ギルドの壁面は様々な貼り紙で埋め尽くされている。その中央の一面はギルドに依頼されているリチェルカに関するものである。他にも武具や物品売買に関するもの、家屋販売や共同賃貸募集、リチェルカのパルスや狩り仲間を募集するものなど様々だ。そして全ギルドに共通で掲示される、血盟或いは血盟員を募集するもの。
その中にそれはあった。
血盟員募集 【トリスケリオン】血盟
当血盟は主に初心者冒険者支援を目的として創設したものです。
初級・2級冒険者の戦闘スキル向上のための支援を行います。
興味を持った方は血盟主イディオフィリア・アロイスまでお問合せください。
その貼り紙をして1週間後には、血盟員数は30人を超えていた。支援する側の中級冒険者として加入した者が6人。いずれも既にイディオフィリアたちと顔見知りの冒険者だった。
エルフのザクソン・アッカーマン(ストラテォオティス)、ナルエン・バリッシュ(ストラティゴス)、エレティクスのディアノス・ベーメル(ストラティゴス)はこれまでイディオフィリアと一緒にリチェルカを受けたこともある先輩冒険者であり、イエレアスのセディアン・フロックとリオル・ヘルツォークはフィネガスと同じ琥珀の塔出身の魔術師で、フィネガスの伝手で加入した。更に心強かったのはソルシエールたちの旧知のアフセンディア、セアド・ライムント・シャヘトの加入だった。
セアドは元々アルノルトと同じ【プリッツ】に属していたのだが、【トリスケリオン】に特級3人が属していることから、より高次元の冒険が可能だろうと移籍してきたのだ。イディオフィリアの打ち出した方針にも共感し、パーシヴァルと共に剣士系の指南役の柱になっている。
初心者階級の冒険者は毎日のように数名が加入した。イディオフィリアは飽くまでも【トリスケリオン】を冒険者としての入口と位置づけており、ストラテォオティス昇格を以って【トリスケリオン】卒業と告げていた。勿論強制的に脱退させるわけではなく、残りたい者は自由にさせたため、初心者として加入しそのまま支援側に回る者もいた。
「じゃあ、今日はアルモリカケイブ2階とフェストラントケイブ4階、翡翠の塔8階の3つに分かれるからな。アルモリカはヴァルターとリオル、フェストラントはディアノスとナルエン、セディアン、翡翠の塔は俺とフィネガスとザクソンが担当ね。初級はアルモリカかフェストラント、2級はフェストラントか翡翠の塔な。希望する狩場のフューラーの所に行け」
いつものように、朝、血盟員がアジトに集まったところでイディオフィリアが指示を出す。毎朝、訓練参加を希望する血盟員は決まった時間にアジト地下の広間に集まることになっている。
流石に大所帯になってきたこともあって、全員がアジトで暮らすことは難しくなった。30世帯ほどが暮らせる大きな集合住宅を丸ごと買い取り(資金は当然のように特級3人が出した)、そこで4~5人ずつの共同生活を送っているのだ。家賃として月々いくらか(標準的な家賃に比べれば格安)を集め、それを買い取り資金を提供してくれた3人への返済に充てている。
因みにアジトで生活しているのは、血盟創設時に在籍していた7人(+オクタヴィア)とセアドの合計9人で、こちらは家賃はないが、生活費及び管理費ということで一定額をオクタヴィアに渡している。
ともあれ、血盟創設後、活動は順調に進み始めている。中心となる活動は低級冒険者を実戦で鍛える訓練だった。イディオフィリアが狩場と指南役を指定し、それぞれが希望するパルスに入り、指南役の指示に従って準備をし、狩りにいくのだ。必ずしも全員参加ではなく、リチェルカを受ける者や単独で狩りに出る者もいる。
この日はソルシエール、パーシヴァル、ミストフォロス、ティラドール、セアドは訓練には参加しなかった。4つ星リチェルカのヴァナディース討伐のためである。
「さて、こちらも出発しましょうか」
イディオフィリアたちが狩りに出るのを見送り、ソルシエールが言う。ここ最近はアルノルトに代わりティラドールがパルスに入ることも増えている。
