エリン防衛軍

 召喚獣による部隊の編成はフォラスとレライエによって順調進み始めた。人の部隊の訓練も大きな問題もなく進み、混成部隊とは思えぬほどの連携を可能にしていた。

 裏事情があってのイディオフィリアの総司令官就任だったとはいえ、それに反発する者がいるであろうことは当然予想されていた。特に各血盟の幹部からは反対があるものと思われてもいた。イディオフィリアは5人の盟主の中で最年少であり、且つ冒険者歴も一番浅いのだ。他の盟主や特級冒険者全員の支持があるとはいえ、それに納得できない者がいるのは当然のことと思われた。

 しかし、意外にも反発する声は少なかった。ひとつには他の盟主たちの支持が強固だったことが理由として挙げられる。彼らがイディオフィリアに就任を要請した理由は紛れもない事実だった。また、彼らはイディオフィリアの出自を大凡おおよそながら察していたし、彼の為人ひととなりにも好意を抱いていた。ゆえに彼らはイディオフィリアが総司令官として認められるように、自分たちが率先してイディオフィリアを連合軍の盟主として立てたのだ。

 理由のふたつめは【トリスケリオン】の性質によるものだ。【トリスケリオン】は初心者支援の血盟だったから、その後他の血盟に移籍した者も少なくはない。そして、彼らの一部は今回参加する血盟に属していた。冒険者となって最初に属した血盟の盟主であり、自分たちに冒険者としての心構えや基本的な知識を教えてくれたのがイディオフィリアなのだ。彼らにとってイディオフィリアと【トリスケリオン】は故郷のように特別なものだった。イディオフィリアは今所属する血盟の盟主とはまた違った位置づけで、彼らにとっての『盟主』であり続けているのだ。

 そんな彼らはイディオフィリアや以前の血盟員に会うと懐かしそうに、嬉しそうに声をかけてきた。

「ヘルシャー! 久しぶりやな。元気そうやん」

 そう言ってイディオフィリアに声をかけてきたのは、現在では【プリッツ】に所属するエレティクスのエフディオンだ。

「久しぶりだなぁ、エフディオン。って、俺、もうお前のヘルシャーじゃないんだけど」

 イディオフィリアは苦笑して応じるが、エフディオンはそれを笑って受け流す。

「そりゃ、今はグラーティア姫が俺の盟主やけどな。ヘルシャーは俺にとっていつまでもヘルシャーやもん」

 エフディオンは笑って応え、結局ずっとイディオフィリアをヘルシャーと呼び続けている。現在の彼のヘルシャーであるグラーティアや血盟の仲間もそれを咎めることなく、笑って受け容れている。

 エフディオンほどではなくとも、未だにイディオフィリアを特別視している元血盟員は、それぞれの血盟でイディオフィリアの支持者となっている。そして、イディオフィリアの為人ひととなりや考え方を他の血盟員に浸透させる役割を自然に担っていた。彼らは【トリスケリオン】で技能的にも精神的にも鍛えられており、移籍した血盟で頼りにされ信頼される冒険者となっていたのである。

 また、彼ら元【トリスケリオン】の血盟員だけではなく、それぞれの血盟の中核となる古参冒険者たちもイディオフィリアを知っている者が多かった。彼らはソルシエールら特級冒険者を通じてイディオフィリアと知り合っていた。以前から何かとイディオフィリアらの手助けをしてくれていた冒険者たちだった。

 そして、彼が総司令官として受け容れられた最大の理由はやはり、イディオフィリアの人柄だった。素直で率直で物怖じせず驕らない。人懐こく飾らない人柄は冒険者たちから弟のように、或いは息子のように可愛がられるものだった。そのくせ、戦闘指揮ともなれば厳しく凛とした表情で、的確で端的な指示を出す。直属の【トリスケリオン】部隊などはまさにイディオフィリアの手足のように指示に従い、一糸乱れぬ見事な動きを見せる。そんなイディオフィリアに初めは侮りを見せていた冒険者も次第に彼を認めるようになっていた。

