戦いの後

 エリン防衛戦は防衛軍の圧倒的な勝利によって幕を閉じた。

 大勝利だったとはいえ、防衛軍に全く被害が出なかったわけではない。100名に満たないとはいえ戦死者は出ていた。

「我が村を守り命を落とされたのです。どうか我が村で弔わせてください」

 村に戻った村長の申し出もあり、村はずれの墓地に彼らは埋葬されることになった。葬儀を取り仕切るのは大賢者ソルシエール。空には神竜の姿があり、彼が英霊たちを天界へと導く。全イロアス、総大将イディオフィリアを初め各将打ち揃っての埋葬の儀式は、失われた命への敬意の表れであり、何よりの手向けとなっただろう。

 死者を送る儀式の後は、生者たちの戦勝の宴だった。戻ってきた村人が心尽くしの料理を振る舞い、賑やかな夜となる。

 この戦いでは様々な戦利品を得た。それらはセネノースギルド連盟の商人たちが買い取り、全て公平に分配され、戦死者の遺族にも見舞金が送られる。それらの計算をしたのは財務副大臣として日々数字と格闘しているムスタファだった。彼は商人たちが買い渋る高額装備は大貴族(つまりクロンティリス・フェーレンシルト両家)に売りつけ、それ以外は商人たちと駆け引きし、交渉を優位に進めては商人たちを悔しがらせた。

 エリンを守りファーナティクスを退け命長らえ、更に懐も温かくなった兵や冒険者たちは明るかった。明日になればまたそれぞれの冒険に旅立つことになる。最後の夜を彼らは楽しんだ。それはイディオフィリアたち血盟主も同じだ。

「これでお互いに縁も出来たし、これからはリチェルカ協力もしやすくなるわね」

 葡萄酒の酔いに頬を赤くしながらグラーティアは言う。この戦いで血盟主同士だけではなく、血盟員間にも交流が生まれ、親密さを増している。

「そうだな。首領級もかなり出てるらしいし。協力し合ったほうがいいよな」

 ディレットも頷いている。この1ヶ月【トリスケリオン】や【プリッツ】、特級4人がエリン防衛戦に掛かりきりだったせいでリチェルカが滞っているらしい。今回の戦に加わらなかった冒険者たちが対応はしているが、元々首領級魔族の中でも上位魔族のリチェルカはソルシエールら特級が担当していることも多かったせいで、中々難航しているようだった。

「うん。皆で力を合わせて首領級封じて行こう。まぁ、『門』を閉じなきゃ鼬ごっこだけどね」

 カイアナイトの神竜の力を使うことでアストヴィダーツは半永久的に封じることが出来たが、飽くまでも『アストヴィダーツの召喚陣』を封じたに過ぎない。何処に開くか判らぬ次元の歪みから出現するものを完全に封じることは出来ないのだ。しかも首領級魔族にしてもアストヴィダーツにしてもそれは魔族の一種族名だ。現れるごとにその個体は異なっているのだから、倒したとしてもまた次の同種族別個体が出てくるだけなのだ。

「しかし……反王が『異界の門』ってのはマジなのか? ティアから聞いた時には信じられなかったんだが……」

「ソルが師匠から聞いたって言うんだから、間違いないだろうね」

 バレンティアの疑問をイディオフィリアが肯定する。

「それについては、今は止めておこう。また改めて場を設けて話そうぜ。ここじゃどんな耳があるか判らん。それに今は祝いの宴だ。辛気臭い話は相応しくねぇよ」

 それ以上の話をディレットは留める。今ここで話すべき話題ではないと。

「それもそうだよな。よーし飲むぞー!」

 気分を変え、血盟主たちは血盟員の輪に紛れた。






 翌日、イディオフィリアらはセネノースのアジトへと戻った。1ヶ月近く留守を守っていたオクタヴィアは安心したように笑い、イディオフィリアの望んだように『いつもどおり』に出迎えた。

 自室に戻ったイディオフィリアは荷を置きはしたものの旅装は解かなかった。

(アヴァロンに戻るには渡航許可証が要るんだよな。大聖堂と冒険者ギルドか)

 彼は祖父に会うためにアヴァロンに戻ろうとしていた。漠然とではあるが何かを感じていた。恐らく『時』が来たのだろうと感じた。

 反王を倒そうと決めたとき。戦の中で命を背負う覚悟をしたとき。そして数多あまたの墓標を前に命の重さを噛み締めたとき。イディオフィリアは何かを感じた。そして思ったのだ、アヴァロンに行こうと。

