翌朝、日の出前に5人は集合し、翡翠の塔へと向かった。
翡翠の塔は王都ミレシアの北東部に位置し、地上100階の異様な姿を見せている。高い塔の中ほどから不気味な暗雲をまとわりつかせ、塔の高層部を地上から見ることは出来ない。
翡翠の塔はその昔、魔族の王バロールとその眷属を封じたとされる地に建てられた封魔の塔である。そのため、内部には様々な魔族が出現する。とはいえ、塔そのものに封印が施されており、魔族が塔から出てくることは出来ない。
しかし、ある一定周期で首領級の上位魔族がこの塔に現れ、その魔族が齎す瘴気は塔から溢れ出し、外界へも影響を与えマナの均衡の崩壊を促す。
ゆえにミレシア大聖堂では常時この塔を監視しており、上位魔族の出現を察するとすぐにギルドに依頼を出し、その魔族を討伐するのである。今回のジェイエン討伐もそういった聖堂からの依頼だった。
「ジェイエンが出るのは10階だけど、そこまでにも魔物はいるわ。貴方たちが経験を積むためにも、魔物は全て処理していきましょう」
翡翠の塔内部に入るには、ミレシア大聖堂の術者に1階へ転送してもらう方法と、ミレシアのスラム街にある地下水路から翡翠の塔へ侵入する方法のふたつがある。今回はより多くの経験を積ませるという目的もあることから、地下水路から入ることにした。
この地下水路にはパドハやビトーソ(人間ほどの大きさの羽虫)などが出る。ソルシエールやパーシヴァルであれば一瞬で処理できる雑魚魔族だが、それをしてしまってはイディオフィリアら3人のためにはならない。そもそもソルシエールとパーシヴァルならば途中で遭遇する魔物を全て処理しながら進んだとしても10階に着くまでにそれほどの時間はかからない。数刻あれば完了できるだろう。
だが、今回は3人に経験を積ませることを兼ねた特進リチェルカである。出来るだけ3人に攻撃の中心を任せることにしている。放置されていたリチェルカだけに大量の魔物がいることが予想され、ソルシエールらはこのリチェルカに半日程度の時間がかかるものと見ている。
イディオフィリアら3人をただ特進させるためだけならば、ソルシエールが魔法で大量の魔物を一掃し、パーシヴァルがそれを補佐すればよい。ジェイエンはパーシヴァルに任せ、ソルシエールは時折回復魔法をかけ、周囲にいるであろう雑魚魔族を処理する。3人が手を出すこともなく、簡単にリチェルカは完了するだろう。
けれど、そうしないのは彼らに戦闘経験を積ませるためだ。階級と実力の釣り合いが取れていない冒険者ほど厄介なものはない。特進リチェルカで階級上げを早めつつ、個々のリチェルカでは出来るだけ戦闘経験を積ませる。難易度の高い戦闘を経験させることによって、楽な戦闘を数多くこなすよりも格段に彼らは技量を向上させることが出来るはずだ。
ゆえに隊列も先頭がヴァルター、次にイディオフィリア、ティラドール、それからソルシエールと荷物持ちのマーナガルム3頭、
「お借りした武器も防具も凄いな……」
地下水路の終点に辿り着き、ひと息入れたとろこでヴァルターが呟き、イディオフィリアとティラドールも同意する。彼らもこれまでにアルモリカやノーデンス周辺でパドハなどと戦ったことはある。けれどそのときにはもっと倒すまでに時間がかかった。借りた武器は攻撃成功率も与打撃も自分たちの武器とは格段に違っていた。それは防具についても同じだ。同じように攻撃されても受ける損傷は半分以下だ。
「貴方がたがこれから冒険者として経験を積み、その上で武器も防具も揃えていけばいいのですよ。私にしてもソルにしても初めから良い装備を持っていたわけではありません。自分で自分に合うものを買い揃え、強化していったのですからね」
冒険者としての経験は10年以上の差がある大先輩のアフセンディアに言われて3人は素直に頷く。自前でこういった装備を整えられるように頑張ろうと。これまで漠然と『いい武器や防具が欲しいな』と思っていたものが具体的な目標となったのである。
