卒たちの戦い

 ひと先ず騒ぎを収拾させるためにロデムとノアールを連れイディオフィリアは聖堂へ入った。

 魔族である彼らが一瞬怯んだのは仕方のないことだ。召喚獣である彼らは魔族とはいえ、イル・ダーナの加護を受ける存在ともなっており、聖堂に入っても力が弱まることはないのだが、要は気分の問題といったところだろう。

「本当にロデム殿とノアール殿なのか……」

 これまで召喚獣が人型を取ったところを見たことがなかったイディオフィリアらは呆然と呟く。そもそも召喚獣が人型になれることも知らなかったのだ。

「しかし、ロデムが人型取ってるのは珍しいな」

 少年姿のロデムを眺めながら、ミストフォロスはニヤニヤと笑う。ミストフォロスもロデムが人型を嫌がる理由を知っているのだ。因みにパーシヴァル、アルノルト、ヴァルター、ティラドール、フィネガスも一緒に聖堂へと入っていた。ロデムたちがそう要求したのだ。

「だけど、どうして子供になってるんですか、ロデム殿」

 人型なのは目立たないためだろうと予想はつく。充分目立ってはいたが、魔獣の姿での目立ち方とはまた意味が違う。

「そりゃ、人型とるときは人間換算年齢になるからな。ロデムはまだガキだから当然だろ」

 ロデムにとっては言われたくないことをさらりとミストフォロスは暴露する。尤も飽くまでも換算年齢であるから、寿命の長い魔族のロデムは、それでも数百年は生きているのであるが。

「五月蝿いぞ、じじい」

 ロデムはミストフォロスに毒づくが、その両手に大きなカップを抱え、温めたヤギの乳を啜っていて、まさに可愛らしい子供の様子でいつもの迫力はない。

「じじいって。俺はまだ203歳。お前もっと上だろうが」

「だったら、年長者を敬え、クソガキ」

「……坊ちゃん、そこまでにしましょうよ」

「坊ちゃんって言うな、ノアール」

「言われたくなければ大人の対応をしましょうね、ロデム殿。話が進みません」

 人型を取るとロデムの行動はその姿に準じてしまうことが多い。それもあってか、人型のときにはよくソルシエールの息子と勘違いされてしまうロデムだった。ついつい他の召喚獣も人型ロデムに対しては常と違って子供への対応をしてしまうのである。

「それで、ロデム殿。態々貴方が人型になってまで伝令に来てくださったのです。重要な用件がおありなのではないのですか」

 このままでは話が進まないとパーシヴァルが話題を転じる。ロデムは基本的にソルシエールの側を離れない。彼がソルシエールの召喚獣の中で最も格が高いこともあり、彼は常にソルシエールを守るために側にいるのだ。その彼がソルシエールの側を離れたのであれば、それだけ重大な用件があるということだ。

「あ? ああ……。まぁ、そうだな」

 頷くロデムの傍らでノアールは苦笑を堪えた表情をしている。実は態々ロデムが出向かずとも済む用事なのだ。それなのに彼が来たのはロデムの子供っぽい対抗心の表れのようなものだった。

 これまではロデムが最も力の強い召喚獣だったが、そこに水竜のカイアナイトが加わったことによって、ロデムは2番手になってしまった。それでもソルシエールの役に立つのだと、ソルシエールに頼りにされるのは自分なのだと主張したかった彼は、態々この役目を引き受けたのである。ノアールはそんな彼のお目付け役兼お守り役だった。

「まずは朗報だ。レギーナは大賢者となられた。水竜バラウールはレギーナの僕となったのだ。レギーナはまだ召喚契約の疲れが残っておるゆえ、合流するにはもう少し時間がかかるだろうがな」

 己のことのように誇らしげにロデムは告げる。ノアールも何処となく自慢げな表情になっている。

 ふたりの召喚獣が齎した知らせに、人間たちは顔を見合わせる。一瞬の沈黙の後、7人の表情は驚愕と喜びに満ちたものへと変化した。

「すげぇな……。史上3人目の大賢者か」

「流石はソルですね。素晴らしい」

「大賢者ソルシエールか」

 付き合いの長いイロアスの3人は感慨深げに言葉を漏らす。彼らはソルシエールが竜の召喚に取り組み始めた当時のことを知っている。あのソルシエールをしてどれほど困難な道だったのかをよく知っているだけに、召喚獣たち同様、我がことのように喜んだ。

