから魔法の名を唱えるだけ、しかも略称も可というのはかなり有り難い。正直な話、プレイヤーたちは略称に慣れていて正式名称はうろ覚えなんてことも少なくないのだ。【フィアナ・クロニクル】の魔法名はラテン語がベースだから馴染みがないこともあって余計にその傾向が強い。

「なんか、じゅんより役に立たねぇってのが納得できん」

 アサシン(Lv.40以上の前衛用変身)姿のナイト3人は何処かムスっとした表情だ。

 狩場ではファーストアタックを冥き挑戦者かデサフィアンテが行ない、モンスターのターゲットを己に固定したうえで他のメンバーに攻撃させる。この2人のレベルが高いから当然のことだ。与えたダメージ蓄積量がファーストアタック担当よりも大きくなればターゲットは変わるのだが、それもない。つまり、デサフィアンテと冥き挑戦者の攻撃力が他のメンバーよりも高いということだ。

「絢、武器何?」

「えーと、今は『+8極光石の短剣オリハルコン・ダガー』。攻撃力15の追加打撃+5」

 理也の問いにデサフィアンテは応える。これくらいの性能は確認せずとも覚えている。

「うーん ……そっか」

 自分の剣を見ながら理也は唸る。それならば自分の持つ『+7不壊の長剣ダマスカスソード』のほうがわずかに強い。いや、追加打撃がない分やはり弱いか? そんなことを考えているナイトたちに冥き挑戦者が苦笑混じりに声を掛ける。

「フィアの場合、武器の性能よりもステータスだな。STR特化だからODでも充分やっていける。むしろ、プリは短剣速度が長剣よりかなり速いから活きるんだよ」

 【フィアナ・クロニクル】では各クラス・各武器カテゴリーごとに攻撃速度が設定されている。速度が速ければ攻撃回数も増え、当然蓄積ダメージも増えるというわけだ。一概に攻撃力の高い武器のほうが良いとはいえないのである。

「あー、確かにステってかなり影響するしな。絢、今STRいくつなんだよ」

 拗ねるナイト陣を『予想どおり』と微笑ましく眺めながら、チャルラタンは聞きたくてうずうずしているナイトの代わりに訊く。

「んー、初期が20で、51以降STR振りだから素で24。あとSTRアミュとモナクロとPGで計+4の28。今はSTR掛かってるから+6で、トータル34だな」

「相変わらず腕力馬鹿だな。STR値俺よりあるし」

 苦笑する冥き挑戦者をよそにナイト3人は呆然としている。STRナイトのイスパーダはともかく、CONナイトである理也と疾駆する狼は自分たちの素STRの2倍の値に驚くしかない。

「ちなみにSTR34だと追加打撃+11、攻撃成功+11のボーナスが付くから、ODの分と合わせて+16、つまり80%攻撃力アップだな」

 駄目押しのような冥き挑戦者の解説にナイト3人はガックリと崩折れる。迅速などは『へー、絢、めっちゃ強くなったんだなー』とのんきに呟いていた。

 理也たちにしても判ってはいるのだ。レベルが違うのだから今ではデサフィアンテのほうが強いのだと。それでも複雑な気分になる。かつては自分たちがデサフィアンテを守っていたのに、今では立場が逆になってしまっている。頭では納得できても感情は納得しがたい。

「ほら、落ち込んでねーで戦え。次来たぞ」

 デサフィアンテの言葉に立ち上がり、3人も攻撃に加わる。何処か自棄っぱちに見えるナイト3人にディスキプロスは呆れる。

「ボス、元々強かったやん ……今更何やの」

 加入当初からレベルの差があったこともあって、ディスキプロスはデサフィアンテを充分強いと認識していたから、それほどの違和感はないらしい。何しろハンデなしの対人戦の決闘デュエルでは最後まで勝てなかったのだ。対人最強のエレティクスが最弱の君主に勝てなかったことから、ディスキプロスは『ボスは強いんやな』と思っていたのだ。

「まぁ、お前らは俺より3年も前に引退してんだから仕方ないだろ」

 苦笑しながらデサフィアンテは残った最後のスケルトンアックスを処理し終える。その瞬間、デサフィアンテの体が光に包まれた。

「お、フィア、レベルアップか」

 その光 ── これもまたゲーム内のシステムと同じ ── を見て、冥き挑戦者が嬉しそうに言う。

「ああ。えっと、STRに+1と」

 ゲーム内と同じくステータスにポイントを割り振れるらしく、ポップアップしたタッチパネルを操作する、

 【フィアナ・クロニクル】におけるステータスパラメーターは腕力STR体力CON機敏DEX知力INT精神WISカリスマCHAの6つだ。キャラクター作成時にはベースの数値がクラスによって設定されており、それにリマイニングポイント(これもクラスごとに違い、最小はナイトの4、最大はウィザードの16)を割り振ってステータスを決定する。リマイニングポイントはユーザーの好みで振り分けられるが、クラスによっておおよその振り方のパターンが決まっており、どのクラスも代表的なパターンは3つほどだ。しかし、君主の場合は完全にフリーダムだ。公式のガイドブックに『戦闘能力が低く魔力も低いため、パーティハントではお荷物』とはっきりと書かれてしまっているクラスなのだ。その分、好きにポイントを割り振り、自由度の高いカスタマイズができる。

 デサフィアンテの場合は単騎ソロ狩りにも対応できるようにSTR極振りでのSTR特化型君主だ。攻撃力だけならば同レベルのCONナイト(ナイトは基本的にSTR特化かCON特化の二択)よりも強くなる。STRが最大値の35になったら今度はWISに振ってMPと魔法抵抗力MRを上げるつもりでいる。

 それから今度は『変身制御リング』を装備して黄泉の騎士から黒騎士へと変身を変更する。通常『変身スクロール』を使う変身は効果時間が30分だが、『楓の枝杖メイプルワンド』とリングを使っての変身であれば2時間持続する。ちなみに『楓の枝杖』は単体で使うとランダム変身となり悪戯用のネタアイテムとなるのだが、『変身制御リング』と併せることで変身の指定ができるようになるのだ。