 ある年齢層以上の冒険者ともなると、彼の姿にかつての主の姿を重ねる者も多かった。──まるでディルムド陛下と共にいるようだ、と。

 イオニアスがイディオフィリアに告げた彼の人心掌握力の高さが証明されたのである。

 そうして、5血盟の混成軍はエリン防衛軍としてひとつのまとまりを見せるようになっていた。

 ソルシエールが休養を終え、マナも体調も万全の状態で合流したのはそんなときだった。






 大賢者ソルシエールの登場に、特に魔術師たちは色めきたった。元々イロアス全員がこの軍にいるというので冒険者たちの士気は高かった。英雄ともいわれる冒険者と共に戦えるのだから。

 そこに大賢者まで加わるのだ。ソフォスとして特級冒険者のソルシエールではあったが、更に大賢者という要素まで加わった。何しろ史上3人目の大賢者なのだ。聖者ブランと同じ階級なのだ。冒険者たちが興奮するのも無理はなかった。

 3人のイロアスと大賢者、そして神竜バラウール。アストヴィダーツやファーナティクスなど恐れるに足らず。冒険者たちはそう思った。

「ソル、お疲れさま!」

 ソルシエールの姿を見るや、イディオフィリアが子犬のように駆け寄った。その姿に【トリスケリオン】の血盟員(元を含む)は苦笑する。お前、どんだけ姐御のこと好きなんだよ、と。

「遅くなって悪かったわね、イディオ」

 エレオノーも苦笑しつつ応じる。その表情はセネノースのアジトから旅立ったときとは明らかに違っている。あの張り詰めた緊張感はなくなり、常のソルシエールに戻っていた。

 ソルシエールの肩には小さな蒼銀に輝く鱗を持った小さな竜が乗っている。メタモルフォゼしたカイアナイトだ。流石に本来の姿では大きすぎること、魔力が強すぎて中位以下の召喚獣を消滅させてしまうこともあって、この姿でソルシエールに付き従っているのだ。メタモルフォゼしていればその強大な魔力は抑えこまれ、周囲に影響を与えることはない。

 召喚されるまでカイアナイトは己の棲家にいることも当然可能なのだが、小竜姿であっても神竜がソルシエールの側にいる姿を見せることが重要だった。神竜がいる、その事実を見せることで冒険者たちは力を得、安心を得るのだ。

「この竜がバラウール?」

 ソルシエールの周囲にはイディオフィリアの他、特級冒険者と血盟幹部、更には各血盟の盟主が集まっている。

「ええ、カイアナイトよ」

〔水竜バラウールにして、今は主ソルシエールに仕えるカイアナイトじゃ〕

 小さな姿に似合わぬ低く威厳のある声でカイアナイトは応じる。まさに神竜に相応しい神々しさを持った声だ。

「カイアナイト殿、よろしくお願いします」

 相変わらず召喚獣に対しても敬称をつけるイディオフィリアである。

〔お主がイディオフィリア・アロイスか。ほう……素晴らしきオーラの持ち主であるな。マナヴィダン以来じゃ。このように輝くオーラを見るのは〕

 カイアナイトの言葉に周囲が途端にざわめく。マナヴィダン──フィアナを建国した聖王と同じ輝きを持つと言われたのだ。無理もない。

「えっ……ええっ!?」

 言われた本人は焦ってしまう。周囲も驚きを隠しきれない。

「本当なの、カイア」

 ソルシエール自身、イディオフィリアのオーラが美しく輝いていることを感じてはいたが、まさか聖王と同じだなどとは思っても見なかった。

〔儂が嘘をついたとして何の得がある〕

 カイアナイトにはないが、得はある。確実にエリン防衛軍──ひいては後の反王討伐軍の士気は上がるだろう。

〔白金に輝くオーラを持つ者など、中々おる者ではない。況してやこれほどまでに輝く者はマナヴィダン以来だ〕

 懐かしそうにカイアナイトはイディオフィリアを見る。同一の魂ではないが、とてもよく似ている。約1000年ぶりに見る心地よい白金の輝きにカイアナイトは目を細める。

「そういえば、マザーツリーも言ってたな。イディオのオーラは聖王によく似ているって」

 思い出したようにアルノルトが言い、更にざわめきは大きくなる。神竜とエルフの聖樹が言うのであれば間違いないだろう。共に数千年の時を生き、直接に聖王を知っている存在なのだから。

