第3章 非日常の中での共同生活

 チャルラタンが厨房に入るとデサフィアンテは甲冑をガシャガシャ言わせながらジャガイモの皮を剥いていた。

「……それ、脱いだら?」

「脱いだらパンツ一丁だぞ」

 昼間の見てただろうとデサフィアンテは不機嫌そうに返す。ああそうだったなと思いつつ、チャルラタンはあることに気づいて再び口を開いた。

「部屋に着替えあるんじゃないか? クローゼットあったし。ほら、食材は準備してあったし、ある意味ここ用意周到だしさ」

 デサフィアンテが準備したらしい食材を見ながらチャルラタンは言う。ジャガイモ、ニンジン、玉葱はともかく、肉はやはり世界観的におかしい。『カレー・シチュー用豚肉』のラベルつきのパック ── まるで現実世界リアルのスーパーで売ってあるそれだ。ついでにいえばカレー粉も香辛料としてのそれではなく、現実世界リアルにある某大手食品メーカーのカレールゥだった。

 チャルラタンの視線の先にあるものと、館に来てからのあれこれを思い出し、デサフィアンテもそれも有り得るかもしれないと思う。

「そうだな、見てみるか。なかったらパンツ一丁で我慢するしかねーから、笑うなよ、チャル」

 パンツ一丁でも男しかいないのだし、然程問題はないだろう。チャルラタンに促され、デサフィアンテは3階の自室へと向かう。その途中、それぞれの部屋に先ほどはなかったネームプレートが掛けられていることに気づく。

(なんでもありだな。さすがゲームの世界。まぁ、便利っちゃ便利だからいいけど)

 そんなことを思いながら部屋に入りクローゼットを開ければ、そこには現実世界リアルの松本絢人が持っていたものと同じような洋服が収納されていた。ローチェストには下着や靴下、アンダーシャツが収められているし、クローゼットにはスニーカーや革靴、サンダルも入っている。更にベッドの上にはパジャマ、風呂場にはバスローブとタオル、シャンプー、ボディソープ、歯磨きセットに髭剃りも揃っている。アメニティは普段デサフィアンテが使っているものと同じメーカーのものだ。チャルラタンの予想どおり、用意周到というか何でもありといったところだ。

 とりあえずデサフィアンテは全ての装備を外し ── 目に見えてはいなかったが、兜も盾も装備していた ── 下着1枚になる。クローゼットから長袖のシャツとジーンズを取り出して着替える。スニーカーは面倒臭いから素足にスリッパだ。

 着替えを終えて厨房に戻りながら、デサフィアンテは右耳のピアスに触れる。そしてこれらの情報を血盟チャットで伝える。

〔各部屋に着替えあるぞ。着替えちまえ。特にナイト連中は動きにくいだろ〕

〔マジ? 助かった。ずっとこの恰好かってうんざりしてたんだよ〕

 君主であるデサフィアンテと同様、ナイトの固定グラフィックも甲冑であるため、相当に動きづらかったらしい。ちなみに【フィアナ・クロニクル】はどんな防具をつけていようがグラフィックに変化はない。君主とナイトは金属製の鎧、ウィザードは長衣、エルフとエレティクスは布の衣服に胸甲だ。そのグラフィックゆえにエルフとエレティクスの3人は動きづらさを感じていなかったらしい。

 イスパーダの安心したような声のあと、ナイト3人は3階まで駆け上がってきて自分の部屋のネームプレートを確認して部屋に飛び込んでいた。3人に比べて不便さを感じていなかったエルフとエレティクスの3人はのんびりと歩きながらやはり自室へと向かった。

「俺も着替えてくる。これ、転びそうだし」

 貫頭衣というかローブというかといった丈の長い衣装をまとっているウィザードのチャルラタンはデサフィアンテと入れ替わりに着替えに行く。チャルラタンが切っていたらしいニンジンはかなり不恰好で、どうやら彼は料理があまりできないらしい。不恰好でも味には関係ないからいいかと思いながら、デサフィアンテは夕食の支度を再開した。

 やがて戻ってきたチャルラタンや暇になった他のメンバーとともに賑やかに夕食作りを進める。サラダを作ったり、食器を準備したり、男8人でワイワイと食事の支度をする様はまるでキャンプか何かのようだった。

 但し、命がけのキャンプになることは間違いないだろうけれど。






 食事を進めながらデサフィアンテは今日これからのことを告げた。

「飯のあとはこれからのことについて話し合おう。明日でもいいかもしれないけど、決めるべきことは今日のうちに決めとこうよ」

 元々は夕食前にある程度決めるつもりでいたのだが、昔話が多くてそこまで話が進まなかった。最終目標がタドミール討伐ということは決まっているが、そこに至るまでには様々なやらなければならないことがある。それをどうするかをまずは仲間内で決めておかねばならない。

「食い終わったら、自分が使った食器洗って、それからクロイツの倉庫に行って所持金とアイテム、装備類の確認しといて。引退のときに処分して何もないかもしれないけどさ」

 デサフィアンテの言葉に皆頷き、食事を終えた者から行動に移る。デサフィアンテは後片付けを済ませ、炊飯器と鍋を洗ってからクロイツ広場に向かった。

 【フィアナ・クロニクル】ではアイテム保管のための倉庫がある。各アカウントごとにアイテム150種類まで保管できる倉庫スペースが与えられているのだ。基本的に同一アイテムは1種類としてカウントされるが、武器・防具は同一であっても別個のものとして保管される。またアカウントごとに付与されるため、同一アカウントのキャラクターであれば倉庫アイテムは共同使用が可能となっていて、サブキャラクターの育成や市場放置キャラクターの使用にも都合がいい。

 その倉庫は各町にいる『倉庫ドワーフ』に接触する(ゲーム内であればクリックする)ことで使用できる。そこに普段は使わない現金マルクや装備、アイテム、予備の回復薬POTなどを保管しておく。【フィアナ・クロニクル】ではアイテムに重量が設定されていて、所持可能重量の50%を超えるとHP・MPの自然回復ができなくなり、95%を超えると移動以外の行動ができなくなる。そのため、単騎ソロでダンジョンに篭もる前衛はペットに持てるだけの回復薬を持たせたりする。つまり【フィアナ・クロニクル】ではプレイヤーは必要最低限のものしかキャラクターには持たせず、殆どのアイテムは倉庫に預けることになるのである。ゆえにデサフィアンテは各人に倉庫の確認を指示したのだ。

 ゲームを引退する場合、装備類は未練を残さないために売却したり、オーバーエンチャントOEしたりすることが多い。武器や防具は『武具強化スクロール』というアイテムで強化していくのだが、防具であれば+4、武器であれば+6までは何のペナルティもなく失敗せず安全に強化することができる。但し、材質が骨・ブラックミスリルの場合は安全強化圏はなく、+1からも失敗の可能性がある。