 まずは渡航許可証を得るためにギルドに行こうと部屋を出る。

(ああ、ヴァルたちにも一緒に行ってもらったほうがいいよな。確かパーシィさんたちは渡航許可証持ってたはずだし)

 アヴァロンに行く際には名を告げた仲間に同行してもらうと思っている。そのためには彼らも渡航許可証が必要だ。特級4人は既に持っていると聞いたことがある。ソルシエールとの関係で度々アヴァロンを訪れるからと。アヴァロンまで魔法で転移できるソルシエールも一応許可証は持っているらしい。

 ヴァルターらに同行を求めるべくヴァルターの部屋を訪れると、そこには運良くティラドールとフィネガスもいた。

「あれ、イディオ、何処か行くのか?」

 外出着のままのイディオフィリアにヴァルターが不思議そうな顔をする。ほんの四半刻ほど前にアジトに戻ったばかりなのにと。

「うん、ギルドにね。アヴァロンへの渡航許可証申請に行くんだ。それで許可が下りたら爺様に話を聞きに行く。ヴァル、ティラ、フィン、お前たちにもそのときには一緒に来てほしいんだ」

 そう告げるイディオフィリアに3人は顔を見合わせ笑う。『いいのか?』などと確認はしない。イディオフィリアが自分たちを信じ頼りにしてくれているからこその願いだと判っているから。

「おう! じゃあ俺たちも申請に行かないとな」

「ちょっと着替えてくる。あと何か必要なものあるか?」

「冒険者章だな」

 バタバタとティラドールとフィネガスが準備のために部屋を出て行く。イディオフィリアとヴァルターは苦笑してそれを見送る。

「これでイディオが何処の誰か判るんだな」

「うん。ちょっと怖い気もするんだけどね。とんでもない話が出てきそうで」

 自分は自分だ、出自なんて関係ない。そう思ってはいてもやはり怖い。

「まぁ、俺はイディオが何者か知ってるけどな」

 ニヤリとヴァルターは笑う。

「え?」

「お前は俺たちの盟主で、親友。だろ?」

 言い切るヴァルターの笑顔がとても頼もしく見えた。

「……ああ」

「それは何があっても変わんねーよ。仮令たとえお前が反王の隠し子だったとしてもな」

 最も有り得ない可能性を示して背を叩くヴァルターの存在が、イディオフィリアには涙が出そうになるほど嬉しかった。






 イディオフィリアら4人はギルドの1室にいた。

「アヴァロンへの渡航許可証か。確かに持っておいて損はないな。けど何でまた。あの島のリチェルカはないだろ?」

 書類を取り出しながら顔馴染みの職員は言う。

「俺の故郷なんだよ。里帰りしようと思って。爺様に元気な姿見せて、こんな頼もしい仲間いるんだって自慢しに行くんだ」

 書類を受け取りイディオフィリアは応じる。

「でも何でアヴァロンってこんなに入島が制限されてるんだろ。里帰りするのにも許可証いるって不便だ」

 ブツブツとイディオフィリアは文句を言う。

「仕方ないだろ。アヴァロンは一種の聖域なんだよ。光竜ジルニトラの棲家があるし、ベルトラム尊師いるし」

「それにティルナノグや大聖堂、琥珀の塔を繋いで護りの結界張ってるしな」

 ギルドの職員ではなく、魔術師のフィネガスとエルフのティラドールが答える。

「魔法での転移も出来ないしな。下手するとアヴァロンの結界に弾かれて異界に飛ばされちまうらしい。ベルトラム尊師とソルくらいだな、魔法で転移できるのは」

 記入された書類を受け取り、職員も言う。

「ホント、姐御ってすげぇんだって思うわ」

 溜息混じりに言うヴァルターに職員は苦笑する。

「ソフォスにして大賢者か。あの口の悪さで有り難味半減だけどな。さて、書類は不備なし。あとはレーラーの許可が下りればこっちで大聖堂に回しとく。審査に3日くらいかかるかな。お前らなら問題はないだろうし、許可証届いたら連絡するよ。ただ、今日はレーラーもいないから、大体5日程度見ておいてくれ」