小休止を終え翡翠の塔内部に入ると、今度はパーシヴァルが先頭に立ち、再度進み始める。キマイラ、スキュラ(頭部に多数の蛇を持つ人型の魔族)といった本土に出るものよりも強力な魔族が次々と襲い掛かってくる。
2体以上出現した場合は1体をヴァルターが最初に攻撃し、イディオフィリア、ティラドールと共に戦う。残りはパーシヴァルが初撃を加え自分が標的となった状態で1体ずつ処理していく。魔物は最初に攻撃した者を標的とするため、この初撃を誰が行うかはかなり重要なのだ。下手な者が初撃を行えば即死しかねないし、時にはパルス全体を危険に曝すことにもなる。
魔物の数が多い場合は、マーナガルムたちが臨機応変にパーシヴァルの支援に回り、危なげなく戦闘を進めていく。
「パーシィさん、すげぇ……」
何度目かの戦闘を終えたとき、イディオフィリアが呟いた。
「俺たち3人で1匹倒してる間に、パーシィさん軽く3匹は処理してる……」
これがアフセンディアの実力なのかと驚くばかりだ。けれど力の違いに落ち込むわけではなく、3人は至って前向きに『目標が出来た!』と俄然やる気になっている。その様子が微笑ましく、パーシヴァルもソルシエールも笑みを零す。
〔レギーナ、後方から10体以上来ています〕
「あら、面倒臭いわね」
10体以上と聞いて青くなる3人とは異なり、ソルシエールもパーシヴァルも平然としている。
「では、ソルの出番ですね」
そう言うパーシヴァルは笑みさえ浮かべて余裕綽々といった風情だ。
「3人とも予想以上に頑張ってるから、楽できると思ってたのに」
そう言いながら、ソルシエールは先頭をやって来たスキュラに魔法を落とす。光の槍がスキュラを貫き、たった1発の魔法でスキュラは消滅する。
〔レギーナ……スキュラ程度にアールデンス使ってどうするんですか……〕
呆れた声でノアールが突っ込む。
「サンクトゥスアールデンス……」
噂にしか聞いたことのない最上位の単体攻撃魔法にイディオフィリアら3人は呆然となる。
「えー、これなら確実に処理できるでしょ」
ノアールにブツブツと反論しながら、ソルシエールは次の魔物に対する。一斉に10体近くのキマイラやスキュラが近づいて来ている。その中心部が射程圏内に入ったところで魔法を発動させる。巨大な隕石が魔物に落ち、魔物はこれもまた一瞬で全て消滅する。
「……ソル、メテオもやりすぎです」
今度は溜息混じりにパーシヴァルが突っ込む。毎度のこと故慣れてはいるが、それでも突っ込まずにはいられない。メテオリーテースも最上位の範囲攻撃魔法なのだ。
面倒臭いんだもの……とブツブツ零すソルシエールをイディオフィリアたち3人は驚いた表情で見ていた。
(上位魔術師とは知っていたけど……最上位魔法まで使えるなんて)
ソルシエールもやはり上位の冒険者なのだと実感した3人だった。
5階までは無事に辿り着き、残りは約半分。時間もちょうど予定の半分を経過したところだった。
これまでの魔物との戦いの中で、イディオフィリアら3人の動きは良くなっていた。パーシヴァルとソルシエールが指示したとおりに動き、次にはそれを踏まえて自分たちで考えて動く。その繰り返しによって3人はこのわずかな時間で格段に成長をしているのだ。
また、魔物が消滅の際に落とすドロップも消耗品(回復薬や呪符)がかなり大量に集まり、それは全てシュヴァルツが持っている。ここまでのところ、中々順調に進んでいる。
そして、6階に上る階段の前へと辿り着いた。
「6階は特殊な結界が張ってあって、ここには魔物は出ないの。……ある特定の魔族以外はね」
6階で休息を取り、早めの昼食にしようとソルシエールは言う。
「特定の魔族……って」
ティラドールが尋ねる。
「エリゴスという魔族です。魔族が出ないように特殊な結界が張ってある空間に出現できるほどの魔族……といえば、その強さはお判りになるでしょう」
いないことのほうが多いんだけどねとソルシエールがパーシヴァルの言葉を補足する。
「でもなんか今日は……」
