辺境の村

 ソルシエールがバラウールのメタモルフォゼへの祈りに入って数日経ったころ、イディオフィリアは辺境の村エリンへとやって来ていた。同行しているのはヴァルター、ティラドール、フィネガスの3人だけで、パーシヴァルとミストフォロス、セアドは先行している。血盟員たちは各自準備が整い次第、順次来ることになっている。

 ソルシエールが旅立った夜、イディオフィリアは全血盟員を集めてエリンにファーナティクスが侵攻してくることを話した。

 これは『狩り』ではなく『戦争』であること、つまり、命を落とす可能性があり、命を奪い合う行為であることを告げた上で、血盟員に参加の意志を問うた。参加を強制はしない。参加しなかったとしても責めはしないし、それによって血盟内での立場が悪くなることもない。そうはっきりと宣言し、翌々日の朝までに参加する者はイディオフィリアかヴァルター、ティラドール、フィネガスの誰かにその旨を告げるようにと指示した。『参加する者』としたのは、希望しない者が負い目を持たずに済むようにとのイディオフィリアの配慮だった。

 その一方、血盟内ではこれまでお笑い担当だったミストフォロスが、アジト内で初めて血盟員に対して厳しい表情を見せた。ソルシエールやパーシヴァルにとっては見慣れた『イロアス』としての一面を見せたのだ。

「これは遊びじゃない。命を代償にした殺し合いだ。覚悟のない者、技量のない者は足手まといだ」

 そんな者がいれば本人のみならず、周囲、或いは部隊、時には全軍が危険に曝される結果となる。だから、そういった者は切り捨てる。そんな厳しさを持った表情だった。

「だが、人手が足りないのも事実だ。命の奪い合いまでは覚悟は出来ん、技量不足だと思う者でも、エリンを救いたいと思うならば後方支援に回ってもらう。住民の避難やその世話、或いは救護兵。後方支援で参加したいと思う者はその旨も伝えてくれ」

 少なく見積もってもファーナティクス兵は5000人。コヴァスの魔獣軍1万全てが出てくることはないだろうし、元々攻める側は守る側の2倍以上の兵力を要すると言われている。けれど人数は圧倒的に足りない。どう多く見積もっても2000に届くかどうかといったところでしかないのだ。戦える者を後方に回す余裕などなかった。

「俺はエリンを守りたい。何の罪もない、日々を賢明に生きている人たちが、罪もなく殺されるのは我慢できないから、この戦いに加わる。だけど、それを皆には強制できない。だから、それぞれが考えて決めてほしい」

 常の【トリスケリオン】らしからぬ静寂に満ちた地下の広間でイディオフィリアはそう話を締めくくった。

 2日後の朝までに、全ての血盟員がイディオフィリアらの許を訪れた。そして、血盟員248人全てがエリンへと向かうことになった。まだまだ己の実力に不安のある低位の冒険者たちも後方支援での参加を希望したのである。






 転移術者でセネノースから移動してきたイディオフィリアら4人は、緊張を孕んだ辺境の村を見渡した。

「エリンか、懐かしいな」

 約8ヶ月前、この地にやって来たときから、イディオフィリアの冒険は始まったのだ。

 あれからたった8ヶ月しか経っていないというのに、自分の状況は随分変わったものだとイディオフィリアは思う。ソルシエールと出会い、ヴァルター、ティラドールと出会い、パーシヴァルと出会い、フィネガスと出会い……。いつの間にか血盟主になっていた。そして今、自分はこの地を守る戦いのためにここに戻ってきた。

「イディオフィリア殿、お待ちしていましたよ」

 懐かしげに周囲を見回していたイディオフィリアに声をかけたのはパーシヴァルだった。その隣にはセアドもいる。

「お疲れかもしれませんが、既に他の血盟の盟主方は揃っておられます。早速顔合わせに」

「え!? 俺が最後? 新参者のくせに最後なんて拙いよ」

 パーシヴァルの言葉にイディオフィリアは慌てる。

 ソルシエールから聞いている今回の参加血盟は【トリスケリオン】の他に4つ。ソルシエールの兄イオニアス・ベイオウルフ率いる【自由の翼】、バレンティア=レオンハルト・ノイラート率いる【フェンリル】、グラーティア=エルゼベト・ヴェルテンベルク率いる【プリッツ】、ディレット=ガウェイン・ナハティガル率いる【ヴァイシュピール】だ。どの血盟も既に創設から5年以上は経過しており、創設して数ヶ月しか経っていない【トリスケリオン】など新参者もいいところなのだ。