 書類を仕舞いながら職員は言う。

「そういえば今日はなんか慌しそうだね。何かあるの?」

 いつもの賑やかさとは違うギルドの雰囲気に、イディオフィリアは尋ねる。

「ああ、臨時の認定会議が招集されるんだよ。何でも5級昇格を4血盟の盟主が推薦してきたらしい。滅多にないことだけど、推薦人も豪華だし現5級も何人か推薦に同意してるらしくてな。それで今夜、認定会議が開かれるんだ。だから、オクタヴィアとミストフォロスとアルノルトも呼び出されてるはずだぞ」

 通常5級昇格の認定会議は半年に一度開かれる。本来であれば次は2ヵ月後に行われる。しかし、それなりの推薦人がいる場合にはこうして臨時で開かれることもあるのだ。

 認定会議は各冒険者ギルドのレーラーと副レーラー、ミレシア大聖堂及び各地の聖堂の神官、琥珀の塔の代表、各種族(エルフ・エレティクス・ドワーフ)の長と大賢者ベルトラムからなる認定委員によって構成されている。但し、ベルトラムはオクタヴィアを代理人とし、エルフは長老アラウンに代わってアルノルトが、エレティクスは族長ベディヴィアの代理としてミストフォロスが出席する。この25人によって5級昇格は決定する。

「どうやら今回は承認確実でね。セアド以来3年ぶりのアフセンディア誕生だな」

「へぇ、凄いね。あ、5日程度あるんならリチェルカ受けるかな。ちょっと見てくる」

 全くの他人事と感心しリチェルカを張り出した掲示板へと走るイディオフィリアを見遣りながら、ヴァルターは職員の服を軽く引いた。

「もしかして、推薦されるの、アレ?」

 ヴァルターの親指の示す先にいるのはイディオフィリアだ。

「正解。エリン防衛戦見ての推薦だとさ。今朝、朝一番で届けられた」

 ニヤリと職員は笑う。それにヴァルター・ティラドール・フィネガスは顔を見合わせる。

「イディオにゃ内緒な。あいつの大慌てする姿見たいだろ?」

 悪戯っ子のように笑う職員に、ヴァルターら3人も同じ表情で頷いた。

 因みに推薦した4盟主はイオニアス・グラーティア・バレンティア・ディレットであり、同意した5級はセアド・バルクーク・ヴァンジェロの3人だった。

 こうしてこの夜、冒険者登録から1年未満という異例の速さでイディオフィリアはアフセンディア昇格を果たすこととなる。






 認定会議の翌朝、イディオフィリアはギルドに呼び出され、アフセンディア昇格を言い渡された。金色に輝く5級を示す冒険者章──4級は銀、3級は銅、それ以下は青銅──を呆然として受け取り、アジトに戻ればそこには既に祝宴の用意がされていた。何しろ【トリスケリオン】には認定委員がふたりもいるのだから当然情報は早い。

 そしてそこには推薦人となったグラーティア・バレンティア・ディレットの姿もあった。

「イディオ、アフセンディア昇格おめでとう! 乾杯!!」

 ヴァルターの音頭で乾杯し、いささか主役が呆然としたまま宴は始まる。血盟の女性陣総出で作ったらしい料理は豪華なものだ。どうやら昨晩から準備していたらしい。久しぶりの自宅に早々に睡魔に襲われたイディオフィリアは早い時間──ミストフォロスたちが会議から戻る前──に床に就き熟睡していたせいで全く気付かなかった。この分では今朝の時点で少なくとも幹部たちはこのことを知っていたに違いない。道理でなにやらニヤニヤしていたはずだ。

 突然の昇格と祝宴に呆然としていたイディオフィリアだが、口々に祝われれば徐々に実感も湧いてくる。自分がアフセンディアなんて大それたことのように思えるが、自分を知るグラーティアたちが推薦してくれたのだと思うと嬉しくもなる。自分をよく知るミストフォロス・アルノルト・オクタヴィアが認定委員にいたのだし、ギルドレーラーたちも自分のことをよく知ってくれている。自分が不相応だと思えば彼らは決して賛成しないから承認されなかったに違いない。彼らは自分のことを認めてくれているのだ。驕ることはしないが、他人に認められた自分の力は素直に喜ぶべきものなのだろう。これからは一層アフセンディアの名に恥じない冒険者になろうとイディオフィリアは心に誓った。