「いる予感がしますね」
ソルシエールとパーシヴァルは顔を見合わせる。長年冒険者をやっている者の勘だ。とはいえ、いたとしてもパーシヴァルとソルシエールの敵ではないが。
〔レギーナ、見てまいります〕
ネロはそう言うと階段を上り、すぐに降りてきた。
〔レギーナの予感的中です。階段を上ってすぐのところにいます〕
古参の勘大当たりである。
「では、私とソルが先に登って階段から引き離します。その後に3人は登ってきてください。まぁ、10数えたら登ってきても大丈夫でしょう」
「そうね。エリゴスくらいなら問題ないし」
ソルシエールとパーシヴァルが先行し、きっかり10数えてから階段を登ったイディオフィリアら3人は、初めて見る巨大な魔族に目を丸くする。巨大な黒馬に乗り、黒く擦り切れたローブをまとい、大きな鎌を持った魔族。エリゴスである。既にパーシヴァルは戦闘を開始しており、ソルシエールが補助魔法をかけている。
「イディオフィリア殿、攻撃に参加してください」
呆然としているイディオフィリアらにパーシヴァルは声をかける。戦闘中とはいえ、普段どおりの穏やかな声が安心感を齎す。
イディオフィリアたちは我に返ると攻撃に参加する。イディオフィリアが背後から、ヴァルターは側面から、ティラドールは鎌の攻撃範囲外でソルシエールと一定の距離を保った場所から攻撃する。3人ともこれまでにソルシエールらに指示された立ち位置どおりの配置だ。
程なくエリゴスは断末魔の叫びと共に消滅した。元々パーシヴァルであれば殆ど回復魔法なしに倒せる魔族なのだ。
「びっくりしたぁ……」
イディオフィリアが呟く。イディオフィリアは見栄や外聞を気にする
「でかかったなぁ」
「俺らだけじゃ絶対に無理」
今回も素直に驚いたことを口にしたため、ヴァルターもティラドールも同じように素直に言葉に出来た。
そんな3人を見てソルシエールとパーシヴァルは微笑む。感じたことを素直に率直に表現できること、それはとても大切なことだからだ。それが出来るということは妙な自尊心を持たずに済み、成長を促す。
イディオフィリアは賞賛を惜しまない。そして苦言もはっきりと口にする。自分が失敗すれば素直に謝罪する。簡単なようで中々出来ないことだ。これが出来るだけでもフューラーとしての資質がある。
「おや、ソル。幸先がいいですよ。100階転移符が出ている」
床に落ちたドロップを拾い集め、確認していたパーシヴァルが言う。
「100階転移符って、ここの100階ですか?」
翡翠の塔は各階層ごとに直接1階の魔法陣から転移する構造になっている。第2階層であれば11階へ、第3階層であれば21階へというように。但し、最上階である100階(第10階層の10階)に関しては91階から登る以外にもこの転移符で直接転移することが出来る。尤もこの転移符はエリゴスからしか入手できない。エリゴス自体が出現の稀な魔族であるため、この転移符を手に入れることは中々難しく、その分高値で取引される。
「そうよ。バアルがいるの。今のエリゴスとは比べ物にならないくらい強力な魔族よ。何しろバロールの四魔公爵ですもの。出現はこれまでに確認されたことがないから、私たちも遭遇したことはないけどね」
昼食を広げながら、ソルシエールが答える。
バロールの四魔公爵とは魔族の中でバロールに次ぐ魔力をもつ4人の公爵のことをいい、黄泉の騎士・ピクラス・バアル・アエーシャマがそれにあたる。四魔公爵の下には八魔将と呼ばれるキュルソン・エルリク・アストヴィダーツ・アナベルク・アバドン・エブリス・デュラハン・ティルがいる。これら12の魔族に関してはこれまでに出現が確認されたことはない。もしこれらの魔族が出現するようになれば、それはバロールが復活する前兆となる。
「でも、幸先いいって?」
ソルシエールを手伝いながらティラドールが問う。
「100階転移符は大体200万マルクほどの価格で取引されますからね」
