兄と妹

 フィアナ大陸の南東にマグメルドという島がある。その昔、海賊王と呼ばれたドレイクが拠点としていた島であり、海賊島との通称で呼ぶ者も多い。海賊王の莫大な財宝が島の何処かに隠されているともいわれており、冒険者たちの夢を掻き立てる島でもある。

 また、この島の地底には闇の神ハフガンが棲むといわれており、その闇の力に惹かれるのか、中位以上の魔族が多く出現する。但し、強い力に惹かれているせいか、地上に魔族が現れることもない。念のためにとミレシア大聖堂から派遣された聖職者たちが地上と繋がる地下への入口には封印を施している。そのため、人々の住む地上は平穏なものだった。

 魔族の出現地域が限られていることもあり、ある意味この島はフィアナ大陸本土よりも過ごし易い土地でもある。澄み切った蒼い海と美しい自然の風景に囲まれた島は人々に愛され、今では貴族や富豪たちの別荘地となっていた。

 そんなマグメルドの閑静な別荘地の一角にその邸はある。

「お帰りなさいませ、ご主人様ミレディ

 メイドのベルタが久々に帰ってきた女主人を出迎える。

「ただいま、ベルタ。はい、いつものお土産」

 約半年ぶりに帰ってきたソルシエールはメイドに土産の包みを渡しながら応える。

「いつもありがとうございます、ミレディ」

 まだ年若いベルタは嬉しそうにそれを受け取る。この女主人は帰ってくるたびに王都や大都市セネノースでしか手に入らない見事な絹や装飾品──それでもベルタが身に付けて違和感のない程度の品──を買ってきてくれる。

「留守中、何かあった?」

 変事があれば連絡があるはずだが、ソルシエールはベルタに尋ねる。習慣のようなものだった。

「何もございませんでした。ところで、お湯殿のお仕度も整っておりますが、如何いかがなさいますか?」

 室内に入るソルシエールに従いながら、ベルタが告げる。この家には大浴場ともいえるほどの大きな浴室があり、ソルシエールのお気に入りの場所だった。

「ありがとう」

 ソルシエールが微笑んで応じるとベルタは一礼する。しかし、そんなベルタに、邪険にするように声をかけた者がいる。ソルシエールに付き従っていた中年の女性だった。

「貴女はお食事の支度とお掃除だけしてくだされば結構ですわ、ベルタさん。ソルシエール様のお世話はわたくしがしますからね」

 まるで邪魔だと言わんばかりに女性は言う。この女性はハルピュイアのセイレーンが人型を取った姿だった。

「はい、セイレーン様。後はよろしくお願いします」

 いつものことなのでベルタは苦笑して、後をセイレーンに任せた。このソルシエールの忠実な乳母(ベルタはセイレーンが召喚獣であることは知らず、その過保護ぶりから乳母だと思っている)は自分の主に他者が近づくことをとても嫌がるのだ。今日はいないようだが、時折やってくる男の従者(これはマーナガルムたちが人型を取っている)も同様だ。大貴族の令嬢(これを聞いたミストフォロスなどは大笑いした)であるソルシエールであるから、お付きの人たちも大切なお嬢様(これを聞いた以下略)を守るために神経質になるのだろうとベルタは理解している。

 ベルタにとってこの職場は天国だった。女主人のソルシエールは年に3~4回しかこの邸に帰ってこない。それも2~3日、長くても10日程度しか滞在しない。滞在中の身の回りの世話は全て乳母のセイレーンがするため、ベルタの仕事は気楽な下働きと同じで、貴族の姫君の相手などという気の張る仕事はしなくていい。料理や洗濯は苦にならないし、掃除だって館とはいえ小さな別荘だから、それほど大変な仕事でもない。少なくともソルシエールは邸を利用する3日前には連絡をくれるから、準備に慌てることもないし、連絡に来る従者は皆美青年で眼の保養にもなる。