「大賢者……凄すぎる」

「うん……」

 凄いことだと喜びながらも、イディオフィリアたちはあまりのことにそれ以上の言葉が出てこない。特にイディオフィリアは喜ぶと同時に複雑だった。ようやくストラティゴスになって階級的にはソルシエールとの差も縮まってきたと思っていたのに、ソルシエールは更に上の段階へと進んでしまったのだ。また距離が開いたように感じ、それを寂しく思ってしまった。

(あんまり手の届かないところにいかないでよ、ソル。……って情けないぞ、俺! ソルが大賢者になったんなら、俺もイロアス目指せ! それでもソルのほうがずっと上にいるけど、でも、俺だって頑張ればいいだけじゃないか!)

 ひとり沈黙しているイディオフィリアに、他の6人は少々同情めいた視線を送る。彼のソルシエールへの想いに周囲の者はとっくに気付いている。そして、イディオフィリアの性格も承知している彼らは、今イディオフィリアが何を考えているのかも大凡おおよそ察しているのだ。

「次の定期審査会はイディオフィリア殿も対象になりますね」

「そうだな。アフセンディアの盟主ってのはイオニアス卿しかいねぇから、イディオがそうなりゃうちの名前も更に上がるってもんだ」

「ってことで、イディオ、審査会までのあと3ヶ月頑張れ!」

 イロアス3人はそんなことを言い、

「つーか、俺もティラもフィンも対象だよな」

「俺は無理。4級でいいや」

「俺も4級でいい。っていうか、俺の場合は目指すなら5級よか賢者だな」

 と3人の腹心は他人事のように話している。実際他人事だと思っているのだ。

 年に2回開かれる冒険者ギルドの定期審査会で5級昇格は認定される。対象は全ての4級冒険者だ。この3年は誰も認定されていないほど狭き門ではあるのだが、パーシヴァルはじめ血盟員誰もがそう遠くないうちにイディオフィリアは5級になると信じている。

「……そうだね。頑張るよ」

 俺ってそんなに判り易いかなと苦笑しながらイディオフィリアは応える。直接的には何も言わずとも、こうやって支えて励ましてくれる仲間がいることがとても嬉しかった。

「ともかく、バラウール──カイアナイトが加わったのだ。アストヴィダーツも心配はあるまい」

 人間たちの驚きと騒ぎが収まったところで、ロデムが再び口を開く。が、その言葉が再度人間たちに喧騒を齎すこととなった。

「ア…アストヴィダーツ!?」

「それってバロールの八魔将……」

 ぎょっとした顔でイディオフィリアたちはロデムを見る。全員が程度の差はあれ、顔を青くしている。だが、すぐに立ち直ったのはやはりイロアスである3人だった。

「だから、ソルは水竜召喚を急いだというわけですか」

「確かに八魔将が出てくるとなればそれも道理だな」

「ああ。八魔将とは厄介だな。だけど、それで聖魔法を得意な魔術師が多めに召喚されていた理由も納得できる」

 魔族の長バロールの配下には四魔公爵と八魔将と呼ばれる最上級の魔族がいる。聖王たちが封じるのに数年の月日を要したほどの強大な魔力を持つ魔族だ。

「レギーナはそのことを告げてはいなかったのですか?」

 呆れたようにノアールが呟く。言い忘れていたソルシエールに呆れているのだ。

「言い忘れていたわけではあるまい。言う必要がないと……否、言わぬほうが良いと判断したのであろう」

 未だに青い顔をしているイディオフィリアたちの反応を見ればソルシエールの判断も間違いではないとロデムは思う。そしていち早く立ち直っているイロアスたちの反応も。

 恐らく、ソルシエールは己と召喚獣、そしてイロアスたちでアストヴィダーツに対する心算つもりだったに違いない。

「恐らくそうでしょうね。他の盟主の方々もご存知はないようですし。知っていたのはイオニアス殿とソルだけでしょう」

 溜息をつきながらパーシヴァルは応じる。一時の衝撃から脱したとはいえ、まだ完全に落ち着きを取り戻したわけではない。それほどにアストヴィダーツ来襲は衝撃的な情報だった。