パーシヴァルの口から出た見たこともない巨額に、何度目かも判らないがイディオフィリアらは目を丸くする。翡翠の塔から帰還したときには目が丸くなりすぎて2倍くらいの大きさになっているのではないだろうか。
「私が買い取りましょう。これで3枚になりましたから、そのうち行きましょうか」
「そうね。フォロスと3人なら……、でもミラークルム術者もひとり欲しいわね」
「そうですね、やはりウィータ使いとミラークルム術者がいればソルも攻撃に回れますから、楽になりますね」
「私が攻撃に回る余裕はないわよ。あそこの魔族はパーシィだって1撃で半分近く体力が削られるでしょう。第一、魔法抵抗力の高い魔族ばかりですもの。魔法攻撃は効率が悪いわ」
「だとしたら、あと1枚手に入れてアルノルトも含めた4人でということになりますね」
「誘わなきゃ拗ねるわよ、アルも」
と、ソルシエールとパーシヴァルは3人についていけない会話をしている。
そもそも翡翠の塔100階に行くということ自体がイディオフィリアらには信じられない話なのだ。翡翠の塔は階層が上になるほど魔物が強くなる。最上階である100階ともなれば、イディオフィリアらには想像も出来ないくらいだ。自分たちなどこの10階までの第1階層でもソルシエールとパーシヴァルがいなければ戦えないのに。
「な、ティラ、ミラークルムって?」
ボソボソとイディオフィリアがティラドールに尋ねる。
「確か、高位のエルフ水属性魔法だったと思う」
「んじゃ、ウィータって?」
「多分、同じく水魔法?」
「何で疑問系なんだよ」
「俺だってまだ駆け出しだから判んないんだって」
更に3人はボソボソと話している。
「ミラークルムはナトゥーラミラークルムのことです。4級以上のエルフが使用できる水属性の精霊魔法ですよ。パルス全体の体力を大幅に回復できるんです」
それに気付いたパーシヴァルが笑いながら教えてくれる。
「ウィータはアクアウィータといって、こちらは3級以上のエルフの水魔法です。これがかかっていると回復魔法の効果が2倍になるというものです」
「へぇ」
「ウィータ使いがいると楽になるんですか、姐御」
回復役がソルシエールひとりでは大変だろうと思っていたティラドールはソルシエールに尋ねる。
「姐御……?」
「あっ」
「……馬鹿」
陰でそう呼んでいたためにうっかり口に出してしまったティラドールである。
「ま、いいけどね」
昔から後輩の弟子や冒険者に似たような呼称で呼ばれていたこともあって、ソルシエールは肩を竦めただけで、質問に応じた。
「ウィータ使いがいると2回の回復魔法が1回で済むことになるから、魔法効率はよくなるわね」
成る程とティラドールは納得する。ならば3級になって属性選択が出来るようになったら主属性を水に、副属性を土にしようとティラドールは決める。エルフは土・風・火・水の4属性の魔法の中から2属性を選んで精霊魔法を習得できる。土属性は主に防御力補助、風属性と火属性は攻撃力支援、水属性は回復力補助といった特徴があった。
「ただ、ウィータにしてもミラークルムにしても使いどころを間違うと、魔力が無駄になりますが」
魔術師とエルフの連携が取れていないと、魔術師の全体回復魔法とナトゥーラミラークルムが重なって意味がなくなったり、アクアウィータを当てにして回復魔法を少なめにしていると剣士たちの体力を激しく消耗し余計に魔力を使う羽目になったりするのだとパーシヴァルは説明する。
「慣れてくるとお互いに呼吸が合うようになって巧くいくんだけどね。そういう意味ではアルノルトとは連携とり易いわね」
「ミストフォロスもミラークルムを意識して敵を巧く分散させてくれるので、私としても遣り易いですね」
先ほども出てきた名前が再び出てくる。内容的にミストフォロスは前衛の剣士、アルノルトは水属性のエルフのようだと3人は考える。
「ミストフォロスとアルノルトはイロアスよ」
ソルシエールの言葉に3人は驚きの声を上げる。イロアスなんて全土に4人しかいない英雄級の冒険者ではないか!