血盟を創設して2ヶ月余りが経っていた。その間に、イディオフィリア、ヴァルター、ティラドール、フィネガスの4人は4級に昇格していた。あまりの速さでの昇格にギルドレーラーたちは驚いていたが、それもソルシエールらの策のひとつだった。異例の速さで昇格する冒険者として、またそんな冒険者が複数いる血盟として知名度を上げるための。
昇格自体は難しいことではなかった。ストラテォオティスに昇格したのは3ヶ月前で、月に10件の3つ星以上のリチェルカを完了させればいいのだ。皮肉なことに魔族の出現頻度が上がっているため、魔族討伐の数は多く、ソルシエールたちは受けられるだけのリチェルカを受け、4人を連れまわした。
勿論、階級だけが上がったとしても仕方がないことである。階級と実力が釣り合わないと思えば、ソルシエールたちもこんな策は採らなかった。だが、イディオフィリアたち4人は元々1を聞けばそれを元に熟考して10を理解するといった、助言を次に活かすことが出来る者たちだった。だからこそ、先輩冒険者たちに目をかけられ、同階級の冒険者よりも高い実力を有しているのだが、更に血盟の中核であるという自覚と責任感がそれに拍車をかけていた。各々の自覚が高まったことにより、彼らは乾いた砂が水を吸収するように、先輩冒険者たちの助言を己がものへとしていったのである。
「ティラはミラークルムとソリトゥス覚えたのよね」
「はい。パーシィさんに安く譲ってもらえたんで助かりました」
ナトゥーラミラークルムとテッラソリトゥスはその有用性の高さから、精霊魔法の中では高価なものである。
「では、今日のテーマはティラドール殿とソルの魔法の拍子を合わせることですね」
ナトゥーラミラークルムと魔術師の回復魔法の連携次第で魔力消耗効率はかなり違ってくる。連携の中でも重要且つ高難度のものだった。
「そうだ、ティラ。フォロスが猪突したらテッラソリトゥスで固めていいぞ。っつーか寧ろ積極的に固めてくれ」
そう悪戯っ子のように言うのはセアドだ。因みにテッラソリトゥスは対象を数秒から数十秒硬直させる魔法である。対象の魔法抵抗力によって効果時間は違ってくるが、元々魔法抵抗力の低いミストフォロスならば30秒は固められるだろう。
「おい!」
「あら、それも良いわね。フォロスはたまに猪突猛進しちゃうし」
ソルシエールも笑い、パーシヴァルとティラドールは苦笑する。
セアドはパーシヴァルに次ぐ騎士との誉れも高い剣士系冒険者なのだが、性格的にはミストフォロスと近く、いつの間にか血盟内のお笑い担当になっているのだ。
5級と特級は、4級までの冒険者とは世界が違うといっても過言ではない。ギルドの審査を通過するというのは、それほどに難易度の高いことなのだ。5級の審査は年に2回の評議会によって行われるが、認定者が出ないことのほうが多いのである。
血盟に新たに加入した者たちは初めのうちは、特級の3人とセアドに隔意を示す。忌避するわけではないのだが、あまりにも上位の冒険者過ぎてどう接して良いのか判らないのだ。
だが、それも一時のことでしかない。ミストフォロスとセアドの一種漫才のような遣り取りは日常茶飯事であり、ソルシエールの毒舌や突っ込み、パーシヴァルの穏やかさ誠実さは、すぐに下級冒険者たちの緊張とある種の偏見を払拭してしまうのである。
「しかし……冒険者になって半年ちょいでもう4級か。早すぎだな」
セアドが呆れたように言う。普通は早くても1年はかかるし、4級にならないで引退する冒険者も少なくはない。3級でもそこそこの報酬があるため、月に1回程度しかリチェルカを受けなくても充分生活していけるのだ。
「そうですね。姐御たちに連れ回してもらったおかげとはいえ、俺も自分で驚いてますよ。ま、半年経ってないイディオが一番の脅威ですけどね」
成長の速さ──昇格の速さに一番驚いているのは本人たちなのである。そして階級に実力が見合っているのかも常に気にしている。だからこそ、積極的にソルシエールたちのリチェルカに同行して先輩の動きを学び、後輩たちを指導することで自らを省みているのである。