「ヴァルターたちはこっちだ。先にうちに割り当てられてる小屋に行くぞ。色々準備しなきゃならんからな」

 セアドはヴァルターら3人に声をかけ、連れて行く。イディオフィリアもパーシヴァルの案内で、指令本部となっている聖堂へ向かう。

「なんだか緊張するな」

 パーシヴァルと共に進みながら、イディオフィリアは徐々に緊張していく自分を感じていた。

 4つの血盟はイディオフィリアでも名前を知っているくらい有名な血盟だ。自分が血盟主となってから、自然と他の血盟のことも気にかかるようになり、意識していた。そんな中でギルドのレーラーたちからよく名前を聞いたのが【プリッツ】であり、【ヴァイシュピール】であり、【フェンリル】だった。特に【プリッツ】とは活動形態も血盟の性質も似ているところがあり、一度は会ってみると良いとも勧められていた。血盟の盟主としては有名な4人であり、イディオフィリアとしても機会があれば会ってみたいと思っていた人たちだった。尤も【トリスケリオン】自体が冒険者内では赤丸急上昇中の注目血盟であり、その盟主である彼も関心の的になっているのだという自覚はイディオフィリアには全くない。

「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。怖い方々ではありません。皆さん気さくな方です」

 パーシヴァルはそんなイディオフィリアに苦笑を漏らす。

「冒険者階級でいえば最上位のイオニアス殿でもアフセンディアです。他の方々はイディオフィリア殿と同じストラティゴス。同格ですよ。イオニアス殿はセアドと同格に過ぎません。あなたは我々特級を従えている盟主なのですから、臆することなどありません」

 魔術師にとって敬意の対象が魔術師階級であるように、冒険者にとっても重要なのは階級だった。どんなに古参の大規模有名血盟の盟主であっても特級には敬意を払う。そんな特級が3人も属している【トリスケリオン】の盟主ともなれば、それだけで充分に格の高い盟主として扱われるのだ。

 それに本人は知らぬとはいえ、身分が一番高く血筋がいいのもイディオフィリアだ。求心力に最も富むのも。血盟主としての資質は誰よりも高いとパーシヴァルは確信している。

「それはそれだよ、パーシィさん。初めて会う人に緊張しないわけないじゃないか」

 しかもその中にはソルシエールの兄までいるのだ。密かに想っている女性の家族だ。これには物怖じしないイディオフィリアとしてもやはり緊張せざるを得ない。

 それに、まだまだ血盟主として駆け出しの自分ですら、名前を知っているほどの血盟の盟主たちとの初対面だ。そもそも血盟の主として、他の盟主と対面したことなどこれまでに一度もないのである。どうしても緊張してしまう。

 【プリッツ】のグラーティアのことは一応アルノルトから話を聞いたことはある。先王の姪という高貴な血筋の姫君。300人近い大所帯を問題もなく運営している血盟主。冒険者の女性といえばソルシエールやオクタヴィア(元冒険者)を連想してしまうため、どうしても気の強い、絶対に頭が上がらない印象を受けてしまう。【トリスケリオン】にも女性の冒険者がいるにはいるが、それほど人数は多くない。元々冒険者となる女性自体が少ないのだ。

 【ヴァイシュピール】のディレットについてはあまり話を聞いたことはない。だが、傭兵稼業の荒っぽい血盟だという噂はあり、そんな猛者をまとめているとすれば、ディレットも推して知るべしといったところだろう。パーシヴァルは『とても気さくな方です。セアドやフォロスと似ているかもしれません』なんて言っていたが。

 そして、【フェンリル】のバレンティア。反オグミオス血盟を作っているような人物なのだから怖い人かもしれない。一時在籍していたミストフォロスが規律が厳しいと言っていたから、厳格な人物かもしれない。

