ひとり目の血盟主

 貴族たちの別荘地、ノーデンス。様々な邸宅の並ぶその町の一角に【プリッツ】の拠点はある。

「アル、リチェルカなの?」

 【プリッツ】の盟主グラーティアは、武器や魔法触媒の準備を整えている血盟員アルノルトにそう声をかけた。

 アルノルトはこの血盟唯一のイロアスだ。現在のフィアナにはたった4人しかいない英雄級冒険者が加入を希望してきたときには驚いた。血盟員の紹介で加入してきたのだが、何故自分の血盟を選んだのか、不思議でならなかった。

「雰囲気のいい血盟と聞いたからね」

 理由を問われたアルノルトはそう答えたが、本当にそれだけなのかと少々納得できずにいる。とはいえ、血盟の不利益にならない限り、本人が言わないことを聞かないのは冒険者間の暗黙の了解でもあり、グラーティアはそれ以上何も聞けなかった。

「ああ。翡翠の塔にベレトが出てるらしくてね。ちょっと行ってくる」

 ベレト──翡翠の塔第8階層の首領級魔族で5つ星の高難易度のリチェルカだというのに、散歩に行ってくるという程度の気楽さでアルノルトは答える。

 その間も手を動かし、精霊魔法の触媒である精霊の玉と魔法触媒の魔石を腰の袋に詰めている。これらの魔法触媒は小指の先ほどの小さな水晶のような石で、魔石は透明、精霊の玉は乳白色をしている。但し、その数は血盟内でパルスを組んで狩りに出かけるときとは比較にならない程の数だ。矢も彼が普段使っているシルバーアローではなく、より威力の高いミスリルアローを用意している。

「ベレトかぁ。凄いわね。誰と行くの?」

「エレティクスのイロアスと、あとはアフセンディアの騎士とプロフィティス、それから俺。いつも一緒に狩りしてる連中だな。この10年よく組んでる奴らだよ」

 たった4人で行くのかとグラーティアは驚く。しかし、イロアスふたりに5級ふたりならばそれも可能なのかもしれない。

「ねぇ、アル。私も連れて行ってほしいんだけど、駄目かしら」

 5級のリチェルカなど、今の自分たちでは経験できない高難易度だ。そんなリチェルカが受諾できるようになればどんなにいいだろう。そう思ってグラーティアは言った。

「姫も?」

 アルノルトは聞き返す。出発する直前になっての参加希望には眉を顰めてしまう。しかし、しばし迷った後、アルノルトは考えを変えた。これはいい機会かもしれない、そう思ったのだ。

 ソルシエールから王子が見つかったことは連絡を受けている。実際に彼らの住むセネノースの家で王子とも対面している。まだ己の出自を知らぬ彼は自分を『イロアスだ、凄いー!』とキラキラした瞳で見つめてきて、こそばゆかったことを思い出す。

 ソルシエールとパーシヴァルはいずれ王子に血盟を作らせると言っていた。反王打倒軍の中核となる血盟を。ただ、まだ当分先のことになりそうだとは言っていたが。

 反王を倒す戦いを起こす際、是非とも仲間に引き入れたい血盟がいくつかある。そのひとつがこの【プリッツ】だった。いずれは盟主をイディオフィリアに引き合わせなくてはならない。

 ならばその前に、グラーティアを他の特級冒険者たちに引き合わせておくのもいいかもしれないとアルノルトは思った。ソルシエールもパーシヴァルもミストフォロスもまだグラーティアと面識はないのだから、これを好機と捉えたのだ。

「ちょっと他の奴らに聞いてみる。あいつらが承諾したら連れて行くよ」

 アルノルトはそう言うと、目を閉じ、ソルシエールに繋ぎを取った。






{うちの姫もベレト行ってみたいらしいんだけど、同行させてもいいか?}

 アルノルトからソルシエールにそう心話ウィスパー(個々人間の心話。ある程度の魔力がなければ使えない)が入ったのは、翡翠の塔第8階層への転移のための魔法陣でアルノルトを待っているときだった。ソルシエールの横には既に準備を整えたパーシヴァルとミストフォロスがいる。