 他のお屋敷のメイド仲間などは主人たちの我が侭に腹を立てたり振り回されたりしているが、ベルタにはそれもない。それどころか、ソルシエールは帰ってくるたびに珍しい土産を必ず持ってきてくれるし、お給料だって他の屋敷のメイドよりも遥かに良い。

 時折やってくるソルシエールの恋人らしいエレティクスの青年は洒脱で感じの良い人物だし、来るときにはミレシアやセネノースの高級菓子を土産としてベルタに持ってきてくれる。

 勤め始めるときには『主及び館に来る者の身分など一切の詮索はしないこと』と誓約書を書かされたが、そんなことは別荘のメイドをしていれば当然のことで、不満に思うことでもない。第一、ソルシエールや訪れる人々の立ち居振る舞いは皆紳士淑女で身分の高さが窺われ、不審なところは何もない。恐らく、王都での窮屈な日々の息抜きにこの別荘を利用しているのではないかと思うベルタだった。






「ソルシエール様と水入らずで過ごせるのは久しぶりですわね」

 うきうきと嬉しそうにセイレーンは言う。セネノースのアジトではいつも人がいるため、召喚獣たちは滅多に実体化することも出来ず、敬愛する主と過ごせる時間は殆どない。それでもマーナガルムやロデムはリチェルカの際にソルシエールと過ごすことが出来る。しかしセイレーンは戦闘の際に召喚されることは殆どなく、圧倒的にソルシエールと過ごす時間が少なかった。ソルシエールが幼いころから仕え身の回りの世話をし、母代わりを自認しているセイレーンは不満が溜まっていたのだ。因みに人形を取っているときにはセイレーンはソルシエールを『レギーナ』ではなく『ソルシエール様』と呼んでいる。

「そうね。久しぶりにゆっくり出来るわ」

 湯殿で心行くまで心身の疲れを取り満足したソルシエールは、風通しの良い窓辺の安楽椅子に腰を下ろす。すると、すっとその膝の上に1匹の黒い仔猫が飛び乗り丸くなる。

「まぁ、ロデム殿! ソルシエール様が寛いでいらっしゃるのに!」

 セイレーンは仔猫を非難する。この愛らしさ満点の仔猫はロデムの変身だった。

 一般には知られていないことでもあり、力の強い魔獣でなければ不可能なのだが、召喚獣は人型になることも動物姿になることも出来る。セイレーンは小鳥に、マーナガルムは犬に、そしてロデムは猫へと変身する。この隠れ家にいるときにはセイレーン以外は動物姿になっていることが多い。

〔この愛らしい姿でレギーナの癒し効果は倍増だ。文句を言われる筋合いはない〕

 ファーっと欠伸をしながら、ロデムは悪びれずに応える。

〔狡いですぞ、ロデム殿!〕

 黒い大型の狩猟犬の姿をとったシュヴァルツも抗議し、茶色の大型牧羊犬の姿をしたノアールも同意するように頷く。

〔ロデム殿、ちょっと横にずれてください〕

 そう言って同じようにソルシエールの膝に飛び乗ったのは子犬の姿に変身したネロである。いつもは自分たちと同じ大型犬の姿を取るくせに、ちゃっかり小型犬に化けているネロにシュヴァルツとノアールはムッとする。

「まぁまぁ、喧嘩しないの。シュヴァルツとノアールは後でいっぱい抱きしめさせてね」

 主にそう言われてしまってはシュヴァルツとノアールも引き下がらずを得ない。それに主は大型犬も好きで、この姿を取ったときには思い切り抱きしめてもくれるから、2匹ともそれで納得することにした。元々主大好きな召喚獣たちだったが、この別荘に来ると他者がいないこともあって、更にソルシエールに対して甘くなるのである。