「賢明な判断だろうな。一般兵が知れば、尚一層兵は集まらなかっただろうし」

「ああ。そうだな」

 3人のイロアスは落ち着きを取り戻し、冷静に状況を分析する。そして、しばし思案していたアルノルトは顔を上げるとティラドールを呼んだ。

「ティラドール、ついて来い。マザーツリーに聖水を用意してもらう。多分ミレシア大聖堂にも依頼はしてるだろうが、多いに越したことはないからな」

 言うが早いか、アルノルトはまだ顔色の悪いティラドールを伴ってティルナノグへと転移した。

「アストヴィダーツは……ソルとパーシィさん、フォロスさん、アルノルトさんに任せる。俺たちは全力でファーナティクスを追い払う。それでいいんだよね?」

 じっとパーシヴァルたちの会話を聞いていたイディオフィリアは顔をあげ、イロアスたちを見つめる。未だ幾分顔色は青いが、その瞳には力が戻っていた。

「ええ、イディオフィリア殿。アストヴィダーツは我らが必ず封じます」

 こちらも強い意志を感じさせる眼でパーシヴァルが頷く。

「魔族の相手は俺らに任せて、エリン防衛を頼むぜ、イディオフィリア」

 お前なら出来る、そう言うようにポンとイディオフィリアの肩を叩き、ミストフォロスが言う。

「うん。皆で協力して、必ずエリンを守るよ」

 微かではあったが、ようやくイディオフィリアの顔に笑みが浮かんだ。万全の準備を整えてファーナティクスを迎え撃つのだ。きっと大丈夫。他の4血盟もいる。力強い4人の盟主がいる。何よりも心から信頼するヴァルターとティラドールとフィネガスもいる。必ず成し遂げられる。

「よし、そうと決まれば訓練だな。もっと効率よく訓練できるように計画練り直そうぜ、イディオフィリア」

「魔術師連中も鍛えないとな」

 ヴァルターとフィネガスもようやく口を開けるだけ、精神状態を回復させたようだった。イディオフィリアがこれだけ強い意志を見せたのだ。側近である自分たちが呆然としている場合ではない。彼を補佐するのが自分たちの役目なのだから。

 決意を新たに聖堂を出て行くイディオフィリアらを見送り、ミストフォロスは息を吐いた。

「殿下のお心は強いな。ディルムド陛下を見ているようだ」

「流石は我が君です」

「……お前、いつもそれだな」

 いつもどおりのパーシヴァルにミストフォロスは苦笑する。そして『エリンを守る』と言ったイディオフィリアの瞳を思い出す。20数年前、冒険を共にした先王ディルムドの姿と重なったのだ。今はまだ頼りない部分も多いが、きっと彼は素晴らしい王となる。そんな予感を抱かせる瞳だった。

「とはいえ、いきなり初戦からアストヴィダーツですか。歴史が加速しているようですね」

「ああ……。ファーナティクスを退けたら、本格的に動くべきかもしれんな」

 アストヴィダーツの出現によってマナの崩壊は加速するだろう。気楽な『冒険者』として過ごせる時間は、もうイディオフィリアにはないのかもしれない。

 反王との戦いの始まりが近づいている。ふたりはそう感じていた。






 イディオフィリアたちへの伝達を終えたロデムとノアールは即座に主の許へと帰ったかと思えば、そうではなかった。

 彼らは村の中を見て回り、冒険者たちの様子を見ている。ただ単に彼らは伝令のためだけに主の許を離れエリンへと来たわけではなかった。主からの特別な命を受けてのことなのだ。

「どうだ、ノアール」

「そうですね……。魔術師は約200人というところでしょうね。今のところ兵士の総数は六百前後みたいですから、3分の1ってところでしょう」

 ロデムの問いにノアールが応じる。

「そのようだな。ふむ、召喚獣を持たぬ魔術師はおらぬようだな」

 元々格の高い(=魔力の高い)魔族であるロデムとノアールは魔力精査にも長けている。村をひと回りするころには大凡おおよその魔術師たちの能力を感じ取っていた。

「ロデム様、ノアール殿、こちらにおられたのですか」

 フィネガスの指導の下、召喚獣を使っての戦闘訓練を行っている魔術師たちの様子を見学していたロデムたちにそう声をかけてきた者がいる。人型をとっている自分たちの正体を知っている者──しかも敬称をつける者となれば限られている。ふたりは警戒することなく、自分たちを呼んだ者を振り返った。当然、その者たちが近づいてくることは判っていたのだ。