「ふたりとも旧知の冒険者です。安心して背中を任せることの出来る人たちですよ」
パーシヴァルはそう言って微笑む。声にも表情にもそのふたりに対する揺るぎない信頼が表れている。
「やっぱ……ソルもパーシヴァルさんもすげぇんだ」
イディオフィリアは溜息混じりに呟く。どうしてそんなに凄い冒険者が自分たちに協力してくれるのだろう。ソルシエールは祖父の友人の弟子、パーシヴァルはそのソルシエールの友人。いくら師匠の命令とはいえ、こんなにも格が違っていてはソルシエールは不本意だったのではないだろうか。
「そのうち紹介するわ。ミストフォロスはエレティクスで貴方たちとは戦い方が違うからあまり参考にはならないかもしれないけど、アルノルトの話はティラにとって役に立つと思うから」
「お願いします」
まだまだ下級冒険者である自分たちが上位冒険者と接する機会など滅多にない。こうしてソルシエールやパーシヴァルと知り合えたことが滅多にない幸運だったのだから。
「さて、食事も終わったし、出発しましょう」
10階までは問題なく辿り着いた。8階からはそれまで出現しなかったコカトリスが現れる。その石化魔法はかなり厄介なのだが、幸い魔法抵抗力を装備によって高めていたおかげで特に困ることはなかった。
「さて、10階ね」
9階から10階へと登る階段の前で小休止をとることにした。ソルシエールとティラドールの魔力を回復するためである。シュヴァルツ・ノアール・ネロの3頭も持っていた矢・魔石・回復薬を床に置き、それぞれが消耗品の補充をする。
ここまでは全員が抗魔の指輪で魔法抵抗力を高めていたのだが、ジェイエンリングに付け替える。ジェイエンは広範囲にわたる毒攻撃という特殊攻撃を持っており、それによって著しく体力を奪われる。ジェイエンリングはその毒にかかるのを防ぐ効果を持つのである。
〔レギーナ、様子を見てまいります〕
シュヴァルツがそう言って10階へ登ろうとする。先に10階を偵察し、魔物の数やジェイエンの位置を確かめようとしたのだ。
普段はこのような偵察をするわけではないのだが、シュヴァルツも今回は低位の冒険者が3人いるということで用心をしている。これまでの戦いぶりから足手まといということはないと思っているが、首領級が出る区域にはその分魔物も多くなる。用心に越したことはない。それが3人の安全のためでもあり、何よりも彼の大切な主に余計な危険を招かないためでもあった。
「待って、シュヴァルツ。マーナガルムだとジェイエンに遭遇しちゃったら危険でしょ。ロデムに行かせるわ」
だがそれをソルシエールは止めた。偵察することそのものは悪くない。しかし、マーナガルムでは危険が伴う。マーナガルムも上位魔族とはいえ、ジェイエンには及ばない。ジェイエンも上位魔族で首領級だ。なまじ位階が近いため、遭遇すればそのまま戦闘になってしまう可能性が高い。その場合に不利なのはマーナガルムだった。
しかしロデムであれば、位階はジェイエンよりも遥かに高いフラウロスであるため、そもそも戦闘にはならず、心配は要らない。
〔レギーナ、ロデム殿は拒否されると思います〕
ロデムの矜持の高さを充分するほど知っているシュヴァルツは溜息混じりに告げる。ソルシエールと付き合いの長いシュヴァルツは一番の苦労性な召喚獣だった。