「でも、本当にここに来るのも久しぶりですわね」

 ソルシエールのために冷たい飲み物を用意しながらセイレーンは言う。

「そうね。イディオ様と出会ってからは一度も来てなかったもの」

 この別荘に来るのは実に7ヶ月ぶりだった。つまり、イディオフィリアと出会ってからもう7ヶ月が経ったということだ。

 この別荘はソルシエールの隠れ家だった。ここを知る者は少ない。師匠のベルトラムと両親と長兄、偶々知られてしまったミストフォロスくらいのもので、付き合いの長いパーシヴァルにすら教えていない。

 冒険者をしていれば疲れも溜まる。しかも冒険者として魔術師として有名なソルシエールだ。それなりに顔も知られているから、フィアナ本土ではのんびり骨休めをすることも出来ない。だから、何もかも忘れて休みたいときに、ソルシエールはここに来る。

 セネノースのアジトでも休めないわけではないし、普段全く休日がないわけではない。だが、大抵はリチェルカに備えての休息日であったり、リチェルカとリチェルカの間の谷間でしかなかったりして、本当に羽を伸ばして骨休めというわけにもいかない。

 だが、この別荘では違う。ここには『冒険者』であるソルシエールを知る者はいない。ここでのソルシエールは『氷雪の魔女』でも賢者でもなく、ただのひとりの女なのだ。世界の危機もオグミオスのことも何もかも一切忘れて、気を抜いて過ごせる場所と時間。それがこの地で過ごす時間だった。

「まぁ、あまり長くは滞在も出来ないだろうけど。それでも2、3日はのんびり出来るでしょう」

 イディオフィリアたちには4、5日骨休めしてくると告げている。パーシヴァルとオクタヴィアはソルシエールが隠れ家を持っていることを知っているから、そこに行くのだと見当をつけているだろう。血盟のリチェルカに関しては既に数人の上位魔術師もいることではあるし、問題はないはずだ。何かあれば血盟心話を通して連絡があるだろうし、心話ウィスパーでの連絡も取れるから不都合はない。

 心地よい風を感じながら、膝の上に乗るロデムとネロを撫でる。足元にはシュヴァルツとノアールが大きな体を伏せている。セイレーンはソルシエールの隣に腰を下ろし、せっせとソルシエールの長い黒髪をくしけずっている。

 セネノースのアジトでは得ることの出来ない、召喚獣たちとののんびりとした時間だった。

 ソルシエールにとって召喚獣たちは家族にも等しい存在である。5歳のときに家族と離れているソルシエールにしてみれば、最も自分に近しい存在は師匠であるベルトラムだ。性格に難ありのベルトラムではあるが、ソルシエールにとって敬愛する師であり、父のようなものである。その次に近いのがこの召喚獣たちだ。

 召喚獣たちとは契約以降、常に精神が繋がっていることから、己の分身のような存在でもあり、家族のようなものでもある。どうやら他の術者と召喚獣との関係と比べてみても、ソルシエールと彼女の召喚獣の結びつきは、ずっと強く濃いもののようだった。普通は愛玩動物のふりをして側についていたり、主が命じないのに他者を警戒したりしないものらしい。それだけ、ロデムをはじめとしたソルシエールの召喚獣は主である彼女を敬愛し、守ろうとする意識が強いのだ。

 中でもセイレーンとシュヴァルツなどは若干その方向性が間違っているようで、パーシヴァルやミストフォロスに言わせると『ソルシエールのもうひとりの父と母のようだ』とのことらしい。

「あの、ミレディ。お客様が……」

 のんびりしていたソルシエールの許に、遠慮がちにベルタが現れる。別荘に到着して間もないソルシエールたちが寛いでいるところを邪魔してしまい、申し訳なく思っているのだろう。とはいえ、客が来たのであればベルタに非はない。

「客、ね」

 前触れもなくここに現れるとしたらそれはひとりしかいない。両親や長兄であれば先に心話ウィスパーで連絡を入れてくるはずだし、ベルタもお客様とは言わず、父君・母君・兄君と言うはずだ。