「久しいな、フォラス、レライエ」

 ロデムの視線の先には中年に差し掛かろうという年代の魔術師風の細身の男と、如何いかにも戦士然とした壮年の偉丈夫がいる。

「この度はソルシエール様が大賢者になられたとのこと、おめでとうございます」

 そう祝いの言葉を述べる魔術師風の男──フォラスに、ロデムは嬉しそうな顔を隠しきれない。本来の姿であれば表情など判らないが、こうして人型をとっていればロデムは中々表情豊かで、まだまだ幼いのだと実感させられる。

「ありがとうございます、フォラス様」

 礼を返すノアールにフォラスが苦笑を漏らす。

「ノアール殿……いや、ノアール様。これからは我らのことは格下のものとしてお扱いください。我らが主と貴公らの主では格が違いすぎますゆえ」

「然様にござる。我らの主は1級魔術師、貴公らの主は大賢者であられるのだ。我ら召喚獣にとっては主の位階こそが己の位階となりますからな」

 これまでも賢者の召喚獣ということで自分たちよりも魔族としての位階が低いマーナガルムやハルピュイアにも敬意を以って接してきたフォラスとレライエである。相手の主が大賢者になったとあっては、最早魔族としての位階など関係ない。マーナガルムであろうとハルピュイアであろうと自分たちよりも上位者となるのだ。

 このふたりも召喚獣が人型をとった姿だった。フォラスはアケル(炎のまとった狼に似た一角獣)であり、レライエはヴァレフォール(通常の2倍の大きさを持つ熊)だ。共に上級魔族であり、その位階はマーナガルムよりも高い。契約召喚獣の中ではフラウロスに次ぐ位階の高さである。

「いや……そうは言われても長年の習慣は変わりませんよ」

 ふたりの大先輩の言葉にノアールは苦笑を漏らす。だが、何処か嬉しげな様子ではある。己の主がこうして上位魔族に認められることが嬉しくて堪らないのだ。やはり、ソルシエールの召喚獣たちは主のことが好きで好きで仕方ないのである。

 それを知っているフォラスとレライエも好意的な笑みを零す。フィアナでの生活が長いこのふたりも人に随分馴染み感化され、魔族らしからぬところがあった。

「ところで、フォラス。何故お前たちがここにいるのだ。オクタヴィアは来ておらぬのだろう」

「主の命により、一時的にフィネガスの配下となっておりますゆえ」

 その言葉にロデムとノアールは納得すると同時に流石はオクタヴィアだと感じた。今でこそ現役を退いていはいるが、オクタヴィアも有能な魔術師であり冒険者だったのだ。現役を退かなければ賢者にはなっていただろう。

「オクタヴィア殿も……かの者が召喚されることをご存じなのですか」

 アストヴィダーツの名は出さずノアールは問う。誰が聞いているか判らないから不用意に名前を出すことは出来ない。それに、名を出すだけでも体に震えが走る。それほどに八魔将とは強大な恐ろしい存在なのだ。同族の魔族にとっても。ロデムでさえも一瞬呼吸を整えてから名を発しなければならないほど、強大な魔族──それが八魔将であり四魔公爵だった。

「ええ……。尊師から連絡を受けたご様子です。主もこの度の戦いに参加しようとなさったのですが、イディオフィリア殿に止められ参加を認められませんでした。ゆえに我らをフィネガスに預けたのです」

 事の重大さを知ったオクタヴィアは自分も何かの役に立つはずだと従軍を希望したのだ。現役を退いているとはいえ、魔術師であることに変わりはない。戦いからは離れて久しいが、血盟のハウスキーパーとして食糧確保のために召喚獣を伴って狩りに行くこともある(この場合は普通に動物を狩るのだが)し、回復魔法などは日常的に使っている。魔術師としての能力は衰えていないはずだった。

 だが、オクタヴィアの従軍希望をイディオフィリアは断った。

「俺たちが安心して戻ってこれる場所を守ってほしいんだ。必ず勝って帰ってくる。だから、俺らがただいまーって帰ってきたときに、いつものように出迎えてほしい」

 そう言ったイディオフィリアの言葉にオクタヴィアは頷くしかなかった。彼女はイディオフィリアの出自を知らない。けれど大凡おおよそを察している。夫パーシヴァル、親友ソルシエール、ミストフォロスやアルノルト、彼らの態度から。そして、彼女自身が共同生活の中でいつの間にかイディオフィリアを主君に近い存在として認めるようになっていたのだ。