 祝宴の喧騒もひと段落したところで、イディオフィリアはグラーティア、バレンティア、ディレットの3人を自室に招いた。一応イディオフィリアは私室の他に書斎を持っている。血盟主業務をするための部屋だから執務室といえるのだが、それでは仰々しいとイディオフィリアは書斎と呼んでいた。今回イディオフィリアが3人を招いたのはその書斎のほうだった。

 先日の戦勝祝いの宴の際に出た話をするためだった。招かれた3人もその話だろうと見当をつけている。

「で、『門』についてだな」

 勧められた座に就きながらバレンティアが口を開く。

「うん。それと、俺のこれからのこと。一応3人には話しておいたほうがいいかなって」

 イディオフィリアも座に就き応じる。【プリッツ】と並ぶ大規模血盟となった【トリスケリオン】が方針変更するとなると他にも何らかの影響を与える可能性がある。だから友人となった3人の盟主には伝えておこうと思ったのだ。

「俺さ、魔物は永遠に出続けるものだって思ってたんだ。1000年前みたいにバロールがいるから魔族がいるってんなら手の打ちようがあるだろ。聖王がバロールを封じたみたいに。でも今は違う。封印が弱まってるから魔族が出てくる。だから何百年か経ってバロールが復活して、それを封印するまで、ずっとこのまま魔族は出てくるんだって思ってた。だけどそうじゃなかった。20年前反王がバロールと契約したから魔族はフィアナに現れる。反王自身が異界とフィアナを繋ぐ門になっていて、門があるから瘴気が漏れ出して次元の歪みが出来るんだ」

 イディオフィリアはソルシエールらから受けた説明を思い出す。

「でもさ、反王っていう『門』があるから魔族が現れるんなら、その門を無くせば魔族は出なくなるってことだろ? 反王を倒せば20年以上前の、魔族のいないフィアナに戻るんだ。だから、俺は反王を倒したいって思う」

 はっきりとイディオフィリアはそれを口にした。

「反王打倒か。理由は違えど目指すところは同じってわけだな」

 バレンティアが言う。彼の目的は『簒奪者』オグミオスを倒すことだ。同じオグミオス打倒とはいえイディオフィリアとは理由が違う。バレンティアはオグミオスを倒し、フィアナに正統な王権を取り戻したいと願い、活動しているのだ。

「そうだね。バレンやイオニアス卿とは倒す理由が違う。だから、そのための道筋も違ってると思うんだ。俺の目的のためなら、反王を倒す手段は何でもいい。暗殺でもなんでもね。でも、バレンやイオニアス卿はそれじゃダメだろ? 正統な王位継承者を押し戴いての正面決戦が理想」

 目標が同じでも望む経過が違えば協力は難しい。

「正直、俺は国とか王とか世界とか、話が大きすぎて判らない。反王を倒したいけど、仮にも『王』を殺してその後どうしたらいいのか判らない。俺は王族でも貴族でもない、ただの1冒険者だから、後は王族の皆さんにお任せしますって言いたいけど、もし、俺や俺の仲間が反王を倒したら、そう言っちゃうのも無責任な気がするし、正直どうするのがいいか判らないんだよね」

 反王を倒したいと思う。そのために魔族を倒し、その勢力を削ぎ、バロールの結界を弱める。一旦はそう定めたが果たしてそれが正しいことなのか判らない。

「バレンと一緒にやりゃいいんじゃないか? バレンだって無闇に戦を起こすわけじゃない。王子と共に名乗りを上げて王宮に攻め込む。それだけだろ?」

 考えすぎているらしいイディオフィリアにディレットが言う。難しく考えすぎるな、と。

「お前、フィアナ全土を巻き込むような戦を想定してるみたいだけど、イオニアス卿も俺もそんなことは考えてないぞ。出来るだけ民は巻き込みたくないし、国土を荒らしたくもない。戦は最低限に留めたい。王宮に攻め込むだけにしたいって考えてる。相手は反王とその近臣、それにファーナティクス。その程度にしたいってな」

 王国を取り戻す戦いは王家の内紛といっても過言ではない。だから戦いは最小限に留めたい。無辜の民の命を犠牲にするようなことになれば、それは先王ディルムドの遺志に反することになる。彼は民を死なせぬために自らの命をオグミオスに差し出したのだから。だからこそ、ムスタファは王宮にあって官吏の掌握に努め、バルタザールは王国軍に残っているのだ。戦いを最小限に留め、且つ王国軍と反王を分離するために。

