宿命への前奏曲

 兄との対面を終え、ソルシエールは予定を変更してセネノースへ戻ることにした。時間がないのだ。予定は変更せざるを得ない。

 兄が帰った後、ソルシエールはミストフォロスにすぐにセネノースのアジトに戻ることを伝えた。ミストフォロスもソルシエールの表情から徒事ではないと察したのか、何も聞かずにひと足先にセネノースへと戻った。

 ファーナティクスとの戦い──これが、イディオフィリアと【トリスケリオン】にとって最初の戦いとなる。そこから先は恐らく連鎖的に戦いは続いていくことになるだろう。

 幸いにも今回はファーナティクス単独での出兵であり、反王、つまりフィアナ王国軍との連携はない。ファーナティクスが勝手にエリンを襲うのだ。そこにわずかな希望もある。王国の民と領土を守るという大義名分が成り立つことから、戦闘を行ったからといって反逆者扱いされることはない。尤も反逆者として指名手配を受けている『イオニアス・ベイオウルフ』と行動を共にするのだから油断は出来ないのであるが。

 それにファーナティクスの兵との戦いであることも、まだイディオフィリアたちへの心理的負担は少ないだろう。これが親オグミオス派の諸侯の兵との戦いであれば、同じアンスロポス同士、同族と戦うことになる。それよりはファーナティクス兵との戦うほうがまだ『マシ』と言えるかもしれない。他種族、しかも敵対しているファーナティクスであるほうが心理的抵抗が少ないだろう。

 いずれは王国軍とも戦わねばならない。けれど、戦うときにはイディオフィリアは己の出自も宿命も全て知っているはずだ。そして自らの意志で戦うことを選んでいるはずだ。覚悟も出来ているだろう。

「さて、戻りますか……」

 戦いを前にきっと戸惑い悩むであろうイディオフィリアのことを思うと、わずかばかり胸が痛むソルシエールだった。






{ヴァル、ティラ、フィン。アジトに戻ってくれ。ソルが大事な話があるって言うんだ}

 イディオフィリアは今ではすっかり幹部となっている3人の友に心話ウィスパーで呼びかけた。正確には魔力の乏しいヴァルターは心話を使えないため、同行しているティラドールに伝えてもらったのだが。

 4~5日骨休めしてくるといって出かけていたソルシエールが突然戻ってきたのはつい先ほどのことだった。たった2日で帰ってきたことにも驚いたが、何よりも驚いたのは、これまで見たこともないような厳しい表情をしていたことだった。どんな魔族討伐の際にも見せたことのないほどの厳しく、緊張感を持った表情だった。

 ソルシエールは全員揃ったら呼んでくれと言って自室に戻っている。地下の会議室──リチェルカの打ち合わせをする際に利用する小部屋には、既にミストフォロスとパーシヴァル、セアド、そしてアルノルトがいる。アルノルトは血盟員ではないが、ソルシエールが呼んだらしい。

 特級全員にセアドまで揃っている。しかもパーシヴァルは妻のオクタヴィアに幹部以外を会議室に入れないようにと厳命していた。一体何事なのかとイディオフィリアが不審に思うのも無理はないだろう。

「ただいまーっと」

 転移魔法で、訓練指導のために出かけていた3人が戻ってくる。

「ああ、お帰り。早速地下の会議室に行ってくれるか」

「了解。でも、こんな突然の呼び出しなんて、一体何があったんだ?」

 こんなに急に召集されることなどなかっただけに、ヴァルターらの表情も不安と不審に満ちたものになっている。

「判らない。でも、ソルの表情が尋常じゃなかったし、パーシィさんたちも何か感じ取ってるのか、厳しい表情してる」

 オクタヴィアに全員揃ったことをソルシエールに伝えるように頼み、イディオフィリアたち4人も地下へ向かう。アジトの地下には食料庫と武器庫、広間があり、一番奥には20人程度が集まれる大きさの会議室を設けている。血盟のアジトとなったときに広間の一角を工事し、作ったのだ。

「で、フォロス。イオニアス卿に直接会ったんだろ? どんな方だったんだ、『月白のスコル』は」

「ああ、想像とは全く違ってた」

 イディオフィリアたちが会議室に入ると、先にいた4人はなにやら盛り上がって話をしている。話の流れが判らないイディオフィリアにパーシヴァルが『先日ソルの兄上とお会いしたときのことを話しているのですよ』と教えてくれた。いつもと変わらない様子の先輩冒険者たちにイディオフィリアらも緊張感が薄れ、安堵を覚えた。