 この安全強化圏を越える強化をOEといい、一定確率で失敗する。むしろ成功率のほうが低い。1OEで33%、2OEで20%、3OEで10%未満の成功率だ。一応、武器防具ともに強化限界は+15とされているが、少なくともデサフィアンテは+10以上の強化品は見たことがない。これらのOEで失敗することを『燃やす』といい、引退する場合には燃えるまでOEすることが多いのである。

 デサフィアンテの場合、装備類は引退の際もそのまま残していた。プレイ当初からコツコツと揃えてきたものには愛着があった。『古代竜鱗の鎧ADSM』はLv.52祝いにくらき挑戦者がプレゼントしてくれたものだったし、『精霊の鎖鎧ECM』はナイト時代の先輩エルフが作ってくれたもの、君主専用の盾である『信義盟友の盾』は高難易度のクエストクリアのために冥き挑戦者やドロフォノス、メドヴェージといった血盟員が協力してくれたものだ。どれも想いが詰まっていて処分などできなかった。

 それに引退とはいっても、どうせ半年もしたらまたプレイしたくなって復帰するだろうと思っていたこともあった。その予想は外れ、今日ログインするまで完全に【フィアナ・クロニクル】から離れていたが。実際のところ、現実世界リアルで様々なことがあり、ゲームどころではなかった。

(えっと ……装備は『狩人弓HB』と『精霊の槍ESP』、『ブライトマインドベルトBMB』とアクセサリーがいくつか。消耗品 ……殆どないな。マルクはそれなりか)

 引退の際の資産がそのまま残っているから、現金は約2M(200万)マルクほどある。装備は殆ど身につけていたから、倉庫にあるのはサブ武器にサブ防具くらいだ。『+9狩人弓』、『+9精霊の槍』、それからクランハント用のMP・MP自然回復量MPR増強の『ブライトマインドベルト』。

 身につけていたのは一応君主クラスの目標装備だ。『+7抗魔のヘルムHOMR』『+4腕力のアンダーシャツ』『古代竜鱗の鎧ADSM』『+6モナーククローク』『+6剛力の篭手PG』『+6反王の軍靴』『+9信義盟友の盾』『腕力の額飾りSTRアミュ』『奴隷の耳飾』『守護の指輪』『ブライトボディベルトBBB』。大体2~3OEの防具で、中でも『反王の軍靴』はサーバー内では5個もない超レア防具である(但し、軽量という以外にこれといった特殊性能はない)。

 ちなみに鎧・マント・盾・ブーツ・指輪は君主専用装備で、『君主専用』でなければもう1~2ランク高性能の防具があるのだが、それを選ばないところにデサフィアンテのプレイスタイルへの拘りがあった。

 武器は『+8極光石の短剣オリハルコン・ダガー』と『+9黒耀の刀』だから悪くはない。倉庫には他にも普段使いではないアクセサリーもある程度は揃っている。自分の装備は当面の狩りには問題ないだろう。もっともタドミールを相手にするならば君主専用に拘らず、もう2~3ランク装備のレベルを上げるべきだろう。

 消耗品は逆に殆どない。消耗品は買い手がすぐに付くから、引退前に売り払っている。残っているのは買い手の付かなかった『帰還スクロール』が約50枚と『翡翠の塔11階転移スクロール』が約30枚、『カラベラ要塞転移スクロール』が約100枚といったところだ。回復薬や使用頻度の高い『行動加速薬ヘイストポーション』は見事にひとつもない。

(POT全然ないじゃん。ウィズがチャル1人なのにPOTがこれじゃヤバいな。チャル怒りそう)

『行動加速薬』に至っては狩場では使うのが当たり前のものだから、これもなくては困る。ウィザードに魔法をかけてもらうこともできるが、それではチャルラタンの負担が大きくなるだけだ。

 8人のメンバーのうち、攻撃職が5人、準攻撃職(=デサフィアンテ)が1人、支援職が2人。支援職のうち迅速は土属性のエルフで、敵阻害と味方防御力アップが主な役割になる。つまり回復役ヒーラーはウィザードのチャルラタン1人だ。エルフの迅速も回復魔法は使えるし、デサフィアンテも『魔法補助ヘルム』があるから中回復魔法は使える。とはいえ回復役ヒーラーというには心許ない能力でしかない。

夏生梨かおりがいてくれれば ……。いや、理也まさや以上に気まずいって)

 かつての恋人は【フィアナ・クロニクル】においてはとても頼りになるウィザードだった。【悠久の泉】の前衛陣は他血盟から『レベルの割にはスキルが高い』という評価を受けていたが、その教育を施したのは夏生梨だった。また彼女のいるクランハントではENDする者はおらず、血盟員は彼女を『姐御』と呼び慕い、一目を置いていた。

 しかし、今ここにいない者を思っても仕方ない。それにできれば女性や子供にはこの世界には来てほしくない。こんな命がけの過酷な世界には。

 デサフィアンテは気を取り直し近くのNPC商店で『行動加速薬』と『体力強力回復薬クリアーポーション』をそれぞれ100個購入し倉庫に預けた。これで数日は問題ないだろう。

 倉庫のチェックを終え、デサフィアンテは試しに『血盟帰還スクロール』を使ってみることにした。アイテムは使ってみなければどんな感じになるのか判らない。本来の作用とは別に何かしらかの影響があるかもしれないのだから、使えるものは安全な町中で試しておいたほうがいいだろう。

 【フィアナ・クロニクル】には様々な瞬間移動のためのシステムがある。町中にいる『転移術者』は各町やダンジョンの入り口に移動させてくれる。他にも『転移スクロール』があり、これは特定の場所に移動する『〈地名〉転移スクロール』、ランダムテレポートする『転移スクロール』、ブックマーク登録してある任意の場所に移動する『高級転移スクロール』の3種となる。また狩場から最寄の町または安全地帯にテレポートする『帰還スクロール』と血盟居館アジト内部に移動する『血盟帰還スクロール』もある。全てのスクロールが待機時間などなく、使用後すぐに発動しテレポートできる仕様になっており、その点では移動も狩場での危機回避にも非常に便利だ。

 アイテム欄からスクロールのアイコンをタップすると、強い力で上に引っ張られる感覚がした。その直後にはデサフィアンテは血盟居館アジトの玄関ホールにいた。特に頭痛や眩暈などの異常もない。使用には問題はなさそうだ。

 居間に戻るとほぼ全員が戻っていた。戻っていないのは冥き挑戦者だけだ。恐らく所持品が多く確認に時間が掛かっているのだろう。

 冥き挑戦者を待つ間にデサフィアンテは一服することにした。倉庫に行く前に改めて一通り部屋をチェックしたのだが、そのときローテーブルの上にいつも愛飲している銘柄の煙草が1カートン、ライター・灰皿とともに用意されていたことに気づいたのだ。全く以って用意がいい。

〔ちょっと確認。この中で愛煙家~?〕

 この場にはいない冥き挑戦者にも確認するため血盟チャットで尋ねると、理也と疾駆する狼、冥き挑戦者の3人が喫煙者だった。デサフィアンテを含めて4人ということで、半分は非喫煙者となる。幸い非喫煙者の4人は嫌煙家ではなかったが、お互いのためにも喫煙可能エリアは決めておいたほうがいいだろう。