「そうなんだ。勘違いしてた、ごめん。でもそれならお互いに協力は出来るね。王宮と王の居室にはバロールが結界張ってるから、攻め込むにしてもそれを何とかしないといけないし」

 犠牲は最小限にというバレンティアに勝手に誤解していたイディオフィリアは詫びる。その上で告げた『バロールの結界』という情報にバレンティアが驚愕の声を上げる。

「そんなモンまであるのか!? だから反王は滅多に居室から出ないのか」

 この20年オグミオスは王宮の外には一度も出ていない。重要な儀式や朝議でなければ居室からも出てこない。その理由がこれだったのだ。

「知らなかった? 凄い結界らしいよ。ソルシエールのお師匠……ベルトラム尊師でも解除方法はまだ見つからないんだってさ。無理に解除しようと思えば出来るらしいけど、そうすると反動でミレシアが消滅するって言ってた」

 ソルシエールから聞いた話をそのまま伝える。

「それじゃ攻め込みようがないな……」

 バレンティアが重い溜息をつく。

「ベルトラム様やエルフ、エレティクスが解除方法を探してくれてる。魔族の力が弱まれば結界も弱まるかもしれないし。実際、アストヴィダーツ封印で少しだけ弱まったらしいから、ベルトラム様とソルが神竜と一緒に四魔公爵と八魔将の召喚陣封じて回ることにしたらしいよ。尤もそれを探すのから始めないといけないらしいけど」

 未発動の召喚陣を探すのは相当困難らしく、ベルトラムがかなりご立腹だったそうだ。エリン防衛の夜、ソルシエールは一度師に呼びつけられてアヴァロンに戻っている。翌朝戻ったときには疲れきっていた。何でもベルトラムは『面倒です。バロールを召喚して結界を解除させましょう』と言ったとかで、それをソルシエールとユリウスが一晩かかって止めたらしい。

「そっか……なら、俺やイオニアス卿はその日のために兵を鍛えるか。戦いはファーナティクス兵相手になる可能性が高いしな。イディオは今までどおり魔族討伐しつつ、結界を解除する方法を探すわけだな。ティア、ディレ、お前らはどうするんだ?」

 バレンティアがこれまで無言だったグラーティアと殆ど発言しなかったディレットに水を向ける。

「うちもね、以前ソルシエールさんから門のことは聞いていたから、反王を何とかしたいとは思ってたの。でも血盟員の大半はそんなこと考えてないし、私が先王の姪ってのもあって叔父の復仇をしたい私怨じゃないかって思われたりもして……だから、反オグミオスの旗は上げないことにしたわ。但し今まで以上に首領級魔族討伐に力を入れる。イディオと同じね。ごめんなさい、狡いわね。同じことをするのに旗幟を明確にしないで」

「イヤ、そのほうがいい。お前さんの血筋から考えればそれが妥当だろ。反オグミオスを明言したら即座に刺客が送り込まれるぞ」

 自分を責めるグラーティアをバレンティアが宥める。

「俺も今までどおりだな。結構色んな情報が入ってくるんだ、傭兵だと。オグミオス配下の領主に雇われるときもあるしな。反オグミオスを明らかにしちまうとその情報も入らなくなるだろ? ってことでバレン、俺との連絡手段確保しとけ。情報流してやるから」

 ニヤリとディレットは笑う。それにバレンティアも満足げに頷いた。

「トリスケリオンはどうするんだ? 反オグミオス明言するのか?」

 方針は判ったが、そこはどうするのだとディレットは問う。大凡イディオフィリアの正体を察しているディレットは明言することは危険だと思っている。

「うちは今まで初心者支援でやってきたからね。方針変更を含めて血盟員と相談しようと思ってる。実は俺、自分の出自も知らなくてさ。今度爺様にそれを確かめに行くんだ。で、それ次第かなと思ってる。状況を有利にするなら明言するし、不利になるなら隠す。多分俺貴族みたいだし、もしオグミオスの近臣の子供とかだったら、明言したら面白いことになると思わないか?」

(イヤ、お前、絶対明言すんな。即暗殺されるから)