「【プリッツ】の姫が一緒に行きたいらしいんだけど、どうする?」

 ソルシエールはパーシヴァルとミストフォロスにアルノルトの言葉を伝える。ふたりは一瞬嫌悪感を露わにしたが、すぐに考えを改めた。【プリッツ】の盟主であることの利点を考えたのだ。そして、アルノルトの意図も。

「確か、グラーティア殿はストラティゴスでしたね。ストラティゴスであることと日頃の【プリッツ】の活動を考えれば足手まといということはないでしょう」

「まぁ、それほど戦力にはならないだろうが……ああ、血盟主魔法で攻撃力が上がるか」

 4級の血盟主であれば血盟主魔法のフォルティス・ドロが使用出来る。これは攻撃力を大幅に上げてくれる支援魔法だ。血盟員でなくても同じパルスとして行動していれば効果は得られる。

 【プリッツ】は血盟の中では規模がかなり大きい部類に入るが、冒険者階級の高い者は少ない。アルノルトの他にもうひとり5級がいるだけで、あとは4級と3級が中心であり、まだまだ5つ星リチェルカを受けるには力不足だ。血盟員であるアルノルトが5つ星のベレト討伐を行うというから、同行して今後の役に立てたいとでも考えたのだろう。

 そう予想し、アルノルトの意図も察した3人ではあるが、いい気がしないもの事実だった。

「血盟主ならある程度の動きだって判ってるだろうし、そこまでこっちの負担になるようなことはしないだろう。足手まといになるようなら途中で帰ってもらえばいい」

 ミストフォロスが言い、ソルシエールがそれをアルノルトに伝える。つまり同行するのは構わないが、邪魔になるようだったり足手まといになるようだったら、即パルスから外れてもらうということだ。厳しいようだが、パルスのためというよりもグラーティアの安全のためと、迅速なリチェルカ遂行のためには仕方のないことだった。

 アルノルトはそれをグラーティアに伝え、グラーティアもそれを了承したらしく、10分ほどでアルノルトが現れた。

「済まん、待たせた」

 アルノルトの後ろには小柄な女性がいた。グラーティアである。パーシヴァルとほぼ同年代の女性で、血筋的にはイディオフィリアの従姉に当たるのだが、容貌に似たところはない。

「グラーティア=エルゼベト・ヴェルテンベルクです。突然お願いしてしまって申し訳ありません」

 グラーティアは突然の非礼を詫びる。アルノルトによれば、この10年一緒に行動することの多い4人なのだという。特級ふたり、5級ふたりの超上級者パルスでもあり、気心も知れている仲間であれば、連携なども一々口に出さずとも判っているはずだ。けれどそこに全く見知らぬ自分──しかも階級はひとりだけ低い──が加わればその連携は崩れる。

 アルノルトに『参加したい』と言ったのは本心だ。けれど、断られると思っていた。出発直前に希望を伝えたのだから、それが当然だと思っていた。それなのに彼らは断らなかった。

 足手まといは充分に判っていたが、それでも自分の血盟が今後成長していけば5つ星リチェルカを受けることもあるだろう。実際に5つ星リチェルカを体験できるのであれば、こんな好機はない。しかも特級を含む最高の冒険者たちと一緒のパルスなど、望んでも中々組めるものではない。だから、グラーティアは『やっぱり辞める』とは言わず、参加させてもらうことにしたのだ。

「足手まといになるようだったら、パルス抜けて帰還してもらうからな」

 グラーティアが加わるのは本当は不本意なのだと言わんばかりの不機嫌さでミストフォロスが言う。──その冷たい容貌もあって、彼はいつも憎まれ役担当だ。

 事前にアルノルトから条件として言われてはいたが、やはり面と向かって冷たい声で言われるとグラーティアも心が冷える。それでなくともエレティクスは三白眼で見た目がかなり冷酷な印象を受けるのだ。

「無理を言って加えていただいたのですから、承知しています」

 それでもグラーティアははっきりと答えた。自分が失礼なことをしてしまったという自覚はあったのだ。

 そのとき、巨大な光の槍が一瞬前までミストフォロスの立っていた場所を貫いた。寸でのところで避けたミストフォロスは、サンクトゥスアールデンスなんて物騒な魔法を放ったソルシエールに詰め寄ろうとする。が、その首根っこをパーシヴァルに押さえられる。