 マザーツリー──ティルナノグの森から動くことの出来ない樹木の聖霊がイディオフィリアのオーラを知っているのは、一度対面しているからであった。とあるリチェルカの折、アルノルトとティラドールと共にイディオフィリアはマザーツリーと対面したことがあるのだ。実は先王の遺児を直接一度視ておきたいというマザーツリーの要望があっての対面だった。勿論イディオフィリアとティラドールはそれを知らず、リチェルカのために必要だからアルノルトがティルナノグの森に入る許可を取ってくれたのだと思っていた。

 そして、対面の後、マザーツリーはアルノルトにだけ告げたのだ。イディオフィリアのオーラの輝きは非常に強く、聖王マナヴィダンによく似ていると。

「……で、なんでお前が自慢げな顔してんだよ、パーシィ」

 カイアナイトとマザーツリーの言葉に誰よりも嬉しそうな、誇らしげな表情をしているパーシヴァルにミストフォロスは呆れたように突っ込む。パーシヴァルはイディオフィリアに関しては傅役もりやく馬鹿もいいところだと思っているミストフォロスなのだ。

「己の在籍する血盟の盟主が聖王と同じだと言われたのですよ。当然でしょう」

 心の中で『流石は我が君』と呟きながらパーシヴァルは答える。そんなパーシヴァルに彼と長い付き合いのソルシエール、ミストフォロス、アルノルト、そしてイオニアスは苦笑する。

 ずっと自分たちは『王子』を待っていた。時が来れば王子が現れることは知っていた。その中で最も王子と出会う──再会することを切望していたのはパーシヴァルだった。

 再会を果たしてから、パーシヴァルはずっとイディオフィリアを見守ってきた。先輩冒険者の顔をして見守り、そして観察し続けてきた。この方は自分が忠誠を捧げるに相応しい方なのかと。その答えはかなり早い段階で出た。

 この方こそ私のただひとりの王だ、と。

 それからのパーシヴァルは、イディオフィリアに対して忠実な騎士だった。未だ何も知らないイディオフィリアであるから、表面上は先輩冒険者として接した。様々に助言をし、ソルシエールやミストフォロスと共に後見を務めてきた。イディオフィリアが彼自身の選んだ道を悔いなく進めるように。

「でも、私だけではありませんよ」

 パーシヴァルに言われ、周囲を見渡せば、イディオフィリアの側近となっているヴァルター、ティラドール、フィネガスもパーシヴァルと似たような表情をしている。

 彼らはパーシヴァルと違い、イディオフィリアの出自を知らず主君とは思っていない。けれど、一生を共に歩みたい友だと思っている。その友が誇らしくてならないといった表情だ。

 イディオフィリアの周囲には着々と『信頼できる仲間』が集まっている。イディオフィリアの祖父ユリウスが彼に告げた信頼できる仲間が。

(そろそろ、ちゃんと3人には俺の本名伝えてもいいのかもしれないな。ああ、パーシィさんやフォロスさんやアルノルトさんも、言っても大丈夫だよな)

 カイアナイトの言葉に我がことのように嬉しそうな表情をしてくれている友を見ながらイディオフィリアは思う。出会ってまだ1年にも満たない。フィネガスなど半年も経っていない。それでもこの3人が自分にとってかけがえのない存在であることは判っている。

 とはいえ、何故本名を隠さなければならなかったのか、その理由がイディオフィリアにも判らないから、説明はしにくいのだが。それでも、今夜にでもこの6人には本名を伝えようとイディオフィリアは思った。

〔ふむ。仲間との信頼も申し分ないな。イディオフィリアとそこの3人のオーラが調和し溶け合っておる。レギーナとイロアスたちと同じようにな〕

 まるでイディオフィリアの決意を後押しするかのようにカイアナイトは言う。

 互いに命を預け、互いのために命を落としたとしても悔いのないほどの信頼がカイアナイトには見て取れた。ヴァルター、ティラドール、フィネガスのオーラはイディオフィリアや特級4人に比べれば輝きは弱い。しかし、彼らのそれはイディオフィリアと共にあることで力強く輝き、溶け合い混ざり合い調和している。これほどの信頼関係を築き上げている4人をきっとイル・ダーナはよみし給うだろうと思えるほどに。