 イディオフィリアの言葉に3人は即座に心の中で突っ込んだ。と同時にグラーティアは、間もなく従姉と名乗れる日が来ることを喜んだのだった。






 渡航許可が下りるまでの間、イディオフィリアらは積極的に魔族討伐のリチェルカを行った。1ヶ月の間滞っていた魔族討伐を進めるために【トリスケリオン】【プリッツ】は全血盟員総出に近い状態だ。ソルシエールら特級4人は特に忙しく、1日で複数の首領級魔族討伐に向かうこともあったほどだった。

 申請をして4日目。この日は5つ星リチェルカの翡翠の塔第9層首領級魔族ティル討伐だった。パルスはイディオフィリア、ヴァルター、ティラドール、フィネガス、ソルシエール、パーシヴァル、セアドの7人で組んだ。ミストフォロスは助っ人としてアルノルトや【プリッツ】と共に1階層下のベレト討伐に行っている。

 ティルは第9層の首領級魔族だ。それだけに難敵である。しかもこの階層にいる雑魚魔族はとても『雑魚』と呼べるものではない。第1階層から第4階層の首領級魔族の劣化版が出現するのだ。パートジェイエン、ラセッドジュニア、マーキスヴゴドラク、フィアピクラスというそれらの劣化版は首領級魔族の2割程度を劣化したに過ぎず、充分な上位魔族だ。

 それでもパーシヴァルやソルシエールの指示の下、さして危機的状況に陥ることもなく階層を進んでいく。そして90階に到着し、常のとおりの手順でティルを討伐する。ティル討伐は初体験のイディオフィリア、ヴァルター、ティラドール、フィネガスではあるが、ソルシエールらに鍛えられ冒険者歴の割には首領級魔族討伐経験も豊富であり、慌てることもない。深呼吸ひとつで平常心になり、戦うことが出来る。

 いつもどおりに次元の歪みを修正し封印し直したところで、いつもとは違うことが起こった。ソルシエールの肩に小竜姿で乗っていたカイアナイトが上を見上げ呟いたのだ。

〔レギーナ、どうやらこの上にバアルの召喚陣があるようじゃ。まだ完全には発動しておらぬ──否、発動に失敗したようじゃな。召喚の儀の残滓がある。今ならば封印可能じゃぞ〕

 その言葉に7人は顔を見合わせる。バアルは四魔公爵だ。その召喚陣が失敗したとはいえ発動しかけているのであれば放置しておくことは出来ない。何者が召喚しようとしたのかは改めて調べることにして──恐らくファーナティクスか反王側の魔術師だろうが──今は召喚陣を封じてしまうのが先決だ。

「カイア、何階にあるか判る?」

〔気配だけゆえな、判らぬ。じゃが、最上階ではないのか? 首領級魔族は最上階に現れるのであろ?〕

「90階まではね。でもバアルは出たことがないから確定じゃないわ。それにアストヴィダーツはピクト城の地下に出るといわれてたけど、召喚陣は庭にあった。自然出現と召喚じゃ出現場所が違うのかもしれない」

 問い返すカイアナイトにソルシエールは渋い顔で答える。飽くまでも最上階に出るというのは過去の事例から判ったことであり、魔族側が『自分たちはここからしか出ません』などと言ったわけではない。

 それに第10階層の魔族は手強い。91階から順に上っていくとなれば相当な危険を伴うし時間もかかる。可能であれば召喚陣のある場所まで危険が少なく最短時間で移動できる道筋を選びたい。けれど召喚陣が何処にあるのか判っていなければ、それは不可能だ。

「ならば、まず100階に直接転移して、そこから下りていくほうが無難でしょう。一番可能性が高いのはやはり100階です。他の首領級魔族の例から見ても。それに馬鹿は高いところが好きですからね」

