一夜が明けソルシエールとパーシヴァルは再びギルドへと来ていた。イディオフィリアたち3人は初めての翡翠の塔での魔族討伐の疲労のため、まだ夢の中である。目が覚めたら、食事をして待っておくようにとパーシヴァルが書き置きをしておいた。
「これで契約は完了。これが家の鍵で、こっちが地下倉庫の鍵だ」
契約書を確認し、ギルドレーラーが鍵の束をふたつソルシエールに渡す。それぞれ複数個の鍵が用意されている。
今回ソルシエールが購入したのはセネノースクロイツに程近い、10人程度が暮らせる3階建ての家だ。居間・台所・浴室・厠の共用設備の他、個室が大小合わせて10室ある。更に地下室もあり、ここは話し合いをするには丁度いい広さの広間の他、武具や食料品を保管する倉庫もあった。血盟の本拠地とするには充分な機能を備えている。イディオフィリアが血盟を創設したら、名義を血盟に書き換える予定にしている。
パーシヴァルが来たのはミストフォロスからの連絡を待つためだったが、幸いミストフォロスへの連絡は既についているようで、すぐにでもセネノースへ来るとのことだった。
「パーシィは当分は自宅から通いね」
パーシヴァルは家庭を持っているし、自宅もこのセネノースにある。態々この家に住む必要はない。
「そうですね、現在のところは。血盟として本格的に動くことになったら、私もこちらに住むことにします」
「オクタヴィアもそのときは一緒にね」
「ええ、勿論です」
パーシヴァルの妻オクタヴィアはソルシエールにとって唯一の女友達でもある。パーシヴァルの3つほど年上の姉さん女房であるオクタヴィアは、ベルトラムの弟子だった女性で、彼女もまた優秀な魔術師だった。
ギルドを出て宿屋に戻ると、既に起きて食事も終えていたイディオフィリア、ヴァルタ-、ティラドールと共に新たな家へと引越しをする。ギルドレーラーが手配してくれていた業者が既に清掃を終え、元々必要な家財道具は備え付けの家であるために、すぐにでも生活は始められる。
「さてと、それじゃあ、市場に行きましょうか」
それぞれの部屋割りを終えてひと段落つくと、ソルシエールは言う。
市場には様々な物資が集まる。セネノースの市場は本来の商店の集まりではなく、冒険者たちが自分には不要な物を売買する個人商店の集まりだ。武器や防具も一般の商店では取り扱っていない希少なもの、強化済みのものなどが売り買いされている。価格は一応の相場らしきものはあるが、各冒険者によって異なっているために、非常に高いものからお買い得なものまで様々だ。
「昨日の報酬で皆かなりお金持ちになったからね。今のうちにある程度の武具を整えておきましょう」
ソルシエールの言葉に3人は頷く。そして、ソルシエールとパーシヴァルの助言を受け、それぞれが揃えたい装備を書き留めていく。
「ストラテォオティス以上であれば使える物を購入したほうが良いでしょうね」
冒険者階級が上がれば装備できる武具の種類は増えていく。今の段階であまり高価な物を購入しても階級が上がったときにまた買い換えなければならなくなることもある。基本的に装備は3級を境目にして大きく変わるのだ。
「それまでは今の物を
まだまだ装備に関する知識の少ないイディオフィリアたちは、ソルシエールらの言葉に頷くしかない。
「ヴァルター殿は騎士系の装備がよろしいでしょうね。筋力がおありになるから多少重量系の装備でも問題ないでしょう」
そう言ってパーシヴァルはいくつかの防具の名前を挙げる。武器に関しては手持ちのダマスカスソードとシルバーロングソードが汎用性も高いこともあり、現在のメガロマから強化石を使って
「ティラドール殿は魔法もありますからね」
「防具としてはこんなところかな。それと先に3級と4級の魔法書を買っておくのもいいわね」
ソルシエールが魔力回復効果も持つ武具の名を挙げ、ティラドールは頷きつつ、書き留めていく。
「イディオはこの前色々買ってるから、当分防具はそのままでいいわね」
「そうですね。イディオフィリア殿はさし当たって武器を調えられるほうが良いでしょう。身の軽さを活かせる極光石の短剣と中距離支援も出来る槍などいいかもしれません」
「老師に槍術もかなり仕込まれてると聞いてるし、それもいいわね。軽くて片手で扱える精霊の槍あたりかしら」
