琥珀の塔の魔術師

 ソルシエールたちがセネノースで生活を始めてから1ヶ月が経っていた。その間に新たな特進リチェルカは受けなかった。ソルシエールとパーシヴァルが忙しく、受けることが出来なかったのだ。彼らはミストフォロス・アルノルトと共に4つ星や5つ星の中でも特に難易度の高い首領級魔族討伐に追われていた。そのため、イディオフィリアは個人またはヴァルター・ティラドールと共にひとつ星やふたつ星のリチェルカをこなしていた。

 3つ星リチェルカをひとつ完了しているイディオフィリアはそれ以前に10件のひとつ星リチェルカを終わらせていたこともあり、あと10件のひとつ星もしくは1件の3つ星を完了させればフィラカスとなれるため、積極的にリチェルカを受け、2級フィラカスに昇格していた。

 ヴァルターとティラドールも間もなくストラテォオティスに昇格できるだけのリチェルカを完了させており、3人は着実に成長していた。

 そしてこの日、ヴァルターが25件目のふたつ星リチェルカを完了し、3級ストラテォオティスとなった。──つまり、3つ星リチェルカを受ける資格を得たのである。

 早速3人は自分たちでも可能な3つ星リチェルカはないものかと、既に親しくなっているギルドの職員に相談した。3つ星リチェルカならば、イディオフィリアとティラドールは特進リチェルカとなるから、3人で可能であれば是非ともやりたかったのだ。

「そうだなぁ……3人とも階級の割には良い装備持ってるし、パーシィとソルに鍛えられてるだけあって実力もある。回復役の魔術師さえいれば四賢者くらいならいけるんじゃないか」

 ギルドの職員はそう教えてくれた。ふたりの特級冒険者に目をかけられているこの3人は普段から様々な助言を受けているせいか、はたまた身近にこれ以上はない手本がいるせいか、低位の冒険者とは思えない技量と戦闘力を持っている。少なくともギルドの職員はそう見ている。ならば、首領級でも3つ星程度なら完了できるだろうと思ったのだ。

 四賢者とはフェストラントケイブの4階に出現する首領級魔族のことで、3つ星の首領級リチェルカの中では難易度の低い部類である。厄介なのは『四』賢者というように4体の首領級魔族が一度に出現すること、フェストラントケイブは攻撃的かつ仲間意識ソキウスを持つ魔物がかなり多いことだろう。

「やっぱり、回復役いないと無理か」

 ヴァルターが溜息をつく。回復魔法はエルフのティラドールも使えることは使えるが、回復役となるには魔力量も魔法威力も不足している。

「探してみようよ」

 いつでも前向きに発言するのはイディオフィリアだ。

 つい先日も【呪われたシミター】という武器を拾ってしまい、手に貼り付いて取れなくなるという事件が起きた。魔物が落とす武器の中には呪われているものがあり、それを手に取ると貼りついて離れなくなってしまうのだ。解呪符という呪符を使うことによってそれは外すことが出来るのだが。

 手にシミターを貼り付けてしまったイディオフィリアは『戦闘中に剣を弾かれることもなくなるし、落とすこともなくなるから便利じゃん』と言い、ヴァルターに『お前、どんだけ前向きなんだよ』と呆れられるというひと幕があった。尤も、日常生活に不便このうえもないわけで、解呪したのではあるが。

「それもそうだな。いつまでも回復役を姐御に頼ってちゃ駄目だよな。俺らと同じくらいの階級の回復役がいれば、受けられるリチェルカの幅も広がるんだし」

 ティラドールが賛同し、3人は同じくらいの階級の魔術師を探すことにしたのだった。






 フィアナ大陸北部の町アヴェリオン。ここには【琥珀の塔】という研究施設がある。魔法の効果・威力、マナ、魔族についての研究を行う施設である。

 フィネガス・マイスナーは20代半ばの研究者である。魔力は魔術師の中では中程度で然程高くはないが、魔法の研究と理論に関しては若手第一人者といわれる研究者だった。

 その彼は今、渋い表情をしていた。

 マナの均衡の崩壊が深刻な状況になっていることは気付いていた。この琥珀の塔の研究者たちで気付いていない者は入所したばかりの新米研究者くらいなものだ。先日は大賢者ベルトラム直々の依頼で、マナの調和の崩壊を抑えるための祈りの時間を増やしたほど、マナの調和の崩壊は深刻な状況だった。