「ムスタファ卿のような厳つい方を想像していたんだが、見た目と評判が全く一致しない方だったな」

「そうですね。イオニアス殿は見た目だけなら吟遊詩人といっても通るような優しげな容貌をしておられますからね」

 ミストフォロスの言葉に再従弟であるパーシヴァルが頷く。

「バルタザールおじ上もムスタファ殿も如何いかにも戦士といった風情の偉丈夫ですからね。イオニアス殿はソルと同じで母上に似ておられる」

「あの優しげな風貌で、あれだけ過激な破壊活動するんだからな。人は見かけによらないって本当だな」

 この中でイオニアスの顔を知っているのは、先日顔を合わせたミストフォロスの他は親戚であるパーシヴァルだけで、アルノルトもセアドも素顔を見たことはない。何度か会ったことはあるのだが、常に変装をしているため顔が違うのだ。それだけイオニアスは用心をしているということだった。

「ソルのお兄さんって、ふたりいるんだ……」

 パーシヴァルたちの話からイディオフィリアはそれを知る。自分は考えてみればソルシエールのことを殆ど知らないのだと改めて気付かされた。知っているのは、賢者であること、ソフォスであること、祖父の妹弟子にあたること、パーシヴァルの再従妹であること、そして今知った兄がふたりいること。それだけだ。

 否、ソルシエールのことばかりではない。ここに集っている7人のこと、家族や生い立ち、経歴など自分は全く知らない。ただ判っているのは仲間だということ。

 冒険者に過去を問わないのは冒険者間では暗黙の了解だ。過去──つまり、家族・生い立ち・経歴。過去は関係ない。大切なのは現在と未来なのだ。そして、ここに集っている仲間たちは信頼できる人たちだ。

 それさえ判っていれば、他はどうでもいいことのはずだった。但し、ソルシエールに関しては恋する青年として、やはり色々と知りたいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。

「っつーか、ソル、遅いな。人を呼び出しといて」

 話がひと段落したというのに、未だにソルシエールが現れない。アルノルトの言葉にイディオフィリアが改めてソルシエールを呼びに行こうかと腰を浮かせたところで、ようやくソルシエールが姿を現した。

「ごめんなさい、待たせたわね」

 そう言って入ってきたソルシエールの姿を見て、いつもとは違う彼女のいでたちに全員が息を飲んだ。

 魔術師は魔法を効率を高め魔力を高めるために、その装束は独特なものだ。特に女性魔術師の場合、かなり露出度の高い衣装になる。普段ソルシエールが身にまとっているのは、大腿部からスリットの入った紫紺のベアトップのロングドレスだった。けれど今、ソルシエールが身に付けているのは、まるで真珠の粉を織り込んだかのような光沢のある白いローブとマントであり、露出している部分は顔と手だけだ。更にその額にはこれまでに見たこともない額飾りサークレットがある。

 そのサークレットを見た瞬間、パーシヴァルとフィネガスは表情を硬くした。ふたりはそれに見覚えがあった。親族であるパーシヴァルは実物を見たことがあり、研究者であるフィネガスは文献の中でそれを知っていた。

 それはマクブラン一族に伝わる一種の神器ともいえるサークレットだった。マクブラン一族とはソルシエールの母方の一族、つまり、聖者ブランの血筋のことである。神器を身にまとっているということは、それほど重大なことが起こるのだ。

「話が終わったらすぐに出かけなくてはならないの。すぐにでも発てるように準備していたら遅くなってしまったわ。ごめんなさい」

 ソルシエールの言葉とサークレットから、パーシヴァルとフィネガスはソルシエールの意図を正確に読み取った。そして緊張を露わにする。この話の後にソルシエールが何処に向かい、何をするのかを理解したのだ。

 サークレットの意味を知らぬ者たちでさえ、常とは違うソルシエールの姿から、やはり重大な事態なのだと気を引き締めた。

「先日、兄イオニアスがアンヌンを通して連絡してきて、訪ねて来たわ。【自由の翼】盟主イオニアス・ベイオウルフとして。そして、【トリスケリオン】への協力を要請してきた。事態の重さから、最大規模の血盟である【プリッツ】にも協力を要請したほうが良いと思って、アルノルトにも来てもらったの」