そうして、3人に購入の目安の金額を伝えると、5人は市場へ向かった。ここでソルシエールとパーシヴァルはイディオフィリアらと別行動を取ることにする。
「どう買い物するかも経験だからね。頑張って良い物を安く買ってらっしゃいな」
イディオフィリアらと別れたソルシエールとパーシヴァルは市場の個人商店を回りながら、目的の物を探していた。
「流石に中々見つかりませんね」
ふたりが探しているのは血盟主専用装備だ。その中でも特殊な君主用と呼ばれるものである。王族でしかも血盟主とならなければ装備できない武具。それが君主専用装備だ。尤もこの場合の『王族』は1滴でも王家の血が入っていれば使えるため、ある程度の貴族であれば使える者も多い。事実、パーシヴァルもソルシエールも王族用装備を使用することが出来る。とはいえ、まだイディオフィリアの出自を明かさず、血盟創設についても何も話していないため、イディオフィリアらには言わずふたりで探しているのだ。
現在、イディオフィリアの装備はそれなりに整えている。だが、血盟主となると専用の装備がある。血盟主という役割柄、それらの性能は高く、また血盟主という圧倒的に少ない数と特殊性から市場には中々出回らないのだ。欲しいときに欲しいものがあると限らないのはどんなものでも同じではあるが、血盟主用装備は特に手に入りにくい。
「取り敢えず、威厳と信義と聖竜王ね」
ソルシエールが絶対に手に入れたい3つの装備の名を挙げる。
【聖王の威厳】は能力値全般を向上させる効果を持った外套、【信義の盟】は回避力が向上する盾、【聖竜王の鎧】は竜の鱗で出来た体力消耗を抑える効果を持つ鎧である。全て君主専用の装備であり、かなりの能力値を底上げする装備だ。その分値が張るし、そもそも君主専用装備は中々売りに出ない。
ふたりは話しながら装備を求めて更に個人商店を見て回る。
「武器は極光石の短剣が手に入ればそれでいい……ですか」
今回買い求めるのは防具の3点。武器にも君主専用のものが幾種類かある。しかし、ソルシエールはそれを買い求めようとはしていない。恐らく……とパーシヴァルは予想する。そしてソルシエールの返答はそれを裏付けるものだった。
「あの剣はまだ老師がお持ちなの」
パーシヴァルの言いたいことを汲んでソルシエールは答える。
先王ディルムドが残した宝剣【クラウ・ソナス】。どんな魔族でも一撃の許に消滅させる能力を持つとされる、代々王に伝わる剣のことをパーシヴァルは問いたかったのだ。
「あれは……血盟を創設なさったら貰い受けに行きましょう。そのときに父上のこともお話しになると思うわ」
王妃ディアドラは王都を落ち延びた際に王の証である宝剣を持ち出し、父ユリウスに託した。出自を知らず駆け出し冒険者に過ぎないイディオフィリアにはまだ明かせない代物だ。
「そうですね……あの剣はあの御方の後継者でなければ使えない」
かつて王宮で見た先王。その腰には優美でありながら威をまとった宝剣が下げられていた。『正統な』王でなければ抜刀すら出来ないといわれる宝剣。ディルムド亡き今となっては、その宝剣を使えるものはイディオフィリアしかいないはずだ。
その宝剣を腰に佩くとき、イディオフィリアは王子としての名乗りを上げることになる。
そんなことを話しながら、ふたりは色々な個人商店を見ていく。
幸い1件の個人商店で聖竜王の鎧を見つけ、ソルシエールはそれを購入する。倉庫で保管しておいて、イディオフィリアが血盟を創設したら渡せばいい。出世払いで。ストラテォオティスに昇格するまでに受けるリチェルカの報酬で、渡すころには買い取るだけの経済力がついている可能性も高い。因みに聖竜王の鎧は竜の鱗という特殊な材質で出来ているため、強化不可能な防具であり、メガロマ・アビロといわれる。
「信義の盟もありましたよ」
と、こちらもさっさと購入しておいたらしいパーシヴァル。しかも滅多に出回らない
「後は威厳ね」
「これが中々手に入らないんですよね」
聖竜王の鎧と信義の盟は魔族からのドロップで得られる装備であるため、それなりに市場に出回る。血盟主でなくとも入手機会があり、不要な冒険者が売りに出すからだ。しかし、聖王の威厳は血盟創設時にギルドから与えられる。つまり、血盟主でなければ手に入らないのである。