「俺はもうこのまま4級でいいけど、イディオにはアフセンディアになってほしいな」
ティラドールはそう言う。ティラドールだけではなく、ヴァルターもフィネガスも同じことを言っていた。そして、イディオフィリアならきっとなれるだろうと思っている。
「だな。俺が3年前に昇格してから誰も認定されてないからな。イディオなら巧くいきゃ、次の評議会で昇格ってのもありかもな」
現在最後に認定されたアフセンディアであるセアドはティラドールの言葉に頷きながら言う。次の評議会は年明けだからあと4ヶ月ある。実績を積むには充分な時間だ。
「そうですね。アフセンディアの血盟主は少ない。今のところは【自由の翼】のイオニアス殿くらいでしょうか。イディオフィリア殿なら、経験を積めば問題なく昇格可能でしょう」
パーシヴァルは穏やかな笑みを浮かべる。
血盟を創設して2ヶ月。リチェルカのないときにはパーシヴァルは基本的にイディオフィリアの補佐に就く。そこでもパーシヴァルはイディオフィリアに王者の資質を見出していた。
戦闘の際、全ての指示をイディオフィリアが行うわけではない。全てを指示するには絶対的な経験は不足しているのだ。だからイディオフィリアは『前衛はパーシィさんの、魔術師はソルの、弓はティラの指示に従え。最優先は全員ソルだ』などと誰の指揮の下、戦闘を組み立てるのかを指示する。そうすることによってパルスは混乱することなく統率された動きをすることが出来るのだ。自分に出来ることと出来ないことを把握した上で、出来ないことを誰に任せるのかを示す。それが出来るかどうかもフューラーの資質のひとつだ。
また、訓練の狩りであっても、自らや中堅ばかりが指揮をするのではなく、初心者にも指揮の練習をさせたりもする。誰かに頼るのではなく、全員が自分で考えて行動することを身に付けさせようとしている。
常に全体を見渡し、把握しようとする姿勢がイディオフィリアにはある。そして全ての最終責任者は自分なのだという自覚も。
「皆が冒険をより楽しめるように、より成長できるように場を整えるのが、血盟主である俺の役目。皆が面倒ごとに巻き込まれないようにするのもな。何かあったら俺が相談に乗るし対処もするから、皆は安心して冒険しなよ」
そんなふうにイディオフィリアは告げていた。そして実際に何かあれば駆けつけ、適切に対処していた。わずか20歳、冒険者歴半年にも満たないイディオフィリアだが、彼は既に血盟の皆から信頼される盟主になっている。有言実行する姿を見、この人物ならば信頼に足ると皆が感じていたのである。
イディオフィリアの人を惹きつける力に早くから気付いていたパーシヴァルからすれば、これくらいは当然のことと思いはしたが、やはりイディオフィリアが他者からも認められるのは嬉しいことだった。
尤も、そんなパーシヴァルを見てミストフォロスなどは『お前、親馬鹿すぎ』と揶揄ったりもしているのだが。
血盟とはいえ、皆が皆、常に一緒にいるわけではない。冒険者そのものが元々自主性を重んじるため、イディオフィリアや血盟の幹部も他の血盟員の行動に制限をかけたり、強制したりすることもない。大抵は訓練でいくつかの集団に分かれて行動するが、中には単独行動を好む者もいる。
新たに加入したキニゴス・ゴホングェもそんな単独行動を好むひとりだった。
その日、ソルシエールはアルモリカにいた。パーシヴァル、ミストフォロス、アルノルトも一緒である。ギルドからの指名リチェルカで、この近くにあるアントケイブの首領級魔族アスカトル討伐に来ていたのだ。因みにイディオフィリア、ヴァルター、ティラドール、フィネガス、セアドらの幹部はいつもどおりそれぞれパルスを率いて訓練に出ている。
そこに突然激しい言い争いの声がした。
「あの声……聞き覚えがあるわね」
「ゴホングェ殿のようですね……」
ソルシエールとパーシヴァルは顔を見合わせる。パーシヴァルは珍しく苦い顔をしている。普段温厚な彼がこういう表情をすることは珍しい。
「なんだ、そのゴホン……?」
聞きなれない言葉にミストフォロスとアルノルトは首を傾げる。