 このままここで研究だけをしていてもいいのだろうか。もっと他に出来ることはないのだろうか。

 先輩の研究者にその思いをぶつけてみたが、『お前程度の魔力で何が出来るんだ。実践者に任せてお前はここで研究していたほうが役に立つ』と言われてしまった。確かに自分の魔力はそれほど高くない。それが判っているからこそ研究者をしているのだ。

 けれど、考えられる限りの研究は行ったのだ。それでもマナの均衡の崩壊を抑えることは出来ていない。このフィアナに魔族がいる限り、マナの崩壊は進むのだ。マナの均衡が崩れていることによって上位魔族の出現頻度が上がり、崩壊を加速してしまっている。

 だとすれば、後は実践者として少しでも魔族の数を減らすために活動したほうがいいのではないか。魔力は高くないけれど、回復役として冒険者たちの役に立つことは出来るのではないか。そのほうが研究所に篭っているよりも余程意味のあることなのではないか。

「よし、そうしよう」

 フィネガスは決意した。そして、琥珀の塔の責任者であるセクアナの許を訪れ、自分の決意を話した。

「そうですか。貴方が考え抜いて決めたことならば、思うとおりにしなさい。実際に現状を肌で感じることも必要でしょう。研究は何処にいても出来ますからね」

 セクアナはそう言い、フィネガスが冒険者となることを許可してくれた。フィネガスは礼を言うと自分の研究室を整理し、冒険者ギルドのあるセネノースへと転移した。

 元々騎士階級出身であるフィネガスは2級での登録となった。魔術師になってからは10年以上経っていたから、大抵の魔法は覚えている。魔術師としてそれなりに役に立つはずだと自負していたフィネガスだったが、中々巧くはいかなかった。

 階級の低い魔術師冒険者がひとりで魔物討伐を行うことはかなり難しい。フィネガスは魔術師等級こそ低くはないが、実戦経験が不足しており、巧く立ち回れなかった。

 魔族の研究をしていたといってもマナの崩壊に影響を与える首領級魔族が中心であり、低級の魔族の生態に詳しくないことも彼の自信を打ち砕いていた。有能な研究者といっても実践魔術師としては役に立たないではないかと。

 やはり回復役として何処かのパルスに加わるようにしたほうがいいと思ったフィネガスはアルモリカに移動した。しかし、2級程度の魔術師をパルスに入れてくれるような冒険者も少なく、目論見は外れた。そもそも低級の冒険者はパルスを組むようなことは殆どなく、単独遂行可能な収集や配達のリチェルカを受ける者が多かったのだ。

 パルスは諦め、今度は剣士系冒険者と組んでリチェルカを受けるようにした。これはそれなりに需要があったが、その分問題も発覚した。剣士系と組むということはある程度の連携が要求される。回復役は基本的に戦えない場合が多い。幸いフィネガスは剣も使えるが、剣士には劣る。当然剣士系の冒険者には回復役を守るという役目もあるのだが、それを失念している──というより、初めから頭にない冒険者が多かった。また、フィネガスの魔力消費など意識することもなく、自分勝手に行動する。『お前は俺に回復魔法だけかけてればいいんだよ』と言わんばかりの態度だった。費用のかからない自動的に回復してくれる回復薬程度の認識でフィネガスを連れ回すのだ。そんな冒険者たちにフィネガスは怒りと失望を感じていた。