〔んじゃ、煙草OKなのは、それぞれの部屋と俺の執務室と屋上ね。会議室、居間、広間、食堂は禁煙ってことでよろしく~〕

 1階にある使用目的不明の小部屋も設備を整えたら喫煙室にすることを決めると、愛煙家・非喫煙者双方異論なく了承する。

「ってことで、俺、部屋で一服してくる。あ、さすがに話し合いながら酒ってわけにもいかないから、チャル、悪いけどコーヒーの準備しておいてもらっていいか?」

「了解」

 キッチンにはファミリーレストランのドリンクバーにあるような大容量のバリスタマシーンも設置されていたし、同じものが会議室にも置かれていた。至れり尽くせりというか何というか、デサフィアンテたちは笑うしかない。

 自分たちも一服するという理也と疾駆する狼とともにデサフィアンテは執務室へ向かう。執務室に入ると先ほどまではなかったものが部屋に鎮座していた。公共スペースの喫煙所にある空気清浄機つきの灰皿テーブルである。もしやと思い、1階にいる迅速に小部屋を見てもらうと、そこにも同じものが設置されているらしい。

「マジここ、何でもありだな」

 苦笑する疾駆する狼に、デサフィアンテも理也も頷くしかなかった。

 3人は喫煙テーブルについて一服。デサフィアンテはいつの間にか執務机の上に置かれていたファイルを手に取る。それには『血盟運営記録』とタイトルラベルが貼られており、デサフィアンテはパラパラと中身を捲った。

『新フィアナ暦1年10月17日

 ワールドオープン

 討伐隊第1陣として召喚

  盟主:デサフィアンテ

  血盟員:チャルラタン 夏生梨(未召喚)

 午後1時8分 迅速(エルフ)加入

 午後2時47分 冥き挑戦者(エレティクス)加入

 午後2時47分 イスパーダ(ナイト)加入

 午後2時48分 ディスキプロス(エレティクス)加入

 午後2時48分 疾駆する狼(ナイト)加入

 午後2時49分 理也(ナイト)加入』

「すげぇ ……自動入力かよ」

 もうツッコミ疲れた。そんなことを思ってしまうデサフィアンテである。

 運営記録の他、机の上には『血盟員名簿』もあった。腕輪から呼び出す血盟員リストは所属メンバーの名前と接続状態が判るだけだが、この名簿は更に細かく状況が記載されている。顔写真、名前、クラス、血盟員ランク、各種ステータス、レベルの項目がある。もっとも現時点で全ての項目が埋まっているのはデサフィアンテだけで、他のメンバーはレベルと各種ステータス欄は空白だ。この世界にいない夏生梨については写真もなく、名前とクラスが薄いグレーの文字で記されている。恐らく細かいデータが記載されていないのは全員がまだ情報開示をしていないためだろう。試しにデサフィアンテが理也に『お前、Lv.49?』と確認を取りYESの返答を得ると、理也のレベル欄が更新された。これが今後自動的に更新されていくのであれば戦力把握も容易になるから有り難い。それからランクは『血盟主』のデサフィアンテ以外、全員『一般』になっている。

 【フィアナ・クロニクル】は血盟システムと攻城戦(戦争)をゲームの特色としている。血盟に属することで様々な恩恵を受けられるようになっており、もうひとつの特徴である攻城戦も血盟単位での戦いだ。その血盟システムのひとつに血盟員ランクがある。ランクは『血盟主』『ガーディアン』『一般』『見習い』の4つで、ランクによって権限が異なる。一番下の『見習い』は血盟チャットが使えない(見えるが発言できない)し、血盟倉庫も利用できない。当然ながら『血盟主』の権限が最も強く、このランクは創設者である君主にのみ与えられる。また通常新規加入した血盟員は『一般』ランクとなるが、君主クラスのみは初めから『ガーディアン』のランクが与えられる。

『血盟主』が持つ権限は血盟の創設・解散、血盟員の加入許可と除名、宣戦布告と終戦(勝敗決定前の停戦・降伏)、血盟居館アジトの売買、血盟員ランクの付与、血盟員への称号タイトル付与といったものがある。『ガーディアン』はこのうち血盟員加入許可の権限のみが与えられており、『血盟主』と『ガーディアン』は血盟チャットの他、血盟幹部チャットも使用できる。

 ちなみに称号を与えられていなければ『一般』でも『ガーディアン』でも、たとえ『血盟主』でも血盟倉庫を利用することができない。【悠久の泉】【硝子の青年】では加入後1週間は体験期間扱いで称号は与えられず、本人が正式加入を希望し幹部が了承した段階で付与することにしていた。本人の希望のみで与えられないのは血盟に合わないプレイヤーを入れないためだが、殆ど反対はなかった。

 また、『称号はプリのおもちゃ』が【悠久の泉】【硝子の青年】の基本スタンスで、デサフィアンテの気分によってはコロコロと変わった。デサフィアンテの『END禁止令発令中』や冥き挑戦者の『鹿肉1円@100g』、チャルラタンの『猛毒(舌)注意』など殆どがネタ称号で、理也の『君主の御盾』といったまともな称号は特別なイベントのときにしか使われず、逆にまともな称号の時期には『カッコよすぎて恥ずかしい!』と言われてさえいた。

 閑話休題。

「ランクつけられるのか。別に全員『一般』のままでもいいけど ……」

 ゲーム内と同じくダイアログボックスにコマンドを打ち込み、現在いる血盟員全員を『ガーディアン』へとランク変更する。

「『あなたのランクがガーディアンに変更されました』って、懐かしい表示だな」

 かつてのゲーム世界でもガーディアンだった理也は表示されたメッセージを読み上げ懐かしそうに言う。

〈ちょ、ボス、俺のランク、ガーディアンに変わってんけど、ええの!?〉

 一方、ずっと『一般』だったディスキプロスからは慌てたようにウィスパーが入る。『ガーディアン』は血盟主と本人しかそのランクは判らないため、ウィスパーしてきたのだろう。ディスキプロスに問題ないと返し、デサフィアンテは苦笑する。

 ゲーム内では『幹部チャット』の存在もあり、血盟運営についてはそこで相談したりもしていたが、主な使い方は一般血盟員には聞かせられないデサフィアンテの愚痴、或いはデサフィアンテを叱るといったものだった。そのために【悠久の泉】でも【硝子の青年】でも『ガーディアン』は少数だった。『ガーディアン』の条件は『デサフィアンテを叱れる者』だったし、任命には『ガーディアン』の推薦が必須だった。【悠久の泉】のころは理也、疾駆する狼、迅速、チャルラタン、夏生梨の5人のみ、【硝子の青年】に至っては迅速、チャルラタン、夏生梨の3人だけだった。なお、イスパーダが入っていないのはシステム上の理由だ。君主がLv.45クエストをクリアしなければ血盟員ランクは付与できず、イスパーダはそれ以前に引退していたというだけだ。