「うちの新人よ。本名は不明でゴホングェと名乗ってる剣士」
フィアナの言葉ではない名である。【トリスケリオン】の血盟員なのだから、ミストフォロスも知っていそうなものなのだが、この半月ほどミストフォロスは別行動をしているため、面識がなかった。
「というか、パーシィがそんな顔するなんて珍しいな」
アルノルトが言い、どういう奴なんだと問いを重ねる。
「ええ……あまり人と馴染もうとしない、そんな人ですね。リチェルカでなければ訓練にもあまり参加しませんし……」
リチェルカがない血盟員は訓練に参加することが殆どなのだが、ゴホングェはこれまでに1回か2回程度しか参加していない。また、その際も他の者に比べて少々問題行動が多く、手を焼いた記憶がパーシヴァルにはあった。
「まぁ、うちの血盟にしてはちょっと浮いてるわね」
ソルシエールは苦笑する。【トリスケリオン】はイディオフィリアの性格を反映してか、かなり和気藹々とした家庭的な親密度の高い血盟なのだ。ソルシエールらを訪ねて血盟員ではない古参冒険者もやってきて、人との交流はかなり多く密接な血盟でもある。そこに他者と距離を置くゴホングェではやはり浮いてしまう。
「なんでそんなヤツがうちにいるんだろうな」
ミストフォロスも苦笑する。人懐っこいイディオフィリアの性格のせいか、セネノースのアジトはいつも人が集まり賑やかで、アジトの管理人をしているオクタヴィアなどは『いつから私、子守になったのかしら』と溜息をつくこともあるほどだ。
「まぁ、イディオフィリア様の人柄だろうが、かなり居心地はいいよな」
リチェルカの打ち合わせで【トリスケリオン】のアジトを訪ねたはずなのに、ついつい長居をしてしまうこともあるアルノルトだ。ある日偶々同行していたセアドはそのときにすっかり【トリスケリオン】を気に入り、そのまま居座り、結局移籍してしまった。
「どうです、アルも移籍しますか?」
「早くそうしたいところだけど、まだ無理だろ。俺はまだ【プリッツ】にいるべきだしな。まぁ、【プリッツ】の居心地も悪くないし。……って噂をすればなんとやら」
アルノルトが示した先には、言い争う声の方向へと向かうイディオフィリアの姿があった。今日は1パルスをつれてセネノースケイブへと行っているはずだ。4人は距離を置いて気配を消すと、同じように声のする場所へと向かっていった。
そこではゴホングェとひとりの冒険者が言い争いをしていた。激しくゴホングェが相手を罵倒している。
しかし、イディオフィリアはすぐには声をかけず、じっとふたりの言い争いを聞いた。何が原因なのか知るために。そして、怒りが心頭に達したゴホングェが相手を殴りかかろうとした瞬間、イディオフィリアは声を発した。普段の彼からは聞いたことのない、鋭い威圧感のある声だった。
「ゴホングェ、そこまでにしろ」
「…………イディオフィリア殿……」
思ってもみなかった血盟主の登場にゴホングェの手が止まる。
「うちの血盟員が失礼した。私は【トリスケリオン】盟主のイディオフィリア・アロイスという」
イディオフィリアはゴホングェを制すると相手に向き直る。
「貴方がたの言い争いはある程度聞かせてもらったが、良ければどうしてこのようなことになったのかを教えてはいただけないだろうか」
イディオフィリアの登場に一瞬呆けていた相手だったが、元々
「こいつが突然謝れって言ってきやがったんだよ。俺は何もしてねぇのにな」
「お前が俺の名前を馬鹿にしたんだろう!」
相手の言い分にゴホングェは声を荒げる。
「グェ! お前は黙ってろ。俺はこの人に聞いてるんだ」
興奮するゴホングェを再び制し、改めてイディオフィリアは相手に対する。
「この者は確かに気は短いが、何もされていないのに突然理不尽な要求をするような無法者ではない。貴殿にとってはなんでもないことでも、この者にとっては怒りを抱くに充分な理由があったのだと思う。この者に本当に非があれば、私からも謝罪させていただく。だが、もう少し詳しく状況を教えてはいただけまいか」
イディオフィリアは穏やかに、且つ丁重な態度と言葉で相手に問いかける。そう出られてそれを突っぱねるのも大人げないと思ったのか、相手は説明を始めた。