 その『変身制御リング』を『守護の指輪(HP+30、MP+20)』に戻して、『フルゲオー・ドロ』の古文書をタップして最後の君主魔法を覚える。

 これら魔法を覚える際にはそれぞれ固有のアイテムがあり、一般魔法は『魔法書』、君主魔法は『古文書』、ナイトの使う技能は『秘伝の巻物』、エルフの使う精霊魔法は『精霊の水晶』、エレティクスの使う闇精霊魔法は『闇の碑石』を使用して覚える。これらのアイテムは殆どがモンスターからの戦利品ドロップだが、君主のみは異なっている。『ドロ』の名がつく魔法は作成アイテム、他はレベル別クエストの報酬となっている。モンスタードロップよりも確実に手に入れられるようになっているのだ。

 これらの魔法は覚えられる下限レベルが設定されており、また一般魔法と精霊魔法は特定の場所でアイテムを使用しなければならない。そうしなければアイテムを消費するものの魔法は覚えられないのだ。精霊魔法の場合はエルフの故郷ティルナノグの『母なる聖樹』の元か琥珀の塔の『精霊の祭壇』で覚える。一般魔法はランク3まではアヴァロンのNPCゲレン老人に教えてもらい(そのためランク3までは魔法書が存在しない)、ランク4からは各地に点在するロウフル寺院かカオティック寺院でアイテムを使用する。

 一般魔法はロウフル・ニュートラル・カオティックに分類されており、これも対応する寺院でなければ魔法は覚えられず、中々に面倒臭い。ウィザードはそのランクの魔法が覚えられるようになるとまとめて覚えに行くことが多いのだが、誰でもうっかりミスしてアイテム消失の経験が一度はあるものだ。ちなみにニュートラルであればロウフル・カオティックどちらの寺院でも覚えられる。

 一般魔法は『一般』というようにウィザードでなくとも覚えられる。一般魔法はランク1から10までの10段階に分かれており、クラスによってどのランクまで習得できるかが決まっている。最も覚えられる数が少ないのはナイトで、Lv.50に達した時点でランク1魔法のみが習得できる。君主はLv.10ごとにランク2まで、エレティクスはLv.12ごとに同じくランク2までが習得可能、エルフはLv.8ごとにランク6までが覚えられる。唯一全てを覚えられるのがウィザードで、Lv.4ごとに習得し、80種類近くの魔法を使えるようになる。

「最高級昆布」

 仲間内での『フルゲオー・ドロ』の通称を呟く。略称で発動することは確認済みだが、本当に仲間内通称でも発動するかを確かめたのだ。

 デサフィアンテの声と同時に彼の体と重なるように盾を象った光が現れ、パーティメンバーを包むように光が拡散する。全員に総合防御力ACを8下げる魔法が掛かる。ACはその数値が低いほど防御力が上がるのだ。視界の隅には『フルゲオー・ドロ』を示すアイコンが加わっている。

 ゲーム内では画面右上に表示されていた各種エンチャントのアイコンは、この世界でも視界の右上に常に見えている状態だ。3つのドロ、変身、加速、エンチャントと11個のアイコンが並んでいる。それに自分のHP・MPを示すバーも狩場に出た瞬間から視界の左上に見えているし、パーティを組んでからはそれぞれのHPバーが各自の頭上に表示されている。これらの表示は戦闘不可エリアの町中では表示されておらず、フィールドやダンジョンなどの戦闘可能エリアでのみ見えるようになっているらしい。視界が煩いがこれには慣れるしかないだろう。

 と、そのとき天空のスクリーンから電子音がし、文字が流れる。

{冥き挑戦者:デサフィアンテ王子、黒騎士おめー!}

 ワールドチャットで発言した冥き挑戦者に苦笑しつつ、デサフィアンテは礼を言う。ゲーム内ではよく行なわれていたお祝いワールドチャットだ。

 だが、冥き挑戦者はただ祝うためだけに発言したわけではない。このワールドチャットによっていくつかの情報を発信し、且つ集めることができる。発信した情報は3つ。既に狩りをして動き出している者がいると知らしめること。狩りによって経験値を得、レベルアップが可能なこと。そして、デサフィアンテと冥き挑戦者がこの世界にいるということ。

 そして再びワールドチャットのスクリーンに文字が表示される。デサフィアンテを知る者たちからの祝福メッセージだ。そこには血盟員の他、君主仲間のしい姫、ショウグン、アズラク、ガビール、実樹、その血盟員であるガイル・ラベク、三色菫、ベラーターの名もあった。彼らがいること、そしてワールドチャットに反応する精神的余裕を持っていること。これが得る情報だ。

{デサフィアンテ:お祝いThx! 現実世界リアルに戻るためにも頑張りまーす}

 最後にデサフィアンテが発言し、ワールドチャットは静かになる。さすがにゲーム内のようにワールドチャットで雑談をしたり遊んだりする者はいない。まだそんな余裕を誰も持てないのだ。

「よし、俺ももうすぐ50になるし頑張るか」

「あ、俺もや。あと0.5パー切っとるし」

「ほんじゃもう一頑張りすっか。あ、冥さん、FAは全部任す。俺、周辺警戒すっからノータゲのほうが助かるし」

「了解。画面と違って360度見渡せるわけじゃないからな」

「うん、後ろ見えねーしな。あ、でもその分遠くは見えてるかも! 画面って枠がないからかな」

「え、絢、もう老眼!?」

「どーしてそーなんだよ!?」

 賑やかに狩りを再開する。それまでデサフィアンテと冥き挑戦者で分担していたファーストアタックは全て冥き挑戦者に任せ、デサフィアンテは周辺の警戒に重きを置くことにした。迅速と2人で死角のないように注意を払う。ゲーム画面と違って背後や物陰が見えないのだから、一層の警戒が必要だ。これも実際の狩場に出たから気づいたことだった。

 十数匹のモンスターを狩ったころ、迅速とディスキプロスがほぼ同時にLv.50を達成した。もちろん、お祝いワールドチャットもする。反応したのは先ほどのデサフィアンテのときと同じメンバーだけだった。

 どうやらゲーム世界よりも経験値の入りはいいらしく、どんどん経験値の数値は上がっていく。昼を過ぎるころには一番レベルの低かったイスパーダも理也や疾駆する狼に追いつき、ナイトは全員Lv.49になっていた。

「そろそろ腹も減ったし、一度帰るか。迅ちゃん50になったし、魔法覚えたいだろ。つか、水晶持ってる? 50だと『プロペトランPクィッルスQ』と『ベルスBエレメントゥムE』と『リフレクシオRスペクルムS』と『フェルムFクティスK』と『インウィクトス』だな」