「別にランクとかつけなくてもいいんだろうけどね」

 ここに集っているのは信頼できる仲間だけだ。ランクをつけて差別化することに意味があるとは思えない。だから逆に全員に『ガーディアン』のランクを与えて信頼を示すこともできる。それにイル・ダーナはこれから先もプレイヤーを召喚すると言っていた。人数が増えれば血盟内を組織化する必要が出てくるかもしれない。そのときに幹部となるのはやはり今いる者たちになるだろう。

じゅん、冥さん戻ったぞ。会議室も準備OK〉

 そのときチャルラタンからウィスパーが入る。準備を整えてくれていたチャルラタンたちに礼を言い、デサフィアンテたちも会議室へ移動する。デサフィアンテの手には運営記録と名簿のファイルもある。

 会議室に入るといつの間にか準備したのか名札が置かれている。どうやら迅速たちが用意したらしく、少しばかり巫山戯ふざけた遊び要素のあるものだ。冥き挑戦者の名札には鹿、迅速の名札には牛の絵が描かれていたり、疾駆する狼の名札には『ご隠居』、ディスキプロスには『使いっぱ』と書かれていたりする。そんな遊び心に笑い、デサフィアンテは指定された席に就く。一番上座の所謂お誕生日席。その両隣は『双璧』理也とイスパーダになっている。

「じゃあ、第1回運営会議始めようか」

 それほど大袈裟なものではないかもしれないが少し気分を出してそう言うと、運営記録に勝手に議事録が作られていく。

「まずは、ここでの日常生活 ── 共同生活のルールを決めていこう。長期戦になるのは確実だからな。ある程度のことは決めておかないと、後々トラブルの種になりかねない」

 デサフィアンテの言葉に皆が頷く。ここにいるメンバーでその心配は無用かもしれないが、血盟員が増えることも有り得るし、長期化すればその分ストレスと不安も溜まる。それがトラブルを誘発することも考えられる。

「基本中の基本、掃除、洗濯、食事の支度だけど、掃除と洗濯は各自それぞれでやるってことでいいよな。あ、掃除は個人の部屋のことね」

「ちなみに各階段横の納戸に掃除機とか用具入ってたぞ」

 デサフィアンテの言葉にいつの間に確認したのか、イスパーダが付け加える。

「共用スペース ……広間、居間、階段、廊下、各階ホール、1階トイレ、浴室、倉庫、食糧庫、玄関、厨房、食堂、鍛練場は全員で分担だな。無駄に広すぎ」

 思わず溜息が漏れてしまうデサフィアンテである。生活スペースの自室が広めなのは過ごしやすくていい。共用スペースだって必要なものだし、最大21人が暮らせる館なのだから広さも妥当なものだろう。さすがにパーティルームと温泉は必要なのかと首を傾げたくはなるが。

「それから食事当番だけど ……正直に、料理ができない人、自己申告」

 デサフィアンテの問いに迅速以外全員が挙手。それぞれインスタントラーメンくらいなら作れるというレベルらしい。実際に夕食作りを手伝ったチャルラタンもかなり危なっかしい手つきだった。それに料理のできるデサフィアンテと迅速にしてもレシピ本があればというレベルで、何もなしで作れるのは精々市販のルゥを使ってのカレー、シチュー、ハヤシライス、市販のソースありきのパスタくらいなものだ。それでも何もできない他の6人よりはマシということで、食事はこの2人が担当することになった。ついでに厨房と食堂の掃除も2人の担当と決まり、他の共用スペースを6人でローテーションで分担することになった。

 ちなみに2人が作る食事は夕食だけで、朝と昼は各自適当に摂ることにした。生活時間をガチガチに決めないほうがいいだろうという判断だ。それぞれが既にいい大人(最年少のデサフィアンテとディスキプロスが三十路手前)なのだし、そこは自主性を重んじるということにした。幸いインスタント食品も冷凍食品も惣菜パンも豊富にあるから問題はないだろう。

「特に起床とか消灯時間とか門限とかもなしね。まぁ、実際に狩りに行くようになれば、大体の生活時間とかは決まってくるとは思うけど。あ、外泊のときは誰かに要連絡ってことで」

 そう言ってデサフィアンテは共同生活の基本ルールを決めていく。必要になればその都度追加することにして、現時点ではこの程度でいいだろう。

 更に生活用品や食料品の入手方法についても説明する。これは『指南の書』には載っていなかったが、執務室に置いてあった『血盟居館使用マニュアル』に記載されていたのだ。

 生活用品については居間と倉庫に、食料品については厨房と食糧庫にそれぞれ専用の注文端末が備え付けられており、そこから発注する。発注完了と同時にその場にそれらの品物が出現する。代金はどれも無料だ。本来のゲームシステムと関わりのないものについては全て無料となるらしい。回復薬やスクロール、装備などのゲーム内アイテムについては本来のゲームと同じくNPCやプレイヤー間でマルクを使用しての売買となる。

 また、各個人の部屋にも注文端末があり、日用品や衣類、嗜好品などが注文できる。やはりこれらも無料だ。

「イル・ダーナも罪悪感あるよって、こないに至れり尽くせりなんやろか」

 光熱費も水道代も食費も生活費は一切なし。超高級マンション並みの設備の住居も与えられて家賃もなし。凄い待遇だとディスキプロスは苦笑する。

「強制的に命かけさせてるんだし、それくらい当然だろ」

 疾駆する狼がそう応じれば、皆それもそうだと納得する。

 ここにいる全員がこの強制召喚については『起こってしまったことは仕方ない。いくら嘆いてもどうしようもないんだから、前に進むしかない』と割り切っている。自分1人であればそう簡単に前向きになれなかっただろうが、仲間がいる。元々【悠久の泉】はポジティブシンキングが信条の血盟だ。自分たちの力の及ばない、責任のないところで起こった事象についてはそれをありのままに受け止め、前に進むようにしていた。もちろん、それはゲームだからこその思考ともいえたが、そんな仲間たちが揃っていれば悲観する前に自然と全員が前向きになっていた。それにある意味全員が現実主義者だった。嘆いたり憤ったり絶望したりしても現実世界リアルには帰れない。そんな暇があったら前に進む。帰還条件は示されているのだから、それを達成するために動く。その意思を仲間がいる安心感が後押ししていた。

「じゃあ、次は俺たちにとっての非日常、この世界にとっての日常 ── 戦闘関係だな。まずは全員のレベル把握しねーと」

 デサフィアンテはそう言ってステータス画面を開き、レベルと経験値、HP、MP、総合防御力AC、ステータスタイプを言うように告げる。これらは戦ううえで共有しておいたほうがよい情報だ。