〔それに、エリンを取り巻く気も良い。この地に在る者全てが、この地を守ろうという思いで繋がっておる。エリンは護られよう。ファーナティクスは退けられ、アストヴィダーツは封じられる。そなたらによってこの地は平和を取り戻す〕

 朗々と響いたカイアナイトの声が士気を高めたのは言うまでもなかった。

「水竜効果、すげぇな。士気上がりまくりだ」

 イディオフィリアたちから少々離れたところから様子を眺めていたディレットは呟く。

「そりゃそうだろうさ。神竜なんて滅多に拝めるもんじゃない。それに総指揮官が聖王に匹敵する魂の輝きを持ってるなんて言われちゃぁな」

 その声に同じく隣でイディオフィリアを取り巻く兵士たちを見ていたバレンティアが応じる。

 水竜とイロアスたちの目論見は見事に当たったといえるだろう。

 ソルシエールたち特級とイオニアスがこのエリン防衛軍を、ただエリン防衛だけで終わらせる心算つもりがないことに彼らは気付いている。

 初めにイオニアスに声をかけられたときには、彼にそんな計算があるとは思っていなかった。新参の【トリスケリオン】盟主に総指揮官を任せると言われたときも、自分たちの状況と彼の血盟の動員規模から妥当な判断だと思った。

 そのことに裏があると気付いたのはイディオフィリアと対面してからだ。彼の顔を見、その正体を察してからだった。

 イオニアスたちはこの軍を基盤として反王に抗する軍を作り上げようとしているのだ。今回王族が盟主をしている血盟ばかり召集されたのは、恐らく自分たちとイディオフィリアを引き合わせるために違いない。エリン防衛、ひいてはアヴァロンを守るためという目的は確かにあるだろうが、それは真の目的ではない。反オグミオス軍の中核を形作るための召集だったのだ。

「で、お前さんはあいつをどう見てるんだよ、バレン」

 ディレットは探るような眼でバレンティアを見る。

「お前こそどうなんだ、ディレ。随分気に入ってるみたいじゃないか」

 ディレットの問いには答えず、バレンティアは逆に問いかける。

「そうだな。俺は結構気に入ってるぜ。太刀筋も悪かねぇし、自分の血盟員もちゃんと把握してる。200人超えてるってのにな。見所のある奴だと思ってる。それにまだまだ伸びしろもあるしな。どう化けるのか楽しみだ」

 面白そうな表情でディレットは応える。

 彼は王族とはいえ、王家に対して特別な思いなど持っていない。王家や国といった枠組みなどどうでもいいとさえ思っている。先王ディルムドとの思い出も殆どないせいか、特にオグミオスを敵とも思っていなかった。

 傭兵をしているのは戦うことが好きだからであり、領主たちの民を搾取するやり方が気に食わないから、民の側に立っているだけだ。彼の行動基準は自分が気に入るか否か、彼の美意識に適うか否か、それだけだ。

 そんな彼にとって、イディオフィリアは興味を引く存在だった。だから、今は力を貸してやるのもいいかもしれない、そんな気分になっている。

「で?」

 俺が言ったんだからお前も言え、とディレットは眼で促す。

「まだ観察期間だよ。俺の全てを賭けられる主君かどうかを見極めるためのな」

 ディレットと違いバレンティアには王族としての誇りがあった。王とは国と民を守る者であり、王族はその王を守り支えるための一族だ。だからこそ、彼は己の欲のために賢王を弑し簒奪したオグミオスを憎んでいる。保身のために反王に組した父を軽蔑している。

 バレンティアは自分が王位に就く心算はない。反王を倒すことは王を裏切ったオグミオスを罰し、王の復仇をするためだ。その後、王位には先王の遺児か、見つからなければ最も血の近いグラーティアの兄を据えればいいと思っている。