ギルドから与えられるものなのだから、そのまま待っていれば当然イディオフィリアも手に入れられる。しかし、実は聖王の威厳はそのままでは血盟主用装備ではあっても君主用装備とはならない。血盟主用の聖王の威厳をある人物の許へ持って行き、特殊な呪をかけてもらうことによって君主用となるのだ。血盟主用の聖王の威厳は能力値向上の効果があるのだが、君主用となると更にそれに体力回復作用と魔法抵抗力向上の効果が付加されるのである。
イディオフィリアが出自を知ってからその人物の許へ行けばいいのだが、君主用の聖王の威厳は中々厄介な代物で、強化する際に消滅してしまうことがあるのだ。それもあって、出来ればある程度強化された聖王の威厳を手に入れたいふたりだった。
「
突然背後から声がかかる。最高メガロマの強化品とはこれまた滅多に手に入らない代物だ。時折ギルドで買取希望の貼り紙があるが、相場としては1億5000万マルクという超高額な防具となっている。
是非とも買わなければと振り向いた先には、ニヤリと笑うミストフォロスが立っていた。
「あら、ソル、フォロス、久しぶりね。何の悪巧みの相談なのかしら」
朗らかにオクタヴィアは妹弟子と夫の親友を出迎えた。年のころは30を少し超えたあたりの、人好きのする愛嬌ある容貌の女性だ。
「久しぶり、オクタヴィア。元気そうね」
ソルシエールは久しぶりに会う友人と抱き合い、その頬に親愛の口付けを送る。
「オクタヴィア、悪巧みって人聞き悪いじゃないか」
ミストフォロスが苦笑すると、オクタヴィアは笑う。
「貴方たち3人が揃って何もないわけないでしょ。特級の良心アルノルトがいないんですもの」
揶揄うようなオクタヴィアにパーシヴァルは目配せをすると、オクタヴィアは心得たように『ごゆっくり』というと居間へと戻っていく。その姿を見送り、3人がパーシヴァルの書斎へと移動した。
話をするなら先ほど購入した家でも良かったが、そこではいつイディオフィリアらが戻ってくるか判らず、まだイディオフィリアらには聞かせる段階の話ではないため、パーシヴァルの自宅へと来たのだ。
「パーシィからギルドを使ってまでの緊急呼び出しだってんで、急いで来たんだが……何があった」
パーシヴァルの書斎に入るなり、ミストフォロスは切り出す。
「イオニアス殿を探し出して、繋ぎを取って欲しいのですよ」
ソルシエールの次兄イオニアス=ベネディクト・クロンティリスは反オグミオス血盟の盟主であり、本名では王都に残る家族に累が及ぶため、イオニアス・ベイオウルフという変名を使って活動している。苛政を行う親オグミオス諸侯の領地でのゲリラ的な活動を行っているため、反王政府からは指名手配されており、その本拠地や本人の所在は中々掴めない。次兄は用心して時々会う父や兄にすら居所を明かしてはいない。連絡も次兄からしか出来ないようになっているのだ。
「月白のスコルに繋ぎねぇ……」
『月白のスコル』はイオニアスの異名だ。呟いてミストフォロスはしばし思案する。そして、ソルシエールを真っ直ぐに見据える。
「つまりそれは、いよいよ動くってことか?」
「まだ時期が来たわけではないわ。でも、近づいてるの。そのときのために兄とは連絡が取れる状態にしておきたいのよ」
ミストフォロスの問いにソルシエールは答える。
「殿下が見つかったのよ、フォロス」
その言葉にミストフォロスは大きく目を見開く。ソルシエールが『歴史が動き出す』と連絡をしてきたときから、そうではないかと予想はしていたが……。
ソルシエールはこれまでの事情と、自分とパーシヴァルが考えているこれからの方針を説明する。
「成る程。ユリウス卿がそんなに近くにいたとはね……」
してやられたとミストフォロスは嘆息する。
王子が生きているならユリウスに育てられているに違いないとは誰もが考えたことだった。ミストフォロスたちエレティクスも王子を守るためにフィアナ中を密かに探索していた。当然アヴァロンにも行ったが、一向に見つからなかった。ユリウスは敵は勿論のこと、味方であるディルムドを慕う者たちからも完全に姿を隠していたのである。全てはイディオフィリアの安全のために。
「うちの師匠ですら居場所は知らなかったくらいだから」
ソルシエールは苦笑する。ユリウス自身の師である大賢者にすら居場所を明かさなかったのだから、エレティクスが判らずとも無理はない。
「尊師にも教えてなかったのか。流石は王の懐刀といわれた御仁だな」
苦笑しながら、ミストフォロスはかつて王宮で出会ったユリウスを思い出していた。