「まずは冥さん」

「Lv.68の89.3110%。ベースはSTR・DEXでWIS・STR振り。AC-73、HPは745でMPは297だ」

「さすが固いね。次、ディス」

「レベルは49の97.7318%で、STR・DEXや。ACは-47、HP596のMP172」

「お、もうすぐ50か。頑張れ」

 【フィアナ・クロニクル】においていくつかの節目となるレベルがある。ひとつ目は高レベル者の仲間入りとなるLv.50。それから格段に高性能な変身が使えるようになるLv.52、Lv.55、Lv.60、Lv.65、Lv.70、Lv.80だ。だからまずプレイヤーたちはLv.50を目指す。そのLv.50を目前にしたディスキプロスにデサフィアンテは応援の言葉を掛ける。

「次、ろう

「レベルは48の91.1724%。CONナイトでAC-50、HP1155、MP54だ」

「迅ちゃん」

「49の98.7221%。DEXエルフでAC-48。HP597、MP250だな」

「迅ちゃんももうすぐだな、ファイト。んじゃ、イス」

「44の83.3210。俺だけ45未満かよー。あ、STRでACは-37、HP773、MP50」

「引退早かったんだから仕方ないだろ。次、理也」

「Lv.49の77.4532%。狼と同じくCONナイトで、AC-48、HP1179、MP55」

「チャル」

「Lv.53の3.3351%。INT・WISプラスCONで今はINT振り。ACは-53でHPは588、MPは630だ」

「で、俺が54の99.5835%。ステはSTR極振りでAC-58、HP733、MPは202っと」

 全員が言い終えたところで、デサフィアンテは自分に視線が集中していることに気づいた。

「何?」

「何?って ……お前、なんで55にしないで引退してんだよ。あと1時間も狩れば55になってただろ」

 呆れたように突っ込む冥き挑戦者に、デサフィアンテは確かにそうだよなと笑う。

「まぁ、引退の日時決めてたからね。その時間を越える気もなかったし。それにどうせ復帰するだろうって思ってたから、だったら復帰直後に黒騎士になったほうがモチベーションも上がるかなーと思って」

 Lv.55からは変身が色で表現されており、Lv.55は黒、Lv.60は銀、Lv.65は金、Lv.70は虹となっている。それぞれに前衛用の騎士、魔術師用のマジスター、弓用のスカウトの3パターンの変身がある。

「さて、問題はレベルアップできるかどうかだな。できなきゃ冥さん以外、タドミールと戦えねぇ。即死するわ」

「いや、俺でも死ぬな。レベルアップできんとヤバい」

 デサフィアンテの言葉に冥き挑戦者も同意する。レベル的にも経験的にも8人の中で一番ボス級モンスターに精通しているのは冥き挑戦者だ。

「多分、レベル上げは可能だと思う。じゃなきゃ、生活費全て負担してまで生活させるはずないだろ。すぐに戦わせて負ければハイ次~ってやってると思うぜ」

 迅速の発言にそれも一理あるなと納得する。生活させるということはこの世界でプレイヤーたちを鍛えてタドミールと戦えるように成長させる時間を作ったのだと考えられる。だとすれば当然レベルアップもできるはずだ。

 それに引退者が集まっているのだ。ゲームに比べて全体的にレベルは低い。恐らく中心帯は50前後だろうと思われる。であれば、到底そのままではタドミールと戦えるはずがない。

「明日から実際に狩りをすることにして、そこら辺も確認しよう」

 いくら予測をしてもそれは想像でしかないから、実際に狩りをして確かめるしかない。

「じゃあ、次に装備だけど、ACの感じからして、皆一通りは揃ってる感じ?」

 その問いかけに全員が頷く。全員基本的な武器と防具(兜、鎧、アンダーウェア、グローブ、ブーツ、マント、盾)は持っていた。但し、デサフィアンテとチャルラタン、冥き挑戦者を除いた5人は中級装備に過ぎず、辛うじて疾駆する狼がOE1周している他はフル強化(安全強化圏上限まで強化した状態)にもなっていない。

「一応一通り揃ってるけど、この貧弱装備じゃTOJ低層がいいとこって感じだな。アクセサリーも初心者支援用しかないし」

 5人を代表して理也が言う。

 【フィアナ・クロニクル】の防具には基本的な前述のものの他、アクセサリーがある。イヤリングひとつ、アミュレットひとつ、ベルトひとつ、指輪がふたつ装備でき、それらの効果は様々なステータスパラメーターの補正だ。HP・MP総量を増やすもの、HP自然回復量HPRMP自然回復量MPRを増やすもの、攻撃力や魔法抵抗力MRを高めるものなどがある。また、特定の阻害要因(毒や麻痺、沈黙や睡眠など)を防ぐもの、属性(光・闇・地・水・風・火)抵抗力を高めるものもあり、大抵の中堅以上のプレイヤーは幾種類ものアクセサリーを所持し、狩場によって使い分ける。実際にデサフィアンテも単騎ソロの際には『腕力の額飾り(STR+1)』と『ブライトボディベルト(HP・HPR増量)』を装備しているが、クランハントでは『精神の額飾り(WIS+1)』と『ブライトマインドベルト(MP・MPR増量)』に付け替え、魔法支援を行なう。

 つまり大抵のプレイヤーは各種数十種類あるアクセサリーの中から、狩場とパーティ構成によって様々に組み合わせを変えるのだ。

 当然ながら、狩場によって変えるのは武器も同じだ。特に君主ともなると、近接・中距離・遠距離の3種は武器を揃えている。デサフィアンテの場合、単騎ソロなら『極光石の短剣』、クランハントなら『精霊の槍』、遠距離攻撃のモンスターが多ければ『狩人弓』と使い分ける。ウィザードのチャルラタンであれば、MPR増強の『水晶の杖』、INT値+1の『妖術師の杖』、魔法威力SP+2の『黒魔術師の杖』と使い分けることもある。このようにメイン武器の他に数種類のサブ武器を持つことも一般的なのだ。

 もっとも、これはその分資金が必要になるため、簡単なことではない。飽くまでもメイン武器・メイン装備を中心に強化していき、サブ装備は後回しになる。レベルが低いうちはサブ装備を持つ余裕がないのもまた普通のことだった。

 そういったことを含めての理也の言葉に他の4人も頷く。自分たちの武器防具は精々Lv.45くらいのプレイヤーたちがメインにするような装備でしかない。そんな装備ではタドミールはもとより、そこへ辿り着くまでの雑魚モンスターですら覚束ないものだ。基本的に装備は全部入れ替える必要があると考えねばならない。そのためには資金が必要だ。

「だよなぁ。俺のだってもっと強化しないと絶対にヤバい。じゃあ、とりあえずの方針として、レベルを上げてスキルを磨きつつ、装備を整える。目標としてはレベルは虹以上、ACは-70ってとこかな。それまではタドミールには行かない。っつーか行けない。確実に死ぬ」