 エルフは精霊魔法をLv.10ごとに覚えられ、最後のランク5精霊魔法がLv.50での習得となる。『指南の書』で精霊魔法を確認しながら、デサフィアンテは迅速に尋ねる。その間もモンスターが襲ってくるが、それは残りのメンバーが難なく処理した。

「BEとインウィしか持ってないな」

「俺、いくつか在庫あったはず。帰還したら倉庫から取ってくるぞ」

 迅速の呟きに物持ちの冥き挑戦者が答え、あっさりと問題は解決する。

「迅ちゃん、俺を助けると思って水にならね? ミラクルムあれば回復マジで助かるんだけど」

 切実な願いを込めてチャルラタンは言う。

 理也と疾駆する狼は体力型CONナイトのためにHP総量が多く、回復役ヒーラーが1人ではとても全員の回復が追いつかない。今日はデサフィアンテと冥き挑戦者がファーストアタックを入れターゲットを集中させてくれたおかげで殆ど他のメンバーがダメージを受けることはなかった。更にデサフィアンテと迅速も可能な限り回復魔法を使ってくれた。それにデサフィアンテや冥き挑戦者からすればかなり温い狩場だったこともあって、2人が受けるダメージも然程多くはなかった。

 しかし、Lv.50未満の時点でもナイト2人のHPは多い。レベルが上がれば更に増えるうえ、彼らがファーストアタック担当になる。これから上位狩場に移っていくことになれば、とてもチャルラタン1人では対応しきれない。

 しかし属性変更するとなれば、魔法は覚えなおさなくてはならない。そうすると新たに水属性魔法の水晶も必要になる。特に『ナトゥラ・ミラクルム』の水晶はレアアイテムだ。すぐに手に入るとも限らない。

「一旦帰還しよう。市場が機能してるのかも確認したいし、冥さんが在庫なけりゃ全茶で買い告知してみなきゃいけないし」

 デサフィアンテがそう言い、血盟居館アジトへ帰還しようとしたところで、全員の前に画面がポップアップした。

【血盟員の夏生梨かおりがログイインしました】

 それは血盟員のログインを知らせるメッセージだった。そんなところまでゲーム内仕様と同じだ。一瞬、そのメッセージの意味が判らなかった。否、正確にいうならば理解したくなかった。昨夜皆で『来てなくて良かった』と安堵していたというのに。

「もう、第2陣 ……?」

 デサフィアンテは呟き、慌てて画面を開いて友人リストを確認する。これまでグレー表示だった名前がいくつか、グリーン表示に変わっている。

「アルシェも来てるぞ」

 同じように画面を開いていた迅速が呟く。昨晩、念のためにと【悠久の泉】関係者をい思いつく限り友人登録しておいたのが幸いした。

「他にEO、YG関係者はなしだな」

 新たにグリーン表示になっているのは他血盟所属 ── 椎姫やアズラクの血盟員 ── だから放っておいても大丈夫だろう。

「とりあえず探しにいこう。きっとパニックになってる」

 夏生梨の許ヘはデサフィアンテが向かう。夏生梨は血盟員だから君主が血盟員の許へ飛ぶ『サリーレ・レギオー』の魔法が使えるため、すぐに合流が可能だ。他の7人はアルシェを探しに行く。

「アルのことだから、セネノースかアヴェリオンかヴァゴンにいるんじゃね?」

「全茶は? あー、アルのことだから気づかない可能性もあるか。パニクってるならウィスも余計に混乱するよな」

 チャルラタンが呟き、自分で自分の案を却下する。

「1時間探して見つからなかったら全茶とウィスだな」

 当座の動きを確認すると、8人はパーティを解散し、2人の女性を迎えに行った。






『サリーレ・レギオー』で夏生梨の許へ飛んだデサフィアンテは5年ぶりに会うかつての恋人の姿に一瞬言葉に詰まった。

 生涯でただ1人の女。そう思うほどに愛した ── 愛する女性だった。けれど、自分は彼女を傷つけて別れてしまった。別れを告げたのは彼女。もう彼女は自分になど会いたくないだろう。けれどこの非常事態だ。今は自分が彼女を保護しなければならない。もし彼女が自分とともにいることを厭うのであれば、椎姫に託そう。彼女は椎姫や三色菫とも仲が良かったし。一瞬のうちにそう決め、デサフィアンテは彼女に相対する。

「……絢人あやと ……」

 目の前に現れたデサフィアンテを彼女は現実世界リアルの名で呼んだ。ちなみに黒騎士の変身は町に戻った瞬間に解除されている。

「ここじゃ『デサフィアンテ』だよ、『夏生梨』。ここはFCHの世界だから」

 精一杯の笑顔で語りかける。

「そう、やっぱりFCHなのね。周りの景色や服装から、そうじゃないかとは思ったんだけど ……。『絢』、お久しぶり」

 夏生梨は納得したように頷くと微笑んだ。かつてと同じように。何のわだかまりも確執もないかのように。

「うん、久しぶり。詳しい状況説明は皆と合流してからするよ。他にも来てるから何回も同じ説明するの、面倒だし」

 デサフィアンテはそう言うと、夏生梨を促して歩き出した。夏生梨がいたのはセネノースのクロイツ広場だから、血盟居館アジトまでは徒歩圏内だ。

「他にもいるのね」

「ああ。今いるのは俺を含めて8人。誰がいるかはあとのお楽しみ。懐かしい顔ぶれぱっかりだよ。先に一言で説明しておくと、これ、精神だけ異世界トリップね」

「なるほど。夢にしてはリアリティがあるなとは思ってたの。異世界トリップとはね。本当にあるのね、こんなこと」

 現実世界リアルではオタクで創作活動もしていた夏生梨にはその一言の説明で充分だった。

「アルも来たばっかりだからさ。一緒に説明するよ、アジトで。すげー広いぜ」

 2人は並んで歩いた。現実世界リアルではもう二度とともに過ごすことはないと思っていた相手と。

 無事夏生梨と合流できたことでホッとしたデサフィアンテは他の召喚者のことに思い至った。夏生梨は落ち着いているように見えるが、他はそうではない者のほうが多いだろう。自分たちだってそうだったのだ。昨日のようにイル・ダーナが出現する気配もない。それにイル・ダーナは昨日言っていたではないか。『そなたたちが導け』と。