「けど、あいつ、まだ自分が何者か知らねぇんだろ。ソル殿たちも隠してるみたいだし」

 仲間たちと話しているイディオフィリアに視線を転じ、ディレットは言う。

「まぁ、時機ってものがあるからな。名乗り上げればすぐに刺客が送り込まれるだろうし」

 バレンティアは応じながら、やはりイディオフィリアを見遣る。

 エリンに来てからわずか半月。たったそれだけの時間でイディオフィリアはこの軍の大半の者に好意的に受け容れられている。誰もがイディオフィリアに惹きつけられている。【トリスケリオン】の血盟員たちは程度の違いはあるにしても、彼に忠誠心に似たものを抱いている。これは元血盟員たちにもいえることだ。そして血盟幹部に至ってはまるで王の親衛隊を想起させるほど、イディオフィリアに心酔しているのが見て取れる。

 誰もイディオフィリアの正体は知らない。それでも彼らはイディオフィリアを己の王のように思っている。自覚の有無はともかくとして。

「まずは初戦をどう乗り切るかだな。イディオの器量が問われる。尤も、それは俺たちも同じだけどな。パーシヴァル卿やイオニアス卿は俺たちが役に立つのか品定めしてるぜ」

 イオニアスは現在の実質的な反オグミオス軍の指揮者として。パーシヴァルは王子の傅役もりやくとして。あのふたり──否、ソルシエールもミストフォロスもアルノルトも、自分たちがイディオフィリアの役に立たないと思えば、あっさりと切り捨てるだろう。

「そりゃ困るな。今のところ、俺は飽きるまでイディオと行く気満々なんだぜ」

 ディレットは明るく笑う。自分で言った以上に彼はイディオフィリアのことを気に入っているようだった。

「けど、ティアはすっかり姉さん気取りだな。自分のことよりもイディオのことばかり気にかけてやがる」

 初日の対面以降、あれこれとイディオフィリアの手助けをしているグラーティアにふたりは苦笑を漏らす。

「仕方ないさ。あいつはディルムド様を慕ってたからな。俺たち王族の中で王子の生存を一番信じてたのもあいつだ」

 末娘だったグラーティアは年下の従弟のことを弟のように思っていた。その従弟を失ったとき、グラーティアはとても悲しかった。何処かで生きていてほしいと願っていたが、20年経っても、王子の噂は欠片も聞こえてこなかった。やはり従弟は死んでしまっているのかもしれない。そんな悲しい諦めを彼女は抱いていた。

 けれど、違った。従弟は自分たちが願ったように生きていた。そして今、かつての叔父夫妻を思わせる成長した姿で自分の目の前にいるのだ。

 グラーティアは喜びに湧き立つ心を必死に抑え込んだ。自分が不用意な言動をとれば、それは従弟に危険を齎すことになる。

 だから、彼女は血盟主の先輩として、従弟の世話をすることにした。その姿を見てバレンティアやディレットなどは『パーシヴァル卿はイディオの父ちゃん、お前さんは母ちゃんだな』などと揶揄ったりもしたのだが、それさえもグラーティアには嬉しいことだった。

 あまりにもグラーティアがイディオフィリアに構うものだから、中にはグラーティアがイディオフィリアに片恋しているのではないかと邪推を抱く者もあった。グラーティアはフィアナでは珍しいことに未だ独身だ。

 彼女が独身を貫いているのには理由があった。婚姻を結ぶことは即ち血を残すことだ。グラーティアは先王に最も血の近い親族だ。彼女が結婚し子を作ることは、反王政府に無用の猜疑を招きかねない。だから、彼女は独身を貫いている。

 それはバレンティアもディレットも同じだった。ふたりは王位継承権を元々持ってはいなかったが、王族に対して常に警戒の目を光らせている反王政府を刺激するのは得策ではないと知っていた。特に反オグミオスの旗を掲げているバレンティアは慎重を期していた。

 ともあれ、周囲の邪推など笑い飛ばし、グラーティアはイディオフィリアの世話を焼いている。

 いつか彼に姉なのだ(本当は従姉だが)と名乗れる日が来ることを楽しみにしているグラーティアなのであった。






「バレン、ディレ、ちょっといいかな?」

 いつの間にやら、イディオフィリアとソルシエールを中心に集まっていた冒険者たちも散っていた。集団から離れていたふたりの許にイディオフィリアがソルシエールを伴ってやって来ていた。