「それ、何年掛かるんだよ。他のクランとの連携は?」

現実世界リアルENDの可能性もあるからな。用心を重ねて万全を期したほうがいい。幸いここで何年過ごそうが、現実世界リアルでの時間は止まってんだし」

「それにタドミールまだ目覚めてへんやろ? イル・ダーナは『目覚めようとしている』って言うとったし」

 それぞれが意見を出し合う。

「この世界にどれだけのプレイヤーが召喚されてるのかも判らない。レベル分布やクラス分布も不明だ。おまけにタドミールの強さだって判らない。圧倒的に情報が不足してる。だったらやっぱり、レベルを上げられるだけ上げて、考え得る最高の装備を整えてからでないと、俺は皆に戦おうなんて言えない」

 デサフィアンテは言う。自分がこの血盟の盟主だ。彼らは仲間であり臣下ではない。けれど恐らく号令を出すのは自分の役目だろう。ならば最大限の努力をして、最小限の危険性に留めなくてはならない。自分にはその責任がある。

「とりあえず、しいやショウ、アズもこっちに来てるから、連絡は取るよ。まぁ、あいつらもクラン員と似たような話してるだろうから、2~3日して少しは落ち着いたかなってころ見計らってさ」

 まずは自分たちの色々な現状を把握してからだ。己を知らずして今後の方針など立てられようはずもない。君主仲間と連携するならばなおのこと情報は必要だ。

「そうだな。明日は近場に狩りに行ってみないか? ゲームと違って自分の意思で体を動かさないといけないわけだし、ちゃんと戦えるのか確認しておかないと。リアル体力や運動神経だったら洒落にならん。特に俺」

 実年齢40代後半の冥き挑戦者は言う。彼はレベルも高いが年齢も一番上だ。ゲームキャラクターならば一番頼りになるはずの彼が、体力や運動能力が中年のものだったら戦力外になってしまうことも充分に考えられる。

 ここまでゲームキャラクターの能力であることを前提に話を進めてきたが、現実世界リアルの能力値であればその大前提が狂ってしまう。確認は必要だ。

 もっとも、恐らく現実世界リアルそのままではないだろうという予測もしている。何しろ現実世界リアルの冥き挑戦者はメタボ一歩手前な体型をしているが、ここでの彼は所謂細マッチョだ。集まっている8人全員身長の高さこそ違えど体型は細マッチョだけで、どうやらこれもゲーム内グラフィックが基本になっているようだ。この体は現実世界リアルの自分のものではなく、ゲームキャラクターのもの。だとすればその能力もゲームキャラクターのそれではないか、そう予測ができる。

 ただ、仮に身体能力がゲーム内のものでも、実際には戦ったことなどない彼らだ。学生時代には少々ヤンチャだったデサフィアンテとイスパーダはケンカくらいはしたが、『戦闘』などしたことはない。それぞれが中学・高校時代に剣道や柔道の授業を受けたことはあるが、飽くまでも授業の範囲で、しかも12年から30年近く昔のことだ。経験があるといえるほどのものでもない。ちゃんと武器を持って戦えるのかと不安になる。

「じゃあ、明日はパド浜あたりで狩りしてみるか?」

 パド浜はアルモリカ周辺の海岸地帯の通称で、パドハという上半身が女性、下半身が蛇のモンスターが出現する。Lv.13~20前後のプレイヤーが主な利用者の初歩的な狩場だ。

「さすがにパド浜は温すぎね?」

「んー、迅ちゃんいるから、パドハ大喜びで湧くだろうし、面倒臭そう」

 パドハは毒攻撃によってじわじわとHPを削ってくるところが面倒臭いモンスターだ。しかも何故か迅速がいると湧く。

「ああ、迅の愛人だったな」

 かつて狙われまくっていた迅速のことを持ち出し、皆笑い合う。【フィアナ・クロニクル】のモンスターはAI制御によって基本的には先頭を歩くキャラクターを狙う。一部の悪魔系は君主を、アンデッド系はウィザードを狙う傾向もあるが、基本はモンスターから一番近い先頭か最後尾を狙うのだ。

 しかし、何故かパドハは近くに他のキャラクターがいようともまっすぐに迅速を狙った。他にエルフがいても狙われるのは迅速だった。何故迅速が狙われるのかの法則が全く判らないため、『パドハ、迅ちゃんに惚れたんじゃね?』ということに落ち着いた。それ以降、血盟内ではパドハは迅速の愛人(もしくはストーカー扱い)だった。ちなみに数ヶ月ぶりにINした迅速がお約束のようにパドハに追いかけられ『お前との関係は終わったんだぁぁぁぁ!!』と叫んだとき、パーティメンバーはしばらく呼吸困難になるほど大笑いした。

「とりあえず竜谷DV浜でいいんじゃない? レベル的にもさ。能力値とかはゲーム内のものの可能性高いし。ステータス画面に各数値キッチリ載ってるわけだしさ。それが確定すれば竜谷DV竜谷ケイブDVCにも移動できる。絢と冥さんと俺はともかく、他の5人はできるだけマルク稼いで装備補強しなきゃいけないんだし」

 チャルラタンがそう提案する。竜谷や竜谷の洞窟ならばレアアイテムも期待できるし、資金稼ぎにもなる。ならばまずは竜谷浜から始めるのもいいだろう。ということで、明朝10時から現状把握のためのクランハントを行なうことが決まった。

「んじゃ、そういうことで解散」

 デサフィアンテが締め括り、各自が部屋へ戻ろうと立ち上がる。

「初日なのにこれでオヤスミ~ってのも詰まらんな。呑むか」

 会議室を出ながら冥き挑戦者が提案する。まだ午後10時。【フィアナ・クロニクル】をやっていたころなら、これからクランハントに出かけようという、まだ早い時間だ。このまま各自部屋に引っ込んでしまうのは寂しい気もする。それに1人になれば不安も抱きそうだ。そんな気持ちは全員に共通していたらしく、誰も異を唱えなかった。

 そうなれば宴会の準備だ。居間は禁煙と定めたから屋上で呑むことにした。どうやらフィアナは現実世界リアルと暦がリンクしているらしく、今は秋だ。10月中旬で若干肌寒さも感じるが、カーディガンなり上着を1枚羽織っておけば問題はなさそうだ。風が冷たくなればサンルームもある。

 デサフィアンテと迅速が適当に肴を見繕い、他の者は各種酒類とグラスを持って屋上へあがる。そしてあっという間に宴会スタートだ。

 ずっと仲間として過ごしてきたが、ゲーム内だけの付き合いでオフ会は一度も行なわなかったから、一緒に酒を酌み交わすのは初めてだ。それだけに盛り上がる。異常な事態への不安は皆に共通しており、それもあってか一層連帯感は強まる。この仲間たちとともにこれからこの地で生活していくことになるのだから。

 暗黙の了解のうちに『今のこの世界』のことについては誰も口にしない。不安を掻き立てるようで口にしたくないのだ。だから、まるで自分たちの絆を確かめるかのように、話題となるのはかつてのゲーム世界での自分たちのことだった。毎日のように行なったクランハントのこと、一緒にやった馬鹿騒ぎのこと、ともに挑んだクエストのこと、デサフィアンテが主催した他血盟を巻き込んだ各種ユーザーイベントのこと、今ここにはいない仲間たちのこと。ともに過ごした懐かしい日々。