「全茶するから、ちょっと待ってて」

 夏生梨に一言断りを入れて、デサフィアンテはチャットの文字入力画面を開く。

{デサフィアンテ:突然この世界に来て驚いている人も多いと思う。まずは左腕の腕輪に触れて画面を呼び出してみて。アイテム欄に『指南の書』ってのがある。これにこの世界のことやシステムが説明されてる}

 もっと説明したいことはあるが、ワールドチャットには文字数制限がある。一度に伝えられるのはこの程度だ。

 どれだけの第2陣召喚者がいるか判らない。恐らく第1陣で召喚された君主のいる血盟であれば、その君主たちが自分たちと同じように自血盟員のために動いているだろう。しかし、そうではないプレイヤーもきっと多い。君主だって召喚されているだろう。

 そう思い、新たな文章を入力しようとしたところで別のメッセージがスクリーンに表示された。

{アズラク:君主はアジトの鍵がアイテム欄に入ってるから、アジトで自分の血盟員を集めるといい。クラン員リストや友人リストも有効だから、それで確認してみろ}

 発言したのは君主仲間のアズラクだ。やはり彼は頼りになる。そう思うと心強かった。

{椎姫:まずはデサフィアンテが言ったように『指南の書』をよく読んで。そうすればここで生きていく方法も判るから}

{ショウグン:とにかくまずは落ち着け。んで、これは現実だって受け入れろ。そして仲間と合流しろ。1人じゃない。仲間はいる}

 椎姫、ショウグンと続き、ワールドチャットは止まる。4人の君主の言葉はいつまでも天空のスクリーンに残っている。新たなメッセージが流れるまで、その言葉は残る。

 何の打ち合わせもしていないのに自然と連携が取れた君主仲間にデサフィアンテは安心感を得た。

「アズさん、椎さん、ショウさんも来てるのね」

 天空のスクリーンを見上げていた夏生梨が呟く。そして『だったら絢も心強いはね』と微笑んだ。彼女もデサフィアンテと彼らの信頼関係はよく知っている。血盟員とは違った信頼関係が君主たちにはある。これは他のクラスでは見られない横の絆だ。

「だな。まだ会ってはいないんだけどね。さて、今度はクラ茶すっから、頭に直接声が響くぞ。気にすんなってのは無理だろうけど。やり方は後から説明するよ」

 デサフィアンテは夏生梨にそう言ってから血盟チャットで夏生梨と合流し血盟居館アジトに向かっていることを報告する。

〔アルはまだ見つからない。ヴァゴンにはいないっぽい〕

〔俺も探しに行くよ〕

〔いや、アジトに姐御1人にしとけないだろ。アルは俺らで探すから、お前は姐御と色々話しておけ〕

 言外に蟠りや確執があれば解消して少なくとも仲間として過ごせるようにしておけと言われているのだ。別れた恋人同士なのだから、彼らも気を回してしまうのだろう。

〔判った。じゃあ、俺と夏生梨はアジトにいるから。アルがクラン未所属だったら、見つけ次第つれて来い。クラン入ってたら〕

〔あ、キャラクター検索してみたけど、アル無所属だったぞ〕

 キャラクター検索はゲーム内ではチャットの文字入力欄にコマンドとキャラクター名を入力することでログイン状態であれば所属血盟と称号が判る機能だ。その機能まであるのかと若干呆れつつ、デサフィアンテはそれに納得し、血盟チャットを終える。

「今のがクラ茶ね。頭の中に声が直接響くってのは変な感じ。慣れるまでは違和感あるわね」

 一言も発しなかった ── まだ使い方を知らないのだから当然だが ── 夏生梨は軽く蟀谷を押さえながら言う。慣れない間は若干頭痛を感じることもあるのだ。それに気づいたからデサフィアンテたち8人はできるだけ血盟チャットで会話し、今は何とか慣れることができていた。

「だな。まぁ、追々慣れるよ。んで、ここが俺たちのアジト」

 話している間に血盟居館アジトに到着していた。その大きな館に夏生梨は驚いているようだ。

「中も広いし設備も色々あるから、後からアルと一緒に案内するよ。温泉の大浴場もあるぜ」

 温泉好きの夏生梨には嬉しいだろうとデサフィアンテは言う。というか日本人で温泉が好きではないという人はあまりいないだろうと思うデサフィアンテである。硫黄の匂いが苦手という人はいるだろうが。

 館に入った2人は居間ではなく3階のデサフィアンテの執務室に入る。そのほうが話しやすいし、血盟員が戻ってきても互いに気を遣わずに済む。愛煙家のデサフィアンテとしてはそろそろ煙草も吸いたいというのもある。それにこれから夏生梨と話をするとなれば精神安定のためにも煙草はほしかった。

 個室に備え付けの注文端末から缶コーヒーを取り出すデサフィアンテを見て、夏生梨は若干呆れているようだ。気持ちはよく判る。どう考えてもゲームの世界観とは合わない機能だ。しかし、その一方で如何いかにもゲームらしい機能でもある。

「煙草もあるし、缶コーヒーも ……。なんか、色々とツッコミどころ満載?」

「うん。俺たち昨日こっちに来たんだけどさ。半日でツッコミ疲れて最早何も突っ込む気にならないくらい満載だよ」

「そうなんだ」

 夏生梨は笑い、コーヒーに口をつける。そして、沈黙が落ちる。

「── 元気そうで良かった」

 沈黙を破ったのは夏生梨のほうだった。

「ありがと。夏生梨も元気そうだな」

 再び沈黙が落ちる。

「あのさ、今いるメンバー、俺たちが別れたこと知ってるんだ。理由は言ってないけどね。だから気を利かせたんだと思う。夏生梨がここでやっていけるように、ちゃんと話しておけって」

「なんか気を遣わせちゃって申し訳ないわね」

 クスリと夏生梨は笑う。別れてからもう5年だ。既にデサフィアンテ ── 絢人とのことは過去の出来事、思い出になっている。5年の間に様々なことがあったから、特に彼に対しての蟠りなどはない。目の前にいるのは『絢人』ではなく『デサフィアンテ』だと認識していることも大きいのかもしれない。