「ソルがふたりに挨拶したいってさ」

 そう言って、イディオフィリアはソルシエールをふたりに引き合わせる。

「お久しぶりです、バレンティア卿、ディレット卿」

 穏やかに微笑んでソルシエールは告げる。長い冒険者生活の中でふたりとは面識はある。

「覚えていていただけたとは光栄です、大賢者殿」

 数年前に一度会ったっきりのバレンティアはそう応じる。当時のソルシエールはまだ賢者になっていなかった。それ以降、直接会うことはなかったが、ソルシエールは自分たちの血盟に活動資金を提供する後援者のひとりでもあり、水面下での交流は続いていたのだが。

「久しぶりだな、ソルシエール殿。カマロカ防衛以来か」

 何度か村の護衛リチェルカを共に行ったことのあるディレットはそう応じる。ソルシエールの強大な魔法の力にはどれほど助けられたか判らない。

「こんな形でご一緒することになるとは思ってませんでしたわ。特にバレンティア卿とは。お会いすることになるのはもっと先だと思っていました」

 ソルシエールの言葉に、ふたりの表情が微かに動く。

 ディレットはともかく、バレンティアは普段の活動がソルシエールと重なることはない。重なるとすれば、それはソルシエールが真の目的のために動き出したときだ。つまり、反王との戦い。自分とソルシエールが共に戦うのは反王との戦いが始まるときだとバレンティアは思っていた。そしてこうしてこれからエリンを舞台として共に戦う。

 やはり、とふたりは思った。このエリン防衛戦はエリンを守るためだけの戦いではない。反王との戦いの序幕、前哨戦なのだ。

 一瞬にしてふたりの体に緊張が走る。恐ろしいのではない。ようやく動き始めるのだと喜びにも似た緊張だった。

 けれど何も知らないイディオフィリアはそんなふたりの変化に戸惑う。一体何事なのかと。微妙な、なんとも言えない沈黙が落ちる。

 そんな空気を払拭したのは、場にそぐわないのんびりとした老爺の声だった。

〔レギーナ、そろそろ、わしゃぁ休みたいんじゃがのう〕

 突然の老爺の声にソルシエール以外の3人は周囲を見回す。その様子にソルシエールは苦笑した。

「カイア、その話し方止めなさいよ」

 ソルシエールは己の肩に乗る小竜に声をかける。

〔儂は爺ちゃんじゃからの。これが普通じゃ〕

 フォッフォッフォと笑いながら、カイアナイトは答える。

「カイア……神竜のイメージ崩れるから」

 はぁ、と溜息をついてソルシエールは額を押さえる。

「それをあんたが言うか……」

 ボソッとディレットが呟き、イディオフィリアとバレンティアも頷く。この主にしてこの召喚獣ありといったところだろう。

〔とにかく儂は疲れたぞ。なんせ900年ぶりの地上じゃからのう。休んで英気を養っておかねばの〕

 のんびりとした口調ではあったが、その意味するところは深刻なものだ。バロールの八魔将が出てくるなど、建国以来初めてのことなのだ。そして、人の前に六竜が現れるのも。ベルトラムの使役する光竜は極限られた者にしか姿を見せないから、このカイアナイト──バラウールこそが900年ぶりにフィアナの民が眼にする神竜となる。

〔心配せんでもええぞ。マナヴィダンの裔たちよ。此度はバロールは出てこん。あやつを召喚できるほどの魔力を持つ者はおらんからの〕

 緊張を孕んだ空気を払拭するように、欠伸までしながらカイアナイトは告げる。この言葉はある意味真実だが、真実ではない。飽くまでも『敵方にバロールを召喚できる魔力の持ち主がいない』ということであって、実は可能な人間はふたりいる。大賢者ベルトラムと大賢者ソルシエール。このふたりの魔力であれば、バロールを召喚することも可能だろう。だが、それは言う必要のないことだ。

「まぁ、アストヴィダーツはこっちで何とかしますから、おふたりはファーナティクスを追い返すことだけに集中なさってください。イディオフィリアの面倒も見ていただかないといけませんしね」

 カイアナイトの心遣いを受けて、ソルシエールも微笑む。その自信に満ちた言葉にイディオフィリアもディレットもバレンティアも安堵する。

 そう、ファーナティクス如き、アストヴィダーツ如きなど大したことはないのだと。

 その安堵こそが、大賢者と神竜の存在が齎すものだった。