「追い返してしまいなさい」

 明らかにムッとした表情でセイレーンは言う。セイレーンだけではなく、他の召喚獣たちも不機嫌そうな表情になっている。全員が主との穏やかな時間を邪魔する無粋な者が誰なのか判っているのだ。普通の動物のふりをしているロデムらもセイレーンに同意だとばかりに頷いている。

「そう言うなって、セイレーン。ベルタが困ってるだろ」

 ベルタの後ろにはソルシエールの恋人──とベルタが勝手に誤解しているミストフォロスがいる。居間に通されていたはずなのだが、ちゃっかりここまで付いてきたらしい。

「セイレーン、ベルタに非はないからそこまでにしてね。悪いのは全部このジジィだからね」

 何故ミストフォロスをここに連れて来たとベルタを叱ろうとするセイレーンに釘を刺し、ソルシエールは溜息をつく。

「ベルタ、案内ありがとう。下がっていいわ。お茶なんて出す必要は欠片もないからね」

 ニッコリとベルタに笑いかけて、下がらせる。ベルタはほっとしたように一礼すると、部屋を出て行く。女主人の恋人が来ると途端に乳母とペットたちが不機嫌になるので、ベルタとしては居心地が悪いことこの上もないのだ。

〔またレギーナの休息を邪魔しに来たのか、この無粋者め〕

 ベルタがいなくなった途端、ロデムはソルシエールの膝から降り、仔猫姿から本来のフラウロスの姿へと戻る。主との水入らずの時間を邪魔するミストフォロスが鬱陶しかったのだ。同様にマーナガルムたちも本来の姿に戻っている。

 ソルシエールがこの別荘に来ると、高確率でミストフォロスもここにやって来る。イロアスとして、アンヌンの首領代理人として忙しいミストフォロスも、ごくわずかな者しか知らないこの別荘は息抜きには持って来いの場所なのだ。

 実はベルトラムからの依頼もあり、ソルシエールの護衛として来ているのではあるが、それをソルシエールや召喚獣には告げていない。特に召喚獣たちはそれを知れば自尊心を傷つけられ、余計に不快に思うだろう。

「ロデム……仔猫に戻ってよ。折角可愛かったのに」

 召喚獣たちがこの別荘限定でミストフォロスを敵視するのはいつものことなので、ソルシエールは5対1の険悪な雰囲気など気にも留めず、ロデムに強請ねだる。

〔レギーナ……仕方のない奴だな〕

 口ではなんと言おうと敬愛しているレギーナにお強請ねだりされたロデムは、満更でもない様子で再び仔猫の姿になりソルシエールの膝に戻った。それを見たネロも子犬姿に戻り、ソルシエールの膝に乗る。シュヴァルツとノアールはそんな2頭の態度に溜息をつきつつ、これも犬の姿に戻った。ソルシエールが強請ねだったのはロデムを宥め、話を先に進めるためと判ったからだ。

「で、何かあったの?」

 ミストフォロスの様子がいつもと違うことはうに判っていた。ソルシエールの休息に合わせて自分も骨休めに来たわけではなさそうだ。

「鋭いな。実は俺に『月白のスコル』から連絡があった」

 普段のこの別荘ではミストフォロスがこんなに真剣な表情をすることはない。密かにベルトラムの依頼を受けているとはいえ、ミストフォロスもここには休息に来ているのだ。ここにいるときのミストフォロスはソルシエールと同じく、冒険者であることもアンヌンの代理人であることも全てのしがらみを忘れ、ただひとりの人となるのだ。

 しかし、今のミストフォロスは紛れもなくイロアスの顔をしている。

「月白のスコル……兄様が?」

 その名にソルシエールは驚く。『月白のスコル』はソルシエールたちが探している冒険者──次兄イオニアスの異名だった。

「あっちの血盟にもエレティクスはいるからな。そのエレティクスがアンヌンを通じて俺に連絡してきた。イオニアス卿がお前さんに会いたいそうだ」

 ギルドを通じてではなく、アンヌンを通して接触を図ってくるところにイオニアスの用心深さが窺える。ギルドは反オグミオス組織とはいえ、建前上は公的な組織であるためにイオニアスは表立っては動けないのだ。