ミストフォロスはエレティクスの族長ベディヴィアの従弟であり、フィアナにおいては族長代理の役割も持つ。そのため、フィアナ王宮との交渉などは主にミストフォロスが担当していた。
先々王の御世、まだ先王ディルムドが幼い少年であったころにミストフォロスはユリウスと出会っていた。
穏やかな風貌の彼はその外見に似ず辣腕の政治家だった。当時、王国は先代と先々代の2代続いた浪費家の王のために財政状態が悪化していた。それを立て直したのがユリウスだった。普段は穏やかに微笑んでいるくせに、いざとなると剛毅果断、国民のためとあらば、大貴族に疎まれ命を狙われようが、顔色ひとつ変えず眉ひとつ動かさず、何でもやってのけた。その手腕と胆力にミストフォロスは感動すら覚えたほどだった。
そんな彼から、ミストフォロスが『冒険者』として依頼を受けたのは、彼がイロアスに昇格して間もないころのことだった。
「王太子が冒険者になるだと?」
「うむ。民の生活を、国の実情を見るにこれほど良いものはあるまいと仰せでな。儂はお止めしたのだが、陛下が笑って許可なさってな……」
溜息をつくユリウスにミストフォロスは同情しつつ呆れていた。呆れたのは笑って許したという王に対してだ。あの王は豪放磊落というか懐がとんでもなく深いというか能天気というか、ともかくそんな人物だった。
「クロンティリス家の嫡男、フェーレンシルト家の嫡男、ふたりの
そう言われてミストフォロスは以前対面した王子とその側近を思い出す。
燃えるような赤い髪をし、意志の強そうな瞳をした王子。人好きのする笑顔を持っていた。そして、堅物そうな
フェーレンシルトはともかく、クロンティリスとは気が合わないかもしれないなんてことを思いつつ、宰相の願いを無碍にも出来ず、ミストフォロスは渋々といった体で依頼を受けることにした。
「俺もアンヌンの勤めがあるから、ずっと同行は出来ないぞ。王太子や側近が冒険者生活に慣れるまでは助けてやるけど、それまでだからな」
「ああ。それで充分だ。頼んだぞ、シェーラー伯」
感謝するユリウスを見ながら、ミストフォロスは面倒なことになったと溜息をついたのだ。
尤も、彼が懸念したような面倒臭いことは起こらなかった。王太子は至って気さくな人物で王子であることで周りに臣従を要求するようなこともなく、ミストフォロスには冒険者同士としての付き合いを望んだ。ふたりの側近も同様で、王子と彼らは主君と臣下というよりも年の離れた兄弟のようなものだった。
3ヵ月後、彼らと別れるときには、『もう少し一緒にいてもいいかな』と思う程度にはミストフォロスは彼らとの間に友誼めいたものを築いていた。
「フォロスは俺たちよりもずっと長生きするから、俺たちの子供や孫と一緒に冒険することもあるかもしれないな」
王太子はそんなことを言って笑った。
「王の子供や大貴族のガキが冒険者になんてならんだろ」
苦笑して答え、ミストフォロスは彼らと別れた。
その後も時折旅先で会ったりもしたが、別れて1年が経ったころ、3人は冒険者を辞め、王都へと戻った。王太子が即位するためだった。
それから数年後、クロンティリス家に末子が生まれ、王が結婚した。そして、ユリウスは引退し、王都から出て行った。
それ以来、ミストフォロスがユリウスに会うことはなかった。
王やふたりの側近と最後に会ったのは、クロンティリス家の末子の2歳の誕生日だった。久しぶりに訪れた王都で、バルタザールご自慢の末娘とボルスの嫡男の頭を撫で、
それが、そのうちのふたりとの最期の宴になるとは思いもしなかった。
そして、その3年後、国中を喜ばせた慶事の直後に王国を悲劇が襲った。王都侵攻と同時にファーナティクスはアンヌンを襲撃し、ミストフォロスが王都へ向かうことは出来なかった。
「王はこの日を予想しておった。そして我らに告げていたのだ。これは王族同士の争いゆえ、助けはいらぬと。ただ、ファーナティクスが無辜の民を害さぬよう、同族として彼らを防いでほしいとな」
友人とその家族を守れなかった自分にエレティクスの長老はそう言った。
「お前の友人の子たちには過酷な運命が待っている。お前は子供たちを助けてやれ。王も将軍もそれを望んでいよう」
長老の言葉にミストフォロスはただ静かに頷いた。
それから10年が経ち、ミストフォロスは大賢者ベルトラムに呼び出され、ひとりの少女の護衛を命じられた。