「グラーティア姫。今のこれの言葉を翻訳しますと、『大変危険な場所ですので、危ないと思ったらすぐに帰還なさってください。ご無理はなさいませんように』ということです。エレティクスの方言は判りにくくて申し訳ありません」

 ニコニコとパーシヴァルは笑いながら言う。

「そうですわ、姫。この馬鹿は寄る年波に勝てずに、礼儀の一部を何処かに置き忘れてしまってるんですの。気になさらないでくださいね」

 ソルシエールも笑ってグラーティアに話しかける。自分の非礼を自覚し反省している者に追い討ちをかける必要はない。

 そんな3人を見ながらアルノルトは苦笑する。本当は3人ともグラーティア──というよりも途中から参加を申し出た低位の冒険者にあまり良い印象はないのだろう。これがリチェルカに出発する前、受けたばかりのときや計画段階で言われたのであれば何の不都合もないし、ミストフォロスもこれほど不機嫌にはならなかっただろう。早い段階であれば、それを踏まえた上での行動計画が立てられるからだ。今回は出発直前になっての参加だったために彼らは程度の違いはあれ、不快さを感じているのだ。受け容れることを決めたのは自分たちだが、ひと言嫌味は言いたい程度に。

 それでも彼らが断らなかったのは、参加を希望したのが【プリッツ】の血盟主だったからだ。いずれ仲間に引き入れたい血盟の盟主。彼女と顔を繋いでおくには良い機会だと捉えたからだ。アルノルトもそれがあったから、即座に断らなかったのだ。

「姫、今回のリチェルカは急を要します。かなりの強行軍になりますから、覚悟なさってくださいね」

 ソルシエールの言葉にグラーティアは緊張した面持ちで頷く。

「基本的に雑魚は無視。ベレト討伐を優先して、討伐後、戻りながら雑魚処理でいいか」

 ミストフォロスが確認の意味で問いかける。71階から80階まで一気に登り、ベレトを討伐した後、また71階まで戻りながら魔物を倒していく。一見二度手間なのだが、ベレトの齎す瘴気を排除することが最優先なのだ。それほどにベレトの瘴気は影響が強い。また、ベレトがいることによって、この階層の魔族が活性化しているから、先にベレトを倒しておけば、雑魚処理は楽になる。他の魔族を放置しておくにはこの階層の魔物は危険すぎる。雑魚とはいえ、殆どが上位魔族だ。

「無視ではなく、進路にいるものは処理していきましょう。進路以外のものは後回しで。では……行きましょうか」

 パーシヴァルが一部修正を加えて、5人は出発した。






 翡翠の塔第8階層には、ダークシューターやダークウォリアー、グルヴェイグなどの魔族が出る。これらは上位に近い魔族であり、雑魚とは呼べない強さを持っている。冒険者たちは首領級と区別をつけるためにひと絡げにして雑魚と呼んでいるのである。

 遠距離攻撃をしてくるダークシューター、魔法攻撃とランダムテレポートをするグルヴェイグなどはかなり厄介な相手なのだが、既に75階まで登っているというのに魔物には1体も出会っていない。

 このころになると、グラーティアの硬さも随分取れていた。最初は緊張していたグラーティアも魔物が出ないこと、ソルシエールとミストフォロスを中心とした会話が殆ど漫才のような状態であることから、かなり体から不要な力が抜けていた。

「ソル……ロデム消せ」

 1体も魔物が出ないと寧ろ退屈だとばかりにミストフォロスが言う。ロデムが先行しているために、通路からは魔物が遠ざかっているのだ。

「別にいいでしょ。このほうが面倒もないし」

 確実に戦闘を避けて進めるから時間短縮にもなるし、戦闘をしないからグラーティアも安全だ。因みにロデムが一緒にいるのではなく先行しているのは、グラーティアにはまだソルシエールが賢者であることを知られないように、という措置である。

 実は現段階でソルシエールが賢者であることを知る者は限られている。特級の3人とイディオフィリアたち3人、あとはギルドの幹部と師匠に兄姉弟子に家族といったところだ。ベルトラムから出来るだけ大っぴらにはしないようにと言われている。これもまたソルシエールという運命の子を守るためだ。尤も、現在フィアナにたったひとりのソフォスが賢者ということは、ある程度古参の冒険者の間では知られているから、ソルシエールがソフォスであることを明かせば、自然に判ってしまうことではある。