(冒険者ってこんな自分勝手なヤツばかりなのか)

 パルスも組めない、剣士とも組めないともなれば、召喚獣を駆使して巧く立ち回れるように訓練して単独でやっていくしかない。そう思い始めたころだった。

「あの、魔術師さんですよね。俺たちと一緒にリチェルカを受けませんか?」

 赤い髪をした青年にそう声をかけられたのは。






 セネノースのギルドでは中々同じ階級の魔術師とは出会えなかったイディオフィリアたちは初級や2級の多いアルモリカへとやってきていた。そこで2級モナホスの階級章をつけた魔術師を見つけ、一番物怖じしないイディオフィリアが声をかけてみることにしたのだ。

「良かったら、俺たちと一緒にリチェルカを受けませんか?」

 その声に振り向いたのはヴァルターと同世代くらいのアンスロポスの魔術師だった。声をかけたイディオフィリアを何処か冷ややかな目で見ている。

「俺たち?」

 声は随分不審そうな響きを持っている。

「はい。こっちのふたりと俺です。あ、俺はイディオフィリア・アロイスといいます。今はフィラカスです」

 魔術師の胡乱そうな視線と声にも怯むことなく、イディオフィリアは言葉を継ぐ。この物怖じせず素直で明るい、ある種の図々しさがイディオフィリアの取柄のひとつだ。

「仲間のひとりがストラテォオティスに昇格したんで、3つ星リチェルカを受けてみようってことになったんです。でも俺たち剣士ふたりと弓士ひとりなんで、やっぱり回復してくれる魔術師いないときついよなってことになって。それで、一緒にやってくれる人を探してるんです」

 イディオフィリアは四賢者のリチェルカを受けようとしていることも合わせて告げる。四賢者と聞いて魔術師は興味を持ったようだ。

「ふーん。いいよ、別に。一緒に行っても」

 魔術師はまだ何か胡散臭げにイディオフィリアを見ながら、それでも承諾してくれた。

「ありがとう!」

 途端にイディオフィリアはパッと顔を輝かせ、嬉しそうに魔術師の手を握った。

「ヴァル、ティラ、良いって!」

 背後にいるふたりを嬉しそうに振り返る。ヴァルターとティラドールはその笑顔に苦笑する。人見知りをしないのにも程がある。

 この1ヶ月一緒にいて判ったことだが、イディオフィリアは本当に人懐っこいのだ。人に対しての警戒心が欠如しているのではないかと思うくらいに。

 だが、それが今のところ良い方向に作用していることは確かだった。ギルドで顔を合わせる職員や冒険者たちにイディオフィリアは可愛がられていた。ソルシエールやパーシヴァルが目をかけていることも理由の大きな一因ではあったが、それ以上にイディオフィリアの素直な性格が周囲に好意的に受け容れられているのだ。

 先輩冒険者たちはリチェルカではなく一緒に狩りにも行ってくれたりもして、そんなときには立ち回り方を教えてくれる。地域によっては出現する魔族も違うため、その狩場(フィールドや迷宮、洞窟などを冒険者たちは狩場と呼ぶ)の特性についても情報を与えてくれる。状態異常攻撃をする魔物の有無、弱点属性の有無、効果的な武器や必要な消耗品、攻撃型やソキウスの有無といった魔族の性質、或いは効率の良い処理順序やパルス構成。そういった冒険者として魔族と戦う上で必要な情報や知識を惜しみなく与えてくれるのだ。

 一緒にいるヴァルターやティラドールも自然に彼らから様々なことを教えてもらえ、それが彼らを短期間で成長させてくれた。よって今では、イディオフィリアの警戒心の欠如は自分たちが注意していればいいことだと悟っている。