「ソルシエール=アシャンティ・クロンティリスと申します。イロアス殿、よろしくお願いいたします」
幼い日に一度だけ会ったことのある少女だとすぐに気付いた。
「パーシヴァル=ヴェンツェル・フェーレンシルトです」
何度かソルシエールと魔族討伐を行ったころ、ソルシエールを介してひとりの青年と出会った。否、再会した。初めて出会ったのはまだ彼が5歳のころだ。彼は自分のことを覚えてはいなかった。
懐かしいふたりの友の子供。彼らを守ろうとミストフォロスは思った。そして、いつか必ずもうひとりの友人の子にも再会を果たし、守るのだと。
やがて友人の子たちは、友人へとなった。守るべき友の子供ではなく、背中を預けられる信頼する友となった。
尤も、ひとりに対しては、『もう少し母親に似てお淑やかな女性に育って欲しかった』と涙することにもなったのだが。
過去に思いを馳せていたミストフォロスをソルシエールの言葉が現実に引き戻した。
「ユリウス老師は徹底して王子を隠していたし、王子ご自身にも出自を隠しておられるの。だから、殿下……イディオフィリア様はまだご自分が何者であるのかもご存じないし、使命についても同じ。まぁ、私も自分の使命とやらを知ったのは最近なんだけどね」
軽く肩を竦めてソルシエールは言う。本人の自立心、意志の強さとは裏腹にソルシエールは常に他者によって進むべき道を決められていた。魔術師になることも、冒険者になることも、賢者となったことさえも。それらは全て使命を果たすためにベルトラムによって定められた道だった。
だが、ソルシエールは決してそれに流されて使命を受け容れたわけではない。元々大貴族の姫だ。自分の道が予め定められていることは承知している。それに、最大の道──使命を受け容れるか否かはソルシエール自身が選んだことだ。
「押し付けられた運命に意味はないわ。あの方ご自身が反王を倒す決意をなさらなければ意味はないもの」
その言葉にミストフォロスは頷く。ソルシエールよりも遥かに長く生きてきた彼は様々なことを経験していたから、ソルシエールの言葉が真実そのとおりであることを充分に知っていた。
「でも、時間に余裕があるわけではないの。半年以内にあの方をストラテォオティスにして血盟を創設していただかないといけない」
彼をストラテォオティスにすることは簡単だろう。血盟を作ることも難しくはない。全ての血盟が反オグミオスであるわけでもないのだから。
けれど、どれだけイディオフィリアがフィアナの現状に危機感を覚えるかが問題なのだ。決してオグミオスが悪政を敷いているわけではないことも厄介だった。
「王子に決意させるためには多少あざとい手も使うしかねぇか」
ミストフォロスは呟く。
「悪政の敷かれている諸侯領のリチェルカ中心に受けるとか、魔族の被害が酷い村とかな」
オグミオスが比較的まともな政治を行っているとはいっても、その配下である諸侯は苛政を行っているところも少なくない。オグミオスがそういう領主を罰しないから、諸侯は好き勝手に領民を搾取しているのだ。
また、魔族の被害が大きい村もある。エリンやピクトは通常は魔族の出現が少ない地域だが、実はファーナティクスに近いため、時折大挙して魔族やファーナティクスが押し寄せてくることもあるのだ。これまでに何度かミストフォロスたちはその討伐に向かったことがある。
「世界の崩壊の危機です。多少は致し方ないでしょう」
パーシヴァルでさえもその案に同意する。
「イディオフィリア様がどうしても嫌だと仰るなら、兄に
「ディルムド陛下の遺児ってほうが、民はついて来易いな。その血筋だけで説得力がある」
話しながら3人はなんとも嫌な気分だった。彼をイディオフィリアという1人格ではなく、『反オグミオス軍の旗印』という役割だけで見ているようなものだ。
「全ては殿下ご自身のご判断次第です。殿下が
宿命だからと押し付けはしない。イディオフィリアがどうしても忌避するのであれば、自分たちだけでやる。運命でも宿命でも使命でもなく、自分たちの意志で。
「そうね……。どちらにしてもいずれ来る時のためにも、兄上には連絡を取っておきたいの」
「ああ、判った。今俺は【フェンリル】にいるし、そこからの情報もアンヌンからの情報もあるだろうしな。判り次第連絡する」