「オクタヴィアに出てもらうほどじゃねーから、まだ大人しくしてろ。──いずれはあんたにも出てもらうときが来る。それまでに勘を取り戻しておいてくれよ」

 軽い口調ながらイロアスの顔をしてミストフォロスはそう言った。

 夫の親友にまでそう言われてはオクタヴィアとしても我を通すことは出来ず、せめてこれだけはということで、己の召喚獣のうち最も格の高い2頭をフィネガスに預けたのだ。2頭は主の命を素直に受け、今はフィネガスの許にいるというわけである。

 尤も、フィネガスは自分の魔力には不相応の格の高い個体を己の召喚獣のように扱うことも出来ず、2頭には己の判断で行動してくれと伝えている。高位の召喚獣ともなれば知能が高いため、独自判断に委ねることが出来るのだ。

「ふむ。お前たちがいるとなれば、かなり楽になるな」

「そうですね。指揮官をお任せ出来る」

 ロデムとノアールは何かに納得したように頷きあう。

「フォラス、今ここにどんな召喚獣がいるか判るか?」

「ええ、大凡おおよそは。そうですね……マーナガルム、シャクス、ハルピュイア、ヴィカルタといったところですね」

 フォラスの返答に頷きつつ、どこかロデムは不満げだ。フォラスが挙げた種族はマーナガルム以外は中位魔族でしかない。

「まぁ、取り敢えず、集めて話をすることにしましょう。全てはそこからですよ、坊ちゃん」

 真面目な顔をして考え込んでいるロデムの気を引き立てるようにノアールは敢えて軽い口調で言う。

「坊ちゃんっつーなってんだろ!!」

 まるで親子か兄弟のようなロデムとノアールに、オクタヴィアの2匹の召喚獣は苦笑を漏らすのだった。






 村の外れにある広大な畑に、今回の戦いに参加する全ての魔術師たちが集められていた。

 集まった魔術師たちは、程度の違いはあれ、皆不審げな表情をしている。それぞれの血盟の盟主からここに集まるように言われたが、盟主たちから何の話があるのかも知らされてはいない。そればかりでなく、前方には見知らぬ少年が尊大な態度で立っており、3人の年代も容姿も違う男が少年に従うように脇に控えている。

 壮年と中年のふたりは【トリスケリオン】の魔術師・フィネガスと共にいる姿を見かけるから、恐らく【トリスケリオン】の血盟員であろうが、残りのふたりには見覚えがない。

 フォラスとレライエはこの村に来たとき──正確にはフィネガスに貸与されたとき──から人型をとっているため、彼らが召喚獣だと気付いていたのは一部の1級魔術師だけだった。【トリスケリオン】の血盟員ですら、いつの間にか加入した仲間なのだろうと思っているくらいだ。【トリスケリオン】には毎日のように誰かしら加入しているし、幹部の伝手で上位冒険者がある日突然加入していることも多いため、然程気にしていないのだ。幹部フィネガスと一緒にいるからそうなのだろうと思っているわけだ。

 全員が揃ったことを確認するとフィネガスはそれを少年に告げる。魔術師の他、各血盟の盟主とイロアス3人も集っている。

 少年はフィネガスに頷くと一歩前に出て、集まった者たちを見渡す。

 一瞬の後、空気が大きく震えた。集まった全ての者の視線が少年に集中する。少年の姿が急速に膨らみ、薄れ、巨大な豹へと姿を変えた。他の3人もマーナガルム、アケル、ヴァレフォールへと変じる。突然現れた上位召喚獣の姿に魔術師たちは呆然とし、言葉もなかった。

〔我は大賢者ソルシエールに仕えるフラウロス、ロデムである〕

 大きくはないが威をまとった声でロデムは告げる。

『大賢者』──その言葉に既に知っていた数名を除いた者たちから驚愕の声が漏れる。直接面識のある者は少ないが、大賢者ベルトラムの直弟子であり、現役術者最高の魔力を有する『賢者ソルシエール』の名を知らぬ魔術師などいなかった。

 まさか自分たちと同じ時代に大賢者が現れようとは。大賢者と共に戦うことが出来るとは。──魔術師たちは一様に感動に身を震わせた。

「水竜バラウールは我が同胞となり、大賢者ソルシエールに従った。しかし、戦いのそのときまで姿を現すことはない」

 バラウール──カイアナイトが姿を見せれば一層魔術師たちは奮い立とうが、流石に巨大な竜が現れるには問題がある。こんな小さな村ならばカイアナイトが踏み潰しかねない。それに神竜と直接対すれば中位以下の召喚獣はそれだけで消滅してしまう。