 あれこれと想像してしまい、人懐っこいイディオフィリアにしては珍しく、対面することに興味よりも怖さのほうが先に立ってしまっていた。

「さぁ、つきましたよ」

 ミレシアやセネノースとは比べようもない小さな聖堂だった。エリンは貧しい村だ。村で一番大きな建物である聖堂でも、セネノースの中規模宿屋よりも小さかった。聖堂とはいっても飽くまでも村人の祈りのために建てられたもので、神官がいるわけでもなく、こじんまりとした古びた建物だった。

「お待たせしました。【トリスケリオン】盟主イディオフィリア殿が到着なさいました」

 パーシヴァルに先導されて進みながら、イディオフィリアはそこに見知った顔があることにホッとした。ミストフォロスとアルノルトもいる。

「遅くなって申し訳ありません。【トリスケリオン】盟主イディオフィリア・アロイスと申します」

 4人の盟主の前に立ち、一礼して遅参を詫びるイディオフィリアを見て、イオニアスを除く3人は程度の差はあれ、驚いた表情をした。イディオフィリアの顔立ちに記憶を刺激されたのだ。かつて王宮の華と謳われた美貌の王妃──イディオフィリアの容貌はあまりに彼女に似ている。

「気になさいますな、イディオフィリア卿。200人を超える人員を連れてきてくださるのだ、無理もない。私はイオニアス・ベイオウルフ。協力を要請した【自由の翼】の盟主です」

 3人が何かを言うよりも早く、イオニアスは一歩前へ出てイディオフィリアと握手を交わす。イオニアスの行動に3人の盟主はハッとする。そうだ、彼は今【トリスケリオン】の盟主としてここにいるのだ。彼の顔が誰に似ていようと──彼が誰の子であろうと今は関係ない。仮令たとえ彼が予想どおり生死すら判らぬ先王の遺児だとしても、今はそれを確かめるときではないのだ。そもそも冒険者は本人が話さない限りその出自を尋ねることはタブーとされている。身分を隠している者もあるし、冒険者となることによって反王に仕えることを拒否した者もいる。様々な事情があるのだ。本人が話さないことは聞かない。それが冒険者間の暗黙の了解だった。

「私はバレンティア=レオンハルト・ノイラート。【フェンリル】盟主です。よろしく、イディオフィリア卿」

「俺はディレット=ガウェイン・ナハティガルという。【ヴァイシュピール】って小さな血盟の主だ」

「【プリッツ】盟主グラーティア=エルゼベト・ヴェルテンベルクと申します。アルノルトからお噂は伺ってます」

 3人も次々と名乗る。バレンティアは20代後半の怜悧な印象を受ける風貌をもつ青年、ディレットは如何いかにも傭兵といった風情の屈強な体躯を持つ20代半ばの青年であり、グラーティアは優しく穏やかそうな印象の30歳前後と思しき女性だった。

 一歩進み出て手を差し出してきたバレンティア、ディレットとはイオニアス同様握手を交わしたイディオフィリアだったが、グラーティアに対してだけは違った。片膝をつき貴婦人への礼をとる。これにはグラーティア当人だけではなく、バレンティアもディレットも驚いた。イディオフィリアがグラーティアに王族への礼をとったこともそうだが、その仕草にも驚いたのだ。ミストフォロスたちからは田舎から出てきた青年だと聞いていたが、そのイディオフィリアの仕草は優美であり、気品あるものだった。そう、王侯貴族といってもいいほどに。

「なんで姫にだけ?」

 取り敢えず誰もが思ったであろう疑問をアルノルトがイディオフィリアに投げかける。イディオフィリアとグラーティア、両名との付き合いから考えて自分が突っ込むべきだろうと思ったのだ。