ミストフォロスの所属する【フェンリル】もイオニアスの【自由の翼】と同じく反オグミオス血盟だ。血盟主のバレンティア=レオンハルト・ノイラートは王族の一員ではあるが王位継承権はなかったため、オグミオスの乱に際しての粛清対象にはならなかった。反乱当時母は既になく、父は寧ろオグミオス側についた。そのことを恥と感じたバレンティアは家を出、ある冒険者に弟子入りしたのだ。わずか8歳のときだった。そして成人すると自らも冒険者となり、反オグミオス血盟を創設したのである。
「それから、フォロス。イディオフィリア様が血盟を創設したら貴方も加入してください。それまでにはソルも私も正規の階級に登録を修正しておきます」
パーシヴァルがニッコリと勧誘する。こういう言い方をパーシヴァルがするときは反論すら出来ない。普段は穏やかで紳士的なパーシヴァルではあるが、いざというときの威圧感は只者ではない。流石は王国きっての武門の名家の当主といったところだろう。
「箔付けか。確かに4人の特級のうち3人までが加入していれば凄い箔付けだな」
アルノルトは今【プリッツ】にいる。【プリッツ】は反オグミオス血盟ではない。しかし、現在ギルドに登録されている血盟の中では規模が大きい部類に入り、3級・4級が中心の血盟だ。血盟主であるグラーティア=エルゼベト・ヴェルテンベルグは現在判っている中では最もディルムド王に血筋の近い王族だった。ディルムドの姉の娘、つまりイディオフィリアの従姉に当たるのだ。両親が反乱に際して王族としての権利を放棄したため、粛清は免れている。
血盟の規模、血盟主の血筋を考えても是非とも味方に引き入れたい血盟だった。そのためにアルノルトはこの血盟に加入したのだ。イディオフィリアが血盟を創設しても、当分は繋ぎのために【プリッツ】にいてもらったほうが良いだろう。
「それまでに何度かリチェルカの協力依頼をするわ。顔を合わせておいたほうがいいでしょう」
今日会わせてもいいのだが、初めての翡翠の塔に首領級魔族討伐、見たこともない金額の報酬など、昨日から様々なことが起こっているから、イディオフィリアたちの理解力は飽和状態だろう。
「了解。お前らは当分王子の育成だろ?」
「そうなりますね。ですが、四六時中一緒ではありませんよ。それでは成長の妨げだ」
パーシヴァルの言葉にソルシエールも頷く。
一気に3つ星リチェルカをあと7つ受けることも可能だが、それでは絶対的な経験が不足する。何よりもソルシエールとパーシヴァルが常に一緒では、いざというときにふたりに頼ってしまう癖がつきかねない。だから、同じような階級の冒険者たちと協力する経験も必要なのだ。その過程で仲間となる人物を見つけることも出来るだろう。ヴァルターやティラドールのように。
「だから、必要なときにはいつでも呼んでくれていいわよ。どうやら、首領級の出現周期がかなり短くなってるみたいだしね」
報告に行ったギルドで見たリチェルカの貼り紙を思い出しつつ、ソルシエールは言う。4つ星や5つ星の依頼が多かった。中には2ヶ月ほど前に封じたはずの首領級もいた。これまでは大抵半年程度の周期があったはずの魔族たちが既に出現しているのだ。
「そうですね。ベレトやティルもまた出ていたようですし……」
パーシヴァルは深い溜息をつく。
高位の魔族が出現すればその分瘴気は多くなり、マナの均衡は狂う。崩れた均衡は歪みを修正できず、魔族が出現しやすくなる。悪循環なのだ。
「お母様たちが祈りの力を強めてくれているの。少しでもマナを修正できるようにって。でも、どれだけ効果があるかは判らないわ」
これまでにないほど大きな祈りの力をソルシエールは感じていた。ミレシア大聖堂の神官たち、アヴァロンの魔術師たち、琥珀の塔の研究者たち、そしてティルナノグの森のエルフたち。善神イル・ダーナへの祈りが力となり、フィアナを包み込んでいることを感じる。けれど、その祈りの力以上に瘴気は増えていくのだ。
「王子のことはベディヴィア様に報告して、アンヌンもいつでも動ける状態にしておく。ベディヴィア様にしか言わないから安心しろ」
何処から情報が漏れるか判らないから、王子が生存しており見つかったことを知る者は出来るだけ少ないほうが良い。
ミストフォロスは近いうちにまたリチェルカ協力を依頼すると言って出ていった。アンヌンに報告し、その後イオニアスを探し出すために。