「ヴァルター・ヴァイスです。よろしく」

「ティラドール・ルーディエルです。良かった。俺の魔力じゃ回復役は無理だったんで。頼りにしてます」

「……フィネガス・マイスナーです」

 魔術師フィネガスとの出会いだった。






 ギルドでリチェルカの受付を済ませると、イディオフィリアたちは酒場に入ってこれからの打ち合わせをすることにした。

「フィネガスはどんな魔法が使えるの?」

 先輩冒険者たちから魔術師の役割を学んでいるイディオフィリアはフィネガスに確認する。確認されたフィネガスはこれまで一度もそんなことを聞かれたことがなかったため驚いていた。

「大体の魔法は使えるけど……。覚えてないのは手に入りにくいサンクトゥスアールデンスとメテオリーテースくらいかな」

 一体何のために聞くのだろう。自分は3人にただ回復魔法だけかけていればいいのではないのか。──これまで組んだ冒険者は回復魔法しか要求しなかったため、フィネガスはそう思う。

「じゃあ、リーネアとイムブレもあるんだ」

 イーグニスリーネアは炎の壁を作り出す魔法、イムブレカーティオオブスクーリタースは対象を暗闇状態にする目晦ましの魔法である。

「あるけど……?」

 そう答えれば、3人はやったねと笑う。

 魔術師を探す傍ら、イディオフィリアたちは偵察も兼ねてフェストラントケイブに行っていた。四賢者が出現するのは4階だが、3階までも雑魚の魔物は同じ種類のものが出る。シラリュイ、バグベアー、ケルベロス、メルトバーキといった魔物はどれも攻撃的な上ソキウスもするし、かなりの数が出現するのだ。

 何度か行って経験したことを元にソルシエールやパーシヴァルからの助言も受け、3人でそれなりに四賢者対策も考えていたのだ。その際にイーグニスリーネアとイムブレカーティオオブスクーリタースはあったほうがいいと教えられていた。

「フィネガスってもしかして、あんまりパルスとか慣れてない?」

 自分の質問に不思議そうな表情を見せるフィネガスに、もしやと思いイディオフィリアは確認する。

「剣士と組んだことならあるけど」

 そうフィネガスが答えると、イディオフィリアたちは得心が行ったというように頷く。

「俺たち、いつもパルス組むときは役割を決めていくんだ。先輩冒険者からの助言でね。ある程度想定できる場面での対処方法なんかも事前に話し合っておくんだ」

「そうすりゃ、いざというとき慌てなくて済むだろ? 特に魔術師は回復で負担大きくなるしな。俺たちが下手打っちゃうとさ」

 イディオフィリアの言葉を補足するようにヴァルターが言う。それでも不思議そうにしているフィネガスにイディオフィリアは説明をする。

 ジェイエンのリチェルカ以降、リチェルカでソルシエールやパーシヴァルに同行することはないが、リチェルカ以外の魔物討伐(冒険者たちはこれを狩りという)には何度か出かけている。そんなときにもソルシエールとパーシヴァルは事前に役割や立ち回りを指示し、そのとおりに行動することで危険な状況を回避できている。それゆえ、イディオフィリアたちにとっては事前の打ち合わせは必ず行うべきことという認識になっていた。

「大量に魔物が出てきて前衛……ヴァルと俺だけど、ふたりの許容範囲超えそうなときはリーネアで魔物の進路妨害してほしいんだ。それで時間稼げるからね。広間があればティラが引き回すことも出来るけど、フェストラントケイブはそれが出来る場所もないからさ。あと、フェストラントケイブは攻撃的な魔物が多いから、フィネガスに標的が行くこともあるかもしれない。特にメルトバーキは魔術師狙う傾向にあるしね。だから、もし標的にされたときは魔物にイムブレかければ標的外れるから、それで対処してほしいんだ。あ、勿論、俺かヴァルかティラがすぐに標的剥がしに動くけど」