 ソルシエールは座に就くや、そう話を切り出した。そしてそのまま、衝撃を齎す事実を告げる。

「約1ヵ月後、ファーナティクスがエリンへの侵攻を計画してる。その数、およそ1万」

 途端に座がざわめく。そして納得した。だからソルシエールはあれほどの緊張と緊迫感をまとっていたのだ。

「イオニアス卿の話はそれだったのか」

 イオニアスとの繋ぎを取ったミストフォロスは得心したように頷く。返事をした翌日には会いに来るなど性急過ぎると思っていたのだが、それも納得がいく。

「1ヵ月後……ですか。イオニアス殿の情報であれば間違いはないでしょうね」

「だな。【自由の翼】の情報の正確さは冒険者ギルドよりも上だ」

「しかし、1万とはな。厄介だねぇ」

 パーシヴァル、アルノルト、セアドは一瞬の衝撃が去ると、落ち着いた声でソルシエールの齎した情報を確認する。イディオフィリア、ヴァルター、ティラドール、フィネガスは衝撃的な内容に言葉も出ない。

「エリンの人口は2000にも満たないだろ。そこに1万とは大袈裟だな」

 かつては王国軍に属していたこともあるセアドが溜息混じりに呟く。

 王国軍の総数は3万に満たない。ファーナティクスからの支援兵を入れて6万といったところだ。1万の兵力とはそれだけ大きなものなのである。

「エリンが狙いなら1000程度しか動かさんだろ。本当の狙いはその先にあるんじゃないか」

 応じるのはミストフォロスだ。ファーナティクスとエレティクスが分裂したのは100年ほど前のことで、当時ミストフォロスは暗殺軍王配下の分隊長だった。ここにいる9人の中で一番正確にファーナティクスの強さを知っているのはミストフォロスだ。

「だとすれば、狙いはアヴァロンということになりますね。あの島の存在は、確かにファーナティクスにとっては厄介なものでしょう」

 パーシヴァルが推測する。

 ファーナティクスが20年前にオグミオスと手を組んだのは、いずれ地上を全て支配することが狙いだった。ファーナティクスは現在の地上の支配者であるアンスロポスを滅ぼし、自分たちが全てを治めるという野望を抱いている。

 そんなファーナティクスにとって、尤も厄介な存在のひとつがアヴァロンだった。唯一自分たちがこれまで侵攻できていない島。その島の存在は彼らの自尊心を傷つけ、フィアナの民に自分たちを侮らせる結果を生んでいる。その島を襲い破壊し尽くすことは、ファーナティクスにとって重要なことだった。

 大賢者ベルトラムをはじめとした魔術師たちが住むアヴァロンは、ミレシア大聖堂・琥珀の塔と並んで、魔術師たちの聖地のひとつだ。ミレシア大聖堂は聖魔法に特化し、琥珀の塔は研究が中心であるから、実践者である魔術師にとってはアヴァロンこそが最も重要な場所となる。

 また、イル・ダーナを祀るミレシア大聖堂、エルフの聖地でもあるティルナノグと並んで、フィアナの民の精神的支柱のひとつでもあるのがアヴァロン──より正確にいうならば大賢者ベルトラムだった。

「アヴァロンにファーナティクスが侵攻したりしたら、俺ら一生ベルトラム尊師にネチネチ嫌味言われるだろうな」

 ソルシエールと似たことをアルノルトが言うと、ミストフォロスが笑いながらそれを否定する。

「一生どころじゃねーだろ。生まれ変わっても言われるぜ」

 ミストフォロスの明るい声にパーシヴァルもセアドも笑う。既に彼らは最初の衝撃からは完全に回復しており、常の彼らに戻っている。

「そういうこと。師匠に苛められないためにも、エリンでファーナティクスを阻止しなくてはね。万一にもアヴァロンが陥ちる様なことがあれば、フィアナの結界も揺らいでしまうわ」

 ソルシエールもまた明るく応じながら、話を進める。

「私が遅くなった理由はもうひとつ。兄から心話があったの。ファーナティクスのどの軍が出てくるのか、大凡おおよそ判明したのですって。魔獣軍王コヴァスの軍らしいわ」

 潜入し調査を進めている者から連絡があったのだと、イオニアスはすぐにソルシエールに知らせてきた。ソルシエールの側にはミストフォロスもいることから、早めに知らせておいたほうが良いだろうとの判断だった。