「最終的にはイディオフィリア様との対面を望んでいるらしいが、その前にまずはお前にってところだろうな」

 【トリスケリオン】の名は冒険者の間ではそれなりに知られ始めている。初心者支援血盟という性質から、【トリスケリオン】を『卒業』した冒険者たちが他の血盟に加入していること、盟主イディオフィリアを初めとした幹部が異様な速さで昇格していること、特級3人が加盟していることなどが理由だった。この数ヶ月の間に新設された血盟の中では、知名度は一番高いといっていいだろう。

「何か行動を起こす心算つもりなのかしら」

 ソルシエールは兄からの接触の意味を考える。兄は妹である自分に告げられた預言を知っているはずだ。次兄はパーシヴァルとも面識がある。というよりも、パーシヴァルと次兄は幼馴染でもあり、兄弟に近い関係だ。当然、パーシヴァルやソルシエールが最終的に何を目指しているのかも把握しているだろう。

 だとすれば、兄は【トリスケリオン】が本当は初心者支援のための血盟などではないことも判っているのではないか。盟主イディオフィリアはじめ幹部たちは本心から初心者支援のための血盟を創設したのではあるが、少なくとも所属する特級3人がそれで終わらせる心算がないことは予測しているに違いない。

「イディオフィリア様と引き合わせるにはまだ時期尚早かもしれないが、お前は一度会っておいてもいいんじゃないか。それでイオニアス卿の思惑も判るだろうし。元々こっちからも繋ぎをとろうとしてたんだし、丁度良かったじゃないか」

 イオニアスの意図について考え込んだソルシエールにミストフォロスが助言をする。オグミオス打倒の軍を興すとなれば、イオニアスとの連携は必要になる。だからこそ、繋ぎを取ろうとしていたのだ。兄から連絡してきたのはこちらにとっても好都合だった。だとすれば、まずは自分が会ってみるのもいいだろう。相手は反オグミオス組織の盟主だ。会ったと知れればどんな憶測が流れるかも判らない。けれど、自分ならば彼の妹なのだから、何の問題もない。

 それに未だ何も知らないイディオフィリアをいきなり会わせることも出来ない。イディオフィリアに会わせる前に自分が兄の真意を確かめる必要もある。

「そうね。会ってみる。ここなら誰にも知られていないし……兄様にも都合がいいんじゃないかしら。人目もないしね」

 まずは兄と会ってからだ。ソルシエールはそう思い定めた。






 ミストフォロスがくだんのエレティクスを通してイオニアスに返答し、翌日にはイオニアスから別荘に向かうとの連絡があった。念のためベルタには休みを与え、邸から出した。ロデムはフラウロスの姿で、セイレーンとマーナガルムたちは人型を取ってソルシエールの側につくことにした。マーナガルムたちは人型を取った場合には剣も扱え、剣豪とはいわなくともそれなりに有能な使い手なのだ。

 約束の時間の少し前に、待ち合わせの場所にミストフォロスが迎えに行く。その場には件のエレティクスも同行しており、その彼が一応の護衛ということだろう。兄と妹とはいえ、反オグミオス活動家としては当然の用心だ。ソルシエールのほうも召喚獣が護衛として付き従っている。第一線で活動する彼らの認識は決して甘くはないのである。仮令たとえ肉親であろうとも、警戒を解くことは出来なかった。