「ベレトまでは体力温存。一気に片付けてから雑魚を処理。それで良いじゃない」

 そうソルシエールが返した瞬間

{ソルーーーーーーーー!! やったよーーーー!!}

 と脳裏に大音声のイディオフィリアの声が響いた。

{いきなり何よ! 五月蝿いっ}

 思わず転びそうになったソルシエールは怒った声でイディオフィリアへの心話ウィスパーを返す。転びそうになった体はパーシヴァルが支えてくれた。

{ごめん! 嬉しくてつい。四賢者クリアしたよー!}

 上級者なし、自分たちだけで完了できたことが相当嬉しいらしく、イディオフィリアの声は弾んでいる。

{そう、おめでとう。良かったわね}

 大喜びしているであろうイディオフィリアたちの姿が目に浮かび、ソルシエールは微笑する。

{でも私、今翡翠の塔75階にいるんだけどね}

{あ、ごめん……、じゃあ、また後で。帰ったら話聞かせてね}

 嬉しさのあまり、今ソルシエールがどういう状況にいるのかの確認を忘れていたらしい。戦闘中だったらどうなっていたことか。これは帰宅したらみっちりお説教しなくてはならないだろう。

 心話ウィスパーを終えると、パーシヴァルがおかしそうな表情でソルシエールを見ていた。

「イディオフィリア殿からの心話ウィスパーですか?」

「ええ。いきなり頭痛がするくらいの大音声だったわ。四賢者クリアしたんですって」

「ほう。それは確かに喜ぶのも無理はない」

 パーシヴァルも何処か嬉しそうに言う。まだ冒険者となって1ヶ月余りのイディオフィリアだ。単独ではないとはいえ、ほぼ同格の冒険者のみと首領級魔族の討伐が出来たのだから、その成長の早さには驚かされる。

「なんだ、イディオフィリア殿はもうストラテォオティスに昇格したのか?」

 既にミストフォロスとアルノルトはイディオフィリアと対面をしている。この1ヶ月、ソルシエールとパーシヴァルが頻繁にふたりとリチェルカを行っていたため、セネノースの家で顔を合わせることもあったのだ。

「まさか。まだフィラカスになったばかりよ。ヴァルターがストラテォオティスになったから、早速3人で3つ星に挑戦したってこと。幸い回復役の魔術師も見つかったって言ってたしね」

 今、この状況でイディオフィリアから心話ウィスパーが入り、彼の話題になったことは4人にとって都合が良かった。今回グラーティアを受け容れたのはアルノルト以外の3人との顔合わせが目的ではあったが、イディオフィリアのことを知ってもらえればという目論見もあったのだ。対面するにはまだ早い。けれどいずれは対面しなければならない相手だ。

 グラーティアもソルシエールたちの会話から興味を持ったようだった。フィラカスになったばかりで、3級ひとりしかいない4人パルスで四賢者討伐に成功するなど、普通は有り得ないことだ。少なくとも自分や自分の血盟員では考えられない。もし血盟員が同じ構成で四賢者に臨むと聞いたら、間違いなく自分も幹部も止めているだろう。

 そんな階級の割りに難易度の高いリチェルカを行っていることにも、それを止めなかったであろうソルシエールにもグラーティアは驚いていた。そして、まだ2級とはいえ、きっとイディオフィリアという人物は、それだけ将来有望な冒険者なのだろうと興味が湧いたのだ。

「姫、イディオフィリア殿はソルとパーシィが育成補助している剣士でね。今はお聞きのとおりまだフィラカスなんだけど、いずれは血盟を作る方なんだ」

 アルノルトはそう言って、まだイディオフィリアが思ってもいないことでありながら、ソルシエールたち4人にとっては既定の未来となっていること──つまり、血盟創設を告げる。

 グラーティアは聞いた名にある種の感慨を抱いた。『イディオフィリア』──それは生まれて間もなく殺された従弟の名と同じだった。田舎の領地から祝いに駆けつけ、生後10日ほどの従弟と対面した。赤子とは思えぬ整った顔立ちが叔母王妃によく似ていたことを覚えている。

「血盟主になる方なのね」

 グラーティアは哀しみを伴う回想を振り切るように言った。どうやらソルシエールやパーシヴァルだけではなく、ふたりのイロアスも目をかけている冒険者らしい。そんな有望な冒険者が血盟を立ち上げるとなると、同じ血盟主として興味も湧くし心強くもなる。