 100階であれば翡翠の塔100階転移呪符によって直接移動が出来る。その分危険を回避できるとパーシヴァルは提案する。

「そうね。じゃあ、一旦戻って準備しましょう。ミストフォロスとアルノルトも呼ぶわ」

 ソルシエールの指示に全員が頷く。召喚陣が発動していないとはいえ、何が起こるかは判らないから、最良且つ最強のパルスで向かわなければ危ない。

「となると9人ですね。手持ちの転移呪符は5枚ですから、あと4枚手に入れねば」

 市場に行ってきますと転移しかけたパーシヴァルを止めたのはカイアナイトだ。

〔儂の背に乗っていけばよい。ぴゅーんとひとっ飛びじゃぞい。儂はセネノース南の平原で待っとるからの〕

 フォッフォと笑って転移したカイアナイトに続いて7人もセネノースのアジトへと転移する。すぐにミストフォロスとアルノルトに連絡をし、第9階層で得たドロップを床に放り出す。呆れるオクタヴィアに事情を話して整理を頼み、再度戦うための準備を整ええる。それが済むとすぐにソルシエールの魔法でカイアナイトの許へ転移した。そこには既に準備を終えたミストフォロスとアルノルトもいた。

「イディオ、一時的にトリスケリオンに入れてくれ」

 唯一血盟員ではないアルノルトがイディオフィリアに言う。血盟員でなければイムモルターリスが使えないための措置だ。グラーティアには事情を話し、一時離脱の許可は得ている。

「了解」

 イディオフィリアは常に携帯している血盟員名簿と筆記具をアルノルトに渡す。

「私とカイアが封印している間、襲ってくる魔族の排除をお願い。ティラは常時ミラークルムかけて、フィンはイムモルターリスを切らさないようにして」

「雑魚とはいえ、大精霊と劣化版のデュラハン、エレキシュガル、ベレトだ。攻撃は俺らに任せてふたりは防御と回復を頼む。100階にありゃ大精霊だけで済むが、奴らは遠距離魔法攻撃もしてくるから──」

「私とセアドでひきつけますから──」

 ソルシエールが魔法を使うふたりに指示し、ミストフォロスが第10階層について説明をする。その後パーシヴァルが細かな戦闘の注意点と指示を与え、全員が頭にそれを叩き込む。特級4人以外は初めての第10階層だ。翡翠の塔最上階へ行くと思えば緊張が走る。豪胆なセアドでさえそれは例外ではない。

〔では行くぞ。確り捕まっておれ〕

 言うやカイアナイトは天高く翔け上がる。受ける風の強さに地上の景色を見る余裕もない。程なく翡翠の塔上空へと辿り着く。翡翠の塔100階には天井がない。初めからそうなのか崩れたのかは判らないが、この際どうでも良い。天井がないおかげで空から進入できるのだ。カイアナイトは上空をゆっくりと旋回し、召喚陣と着陸地点を探す。

「カイア、あそこに召喚陣あるわ」

 予想どおり召喚陣は100階にあった。これで危険度がかなり下がり、それに一同はホッとする。

 カイアナイトは了承の返事をすると、召喚陣の近くに体を寄せた。カイアナイトの巨大な体は小分けされた部屋の集まる塔内部には着地できない。9人は身軽に竜の背から飛び降りる。

 すぐに男たちは体勢を整え襲い来る魔族を排除する。召喚陣の周囲が安全になったところでソルシエールは人型になって隣に立つカイアナイトと共に封印の呪を紡ぎだす。小竜姿では十分な神力が使えないため、カイアナイトは人型となっているのだ。召喚陣は発動に失敗したことを示すかのように鈍く濁った光を微かに発していた。

 数分間のことだ。けれど、これまでの翡翠の塔とは比べものにならないほど過酷な戦闘だった。あまりの損害に途中からアルノルトも攻撃を止め回復要員に回ったほどだった。それでも男たちは封印のため集中して呪を唱えるソルシエールを守り戦った。当然のようにロデムたち召喚獣も戦っている。

「封印完了! 飛んで!!」

 ソルシエールの言葉と同時に全員が還符を発動させる。事前の打ち合わせどおりに。還符はその符を破ることで発動する。全員が片手に符を握って戦っており、ソルシエールの言葉と同時に戦いつつ口を使ってそれを裂いたのである。ほんのわずかでも攻撃の手を休めれば重篤な傷を負うために手を休めることは出来なかったのだ。

 因みにソルシエールは叫んだ瞬間にカイアナイトが彼女を背に乗せ、瞬時に竜へと変化して天へと翔け上がって離脱している。

「やべー。100階めちゃコワイ」

 戻ったアジトでは疲労困憊の男たちが床に伸び、感想を語り合っていた。






 翌日、ティル討伐の報告にギルドを訪れたイディオフィリアは4人分の渡航許可証を受け取った。

 彼が己の真実を知るのはもう間もなくのこととなる。