「20年ぶりの対面ね」

 応接室となっている部屋でソルシエールは呟く。

 次兄とはソルシエールがベルトラムに引き取られて以来、初めての対面となる。母によれば次兄は母に似ており、ソルシエールも母似だから、恐らく自分たちの顔立ちは似ているだろう。長兄は顔立ちも性格も父にそっくりで、巌のような強面と頑健屈強な体で文官だというのだから、さぞや宮廷では浮き上がっていることだろう。長兄と会うたびにその文官の衣に違和感を感じ、いっそ甲冑をまとえばいいのにと思ってしまうソルシエールだった。

「どんな方でいらっしゃるのでしょう。ムスタファ様に似ておいででしょうか」

「母様似らしいから、バルドウィン兄様とは似てないと思うわよ、セイレーン」

「であれば、レギーナとも似ておいでということですね」

 そう応じるのは30代半ばほどの騎士姿になっているシュヴァルツである。ノアールは20代半ば、ネロは10代後半の、やはり騎士になっている。どうやら彼らの人間換算年齢が人型となったときには現れるらしい。実はロデムが人型を取っていないのはこれも理由だった。ロデムは人型を取ると10歳前後の可愛らしい子供姿なのだ。自尊心の高いロデムは自分が最年少(しかも子供)であることを不満に思っていて、ソルシエールがしつこいくらいにお強請ねだりしない限りは決して人型を取らない。因みに、それぞれ中々の美丈夫で、これはソルシエールの好みを召喚獣たちが熟知しているからである。

「レギーナの男性版か。大してレギーナと変わらんということか」

「ネロ、性格のことではないぞ。レギーナは見た目だけなら本当に女性らしい麗しいお姿ではないか」

 言わなくてもいいことを言ってしまうのはネロの悪い癖である。それを咎めるノアールも咎めているのか駄目押ししているのか判らない。

「ちょっと、あんたたち……」

 本当に自分のこと敬ってるのかと言いたくなるしもべたちの言葉に、ソルシエールは頬を引き攣らせる。が、更にソルシエールが何かを言う前に、セイレーンが手にした盆でふたりの頭をパコパコっと殴る。

「なんてことを言うんですの、貴方がたは! 淑女たるソルお嬢様に失礼ではありませんか!!」

 そうふたりを叱りつけると、今度はソルシエールに向き直る。

「大体、ソルお嬢様が普段から女性らしくなさらないから、これたちがこんな無礼なことを言うのです! もう少し淑女らしくお振舞いください」

 とソルシエールまでとばっちりだ。

「お嬢様ほどお美しく聡明な女性ならば、本来は引く手許多、とっくに嫁いで子供の4人や5人産んでいてもおかしくはないのです。それなのに、未だにお独り……。寄って来る男はミストフォロス卿のような軽佻浮薄な男しかいないなんて。せめてパーシヴァル卿を捕まえておけばよろしかったのです。あの方ならばお嬢様の相手として認めないでもありません。まぁ、今はもっと良さそうな方がいらっしゃいますけれど」

「セイレーン……あんた、ホントに私の乳母みたいね」

 捲くし立てるセイレーンにソルシエールは溜息が漏れる。シュヴァルツは苦笑し、ノアールとネロはそっぽを向き、ロデムは寝たふりで知らん顔だ。大体、ソルシエールがまだ結婚していない責任はセイレーンにもある。ベルトラムの許に求婚の許可を貰いに来た男たちを品定めし、あれこれと難癖をつけていたのはこの過保護な乳母(笑)だ。

「まぁまぁ、セイレーン殿。貴女の仰ることも判らぬではありませんが、レギーナの使命を思えば、家庭に入ることも子を成すことも今は難しいでしょう」

 仕方なく宥めるのは、いつもシュヴァルツの役目だった。セイレーンとの付き合いの長さと苦労性な性分から、いつも損な役割を押し付けられてしまうシュヴァルツなのである。

「まぁ、それはそうですけれど……でも、わたくし、ソルシエール様のお子をお育てするのを楽しみにしておりましたのよ……」

 呼称が『お嬢様』でなくなっているころから他の召喚獣はセイレーンが落ち着きを取り戻したことを感じた。尤も、『召喚獣がレギーナの子を育てるって無理だろう……』と心の中では突っ込みを入れていた。