 グラーティアは自分が血盟を創設したときのことを思い出していた。

 オグミオスの乱が起こったのはまだ10歳にも満たないときだった。叔父であるディルムドは処刑され、両親は王族としての権利を放棄することによって家族と家臣の命の安全を図った。

 田舎の領地に隠棲した両親の許で成人したグラーティアは、跡取りではないことを幸いと家を出て冒険者となった。ずっと広い世界を見たいと思っていたのだ。幼いころに叔父が聞かせてくれた旅の話が、グラーティアはとても好きだった。いずれ自分も叔父のように自身の目で色々なものを見、自分の耳で色々なことを聞きたいと願っていたのだ。

 そして冒険者となったグラーティアは、自然に集まった仲間の勧めで血盟を作ることにした。オグミオスへの反抗が目的ではない。気の合う冒険者同士、冒険を楽しむために作った血盟だった。大半の血盟がそうであるように、自分たちのリチェルカを円滑に安全に遂行し、冒険者としてより安全に快適に生活するための血盟。それが【プリッツ】だった。

 グラーティアが血盟主になったのは、仲間の中で一番身分が高かったからだ。権利は放棄していても王族には違いない。冒険者階級も登録時に既にストラテォオティスであったから、すぐに血盟創設が可能だったのだ。

 色々なリチェルカを進める過程で血盟員はどんどん増えた。既に加入している者が知り合いを勧誘したり、規模の大きさに惹かれて新たに加入を希望する者もいた。今ではフィアナで1、2を争うような大規模血盟だ。

 血盟員が増えれば増えるだけ、苦労や面倒ごとも増える。それでもこれまで大きな問題もなく、血盟を維持できたのはグラーティアの人望ゆえだった。

 【プリッツ】の中にもオグミオスを打倒すべきだと考える者はいる。アルノルトもそうではあるが、現段階では彼は血盟内部にそれを明かしてはいない。イロアスである彼がそれをはっきり表明することは影響が大きすぎるのだ。

 アルノルト以外にもオグミオスを打倒すべきだと考える血盟員はおり、中には盟主であるグラーティアに血盟の方針を変更するように求める愚か者もいた。しかし、グラーティアはそれには決して頷かなかった。

 グラーティア自身は『血盟の仲間が平和に暮らせるならば、オグミオスに抗する必要はない』と考えている。殆どのフィアナの住人がそう考えているように。

 況してや、血盟の方針は創設する盟主が打ち出すものなのだ。盟主の示した方針に納得し、賛同する者が加入するのである。それなのに方針の変更を要求するなど言語道断だとグラーティアは思っている。グラーティアは基本的に何でも当人との話し合いで決断する。だが、方針変更を要求した者は問答無用で血盟から追放した。それくらい厳しい姿勢で臨まなければ、血盟の方針が揺らぎ、血盟としての軸がぶれてしまうのだ。

 グラーティアとて、現在の魔族が横行する世界が良いとは思っていない。だからこそ、冒険者として魔族討伐は出来るだけ請け負っている。だが、オグミオスを討伐することが必要だとは思えなかったのだ。

「さてと、80階ですよっと」

 最後の階段の前でミストフォロスは軽い口調で言う。

「ここからはロデムの魔物避けもねぇから、戦闘になるな」

 ベレトはフラウロスよりも位階が高い魔族であるため、ジェイエンのようにはいかないのだ。ジェイエンの場合はフラウロスよりも遥かに格下だったために戦闘にはならなかったのだが、位階の近いベレトとフラウロスでは戦闘が始まってしまう。同じ魔族とはいえ、召喚獣として人間に仕えている魔獣は、魔族から見れば裏切り者であり、敵と認識されるのだ。

「私が初撃、フォロスが側面、グラーティア姫が背後ですね。雑魚が湧いたらグルヴェイグとダークシューターはアルが、他はフォロスが処理を。私と姫は一向ひたすらベレトを叩くということでよろしいですね」