 その中でも彼らが聞きたがったのはデサフィアンテがLv.50を達成したときのこと、Lv.52達成祝いのことだった。当時の【フィアナ・クロニクル】ではLv.50達成祝い、Lv.52達成祝いはそれぞれ『HIT式』として一種のイベント化したお祭りだった。それが血盟の主催者であり育成困難な君主ともなれば、血盟を挙げて盛大に祝ったものだ。その記念すべきレベルアップの瞬間に2回とも立ち会ったのは冥き挑戦者だけだった。

「しかし、絢があと一歩で黒騎士とはね」

 自分が引退したときにはまだ実装されたばかりだったLv.55変身。あのころはLv.50だって遠い存在だったのにと疾駆する狼は笑う。彼らがプレイしていたころの一般的なプレイヤーならば、Lv.49から50への道のりは1年以上掛かるほど遠く、諦めてしまう者も多かったのだ。

「50はプリ魔法あるからな。クラン員からの『早く早く』コールが凄かったよ。冥さんなんて達成予想日より遅れたら罰金とか言い出すし」

 当時を思い出しながらデサフィアンテは言う。元々デサフィアンテはレベル上げには熱心ではなく、Lv.49当時1日の獲得経験値は0.3%ほどだった。3日で1%上がれば良いほうで、単純に考えてLv.50になるまでに10ヵ月は必要なペースだ。しかし、そのころ既に君主仲間のショウグンとアズラクは銀騎士、椎姫と華水希は黄泉の騎士(Lv.52以上の変身)になっていて、追いつきたいという思いもあった。そこにLv.50魔法の存在も後押しした。

 だから、血盟員の承諾を得て、経験値稼ぎに集中することにした。Lv.50までの残り経験値は約80%。通常のペースならば半年以上かかる。しかし、狩場を変え、単騎ソロで篭もることによって獲得経験値は飛躍的に伸びる。己に1日3%のノルマを課し、ひたすら通称『蟻穴』と呼ばれるダンジョンに篭もった。自分を追い込むためにログアウト落ちる前には自分の称号を『残69.1375%』というように残りの%に変えて常に経験値を意識するようにした。

 通常ならば10日で使う量の回復薬POTを1日で消費するため、パートナーの夏生梨はマルクの稼げる狩場に出てはPOT資金を提供してくれた。夏生梨だけではなくメドヴェージやフェアラートといった回復役ヒーラーも『自分は使わないから』と中回復POTを100個単位で援助してくれた。

 計画スタートから約1ヵ月後をLv.50到達予定日と宣言して背水の陣を敷いたが、血盟員たちは皆応援してくれて、それがモチベーションにもなった。冥き挑戦者、ドロフォノス、シオちゃん卿ら前衛陣は『FTD楽しみだ、早く!』と急かすように応援してくれた。何しろLv.50君主魔法『フォルティス・ドロ』は追加打撃+5(25%アップ)というものであり、前衛陣がそれだけの追加打撃を自力で得ようとすれば己のレベルを5上げるか、既に2OE或いは3OEの武器を更に+2強化しなければならないほどのボーナスだったのだ。

 1ヶ月の間はクランハントにも参加せず(クランハント好きのデサフィアンテには拷問にも等しい)、蟻穴へ篭もるデサフィアンテに、冥き挑戦者はその資金力に物を言わせて蟻穴で有効なアクセサリーを貸してくれた。『炎の指輪』をふたつ装備していれば厄介なアントメイジの魔法によるダメージ硬直を無効化できるため経験値効率が上がる。ポロッと『炎リングあればなー』とデサフィアンテが漏らした翌日、冥き挑戦者は2個の『炎の指輪』を貸してくれた。当時はひとつ4.5M(45万)マルクもする高額アイテムを。そして『到達予想日から1週間遅れたらクラン員1人につき2Mの罰金な』ととんでもないことを言った。もっとも『予定より早かったら、炎リング1個プレゼントしてやる』とご褒美も示してくれた。そして、今もそのプレゼントの『炎の指輪』はデサフィアンテの倉庫に入っている。

「うわー、絢がクラハン我慢とか ……マジで自分を追い込んで頑張ったんだなぁ」

 理也は呆れたように言う。何しろ彼の知るデサフィアンテはINするや『クラハンしよーぜ!』だったし、クランハントができない日は拗ねるかしょんぼりするかのどちらかだったのだ。その彼が1ヶ月もクランハントを我慢したとは。

「まぁ、あのころのYGはクラハンって3日に1回くらいか? メンツが揃わなくてソロ多かったからな」

 デサフィアンテのほかに当時を唯一知る冥き挑戦者が言う。現実世界リアル事情やレベルの差からさすがにかつてのように毎日クランハントに出ることはできなくなっていた。また【悠久の泉】と【硝子の青年】ではデサフィアンテのスタンスも変わっていたから、それでもデサフィアンテは楽しんでプレイしていた。

「50になってからはモチベーションもアップしたし、経験値用の新規狩場が実装されてペースも上がったな。俺が50になれたのはクラン員がいたからだよ。って、ここにいるメンツで俺が50になったときにいたのって冥さんだけか。チャルは半引退だったからな」

「うん、絢が52になるちょい前に復帰したからな。実はブログ見て、50HIT知って、その場にいなかったのが悔しくなって復帰したんだ」

 デサフィアンテはプレイ当初からブログでプレイ日記をつけていた。真面目な考察などは殆どなく、毎日のお馬鹿な行動やチャットの様子が中心でネタ日記とも言われていた。見るのは血盟員や君主仲間などゲーム仲間だけだった。中には『ブログを見て!』と【硝子の青年】に加入したフェアラートのような奇特な者もいた。プレイした日にはほぼ毎日記事を投稿した。スクリーンショットSSをトリミングして記事を書く時間も考えて寝る時間から逆算しログアウトするくらい、毎日の習慣となっていた。だから、当然50HIT式を血盟員たちが行なってくれたときの記事もある。君主仲間曰く凄く血盟員が喜んでいたというその日は、記事の量もいつもより多く、SSも馬鹿騒ぎの様子を中心に多めに貼り付けていた。

 それを見て、次の区切りであるLv.52達成には間に合わせようとチャルラタンは現実世界リアルのあれこれを調整して復帰したのだと言う。初心者に毛が生えたような初期から一緒にプレイしてきた自分が、一番の節目に立ち会えなかったのがとても悔しくて寂しかったとチャルラタンは言った。そして同じ立場の理也、疾駆する狼、イスパーダ、迅速も心底同意するように頷いている。

 チャルラタンの復帰の理由がまさか自分だったとは思いもしなかったデサフィアンテは驚く。ブログを見てくれていたのも嬉しいし、自分がLv.52になる瞬間を共有するために復帰してくれたというのもまた嬉しかった。

「で、俺も必死こいて50になって、それからは絢とペア三昧。一緒にTOJ行って2人で色々狩ったよな。理也、ろう、もう絢はお前らが知ってる『守ってやらなきゃいけない弱々プリ』じゃねーぞ。充分頼りになる前衛だぜ」