ふたりの話をまとめるとこういうことだった。
ギルドでゴホングェの名を偶々聞いたこの冒険者は『なんだ、その名前。変な名前だな』と哂ったのだという。明らかに嘲笑だったことからゴホングェは不快感を抱き、『人の名前にその言い方はなんだ。謝れ』と掴みかかったのだ。冒険者はゴホングェがまだ初級に過ぎないことからも彼を侮り、更に嘲ったため、ゴホングェは彼を外へと連れ出し、この言い争いに発展したのだという。
「……そうか。確かにこの者が貴殿に対し無礼な口をきいたこと、暴力に訴えようとした点は謝罪する。申し訳なかった」
イディオフィリアは相手に頭を下げる。そんな彼をゴホングェは信じられないといわんばかりに見つめる。冒険者は当然だとでもいうような尊大な態度でそれを受ける。年若いイディオフィリアを侮っていることは明らかだ。
俺は悪くない。ゴホングェがそう反論する前に、イディオフィリアは再び口を開いた。その声は先ほどとは違い、何処か威をまとっている。
「されど、貴殿の言葉が彼を傷つけたことには違いない。何も知らぬ貴殿の無知ゆえの侮りが彼の誇りを傷つけたことも。その点は貴殿にも彼に謝罪をしてほしい」
イディオフィリアは正面から冒険者を見つめる。目には強い光がある。
「でもよ、そいつの名前が変なことは事実だろうが」
「どんな名であれ、それには意味がある。それを理解もせず知ろうともせず、ただ聞いただけで嘲笑されたとあっては、彼が怒りを抱くのは無理もなかろう。もし貴殿が逆の立場であれば笑って聞き流せるか?」
自分を見据えるイディオフィリアの視線に冒険者は目を逸らす。見た目は頼りなげな若造のくせに、何故こうも眼と言葉に力があるのかと。
「…………そうだな。俺の配慮も足りなかった。申し訳なかった、ゴホングェ殿」
冒険者はしばらく逡巡した後、申し訳程度に頭を下げる。本心から詫びているのではないことは見れば判った。その態度にイディオフィリアの目が眇められる。
「俺は家族にも等しい自分の血盟員が侮辱されて黙っていられるほど大人でもない。もし再び同じようなことがあれば、貴殿に対してそれなりの措置を取らせていただく。宜しいか、【ダルシェナ】血盟のエルナンド・シーマ殿」
教えていないはずの自分の名と所属血盟を言い当てたイディオフィリアに冒険者はぎょっとする。以前から自分を見知っていたのか、それとも短時間の間に調べたのか。もし後者なのだとしたら、わずかな時間にそれを調べられるだけの人脈を持っているということになる。こいつはただの若造ではないのかもしれない、冒険者はそう思った。実際、アルモリカに来たイディオフィリアに旧知の古参冒険者が情報を与えてくれたのだ。
イディオフィリアの言葉に怯んだ冒険者は何も言わずに去っていった。その姿が見えなくなったところで、イディオフィリアは溜息をひとつ漏らし、徐にゴホングェの頭に拳骨を落とした。
「馬鹿か、お前は! いくらムカついたからって、いきなり喧嘩腰で絡んでどうするんだよ!」
「でも! 名前を馬鹿にされたんだぞ!」
ゴホングェは納得できないというようにイディオフィリアに食って掛かる。
「聞き慣れない奇妙な音の名前なんだ、笑うヤツもいるだろ。お前だってそれを承知で名乗ってるって言ってたじゃねぇか。だったら、もう少し大人の対応しろよ」
初対面で名乗ったときには誰もが『え?』という顔をする名だった。それは彼自身にも判っている。
「遥か東の国の……魔物の名前だっけ」
「お前がこんな名を名乗ってるのは、お前にとって意味があることなんだろ? 馬鹿にされて頭にくるのは判るけどな、感情的になるな。それよりお前が誰からも認められる冒険者に成長して馬鹿にしたヤツらを見返してやれ。無名のお前が名乗ってたら変な名前でも、お前自身が誰からも尊敬されるような冒険者になれば、その名前は輝かしい呼称になる。馬鹿にしたヤツらを哀れんでやれ」
穏やかにイディオフィリアはゴホングェを諭す。