「戦略的にもそれが賢明でしょう。神竜が現れると知れれば敵も警戒し、戦力を増強しかねない」

 ロデムの言葉にイオニアスが応じる。その言葉で神竜の姿を見れないことを残念がっていた一部の魔術師も納得した。

「で、ロデム。魔術師全員に俺たちまで集めての話ってのは何なんだ?」

 ミストフォロスが問いかけ、先を促す。

「此度の戦い、我らは圧倒的に数で劣っている。ゆえにそれを補うため、魔獣で一軍を組織する」

 ロデムの言葉に先ほどとは違ったざわめきが起きる。そんなことが可能なのかと。

「マーナガルム以上の魔獣であれば、各自の判断での戦闘は可能なはず。それが出来ぬものでも、上位魔族の指揮下であれば戦うことは可能です」

 ロデムの言葉に不安げな表情を見せた魔術師にノアールが言葉を継ぐ。

 元々召喚獣は各自の判断で戦うことが出来ない。主である魔術師が戦っているもの、或いは自分に襲い掛かってきたものに対して攻撃を仕掛けるのだ。主が命じずとも己の判断によって戦闘が出来るのは最低でもマーナガルム格の上位魔族となる。事実、ソルシエールの召喚獣の中で唯一中位魔族であるセイレーンは己の判断での戦闘が出来ず、毎回シュヴァルツかロデムの指示によってソルシエールに襲い掛かる相手と戦っているのだ。

「魔獣の軍……そんなことが可能なのか」

 これまでそんな話は聞いたことがない。呆然としてバレンティアが呟く。だが、可能だとすれば、確かにそれは貴重且つ有力な部隊になる。

「幸いにしてこの軍にはアケル、ヴァレフォールに数頭のマーナガルムといった高位魔族が複数いるからな。問題はなかろう」

 ロデムはバレンティアに呟きに応じると、再び魔術師たちに視線を転じた。

「お前たち、今ここに己の魔獣を召喚しろ」

 集まっている魔術師はおよそ200人。それぞれが3~4体の魔獣を有している。だとすれば、魔獣の軍は500から1000にはなるはずだ。それだけの魔獣がいれば充分脅威となりうるだろうとロデムとノアールは考えていた。

 しかし、その予測は大きく覆された。それぞれの魔術師は1体しか召喚しなかったのだ。恐らく、各人が契約している中で最も格の高い1体だけを。

「何故、1体しか出さぬのだ」

「全て召喚しなければ数が足りませんよ」

 当然、ロデムとノアールは不満げな表情になる。

 だが、その言葉に今度は魔術師たちが戸惑った様子を見せた。

「あのさ、ロデム殿。普通は1頭しか召喚できないんだよ。1頭従えるだけでも、結構キツイんだけど……」

 普段から複数の召喚獣を従えているソルシエールを見ているフィネガスが他の魔術師の代弁をするように言う。

「何だと!?」

 フィネガスの言葉にロデムとノアールが驚く。自分たちの主は何事でもないように全ての魔獣を召喚する。カイアナイトが加わった今でもそれは変わらない。ソルシエールの師であるベルトラムも姉弟子であるオクタヴィアも複数の魔獣を同時に召喚することが出来る。この世界に召喚されたときから、主を含め身近にいる魔術師がそうであったため、ロデムたちはそれが普通なのだと思っていたのだ。

〔我らが主の方が特別なのです〕

 フォラスが苦笑を堪えて説明をする。

〔ベルトラム尊師や大賢者ソルシエールほどの強大な魔力を持つ魔術師など滅多にいないのですよ、ロデム様。我らの主とて全召喚獣を一度に召喚することは難しいのです〕

 実際、オクタヴィアが今回2体しかフィネガスに預けなかったのはそれが理由だった。最も格の高いアケルとヴァレフォールを召喚すると他の魔獣を召喚するには力が足りなくなるのだ。それでも、複数召喚できるだけでも充分に特別なことだった。事実、現在のフィアナで契約召喚獣を同時に複数召喚できるのは、ベルトラム、ソルシエール、オクタヴィア、そして反王オグミオスの4人しかいないのである。