 かつてはデサフィアンテにターゲットが行こうものなら即座にタゲ剥がしに動いていた2人の過保護ナイトにチャルラタンは笑いながら言う。3年の経験の差は大きい。Lv.50を超えたキャラクターとそれ以下では戦闘力の差もかなり大きくなる。レベルが5違えば素の攻撃力も変わるし、装備の充実度合いも違ってくる。

「YGには冥さんはじめ強い前衛が何人もいたから、クラハンじゃ俺はもっぱら弓持って行ってドロ係だったんだけどな」

 苦笑しながらデサフィアンテは応じる。チャルラタンは付き合いも長く、装備もレベルも貧弱だったころのデサフィアンテを知っているせいか、事あるごとに『絢も強くなったなぁ』と言っていたことを思い出す。

「そのドロがデカいんだよ。お前が50になるときは皆お祭り騒ぎだったからな」

 そのお祭り騒ぎの先頭に立っていたのが、ずっと支援していた冥き挑戦者だった。必死に血盟のためにLv.50を目指していたデサフィアンテに武器やアクセサリーを貸し、ご褒美を餌にモチベーションを保たせてくれた。そしてHIT式当日には予定時間の1時間も前から準備をしていたほど喜び浮かれ、はしゃいでいたのだ。

「そっか、やっぱり、そんな話聞くと一緒に祝えなかったのが寂しいな」

「だなー。よし、55達成は俺らで祝うぞ!」

 ワイワイと話しながら酒を楽しむ。しかし、デサフィアンテの50HITという節目に立ち会えなかったメンバーは寂しさも感じている。Lv.15ごとにあるクラス別クエストの際にはいつだって同行していた。そしてクエストを手伝い、達成を祝っていた。それなのに最大の祝い事を一緒にできなかったことが悔しい。とはいえ、それも仕方のないことだ。そのころ自分たちは完全に【フィアナ・クロニクル】から離れていたのだから。

 そして、実は50HIT式のときに少しばかり寂しさと物足りなさを感じていたのはデサフィアンテも同じだった。血盟員たちが祝ってくれたのは嬉しかったし有り難かった。だが、【悠久の泉】時代からの血盟員は夏生梨とアルシェしかおらず、『ここにあいつらがいてくれたらな』と思ったのも事実だ。かつて一緒にLv.50クエストをやろうと約束した理也や迅速、チャルラタンがいないことを寂しく思った。52HIT式のときにはチャルラタンもいてくれたし、別血盟にいた暴走剣士も駆けつけてきてくれた。けれど、だからこそ逆に【悠久の泉】の仲間が他にはいないことに寂しさも感じたのだ。

 正直にそれを告げれば寂しそうだった5人は途端に嬉しそうな照れたような表情に変わる。

「ホント、お前ら仲いいな」

 冥き挑戦者は苦笑する。【硝子の青年】の中で自分はデサフィアンテに頼りにされていたという自負はある。デサフィアンテが長期海外出張で半年間休止する際には血盟を任せられたくらいの信頼は得ていた。だが、チャルラタンや迅速に見せる行動はもっと気安く、本当に信頼しあっているものに思えたのだ。INが少ない彼らが幹部と認められるほどに。やはりそれは旧血盟時代から一緒にいたというのが大きかったのだろう。同じくずっと一緒だった夏生梨やアルシェに対してもデサフィアンテは遠慮がなかった。

「でもさ ……こっちに夏生梨とアルが来てなくてホッとした」

 冥き挑戦者の思考に反応したわけではないだろうが、デサフィアンテが2人の名を挙げる。

「だな。女性には来てほしくないな。男女差別するわけじゃないけど、こんな世界にやっぱり女性は巻き込みたくない」

「うん。アルは天然だから何やらかすか心配だしな。気づかずに危険なトコとか行ったりしそうだ」

 理也と迅速が同意する。

「それに姐御は俺たち守るために無理しそうだもんな」

 チャルラタンが言えば、よく行動をともにしていた理也、疾駆する狼、迅速が頷く。この3人と夏生梨で【悠久の泉】にとって初挑戦の狩場の下見をしていたのだ。この4人が【悠久の泉】のトップレベル帯だったということもあるが、それだけ夏生梨はこの3人を信頼していたということでもある。それはこの3人にも言えることで、彼らはウィザードとしての彼女も、『君主のパートナー』としての彼女も信頼していた。その信頼は彼女の『姐御』という通称にも現れていた。デサフィアンテと友人の千珠、バルシューン以外は皆、彼女のことをそう呼んでいたのだ。明らかに年上の冥き挑戦者も同様だった。

「あれ、そういえば絢、現実世界リアルじゃ姐御とどうなってんだ? 結婚したのか?」

 ゲーム内ですら惚気るほど、当時のデサフィアンテは夏生梨にベタ惚れだった。それをネタに散々デサフィアンテを揶揄い騒いでは、夏生梨に呆れられていた。夏生梨は年上の大人の女性らしくゲーム内では節度ある態度を取っていたが、彼女の基本的なスタンスは徹底したデサフィアンテのサポートだった。

 そんな当時を思い出してイスパーダが問えば、デサフィアンテの答えは彼らにとって意外なものだった。

「ああ、とっくに別れたよ。もう5年になるかな」

 デサフィアンテは至極あっさりと言う。その声には未練も悔いもない。 ── 本当は今でも想いを残している。簡単に忘れられるような恋ではなかった。けれど、今それを見せる必要はない。

「あー、やっぱり絢捨てられたか」

「だなぁ。絢に姐御は勿体無いってずっと思ってたし」

「姐御もよく我慢してたよな」

 散々なことを言う仲間たちにデサフィアンテは笑う。これも彼らなりの気遣いだと判っている。

「ちょっと待て。どうして俺が振られたって確定してんだよ」

「そうとしか考えられへんやん」

「そうそう。姐御みたいに心の広い、デキた女性はいないって」

 こちらも笑いながら言うディスキプロスと迅速に、またデサフィアンテも笑う。

 そう、現実世界リアルの彼女も『できた女性』だった。否、そうあろうとしていた。年上だからと無理をして、我慢をして、結局そのせいで破局を迎えたといってもいい。

「あいつが今、元気にやってんならそれでいいよ」

 本当にそう願う。だから、この世界には来ないでほしい。今は異世界となった現実世界リアルにいる夏生梨 ── 風織かおりのことを想う。

「さて、そろそろ風呂入って寝るか。さすがに色々あって疲れたしな」

「そうすっか。あ、でも風呂は朝起きてからのほうがいいかも。アルコール摂取直後の風呂はマズいだろ」

「明日は寝坊すんなよ。この世界での初クラハンなんだからなー」

 空き缶や空になった皿を片付けながら言い合う。そしてやがて日付が変わろうとするころ、場は解散となった。






 新フィアナ暦1年10月17日。その日、仮想現実の物語の幕が上がった。