「コヴァスか……。まぁ、他の3軍王に比べりゃまだやり易いかもしれないな」

 案の定、ソルシエールの情報にミストフォロスが呟く。ミストフォロスがまだファーナティクスにいたころは軍王ではなく、その下の分団長だった男だ。

 ファーナティクスにはひとりの冥王とその下に4人の軍王がいる。冥王の名は真冥王チェルノボーグであり、彼がファーナティクスの支配者だ。軍王は魔獣軍王コヴァス、魔霊軍王ヴェルペィヤ、暗殺軍王ヤロヴィート、冥法軍王トリグラフの4人で、彼らが実戦指揮官となる。トリグラフ以外はファーナティクス分裂以前は軍王ではなかったのだが、100年も経てば人事も変わるだろう。特に前暗殺軍王はエレティクスの長ベディヴィアなのだから、変わらざるを得ない。

「魔獣軍王コヴァスですか……。どういった人物なのですか、フォロス」

 パーシヴァルも名は知っているが、直接戦ったことはない。そもそも20年前の反王の乱以降、軍王が地上に出てきたことはないのだ。

「良くも悪くも武人だな。力と力の正面決戦を好む。まぁ、それもあるから変な策略を使ったりはしないだろうし、非戦闘員を害すこともないだろうな。その点じゃ戦い易いんじゃないか」

 つまり、正面からの武力衝突で決着がつく、単純といえば単純な戦いになりそうだ。これが暗殺軍王ヤロヴィートや冥法軍王トリグラフであれば正面決戦ではなく策謀を用いての戦闘──というよりも寧ろ虐殺になるだろう。

 魔獣軍団はフィアナでいえば騎兵隊にあたる。馬ではなくマーナガルムを乗騎として使うのだ。尤もシュヴァルツたちが『あんな知能の欠片もない者共を我らと同類と思うのは止めていただきたい』と言っていることから、実際は別種族らしい。

「だが、戦力としては侮れないのも確かだな。魔獣軍団は確かに1万の兵力を持ってる。集団戦闘ではファーナティクス随一の実力だからな」

「今後の訓練にもなるさ。随分厳しい訓練だがな」

 今後──反王との戦いを見据えてセアドは言う。負けることなど考えてもいない。

「イオニアス卿は既に【フェンリル】と【ヴァイシュピール】へも協力を要請しているってことだったわ。でも、圧倒的に人が足りない。だからうちにも声をかけたのよ」

 ソルシエールはそこで言葉を切り、イディオフィリアをじっと見つめた。

「イディオ、貴方が血盟の盟主よ。この要請を受けるかどうかは貴方次第。どうする?」

 8対の視線がイディオフィリアに向けられる。イディオフィリアとしてはいきなり与えられた情報を処理するのに精一杯ですぐには返答できなかった。

「エリンに、ファーナティクスの軍勢が押し寄せてくるんだね。そして、それに対抗するにはエリンだけでは到底無理で、3つの血盟が防衛にあたるけど、戦力は足りない」

 自分の頭を整理するために口に出しながらイディオフィリアは確認する。

 これまで魔族討伐以外のリチェルカを受けたことはない。『軍』と戦うことなど考えたこともなかった。戸惑うのは当然だった。魔物を狩ることと軍と戦うことは違うのだ。

 魔物はフィアナに住む民に害を成す存在だ。狩らなければ自分たちがやられる。魔物を狩るのに罪悪感など持たないし、良心の痛みを感じることもない。自分たちの命を繋ぐために狩猟するのと同じなのだ。だからこそ、冒険者たちは魔族討伐を『狩り』と呼ぶのだ。

 だが戦争となれば違う。相手は自分たちと同じ人(この場合の『人』は社会を構成しているアンスロポス・エルフ・ダークエルフ・ドワーフを指す)なのだ。同じように生き、生活を営み、家族を持っている者なのだ。命の奪い合いをすることに対して心理的障壁が生ずるのはどうしようもない。

 だからといって、戦いを全面否定するわけではない。戦いでしか解決できない問題というのはあるのだ。少なくともそう信じる者たちがいるから、戦争はなくならない。

 イディオフィリアは自らが戦いを起こす意思はない。問題解決の手段として安易に戦争を選ぶことはしない。戦いはそれ以外の手段による交渉が完全に決裂し、武力に訴えるしか他に手段がなくなってしまった場合のものだと思っている。

 用兵や政治、それに付随する歴史をイディオフィリアが祖父から教えられているから、戦争の持つ意味は理解している心算つもりだ。その上で、戦争は出来るだけ避けるべきものだと思っている。戦争による問題解決は下策だと学んでいるのだ。