 イディオフィリアの説明にフィネガスは目を見開く。狩場の特性も理解し、役割分担も確りしている。魔術師を守ろうとする姿勢もある。

 それに、魔術師である自分が知らなかったイムブレカーティオオブスクーリタースの使い方を教えられたことにも驚いていた。この目の前の赤毛の青年は明らかに剣士だ。それもまだ階級は2級でしかない。なのに魔術師である自分よりも実践的な魔法の使い方を心得ている。これが経験の差なのかとフィネガスは思った。

「初撃はいつもどおりヴァルな。あと、ケルベロスは火吐いて厄介だから遠距離からティラがやると。バグベアーよりメルトバーキのほうが処理楽だから、メルトバーキ優先でいいよな。あ、メルトバーキはフィネガスの不死魔族浄化魔法エクスオルキスムスでもいけるよね」

 イディオフィリアはそう言って魔物の処理順を確認していく。

「俺、あんまり魔力高くないからエクスオルキスムスの成功率低いよ。それよりは回復に専念したほうが皆の負担少ないんじゃないかな」

 初めのころより幾分柔らかくなった声音でフィネガスは言う。

 エクスオルキスムスは魔力の高さに依存する魔法で、魔力が低ければ成功率も低くなる。自分の魔力を正確に把握しているフィネガスにしてみれば当然の発言だったのだが、彼の言葉に何故かイディオフィリアもヴァルターもティラドールも驚いた表情をする。

「え? 回復だけしかしないと退屈じゃない?」

「は……?」

 イディオフィリアの言葉に今度はフィネガスが驚く。どうしてここで退屈なんて言葉が出てくるのだ。

「いやさ、いつも俺らがお世話になってる先輩魔術師がいるんだけどさ……。その人、回復だけなんて退屈だーって、魔物が湧くと攻撃魔法連発なんだよね」

「魔法だけじゃないだろ。この前は剣持って殴ってたじゃん」

「だよなー」

 何処か遠い目をしているイディオフィリアたち3人にフィネガスは再度驚く。なんなのだ、その魔術師は。フィネガス自身もひとりそういう魔術師を知っている。魔族の実態調査のため迷宮に同行し、その現場を目にしたときは驚いたものだ。しかし、その人物は遥か高位の術者であり、目の前の冒険者たちとは階級も違いすぎるから別人だろう。そんな魔術師が複数いるとは思いたくないが。──それが同一人物だと知るのは後日のこととなる。

「だからさ、フィネガスも臨機応変に攻撃魔法使ってくれて構わないよ。勿論魔力量との相談の上でだけど」

 そう言って笑ったイディオフィリアに、フィネガスはこれまでに組んだ冒険者たちとは違うものを感じた。

 そしてそれは、打ち合わせを終えて解散した後、一層感じることとなった。

 3人と別れ、翌日の準備のためギルドに戻ったフィネガスに職員が声をかけてきたのだ。

「フィネガス、イディオたちとリチェルカ受けるんだって?」

「ええ。誘われたんで」

 言葉少なに答えるフィネガスにギルドの職員は良かったなと笑う。

「イディオたちはまだ階級は低いけど、頼りになる奴らだよ。今までフィネガスはパルトナーに恵まれなかったからな。きっとお前さんにもいい経験になると思うぞ」

 職員はそう言った。自分のことを気にかけてくれていたことにも驚いたが、それ以上に低位の冒険者に対してこれほど好意的な評価をギルドが持っていることにも驚いた。

 しかし、打ち合わせを思い出してそれも納得が出来た。2級や3級になりたての冒険者には難易度の高いフェストラントケイブの狩場特性を把握していたこと、魔族の特性を把握していること、明確な役割分担をしていること。恐らく彼らの技量と知識は駆け出しの冒険者にしては高いのだろうと充分に想像できる。