「私のほうは特になんとも。絢に会って思ったのは、知り合いがいてくれて良かったってことだもの。あとは懐かしい人に会えて嬉しいってだけよ」

「そっか。それなら良かった。俺も久しぶりに夏生梨に会えて嬉しいよ」

 まだ想いを残している相手ではあるが、それを隠してデサフィアンテは明るく言う。それからしばらくは己の近況などを話す。

「夏生梨は今、何してんの? そういえば結婚とかした?」

 近況を尋ねるように装ってデサフィアンテは訊く。5年ぶりに再会した知人との会話としては不自然ではないはずだ。やはり気になるのだ。彼女が今どうしているのか。そんな自分が情けなくて恥ずかしい。自分より6つも年上なのだから結婚していてもおかしくはない。もし人妻ならばこの想いを夏生梨に気づかれるわけにはいかない。

「今は1人よ。未亡人なの」

 寂しそうに夏生梨は笑う。未亡人であることを明かす必要はないはずだった。結婚していると言うだけでいい。或いは独身だと。もっとも独身と言えば絢人のことを引き摺っているのかと彼が気にするかもしれない。それは夏生梨自身にもよく判らない心の動きだった。かつての恋人だった彼には正直に話しておきたいと思った。もしかしたら、まだ彼への想いが残っているのかもしれない。夏生梨はそんなふうに自己分析する。

「ごめん ……」

「いいの、気にしないで。自分で言ったんだから。言えるくらい立ち直ってるのよ」

 デサフィアンテと別れてから1年が過ぎ、両親の勧める見合い相手と結婚した。既に三十路を過ぎていたから、黴臭い古い常識に囚われた両親は娘を『嫁き遅れのダメな女』と思ったのだろう。まるで厄介払いをするかのように見合いを勧めた。

 夏生梨は大学卒業後社会人になってからは実家を出て独立していたし、大企業とはいえないまでもそれなりの中堅企業で役職を得て、それなりに責任のある仕事もしていた。収入とて切り詰めた生活などせずとも、貯金をして多少実家に援助をする程度のものは得ていた。しかし、古い考えの両親にしてみれば、そんなことは全く価値のないことだった。女は家庭に入って子供を育ててこそ一人前。そんな考えの両親だった。

 結婚した相手は、両親よりも余程彼女を理解してくれた。デサフィアンテのときのような恋愛感情はなかったが、穏やかで信頼できる夫だった。それなりに社会的地位があり忙しい夫をサポートするために会社を辞めたのは自分の意思だ。専業主婦になって、穏やかで幸せな結婚生活を送った。3年に満たず夫の不慮の事故死によって結婚生活は終わったが、それでも充分に幸せな夫婦関係だったと思っている。

「絢は? あなたももう三十路でしょ」

「俺はまだだな。なんかピンと来なくて。ま、独りのほうが気楽だし」

「確かに気楽よね。私も今は気楽な生活してるわ。子供もいないし、夫の残してくれたものと貯金で1人なら働かなくても暮らせるし。おかげでオタク生活満喫よ」

 先ほどの寂しげな表情は影を潜め、夏生梨は微笑んでいる。しかし『夫』という言葉にデサフィアンテは胸が痛くなる。既に故人とはいえ、一度も会ったことのない夏生梨の『夫』に羨望を抱いてしまう。

「相変わらずオタクなんだ」

「うん。ネット三昧で相も変わらず色々書き散らしているわ」

 楽しいわよ、気楽だし、誰にも文句言われないもの。そう言う夏生梨に、それでもデサフィアンテは彼女の寂しさを感じる。気楽などと言いながら、きっと彼女は『独り』であることに寂しさを感じているのではないか。

「じゃあ、しばらくはウザいかもな。アルも合流すれば10人での共同生活だし。しかも8人は男だ」

 夏生梨の隠している寂しさには気づかぬふりでデサフィアンテは言う。ここでは独りではないのだと告げるように。

「あら、楽しそう。誰がいるのかしら」

「理也とろう、イスに迅ちゃんとチャル、冥さん、それからディスだな」

「本当に懐かしいメンバーね。エレティクスエレ2人が五月蝿そうかしら。あとは絢ね」

 クスクスと笑う夏生梨にデサフィアンテはホッとする。

「それにアルな。あいつは騒がしいわけじゃないけど、弄られまくるだろうし」

「ここでもアルは弄られ担当なの?」

「別に担当ってわけじゃないけど、あいつのことだからツッコミどころ満載の言動かましてくれるんじゃね? 本人が意識してやってるわけじゃないから余計にさ」

 決して『天然キャラ』を演じていたわけではなく、素で天然ボケをかましていたアルシェだからこそ、それが鼻につくこともなく嫌味になることもなく、皆に揶揄われ可愛がられていたのだ。デサフィアンテなど彼のほうが年下であるにも関わらず、アルシェが手のかかる妹のような気がしていたものだ。

 そんな話をしていれば、噂をすればなんとやらなのか血盟チャットでアルシェが見つかったとの報告が上がった。チャルラタンがアヴェリオンで見つけたらしい。

 報告を受け、デサフィアンテは夏生梨を促して居間へと降りていった。






 デサフィアンテが夏生梨と居間に入ると、既に全員が戻っており、その中に女性のエルフが1人混ざっていた。

「アル ……」

「姐御? 姐御ー!!」

 デサフィアンテが『アルシェか?』と問いかける間もなく、アルシェは夏生梨の姿を見ると突進して抱きついた。夏生梨に抱きついたままアルシェは号泣している。

 実は夏生梨とアルシェは現実世界リアルにおいて面識がある。夏生梨が【フィアナ・クロニクル】をやめデサフィアンテとも別れたあと、別のゲームのオフ会で知り合い、互いにかつて【フィアナ・クロニクル】をプレイしていたこと、同じアルサーデス・サーバーにいたことが判った。そこからそれぞれが『夏生梨』と『アルシェ』であることが判明したというわけだ。オンラインゲーマーの世界も狭いねなんて笑い、以降はメールやスカイプで交流していた。夏生梨は九州在住、アルシェは中部地方在住だったから直接会うことは少なかったが、それでも何度か会っている。

 そんなわけで、現実世界リアルでも見知った顔がいたことでアルシェは一気に緊張が解け、この号泣となってしまった。

「アル、泣かない泣かない。大丈夫だから。裕子ゆうこちゃん、落ち着こう」

 夏生梨は苦笑しながらアルシェを宥める。男たちは呆然として夏生梨に任せている。

「姐御、ここ、何なんですか? いきなりこんな訳の判らない場所にいて、しかもこんな恰好になってるし、どうなってるんですか?」

 泣きながらアルシェは尋ねる。そんな彼女を見ながらデサフィアンテたちは『これが普通の反応だよな』と思う。自分たちの場合は異世界に来たことでパニックになるよりも先にイル・ダーナからの説明があった。そして衝撃的な事実を告げられたせいでパニックに陥る暇もなかった。夏生梨はある意味肝の据わった女性だし、この世界に来てすぐにデサフィアンテと合流したからパニックは一瞬で済んだ。