「え? グラーティア様は先王の姪のお姫様でしょ。王族なんだし当然じゃ……」

「お……おひめさまぁ!?」

 イディオフィリアの言葉に途端にディレットが大笑いし、バレンティアも吹き出している。

「イディオフィリア卿、同じ盟主同士なのよ。そんな礼儀は無用だわ。階級だって同じストラティゴスなのだし」

 クスクスと笑いながらグラーティアは言う。アルノルトから色々と話は聞いているが、確かに素直そうな青年だと好感を抱いた。

「だけど、ディレットとバレンティアは少しは見習いなさいよ。あんたたち、私に対して失礼すぎるわ。私が最年長なんだし、少しは考えなさい」

「今更、ティアに? 無理無理」

「そうそう。そりゃお前さんが300人超える大所帯を仕切ってるのは尊敬に値するけどな。でもありゃ、下町のおかみさんだろ、どっちかっつーと」

 グラーティアの言葉にディレットとバレンティアは笑いながら反論する。グラーティアも本気で怒っているわけではなく苦笑している。

「ってことで、堅苦しいのは抜きな、イディオフィリア卿。面倒臭ぇ。イディオでいいか。俺のこともディレでいいぜ」

「そうだな。俺もバレンでいいぞ」

「は、はぁ……」

 まだ笑いながらそう言うふたりの盟主に、イディオフィリアは一気に緊張が解けていくのが判った。

「つーか、イディオ。王族だから敬意を払うってんなら、ここにいる全員王族みたいなもんだぞ。イオニアス殿とパーシィは準王家っていってもいいくらいの名門旧家出身だし、他の盟主は皆王族だし。アルだって俺だって族長の親族だから王族みたいなもんだしな」

 おかしそうにミストフォロスが言い、イディオフィリアはそれもそうかと納得した。ミストフォロスの言った『他の盟主は皆王族』に含まれた意味を正確に読み取ったのは、事情を知る特級3人とイオニアスだけだったが。

「さて、それでは打ち合わせを始めようか。イディオフィリア卿はこちらに座っていただきたい」

 和んだ場に柔らかなイオニアスの声が響く。優しげな声でありながら威をまとう声だ。その声に全員の顔が血盟主へ、イロアスへと変化する。

 が、イディオフィリアは示された席に驚いた。そこは上座だった。総指揮官が座るべき席だ。

「イディオフィリア卿には総指揮官をお願いしたいのです。その理由はこれから説明しますので、まずは座っていただけますか」

 他の7人が既に着座している中、自分だけ立っているわけにもいかず、イディオフィリアも座に就く。ここまで来ればイディオフィリアも腹を括った。誰も異を唱えないのならば、新参者に総指揮官を任せる理由があるのだろう。

「この度の戦いはファーナティクスとの戦いです。王国軍と同盟関係にあるファーナティクスと戦うことになります。反王が絡んでいないことは判っていますし、戦ったからといって反逆の罪に問われる心配はありません。国土と民を守るための戦いですからね。とはいえ、反王から指名手配を受けている私が総指揮官をしてしまうと、この軍は反乱軍と見做されてしまう。それはバレンティアも同様です」

「かといって俺じゃ、血盟の規模が小さ過ぎてまとまりがつかない。だから俺も不適格」

「私だと影響が大きすぎるの。先王の姪ということを隠していないから、私が軍を指揮することは変に反王を刺激しかねないわ」

 つまり他に誰もやれる者がいないのだとイディオフィリアは説明を受ける。更にいえば、今回参加する人員が最も多いのは【トリスケリオン】だった。血盟員総数からいえば【プリッツ】のほうが多いのだが、『自分たちは冒険者であって兵士ではない』と100名近くの血盟員が参加しないことを決めている。

「だけど、俺はまだ冒険者歴1年にも満たないし、血盟だって出来て数ヶ月です。そんな俺でいいんでしょうか」

「逆にそれも利点なんだよ」

 イディオフィリアの疑問に答えたのはバレンティアだった。

「経験の浅いイディオなら、周りに騙されて担ぎ上げられただけだって言い訳が通用する。フォロスやソルに丸め込まれたっていえば、役人も信じるさ」

「って俺とソルが悪役かよ!」

「適任ですね」

「フォロスはともかく、僕の大切なアシャンティまで悪人にしないでほしいな、バレンティア」

「んじゃ、フォロスに丸め込まれたってことにしとけ」

「…………はぁ」

 そんなものなのだろうかとイディオフィリアは曖昧に頷く。だが、不安はもうひとつある。自分は今まで軍を指揮したことなど一度もないのだ。

「実際の指揮は各部隊の隊長格が執ります。作戦はバレンティアが立てますしね。実際の戦いのときにはバレンティアがイディオフィリア卿の側につきます。ああ、グラーティア姫にはディレットをつけますからご安心を。戦いの前にそれぞれある程度は、バレンティアやディレット、パーシィ、セアドあたりから学んでいただくことにはなりますが」