「イディオはいい奴だからな。きっとお前さんとも巧くやっていけるぜ。まぁ、ちょっと人懐っこすぎてウザいときもあるけどな」

 そう笑う職員にフィネガスも苦笑する。確かに少々五月蝿い青年だった。だが、なんとも憎めない青年だ。

 ギルドを出て宿に戻るフィネガスの足取りは軽かった。明日のリチェルカが楽しみだ──自覚せぬまま、フィネガスは笑っていた。






 翌日、朝の早い時間に4人はフェストラントケイブへと向かった。先頭をヴァルター、2番手をイディオフィリア、次にフィネガス、殿しんがりをティラドールという並びで進んでいく。

 魔物の少ない1階と2階はフィネガスの出番もなくさっくりと進み、3階でしばらく連携を見るために時間をかけて狩りをすることにした。イディオフィリア、ヴァルター、ティラドールの3人は互いのことを判っているが、フィネガスは違う。剣士ふたりの強さ、損傷の受け方、回復のタイミングなどを確認しておく必要があった。

「やっぱり回復役の魔術師がいてくれると安心感が違うな」

 何度目かの戦闘の後、ヴァルターが呟く。回復役がいないときに損傷を受けた場合は回復を薬で行うしかなく、回復薬を使用しながらの戦闘は慣れていなければ余計な攻撃を受けることになり、難しい。結果、戦闘が終了するまでは回復が出来ず、傷を負っていればその分処理は遅くなる。途中で回復するほどの大きな損傷を負ってしまうとそれ以外の者の負担が一時的に大きくなる。

 何より大量の回復薬を持っていくため、荷物が嵩張り行動速度も低下してしまう。回復薬が少なくなれば目的を達していなくても帰還せざるを得なくなる。けれど回復役の魔術師がいれば戦闘中でも魔法で体力を回復し、傷を治してくれるため、攻撃力を落とすことなく魔物に対することが出来るのだ。

「って、また来たぞ。ちょっと多いっての!」

 咄嗟にヴァルターがエボニーワンド(小さな雷を落とす魔法を発する杖)でフィネガスを襲おうとしていたメルトバーキを攻撃する。同時に反対方向からやって来たケルベロスにはティラドールが矢を射る。イディオフィリアは背後にフィネガスを庇う形でヴァルターが初撃を入れた魔物を攻撃する。

 魔物の攻撃が集中しているヴァルターの様子を見ながらフィネガスは回復魔法をかけ、攻撃力の強いイディオフィリアをより活かせるように攻撃力補助の魔法を彼の剣にかける。

「フィネガス、ありがとッ」

 魔物を攻撃しながら、ヴァルターがフィネガスに感謝の言葉を発する。

「ありがとう、フィン」

 補助魔法をかけたイディオフィリアも同様だ。

 そのとき新たなメルトバーキが現れ、ヴァルターに背後から襲い掛かる。効かないかもしれないと思いつつ、『ヴァルター、後ろ』と声をかけながらフィネガスはエクスオルキスムスを発動する。幸い成功し、白骨の魔物は消える。

「巧い、フィネガス!」

 口笛と共にティラドールが賞賛する。言葉を発する間も攻撃の手を休めることはない。ティラドールだけではなく、イディオフィリアもヴァルターも同じだ。

 フィネガスはこの彼らの言動にも驚いていた。こうして自分が何かをするたびに彼らは声をかけてくれる。回復魔法や支援魔法をかけるたびに『ありがとう』と礼を言ってくれる。自分は魔術師で回復役として参加しているのだから当然のことをしているだけなのに、彼らは謝辞を告げてくれるのだ。そして、魔法で援護すれば『巧い』『流石!』と賞賛の声をかけてくれる。これまでの冒険者たちは余計なことをするなといわんばかりに睨む者もいたというのに。

 イディオフィリアらにしてみれば、いつもパーシヴァルがそうしていたからそれが当然のことと思い、自然にそうするようになっていただけのことだった。それにソルシエールを見て、回復魔法を効率よく使うためには、どれだけ魔術師が周囲の状態に注意を払わなければならないかを知っていた。それがどれほど大変なことなのかを理解していたのである。回復魔法を多用した狩りの後にはソルシエールはいつも疲れきっていた。ぐったりとしていつもの毒舌も鳴りを潜めるほどだった。それだけ神経を張り詰めて仲間の状況に気を配っていたのだ。