 尤も、戦争をするかどうかは統治者が決めることであって、平民である自分には関係ないことだと思ってもいたのだが。

 しかし、今回の場合は違う。既に相手は戦争をすることを決めているのだ。完全に利己的な都合によってだ。最早戦争以外の選択肢はない。選択肢があるとすれば、無抵抗で殺されるか、戦うかという二択だけだった。

 イディオフィリアとてファーナティクスがどのようなものかは知っている。彼らはエレティクスと同じダークエルフであり、反王オグミオスと協力関係にあるとはいえ、アンスロポスと友好関係にあるわけではない。寧ろ、ファーナティクスは己と魔族以外の他種族に対しての敵愾心を持っている。特に元は同族であったエルフと現在フィアナ大陸を支配しているアンスロポスに対しては憎しみに近い感情を抱いている。能力に優れている自分たちが世界を支配すべきなのだという誤った信念を持っているのだ。それゆえにエレティクスの長・ベディヴィアは袂を分ったのだと祖父から聞かされている。

 そして、そんなファーナティクスは戦争においてもその思想のままに虐殺を行う。敵兵士のみならず、非戦闘員の無辜の民までも害するのだ。幸い、今回は唯一の例外である魔獣軍王コヴァスの軍だから、非戦闘員に害が及ぶことはなさそうだが。

「黙ってエリンの民が殺されるのを見てるわけにはいかない」

 イディオフィリアは真っすぐにソルシエールを見返す。けれど、簡単には決断できない。血盟として戦いに加わるのであれば、死者が出ることは避けられない。魔族討伐では全員に目が届く人数での戦闘であるため、危険になれば戦線離脱させることも出来るが、戦争となればそうも行かない。

「ヴァルタ-、ティラドール、フィネガス。お前たちの意見は?」

 イディオフィリアはこれまでずっと沈黙していた己の片腕ともいうべき3人に問う。パーシヴァルたちに問うことはしない。彼らは【トリスケリオン】が参加しなくとも自分たちの判断で加わるだろうと思ったのだ。

「俺はイディオの決断に従うさ」

 気負う様子もなく、ヴァルターはあっさりと応える。今では血盟の皆からイディオフィリアの第一の側近と認められているヴァルターである。自らもそれを自負し、イディオフィリアを補佐すること、イディオフィリアに従うことを誇りとさえしているのだ。

「俺もだ。この血盟作ったときから、イディオの決断に従うって決めてるんだからな」

 そうでなければ、初めから血盟に所属したりしないとティラドールは応じる。イディオフィリアが信頼に足ると思えばこそ、イディオフィリアと共に歩みたいと思えばこそ、しがらみの多い組織に属しているのだ。

「第一、エリンを見捨てられるわけないだろ。それに姐御のことだから、勝算なしに俺らを巻き込むとは思えないしね」

 フィネガスは肩を竦めながら答える。冒険者に失望していた自分の考えを根底から変えてくれたのがイディオフィリアなのだ。自分の進む道はイディオフィリアのものと同一なのだと思っている。

 3人とも戦争だろうが、ファーナティクス侵攻だろうが、それ自体は関係ないのだ。イディオフィリアと共に在ること。それが彼らにとっては重要だった。

 彼らとてファーナティクスと戦うことに対しての恐れがないわけではない。1万の軍勢だ。しかも圧倒的に数が足りない戦いだという。イディオフィリアに打診されたのでなければ、断っているかもしれない。義侠心や正義感だけではどうにもならない問題なのだ。

 だが、イディオフィリアは戦うという。彼らしい理由で。ならば、自分たちが採る道はひとつしかない。イディオフィリアと共にあるのであれば、どんな道とて笑って進める。仮令たとえそれが地獄への道行きだったとしても。

 力強く頷いてくれる3人の友人に笑って頷き、イディオフィリアはソルシエールに向き直る。

「ってことだから、受けるよ、要請」

 イディオフィリアはホッとしながら、ソルシエールの承諾の意を伝える。それでも迷いがないわけではない。自分のこの決断によって、恐らく血盟員の中には命を落とす者も出るだろう。

「でも、血盟員には参加を強制はしない。命の危険がある。俺の命令で死ねとは言えない」

 キッパリとイディオフィリアは言う。それにソルシエールたち古参の冒険者は苦笑を零す。予想していた返答ではあったのだ。まだ、彼には覚悟が足りないのだ。『軍』の指揮官としては甘いといっても良い。