 成る程、何も出来ないから総指揮官なのかとイディオフィリアは納得した。確かに前線指揮官が何も判らないでは話にならない。自分のすべき役割についてはこれからパーシヴァルやセアドと相談して、出来る限り勉強しなければと思った。

「イディオフィリア卿、僕が貴方に望むのはその強い求心力なのですよ。これまでひとつの血盟に長く居ついたことのないアシャンティやパーシィ、ミストフォロスまでもが貴方の血盟にいることを望んでいる。そして創設わずか数ヶ月で200人を超える大規模血盟にまで成長した。相互扶助の血盟なのに盟主の望んだ戦いに誰ひとり欠けることなく従軍している。これは尋常な人心掌握能力ではない。そんな貴方が総指揮官であれば、きっと皆安心して戦える」

 思ってもみなかったことを言われてイディオフィリアは驚きに目を丸くする。強い求心力? 人心掌握? そんなことはこれまで考えたこともなかった。けれど、そんな自分が役に立つのであれば、自分は喜んで神輿の飾りになろう。

「判りました。俺の役目は皆さんが安心して戦えるように場を整えること。そう理解して微力を尽くします」

 こうして5血盟からなるエリン防衛隊が始動した。そして、本人も知らぬながら、初めてイディオフィリアは祖父以外の親族との対面を果たしたのだった。






 イディオフィリアがエリンに到着してから5日が経過した。その間、イディオフィリアはやって来た血盟員と共に実戦形式の訓練を行っていた。バレンティアやディレットの指導を受けながら、ヴァルターやティラドールと共に実戦の指揮について学んでいるのだ。血盟たちも『狩り』ではない戦い方を学んでいる。

 バレンティアらは1からイディオフィリアに戦いについて教えなければならないと思っていたが、そうではなかった。アヴァロンにいたころからイディオフィリアは用兵術や戦術について祖父から教えられているのだ。それは机上の学問に過ぎなかったが、基礎は出来ている。知識を実践によって強化していくこととなり、イディオフィリアの指揮能力はバレンティアらの期待以上のものとなった。元々初心者育成血盟だったこともあって、イディオフィリアは端的な指示の出し方にも慣れており、また血盟員は指揮官の的確な指示に応える下地も出来ていたのである。

「すげぇな。狩りばかりしてたってのに、これだけ一般兵が指示どおりに動けるなんて」

 【トリスケリオン】と【プリッツ】による模擬戦を見学していたディレットが感心したように呟くと、隣にいたパーシヴァルは当然だというように微笑んだ。

「うちは初心者育成血盟ですからね。常日頃から指揮官の指示には絶対に従うように訓練しています。それが最低限安全に狩りをするために必要なことです。それに彼らは集団で戦うことの意味を知っていますから、何をすべきではないのかも判っているんですよ。己の技量を冷静に把握もしています」

 毎日のように何処かのダンジョンに出かけては訓練を積んでいるのが【トリスケリオン】だ。どうすれば全員が安全に狩りを出来るのか、フューラーだけではなく全員が考えるように指導もしている。イディオフィリアら幹部はそのためにどう指導すべきかも日頃から話し合い、試行錯誤し全員で成長を続けているのだ。

「イディオは基本的な用兵だけじゃなく、過去の戦術や戦略にも通じてた。一体何者なんだ、あいつは」

 イディオフィリアの様子を満足そうに、そして何処か誇らしげに見ているパーシヴァルに、ディレットは対面以降持っていた疑問をぶつける。一瞬驚いたような表情でパーシヴァルはディレットを見ると、すぐに普段の温厚そうな笑みを見せる。

「今はまだ申し上げられません、ディレット殿。ですが、貴方の──貴方がたの予想は恐らく外れてはいないのではないかと思いますよ」

 やはり気付いていたかと苦笑しつつパーシヴァルは応じた。王族ならば王妃の顔を当然見知っている。気付いても不思議はない。

「だったら、あいつの顔、少しは隠せ。見るヤツが見れば、一発で判っちまうぞ」

「その点は心配いりませんよ。あの乱以降、かの女性の顔を知っている者は宮廷にはわずかです。そしてそのわずかな者は同志ですからね。敵方であの方の顔を知っているのは反王だけでしょう」