「戦いが終わったら、ソルシエール様に相応しい殿方を探さねばなりませんわね! それがわたくしの最後のご奉公ですわ!!」

 やはり、セイレーンはどう見ても召喚獣というよりは乳母だと全員が乾いた笑いを漏らす。

「そうですね、まずは戦いを終わらせることです」

 内心で疲れを感じながら、シュヴァルツは応えた。実際、ソルシエールの使命を思えば、今は結婚も出産も無理だ。反王を倒すまではどちらも難しいだろう。それがあるゆえに、師ベルトラムは全ての結婚話を叩き潰してきたのだから。

〔漫才はそこまでにしておけ。ミストフォロスが戻ってきたようだ〕

 それまで寝たふりで我関せずを決め込んでいたロデムが口を開く。

 召喚獣たちは体に緊張を走らせ、セイレーンは出迎えるために部屋を出て行く。

「なんだか、緊張してきたわ」

 20年ぶりの再会。そして、最大の反オグミオス組織の盟主との初めての対面だ。如何いかなソルシエールとて、緊張とは無縁ではいられなかった。兄の意図によっては、再会したばかりの兄と決別しなければならないことすら有り得る。

「兄君なのですから。そう緊張なさらずともよろしいではありませんか、レギーナ。ムスタファ殿より気難しいということもないでしょうし、父上のようにレギーナの骨が砕けそうなほどの剛力で抱きしめることもございますまい。大丈夫ですよ」

 ソルシエールを励ますように、シュヴァルツは態と少々ずれた慰めの言葉を口にする。魔獣のくせに気を配り過ぎるシュヴァルツに、ソルシエールは苦笑する。

「そうね。堅物過ぎるくらい堅物なバルドゥイン兄様に比べれば、きっと大丈夫よね。大体バルドゥイン兄様も人の顔見れば、お淑やかにしろとか五月蝿いんだもの」

 ソルシエールがシュヴァルツの気遣いに応えるようにそう言ったとき、扉の向こうに人の気配がした。

 ソルシエールは居住まいを正し、寝そべっていたロデムは起き上がり、マーナガルムはソルシエールの左右と後ろにつく。

 そして、扉が開いた。セイレーンに先導され、まずはミストフォロスが部屋に入り、その後に次兄が現れた。

 母譲りの腰にかかるほどの艶やかな金の髪、ソルシエールより幾分柔らかな秀麗な顔立ち、すらりと均整の取れた体躯。

「ベネディクト兄様……でいらっしゃいますね」

 ソルシエールは立ち上がり、イオニアスに近づく。

「ああ、20年ぶりだ。美しくなったね、僕の小さなお姫様」

 イオニアスは母に似た女性的な優しげな顔に笑みを浮かべる。

『僕の小さなお姫様』──その言葉がソルシエールの記憶を刺激する。

 幼いころ、年の離れた長兄は既に宮廷に出仕しており、共に遊ぶことはなかった。けれど、5歳年上のこの次兄はよくソルシエールと遊んでくれていた。そして、いつもソルシエールのことを『僕の小さなお姫様』と呼び、可愛がってくれた。否、次兄だけではない。長兄もそうだった。『私の可愛い姫』と呼んでくれていた。ふたりともいずれ離れてしまう妹を溺愛し、離れた後も自分たちが妹をどれだけ愛しているかを覚えていてほしいと、そう呼んでいたのだ。

「私だけの吟遊詩人……お懐かしゅう」

 ソルシエールは次兄をそう呼んでいた。次兄は綺麗な声をしていて、様々な昔語りの歌を歌い聞かせてくれていたから。兄の声で紡がれる御伽噺がソルシエールは大好きだった。

 20年の歳月が一瞬にして消えた。兄と妹の再会だった。