「お前は駆け出しの冒険者だ。名前だって特殊だ。誰もお前のことを知らないから、名前に込めた覚悟を知らないから、馴染みのない名前を馬鹿にする。まぁ、馬鹿にするヤツらの頭の中身のほうがよっぽど馬鹿なんだけどな」
そう言ってイディオフィリアは笑う。
「そんな馬鹿野郎どもにお前が真剣に対応する必要なんてねぇだろ。労力の無駄だっての。そんな暇あったら、1匹でも多く魔物狩ってお前が強くなればいい」
「…………」
「そうしてお前が本当に強くなったときには、誰もお前の名前を馬鹿にしなくなる」
大体、お前自身を見てる奴は名前を馬鹿にしたりしてねぇだろ。
イディオフィリアはそう言う。
「そうですね」
初めてゴホングェの顔に穏やかな表情が浮かんだ。
「強くなります。冒険者としても、人としても」
散々馬鹿にされてきた。けれど、この目の前にいる盟主は一度も馬鹿にしなかった。アルモリカにいたのは偶然だろうが、仲裁に来てくれた。一方的にではなく双方の話を聞いた上で、相手も自分も諭してくれた。自分に対する侮辱は許さないとも言ってくれた。
「閣下はどうしてここに?」
「……閣下ってなんだよ。今までそんな呼び方してなかっただろうが」
「盟主ですから。そう呼ぶことに決めたんです。たった今」
信頼に足る盟主、そう認めたからゴホングェはイディオフィリアへの敬称を変えた。
「ま、いいけど。エリーナから
イディオフィリアは連絡してきた血盟の女性剣士の名を挙げる。彼女は偶然ゴホングェが言い争う姿を見、自分では事態を収拾できないだろうとイディオフィリアを呼んだのだ。イディオフィリアは後は自分に任せろと請け負い、彼女は安心して自分のリチェルカに出かけていった。
「態々俺のために……?」
偶然ではなく、自分のために来てくれたのだ。確か今日はイディオフィリアは1パルスを率いてセネノースケイブへと出かけていたはずなのに。そのことにゴホングェは心が温かくなる。
「当たり前だろ。お前は俺の血盟員なんだ。家族同然じゃないか」
当然のことをしたまでだと笑うイディオフィリアに、ゴホングェは涙が出るほど嬉しくなる。
自分は決して良い血盟員とはいえない。加入して半月以上経つのに、殆ど人と馴染もうとしない。訓練にだって殆ど参加しないし、リチェルカでの自分勝手な行動はあの温厚なイロアスが眉を顰めたほどだ。問題児なのだという自覚はある。
だが、これまで彼はそれを改めようとはしなかった。彼が【トリスケリオン】を選んだのは初心者支援血盟だからだ。生活やリチェルカの援助をしてもらえるだろうからと利用するために選んだだけの血盟だった。3級に昇格すれば、さっさと脱退する
それなのに、この盟主は自分を仲間だという。家族同然だという。こんな自分を見捨てずに、見守ってくれる。そんな人間に出会ったのは初めてだった。
俺はこの人にずっとついて行こう。──そのとき、ゴホングェはそう決意した。
イディオフィリアがゴホングェを促して転移術者の許へ歩いていくのを見送り、4人は笑っていた。
「結構やるな、イディオフィリア様も」
「そうね。普段は頼りなく見えるのに」
アルノルトとソルシエールはクスクスと笑う。
「ダルシェナ血盟もあのシーマという冒険者もあまり良い評判は聞きませんね」
にっこりと笑いながらも何処か剣呑な表情でパーシヴァルは呟く。もしイディオフィリアや血盟に害を成そうとするなら、それ相応の報いはくれてやろうと思っているのがありありと判る表情に、3人は苦笑する。
「だけど、イディオフィリア様はありゃ、天性の人
話題を逸らすようにミストフォロスが言えば、
「どんどん血盟主らしくなっていますね。流石は我が君です」
とパーシヴァルは嬉しそうに頷く。すっかりイディオフィリアの
「ベディヴィア様への良い土産話が出来たな」
現在は首領代理人としての仕事のためにアンヌンに戻っているミストフォロスはそう言う。彼は一族のためにもイディオフィリアの人柄を見極めるように言われているのだ。そう、王子としての器を確かめるように、と。
「さて、女王蟻退治に行きましょうか」
何処か楽しげな気分で、4人はリチェルカへと向かった。