 反王の乱によって宮廷の主だった者は粛清されている。それ以前に王都を脱出し雌伏している者も多い。今の宮廷にいるのは先王の時代には直接の対面が許されない程度の地位にいた、謂わばうだつの上がらなかった者ばかりなのだ。

「それに我々とて、全く用心していないわけではありませんよ。イディオフィリア殿にミレシアの街中を歩くことはさせていませんし。ご本人は不思議がっていますがね」

 ミレシアのような大都会では田舎から出てきた青年は格好のカモだから出歩くなと、ソルシエールがイディオフィリアに厳命しているのだ。イディオフィリアはそんなこともないだろうと思っていたが、こっそり出かけ酔漢aよっぱらいや破落戸aごろつきに絡まれて以降、ミレシアに行く際には殆ど宿屋から出なくなっている。その酔漢や破落戸がソルシエールの旧知の元冒険者たちであることは秘密だ。

「まぁ、あんたやソル殿がついてるんだから、俺が心配することじゃないな」

 それなりに長い付き合いもあり、ディレットはパーシヴァルが見た目どおりの『高潔な騎士』ではないことも知っている。必要とあれば策謀も辞さない男なのだ。

「取り敢えず今は、目の前のことをすだけですよ、ディレット殿。エリンを守りファーナティクスを退けねばなりませんからね」

 パーシヴァルは穏やかな、それでいて食えない笑みを浮かべた。






「だからー! 俺はイディオに会いに来たんだってば! 何処にいるんだよ、あいつは」

 模擬戦を終え、それぞれの今後の課題などの反省会も終え、ようやくひと息ついたイディオフィリアの耳に甲高い子供の声が聞こえた。

 エリンの住人はエルフの協力によってティルナノグの森近辺に避難を開始しており、子供はいないはずだ。不思議に思ったイディオフィリアが外に出ると、人だかりが出来ていた。

「イディオ、この子供がお前に会いたいって来たんだけど、知り合いか?」

 血盟員が戸惑った表情で子供の相手をしており、出てきたイディオフィリアに問いかける。

 イディオフィリアの姿を見止めると、少年は駆け寄ってきた。金髪碧眼の愛らしい少年、年の頃は10歳前後というところか。如何いかにも良家の子弟といった姿をしている。だが、子供の知り合いなどいるはずもなく、目の前の少年に見覚えはない。

「ああ、坊ちゃん! こんなところにいらしたんですか! 俺から離れないようにって乳母殿から言われてたでしょうに」

 戸惑っているイディオフィリアらの許に、新たな人物が登場する。今度は20代半ばくらいの従僕の姿をした青年だ。

「だぁ! 坊ちゃんっつーな! それにセイレーンは俺の乳母じゃない!」

「坊ちゃんは坊ちゃんですよ。また貴方は面倒を起こして……」

 従僕らしき人物はイディオフィリアの前で少年にお説教を始めようとしている。どうやら、少年は彼の主筋に当たるようだ。しかし、少年にも青年にも見覚えはない。

 自分の目の前で自分を無視して騒いでいるふたりに、イディオフィリアはすっかり面食らってしまう。隣にいるヴァルターも同様で、ふたりは顔を見合わせる。

「ソルシエール様からも言われているでしょう、パーシヴァル卿やイディオフィリア殿に迷惑をかけないようにと」

 そこにソルシエールの名が出てきたところで、フィネガスがもしかして、と呟く。あまり例のないことではあるが、ソルシエールの召喚獣ならばそれが可能だろうと思ったのだ。それをフィネガスが問いかけようとしたところで、別のところから解答が齎された。

「あれ、ロデムとノアールじゃないか」

「おや、お珍しいお姿ですね、ロデム殿」

 一向に収まらない騒ぎに様子を見に来たミストフォロスとパーシヴァルだった。

「え、ロデム殿とノアール殿?」

「あ、やっぱりそうなんだ」

 フィネガス以外は当然ながら驚いて目を丸くするのだった。