 攻撃力そのものはミストフォロスのほうがパーシヴァルよりも勝るのだが、持久力、打たれ強さはパーシヴァルのほうが勝る。それに行動の早いエレティクスが雑魚処理に回ったほうが殲滅が早いため、こういった配置になる。尤も、態々確認したのはグラーティアに聞かせるためで、通常であれば何の確認をせずともパーシヴァルが言ったとおりの行動を各自が取る。それが長年組んでやっている者たちの連携というものだった。

「先月もベレトは出たから……雑魚はあまりいないと思うけど」

 ソルシエールはそう呟きつつ、支援魔法をグラーティアにかける。

 つい先月もベレト討伐を行ったばかりだ。先月とはいえ実際には1ヶ月経ってはいない。これまでにない短い周期での出現だった。前回の討伐の際にこの階層の魔物は全て処理しており、今回はそこまで大量の魔物がいるとは思えないが、油断は禁物だった。

 案の定というか、80階に雑魚は殆どおらず、ベレトと戦っているときに雑魚が湧くことはなかった。常のとおりあっさりとベレトを倒すと、これまで以上に念入りにソルシエールとアルノルトは封じの呪を強くかける。

「やはり……いくら個々の封じを強化したとしても、大元を何とかしなければ意味はありませんね」

 80階から下りつつ、パーシヴァルは溜息をつく。

 首領級が出現した瘴気の大元──次元の歪みをいくら封じたとしても、最大の歪みが、【異界の門】が何の封じもなく存在しているのであれば、いくら呪を強くしたとしても焼け石に水でしなかない。

「老齢とはいえ、魔族と契約してるだけにくたばりそうにねぇしなぁ。放っといたらあと100年は生きるだろ」

「やっぱり早く倒さないとな」

 同意するようにミストフォロスとアルノルトも言う。しかし、グラーティアは彼らの言っていることが判らず、不思議そうな顔をしている。

「あれ、もしかして姫、知らないのか」

 その表情に気付いてミストフォロスが問えば、グラーティアではなくソルシエールが答えた。

「普通は知らないわよ。私は師匠に教えられて知ったんだし、アルとフォロスはそれぞれの族長から聞いて、でしょ。師匠も族長たちも王家や魔法との関わりが深いから知っていただけだし……。琥珀の塔とミレシア大聖堂だって知らないことだわ。パーシィには私たちが教えたんだし」

 事実、ミレシア大聖堂の元女神官長であったソルシエールの母もこのことは知らなかったくらいだ。

「姫、この世界と異界を繋いでいる最大の次元の歪み、通称【門】は反王その人なのですわ。反王を倒さない限り、この門を閉じることは出来ず、魔族がフィアナからいなくなることはありません」

 ソルシエールの言葉にグラーティアは目を見開く。初めて聞くことだった。だとすれば、冒険者たちがいくら魔族を討伐したとて、魔族はいつまでもいなくならないということではないか。オグミオスを倒さない限り。

「このことを知っているのはごくわずかです。反王側でも極秘事項として扱っているはずですし……。ここにいる私たちとそれぞれの師匠格と族長、後はアヴェリオンに逃れているグィディオン公爵くらいではないかと思います」

 反オグミオス血盟のふたりの盟主、イオニアスとバレンティアも知らないに違いない。知っていれば、それを効果的に扇動に使うはずだ。とはいえ、そろそろ次兄には教える頃合かもしれない。王子も見つかったのだし、民の啓蒙活動も始める時期だろう。

「そう……なんだ」

 叔父を殺した敵としてのオグミオスには恨みを持っていたグラーティアではあるが、統治者としてのオグミオスに恨みはなかった。反感を抱きはしても、反逆し打倒するまではないと思っていた。

 けれど、反王そのものが魔族を呼び寄せる媒体となっていたとは。だとすれば、オグミオスが死なない限り、フィアナから魔物は消えない。本当に民が安心して暮らせる世の中にはならない。

 ミストフォロスの言葉のとおりだとすれば、老齢だからといって自然死を待っても意味はなさそうだ。人の意志でオグミオスを倒す──殺さなくてはならないのだ。

 このリチェルカから帰還したら、バレンティアに連絡を取ってみようとグラーティアは思った。王族同士として、また血盟主としてそれなりに交流のある相手だ。しかも彼の血盟は反オグミオスだから、何か知っているかもしれない。

 グラーティアの中にオグミオスを倒さなければならないのかもしれない……と、これまで考えてもみなかったものが芽吹いた瞬間だった。