 ふたりだけではなく、一緒に狩りをしてくれる先輩冒険者たちを見て、イディオフィリアたちは様々なことを知った。パルスが安全に戦うためには回復役の存在は不可欠であり、その術者の腕にパルスの生命がかかっているのだということ、そのためにどれほど術者が神経を使うかを彼らは実践の中で学んでいたのである。

「そういえば、今日は姐御たち、ベレト討伐だって言ってなかったっけ」

 ようやく湧いた魔物を処理し終え、4階への移動を再開したところで、ふと思い出したようにティラドールが口を開いた。

「らしいね。フォロスさんから協力要請入ったって言ってたし。またパーシィさんとアルノルトさんと4人で翡翠の塔か」

 それにイディオフィリアが応じる。ベレトは翡翠の塔第8階層最上階に出る首領級魔族で、5つ星リチェルカだ。

「先月もベレト出てたって言ってたよな。出現頻度上がりすぎなんじゃないか」

 ヴァルターが深刻そうに溜息をつく。イディオフィリアと出会う以前は首領級魔族など縁がなかったから、意識したことはなかった。けれど、ソルシエールとパーシヴァルという上級冒険者と知り合ってからは、首領級魔族の情報をよく耳にするようになった。そして、現在の首領級魔族が頻繁に出現する状況が異常であることを理解するようになったのだ。

「ベレト……」

 その上級魔族の名にフィネガスは呆然とする。

 研究者だった彼は魔族にも詳しい。特に首領級の魔族はその影響からも研究の中心となるものだった。とはいえ、実際に目にしたことなどなく、飽くまでも資料を読んだり討伐した冒険者の話で聞くだけではあったが。

 そんな高位魔族まで頻繁に出現するようになっているとは……。やはり想像していた以上にマナの均衡の崩壊は深刻なのだ。それを知っただけでも琥珀の塔を出た甲斐はあった。

 4人は話をしながらも危なげなく魔物を処理しながら進む。数刻の狩りの中でフィネガスも他の3人と連携が取れるようになった。それにはイディオフィリアらが的確に指示を出し、またフィネガスを信頼してくれたことが大きかった。

「そろそろ4階だな。装備と持ち物、再確認しておこう。フィネガスとティラは魔力回復させておいて」

 4階に登る階段の前で、イディオフィリアは言う。

 フィネガスがメディテーションを唱えるとイディオフィリアたち3人はフィネガスを守るように囲む。ごく自然にその動作を行う彼らに、フィネガスは彼らがいつもそうしていることを知る。

(こいつらは……今まで俺が組んだ奴らとは違うな)

 改めてフィネガスはそう思う。実はこれまでフィネガスは相手に恵まれていなかっただけで、大抵の中級以上の冒険者は魔術師に対してイディオフィリアたちと同じような行動を取る。経験を積んでいればいるほど、魔術師の役割がどれだけ重要かを理解するようになる。フィネガスがこれまで組んだのは経験の浅い者たちばかりだったから、仕方がなかったのだともいえる。イディオフィリアたちは比較的早い段階で魔術師とのパルスを経験していたから、自然にそれを覚えたに過ぎない。彼らには特別なことをしているという意識は全くないのである。

「四賢者かー。ワクワクするな」

「おいおい、仮にも首領級だぜ。気引き締めていこうぜ」

「そうそう、ティラの言うとおり。ま、イディオの気持ちも判るけどな」

 気負いもなく楽しそうに話す3人をフィネガスは見つめる。その瞳に初めのような不信感は一切なく、信頼が宿り始めていた。

「回復完了。行こうか」

 こういう奴らなら、これからも一緒に組んでもいいかもしれない。フィネガスはそう思い始めていた。