 しかし、アルシェは違う。この世界に飛ばされてからチャルラタンに発見されるまで1時間近い時間が掛かっている。アルメコアから来たメールを見て、夏生梨と連絡を取り合ってログインした。その瞬間にこの世界に来ていたのだ。何が起こったのか判らず、見知らぬ現実離れした風景に戸惑い、殺伐とした町の雰囲気に恐れを抱き、打ち捨てられた古い小屋に隠れた。恐怖に膝を抱えて震えていたから、デサフィアンテたち君主のワールドチャットにも気づかなかった。どれくらいそうしていたか判らないが、アルシェは呼ばれた気がして顔を上げた。

「アルー! アルシェ、いないか!? 天然春色娘のアルシェー! いたら返事!!」

 ゲーム世界での自分の名前。そういえば今の自分はエルフの『アルシェ』の姿をしている。そのことにアルシェはようやく気づく。そしてつけられていた称号の『天然春色娘』。自分を確実に知っている人だと判り、アルシェは小屋から飛び出した。そしてその人物と出会った。

「アルシェです! あの ……」

「アルか! 良かった、見つかって。俺はチャルラタンだよ。判る?」

 優しく問いかけるその人物に、アルシェはコクコクと頷く。

 自分を探していたのは男性のウィザード ── チャルラタンだった。その名にアルシェは驚く。チャルラタンは【フィアナ・クロニクル】で仲間だった人だ。だとすればここは【フィアナ・クロニクル】の中なのか。自分をアルシェ ── 【フィアナ・クロニクル】のキャラクター ── と認識していながら、今更のようにアルシェはそれに気づいた。

「1人で恐かっただろ。でももう大丈夫だから。絢もいるし、冥さんも迅ちゃんもいる。姐御もさっき来た。仲間たちが皆いるから大丈夫だぞ。ここが何処で何が起こってるのかは、皆と合流してからちゃんと説明する。それでいいか?」

 不安そうな表情のアルシェにチャルラタンはできる限り優しい声で話しかける。知った名前とその穏やかで優しい言葉にアルシェはホッとして頷く。そして、チャルラタンの案内によってこの館へと連れてこられたのだ。

「ほらほら、アル、泣き止んで。私もまだ状況把握はよくできていないの。これから絢たちが教えてくれるわ。だから、まず話を聞きましょう。ね?」

 夏生梨に宥められ、アルシェは何とか涙を収めると、並んでソファに座った。その彼女の前に温かなココアが置かれる。心を落ち着かせるためには温かな甘い飲み物がいいだろうとイスパーダが気を利かせて淹れてきたのだ。

 他のメンバーは皆コーヒーを飲みながら、まずは自己紹介から始める。デサフィアンテから始まって各人が名乗る。

「アルシェです。はじめまして?」

「疑問形かよ。まぁ、気持ちは判るけど」

 アルシェらしい名乗りに早速デサフィアンテがツッコミを入れ、笑いが起こる。かつての血盟チャットと変わらぬ雰囲気にようやくアルシェの表情も柔らかくなる。

「ラストは私ね。夏生梨です。皆、お久しぶり」

 最後に夏生梨が名乗って自己紹介は終了する。

「なんや、アルさんも姐御も別嬪さんやな」

 率直な感想をディスキプロスは発する。現実世界リアルでは顔の美醜が大いに関係する職種にあるため、容姿に言及せずにはいられないらしい。

 アルシェは可愛らしい系の顔立ちで、夏生梨は中性的な綺麗系。タイプは違うがどちらも美人といっていい。それに男たちは嬉しくなる。性格は知っているし、信頼できる好ましい女性だということも判っているが、やはりともに過ごす女性が美しいのは男として単純に嬉しい。ちなみに自分たちの容姿は十人並みだと思っているが、今時のイケメンなデサフィアンテがいるし、疾駆する狼が精悍な野性味のある好い男だから、他の6人については大目に見てもらえるだろうなんて思っている。

「絢が散々惚気てたときは痘痕も笑窪と思って話半分で聞いてたんだけど、マジだった」

「おだてても何も出ないわよ」

 笑って夏生梨は男性陣の感想をスルーする。30代半ばの夏生梨はさすがに落ち着いた大人の女性の雰囲気だ。

 女性2人が完全に落ち着いたのを確認し、デサフィアンテはこの世界についての説明を始めた。

「判ってると思うけど、まずこれは夢じゃない。現実世界リアルでの時は止まってて精神だけフィアナに連れて来られてるから、ある意味夢みたいなもんではあるけどね。俺たちはイル・ダーナによってこの世界に連れて来られた。主神サマ曰く『古き良きFCHを知るプレイヤー』って選別基準でね。選ばれた戦士ってヤツだけど喜べねーわな」

 そこで一旦言葉を切る。2人が理解し落ち着いているのを確認する。ただ、これから話す内容はパニックを起こしてしまうかもしれないと思うと、次の言葉が出てこない。するとそれを察したかのように夏生梨が口を開いた。

「目的は何かしら。その目的が帰還条件でもあるんじゃない? イル・ダーナは私たちに何かの役割を与えたんでしょう?」

 古今東西、異世界から『英雄』を召喚する物語は多い。召喚された英雄は無理難題を吹っかけられてそれを解決することを要求される。そして役目が終われば後は用なしとばかりに元の世界へ戻される。それを踏まえて夏生梨は問いかける。異世界に召喚されたのだとしたら何か役目があり、それを果たすまでは帰れないのだろうと。

「さすがに姐御、話早いね」

 付き合いが長いチャルラタンが感心したように言う。夏生梨は血盟内ではブレーン的存在だった。自身で創作活動をしていること、読書好きというレベルでは済まない読書家であることもあって、神話や古典には詳しかった。血盟の中では知識も豊富で頭の回転も速い女性という認識だった。実際のところは典型的なオタク気質で、興味のあることについてはとことん調べるという狭くて深い知識の持ち主にすぎない。