 だが、それも無理はないことだ。【トリスケリオン】は冒険者の血盟であり、軍ではない。初めから反王との戦いを想定している【自由の翼】や【フェンリル】、或いは傭兵として活動する【ヴァイシュピール】とは違うのだ。

「ええ。それは構わない。戦闘に不慣れな者や怖気づく者がいても足手まといになるだけ。エリンを守ろうという意志のある者だけでいいわ」

 ソルシエールが頷くと、イディオフィリアは安心したようだった。

「でも、実際のところ、どれくらいの戦力になるんですか? 1万なんてこっちは揃わないでしょう?」

 ひと先ず血盟として参加することが決まった上で、ヴァルターが問いを発する。不利な戦いであることは承知しているが、それがどれくらいのものなのか判らなければ血盟員に説明のしようもない。

「そうですね……【トリスケリオン】が仮に全員参加したとしても、総数で500に届くかどうか、でしょうね」

 パーシヴァルの返答は絶望的なものだ。1万の軍に対してわずか500とは。

「【プリッツ】を合わせても800くらいだな。1000にすら届かない」

「エレティクスの冒険者も大抵は参加する予定の血盟に既に所属してるからな。上乗せは難しいな」

「王国正規軍だって頼りにはならないだろうしな。エリンだとピクト領主の管轄だけど、あそこの兵の殆どはファーナティクスだしな」

 アルノルトもミストフォロスもセアドも絶望的な状況を語りつつも、決してその表情は悲観しているものではなかった。

 勝機は必ずある。そう確信していた。それはひとつには彼らが『月白のスコル』を知っているからだ。イオニアス・ベイオウルフという将は、決して勝てない戦はしないのだ。どうやっても絶望的な状況だと思えば、彼はエリンを見捨てただろう。けれど、イオニアスはそうしなかった。つまり、彼には勝算がある。

「イオニアス卿はファーナティクスの内部不和を利用して戦力を削ると言ってた。魔獣軍団全てを出征させることはしないとね。そうはっきり言ったのだから、恐らく半数までは削れる。彼は不可能なことは口にしないわ」

 幼いころからイオニアスは常に有言実行してきた。兄がはっきりと戦力を削ぐと言ったのだから、彼はどんな手を使ってもそれを成し遂げるだろう。

 ファーナティクスは現在、魔獣軍王コヴァスと魔霊軍王ヴェルペィヤ、暗殺軍王ヤロヴィートと冥法軍王トリグラフのふたつの派閥に分かれている。コヴァスが出陣すれば、トリグラフは好機と見てヴェルペィヤの排除に動くかもしれない。その可能性がある限り、コヴァスは全軍を出陣させることは出来ず、牽制のためにある程度の数の兵を信頼できる配下の武将に預けて残していくことになる。そうなるべくイオニアスは策を巡らせ、動いているのだ。

 そして、もうひとりの兄も全く動かないわけではないとの連絡も受けている。恐らくクロンティリス一族とフェーレンシルト一族の私兵が合わせて1000程度は援軍として参戦するはずだ。

 ただ、それでも戦力差は大きい。2倍以上の差がある。いくら防衛側は攻撃側に比べて兵力が少なくても済むとはいえ、エリンは要塞でも城でもない。兵力差は少ないほうが良い。更にはアストヴィダーツ召喚の問題もある。

 ゆえにソルシエールとしては戦力を増強するために、この1ヶ月の間に成し遂げなければならないと決意したことがあった。

「イディオたちは部隊の指揮経験もないから、訓練の必要があるわね。1日も早くエリンへ行って、バレンティア卿やディレット卿に指導を仰ぐといいわ。既に彼らはエリンに向かってるはずよ」

「判ったよ。今夜にでも皆に話して、明日明後日にはエリンに向かうようにする」

 確りと頷いたイディオフィリアを笑顔で見遣り、ソルシエールもまた頷く。

「私はこれからしばらく単独行動するわ。戦いを有利に進め、勝利を確実なものにするためにも、ちょっと新しい召喚獣手に入れてくるから」

 その言葉に3人のイロアスとフィネガスは目を見開く。ソルシエールが何を召喚しようとしているのかを悟ったのだ。

 ソルシエールが勝利のためにすべきこと。それは──水竜バラウールの召喚だった。