「そうなのか……」

 これまで知らなかった事実にしばし呆然としたロデムとノアールだったが、実は心の中では少しばかり嬉しくもなっていた。ここでもまた己の主が特別な魔術師であることを実感したからだ。本当にレギーナ大好きな召喚獣なのである。

「だが、まぁ、これだけの数がいるわけですし、上位に近いものも多い。戦力としては充分でしょうね」

 気を取り直したようにノアールが呟くと、ロデムも頷く。そして召喚された魔獣たちに向かって告げた。

「此度の戦いはいずれやってくる大きな戦いへの前哨戦に過ぎぬ。負けるわけにはいかぬ戦いである」

 負けようものならアヴァロンに住むベルトラムに生涯苛められ続けるとは言わなかった。緊張感を欠くこと甚だしいからだし、ベルトラムのそんな性格は殆どのものが知らないのだ。

「しかし、人の戦力は不足している。ゆえにそれを補うため、我ら召喚獣で部隊を作り、人の兵を擁護するのだ」

 魔術師たちに話したことを改めて魔獣に告げる。しかし、魔獣たちの戸惑いは魔術師たち以上のものだった。魔獣は主である魔術師を守るためにいるといっても過言ではない。それなのに主から離れて戦えというのかと。流石に魔獣の頂点に君臨するフラウロスにそれを面と向かって言えるものはおらず、その分不満げなざわめきが広がっていく。

「主を守るために敢えて離れよと言っておるのだ」

 ざわめく魔獣を大喝したのはノアールだ。これまで主のソルシエールですら聞いたことがない厳しい声だった。ノアールはかつて部族の副族長の地位にいた。部族の中核部隊を率いるいわば将軍だったのだ。その当時を思わせる声だった。

「主の側を離れることは不安であろうし、不満でもあろう。それは我らにも理解できる。こうして今我らは主ソルシエールの許を離れておる。側にバラウールという最強の召喚獣がいるとはいえ、やはり側におらぬゆえの不安はある。それはフォラスとレライエも同様だ。彼らは戦いに参加できぬ主の命によってこの場にいるのだ」

 だが、とノアールは言葉を継ぐ。

 これは主を守るためでもあるのだ。各召喚獣が主を守るために勝手に動けば、軍の組織としての動きを阻害することになる。また、主である魔術師も一々召喚獣への指示など出していられない状況にもなりかねない戦いなのだ。

 ノアールに諭されて、召喚獣たちのざわめきも収まる。元々知能の高い契約召喚獣だ。更に召喚されて以降は人との交わりの中で人に近い理性と思考になっている。

 どうやら理解し納得したようだと見たロデムはノアールを下がらせると再び口を開いた。

「此度の戦い、負けはせぬ。お前たちが主のために戦えばファーナティクスなど恐れるに足らぬ」

 魔獣たちが力強く頷くのを見、ロデムは更に言葉を継いだ。

「魔獣軍の指揮はフォラスとレライエに任せる」

「フラウロスであるロデム様がおいでになるのに、何故なにゆえ

 1頭のハリボム(溶岩のゴーレム)が不審げに問いを発する。魔獣の中で最高位のフラウロスがいるのに何故指揮を取らぬのかと。

「我ら大賢者ソルシエールの召喚獣は、主と共に戦うことになる。大賢者ソルシエール、聖騎士パーシヴァル、聖戦士ミストフォロス、聖射手アルノルトはアストヴィダーツを封じねばならぬ故、我ら大賢者の僕はその援護をすのだ」

 何度目かの、そして最大の驚きが召喚獣たちを襲う。アストヴィダーツ、その名を聞いただけで召喚獣たちは狼狽え、冷静さを失う。

「アストヴィダーツって……マジかよ」

 今までそれを知らされていなかった盟主たちもその驚きは大きかった。それでも取り乱さないのは流石は盟主といったところだろう。そして、4人の特級冒険者たちへの信頼があるからだった。

「我らが主は大賢者である。つまり、神の眷属バラウールを召しておるのだ。神竜が八魔将ごときに遅れをとるはずはなかろう。必ず我が主が封じる故、お前たちはフォラスらに従い、それぞれの主のため、戦うのだ」

 朗々とした声でロデムが告げる。その自信と主への信頼に満ちた声に、召喚獣たちは次第に落ち着きを取り戻す。

 大賢者と神竜。そして3人のイロアス。

 それは人ばかりではなく、魔獣にとっても希望を齎す存在だった。