 夏生梨の発言に頷いて、デサフィアンテは昨日からの出来事を話す。しかし。

「タドミールって、誰でしたっけ?」

 根本を判っていない者が1名。あまりにも彼女らしい疑問に、全員力が抜けた。

「アルらしいっちゃらしいけどさ」

「うん、さすがアルだ」

「だなー。これがアルだよなー」

 デサフィアンテ、冥き挑戦者、チャルラタンが苦笑を漏らす。ボスや上位魔法や高級装備に最後まで疎かったアルシェらしい。

 実は理也、疾駆する狼、イスパーダは引退時にまだタドミールの存在が明らかになっておらず、当然知らなかったのだが、そこは空気を読んで『ラスボス的な強大な敵か』という程度で納得していた。あとからこっそりチャルラタンに確認して『そんなに強いラスボスかよ!』と驚き、状況の厳しさを再認識したのだ。

「イベントでいただろ。ファナ城の一番奥の、更に奥のダンジョンで、地中に半分埋まってるすげぇデカいモンスいたの覚えてないか?」

「ああ! 思い出しました! プリがネタで特攻かけてENDしたアレですね!」

「余計なこと言わんでいい!」

 イベントで登場した際、デスペナルティがないことを幸いと『本日の指令。タドミールに特攻かまして華麗にENDしたSSを撮れ』なんてことを血盟チャットで指示したデサフィアンテである。ノリのいい血盟員たちはそれぞれネタ変身で特攻し華麗な死に様を撮影して血盟員の共同ブログで公開していた。

「やっぱ絢はそういうネタ好きだよな」

「竜が出りゃ別キャラでわざわざ踏まれに行ってたヤツだし」

 もっともここにいるメンバーはそんな言動には慣れっこで、むしろ嬉々として付き合う者たちばかりだから、驚きも呆れもせず納得している。

「でも、タドミールってすっごく強いんですよね? 勝てるんですか?」

 素朴な、そして最も重要な疑問をアルシェが投げかける。

「勝てなきゃ帰れないからな。幸いこの世界にいる間は現実世界リアルの時間は止まってる。この世界で100年経とうが1000年過ぎようが、あっちではログインした瞬間に戻るだけだ」

「え!? 1000年も生きられるんですか!?」

 アルシェの言葉に再び全員が脱力する。喩えだろうがと心の中でツッコミながら。

「こっちでの寿命が何年なのかとか、歳をとるのかとか、知らないけどな。でも多分、不老だろうなって気はする。ステータスに年齢ないしな」

 所詮ゲームだし。そうデサフィアンテは答える。

「だから、時間は無限にある。とりあえずイル・ダーナから時間制限はされてないし。ただ、何回も戦いに行って負けて帰ってくるってのは相当難しいと思う。何しろこっちで死んだら現実世界リアルでも死ぬ可能性があるからな」

「まぁそうでしょうね。異世界トリップの中には死んだら元の世界に戻るっていうパターンもあるけど、ここでそれをやると誰もタドミールを倒さないでENDしてこの世界からの脱出を図るでしょうし。それを防ぐためにもここでのENDイコール現実世界リアルで死亡の可能性は高いんじゃないかしら。本当かどうかはともかく、イル・ダーナもそれを否定していないわけだもの」

 蒼白になっているアルシェとは対照的に夏生梨は至極冷静に見えた。自分たちの身に起きていることを客観視することで動揺を抑えようとしているようだ。

「だから正直に言うと、俺は2人には戦ってほしくない。狩りに出ればENDの可能性がある。できれば家で俺たちを待っててほしい」

 正直なデサフィアンテの言葉だった。それは他の男たちにも共通の心情だ。この世界に来てしまった彼女たちを放置しておくことはできず血盟居館アジトに連れて来たが、それと戦うかどうかは別問題だと思っている。自分たちは男だから彼女たちを守らなければ ……そんな思いがあった。女性を軽んじるわけではないし、侮っているわけでもない。ゲーム世界をベースにした体は男女差による能力差もない。けれど男として女性を守りたいと思うのも自然なことだった。

「……1発殴ってもいいかな、アル」

「ですねー。姐御、私がCMかけるんで、プリにSADかますとかどーですか?」

 しかし、言われた女性2人は物騒なことを言う。『カルキプスCマギアM』は対象の魔法抵抗力を下げる精霊魔法、『サンクトゥスSアールデンスAD』は最上位の単体攻撃魔法だ。もっとも超高額魔法である『サンクトゥス・アールデンス』を夏生梨はまだ覚えていない。

「私たち2人にあなたたちを心配しながら家の中でビクビクして待ってろって言うの? 冗談じゃないわ。あなたたちが私たちを守りたいって思ってくれてるのは判るし、嬉しいわ。でも、守り方を間違えないで。状況を知ってそれを甘んじて受けろなんて真っ平御免よ。何もできない、足手まといでしかないなら、それを受け入れるわ。でもそうじゃない。私たちだってあなたたちと同じように戦う力を持ってる。狩場に出たあなたたちのこと心配して不安になってるくらいなら、一緒に戦って自分であなたたちを守るわ。私たちは女だけど、それ以上に仲間でしょう。同じクランの仲間で、一緒に現実世界リアルに帰るんでしょう?」

 きっぱりと夏生梨は言う。隣のアルシェも頷いている。

 一方的に絶対安全圏に隔離されて守られるのは嫌だ。仲間なのだから一緒に戦う。恐くないといえば嘘になる。けれど自分が死ぬ可能性よりも、何もできずに仲間を失うことのほうがずっと怖い。ウィザードである夏生梨と水属性のエルフであるアルシェは彼らの命を守り、死の危険から遠ざける力を持っている。だから、ともに戦う。

 強い意志を込めた2人の瞳に男たちは何も言えなくなる。危険から遠ざけたいから狩場に出るなというのは彼女たちの意思を無視した自分たちのエゴだ。彼女たちは自分たちの意を汲んだうえで、己の能力も踏まえてともに戦うと言っているのだ。ならば自分たちは彼女たちの望む形で守るだけだ。

「……判った。2人にも戦ってもらう。正直なところウィズはチャル1人だし、迅ちゃんは土エルフだし、回復役ヒーラー足りなかったから助かるんだけどさ。けど、絶対に無理はしないこと! 特に夏生梨! ウィズは前衛じゃないからな!!」

「判ってるわよ。大丈夫。大人しく回復魔法と支援魔法に徹するから。メテオとかGRNとかしたくなると思うけど」

「ダメ! それは絶対にダメ! マジで止めて、姐御」

 デサフィアンテの言葉に軽口で答えた夏生梨に理也が即座にツッコミを入れる。『メテオリテース』も『ゲローGラビナRニウィスN』も強力な範囲攻撃魔法だ。

「冗談よ。攻撃魔法は緊急離脱の囮くらいしか使わないわ。私たちの魔法はあなたたちの命を守って、私たちの心を守るためにあるんだもの。私たちの命をあなたたちが守ってくれるのと同じようにね」

 慈母のような笑みを浮かべ夏生梨は言う。隣のアルシェも頷く。それに男たちは安心した。

「姐御、落ち着いてるね」

 肝の据わった女性だと思ってはいたがここまでとは ……と冥き挑戦者は感心したように言う。その言葉に夏生梨は何処か曖昧さを感じさせる笑みを浮かべた。それにデサフィアンテは漠然とした怖さを感じる。ずっと冷静な夏生梨。彼女の言葉や表情から微かに感じるもの。肝が据わっているのは現実の生に対する未練がないからではないのか。明確な根拠はない。けれど自分だからそれを感じ取ったのではないか。そんなふうに思う。

「あなたたちを信頼してるもの。EO最強メンバーが揃ってるうえに冥さんがいる。絆なら何処にも負けない仲間がいるわ。絢は仲間が死ぬような状況でタドミールとの戦いに向かうはずがないし、万全を期すでしょう。あなたたちだって最大限の努力をして絢に応える。不安になるはずがないでしょう?」

 夏生梨は微笑を浮かべて断言する。その全幅の信頼に男たちは心が熱くなる。これほどまでに信頼されて燃えないわけがない。

「そうですよね。プリはクラン員がENDするのを一番嫌ってましたもん。デスペナのないネタEND以外は」

 ゲーム世界を思い出し、アルシェは穏やかな声で言う。

 どんなときでもデサフィアンテと冥き挑戦者がいれば大丈夫だった。血盟員がENDしないようにデサフィアンテは撤退指示だけは絶対に守るように厳命していた。従わない血盟員は叱責していた。食い切れるか撤退かの見極めも確かで、そうするために血盟員の状態把握や情報収集を欠かさなかったことをアルシェも知っている。実際に撤退指示に背いた血盟員はENDするか瀕死で帰還するかのどちらかで、デサフィアンテの撤退指示が間違っていた事例をアルシェは知らない。

「皆で現実世界リアルに戻るためにも、まずはこの世界できっちりレベルを上げてスキルを磨いて、タドミールを倒せるようにならないとな。んで、無事戻ってこの世界の記憶があったら、現実世界リアルで集まってオフ会でもやろうぜ」

 明るく言うデサフィアンテに皆が頷く。絶対に全員で生きて現実世界リアルに帰るのだ。理不尽な神の無茶苦茶な要求には腹が立つが負けて堪るか、と。

「で、夏生梨とアルのレベルやステータス確認したいから、画面開いて」

 2人に画面の開き方を説明すると、アルシェは立ち上がった画面に『すごーい』と感心している。そんなアルシェのゲーム世界と変わらぬ言動に皆がほっこりと和む。

「えっと、私がLv.51の23.5798%ですね。DEXベースで今はWIS振り中の水エルフで、えーっとACは-56でHP545、MP280です」

「私は54の67.2465ね。ベースはINT・WIS・CHA。今はINTとWISに交互に振ってるところ。ACは-57でHPは439、MPは639よ」

 レベルや基本情報を告げ、それから装備を確認する。2人ともメインの装備は身につけており、確認は簡単に済んだ。予備装備やアイテムはあとで改めて確認しておくことになるだろうが、2人とも当面の狩りには問題ないだろうということだった。夏生梨の場合は復帰するだろうと所持品の処分はしておらず、装備も身につけたままだった。アルシェに至っては明確にいつ引退したというわけではなく、徐々にINが減り結果的に引退していたという状態だ。だから2人ともレベルに応じたそれなりの資産を持っている。

「アル、NMは覚えてたっけ?」

「はい、覚えてますよー」

「NMだぞ。『ナトゥラ・ミラクルム』だぞ。パーティ全員回復する水魔法だぞ」

 しつこいくらいにデサフィアンテは確認する。もっとも、顔は笑っている。

「判ってますよー、それくらい」

「いーや、アルだからな。他の魔法と勘違いしてるってこともある」

 同じくニヤニヤと笑いながら冥き挑戦者も言う。

 何しろアルシェには前科が腐るほどある。別キャラクターでウィザードをやっていたにも関わらず使用頻度の高い魔法の略称が判っていなかったり、自分で所持しているアイテムの略称と正式名称が一致しなかったりしたのだ。

 MMOの常として、武器、防具、魔法、地名、アイテム名、モンスター名など、頻繁にチャット入力される名称は略称で表すことが多い。しかし、アルシェはプレイ歴の長さにも関わらず、それらが殆ど判らなかった。そのため血盟チャットでは度々アルシェに対する略称テストが行なわれ、皆でツッコミまくっていたものだ。血盟サイトの管理をしていた夏生梨などは『これでお勉強ね♥』と略称テストCGIまで設置したほどだった。

「よし、アル、問題です」

「うわっ、出た」

 かつての血盟チャットのように『問題です』を発動したデサフィアンテに当時の血盟員であるチャルラタン、冥き挑戦者、夏生梨は笑う。そのころを知らない他の5人も会話の流れから大体のことを察してニヤニヤと笑っている。

「地名だぞ。DVC」

「うう ……なんとかかんとかケイブ」

 やはり答えられない。それでもCがケイブだと判っただけでアルシェにしてはマシなほうだ。予想どおりの反応に皆が笑う。

「正解は竜谷の洞窟。ドラゴンバレーケイブな。お前、よく篭もってただろ」

 クランハントでもよく行っていた狩場なのにとデサフィアンテが呆れると、アルシェはぷぅっと頬を膨らませる。

「正式名称判ってなくても何処かは判りましたもん!」

 拗ねたように反論するアルシェに場の雰囲気はすっかり和み、アルシェの表情からも館に来た当初の不安の影はすっかり消えていた。

『一家に1人和ませアルシェ』といわれた効果は、この異常な異世界においてもしっかりと発揮されたのだった。