「そうですよ、ソル。ロデム殿はジェイエン程度では出ていらっしゃらないでしょう」
パーシヴァルも苦笑する。彼もソルシエールとの長い付き合いで、彼女がフラウロスを仔猫扱いしてロデムが機嫌を損ねている姿を何度も見ている。
「ですってよ、ロデム。貴方、随分我が侭な怠惰猫と思われているみたいね」
まるで挑発するかのようにソルシエールが言った瞬間、イディオフィリアの目の前に巨大な黒豹が現れた。
突然現れた見たこともない魔物にイディオフィリアは咄嗟に剣を構える。イディオフィリアに反応し、ヴァルターも剣を構え、ティラドールは矢を番える。
〔中々良い反応だな、イディオフィリア〕
黒い豹はそんな3人を見遣ってニヤリと笑う。光をまとう艶やかな黒い毛並み、強い光を帯びた金色の瞳をしたフラウロスだった。
〔で、誰が怠惰な猫だ、レギーナ〕
フラウロスはジロリとソルシエールを睨むが、ソルシエールは何処吹く風と平然と受け流している。
「あんたに決まってるでしょ、ロデム」
そのソルシエールの返答にムッとした様子のフラウロスに今度は苦笑したようにパーシヴァルが声をかける。
「お久しぶりですね、ロデム殿。相変わらず凛々しいお姿だ」
〔ほう、パーシヴァルか。久しいな。ベレト討伐以来か〕
ソルシエールとパーシヴァルは魔物と平気な顔で会話している。それを見てイディオフィリアたちは警戒を解いた。この黒い豹がソルシエールの召喚獣なのだとようやく気付いたのだ。
「で、ロデム。話は聞いてたんでしょ。ジェイエンを見つけたらしばらく隔離しておいて。雑魚処理する間ね」
〔面倒な……〕
「あんたなら簡単なことでしょ。頼りにしてるのよ、ロデム」
少しばかりソルシエールが甘えるように言うと、ロデムは満更でもないような表情になる。それにこっそりマーナガルムたちは笑った。一番気難しいと思われるこのロデムが実はとても主に甘いことをマーナガルムたちはロデム本人よりも知っているのだ。
〔仕方ないな。これも役目か〕
やれやれというようにロデムは溜息をつく。が、決して嫌がっていないことは尻尾がピンと伸びていることからも明らかだ。主に頼られて嬉しいのである。
〔シュヴァルツ、ノアール、ネロ、ついて来い。我がジェイエンを隔離しておく。お前たちは雑魚を集めてレギーナが処理し易いようにしておけ。どうせ魔法で一掃する気だろうからな〕
ソルシエールの戦い方を把握しているロデムはマーナガルムたちにそう指示を出す。ソルシエールの召喚獣の中で最も位階の高い彼は、他の召喚獣たちに指令を下す立場でもあった。
「しないわよ。それじゃイディオたちの経験にはならないもの。ああ、でもシュヴァルツ。あんたたちである程度の集団に分散させておいて。湧き過ぎないようにね」
ここに着くまでの間に遭遇した魔物の数は普段の第1階層よりも遥かに多かった。だとすれば、最上階にいる魔物の数も多いだろうと予測できる。ならばある程度分散させ出現を調整しておかなければ、イディオフィリアたちが危険な目に遭いかねない。
〔畏まりました、レギーナ〕
マーナガルムが頷くと、ロデムは3頭を従えて10階へと登っていく。
フラウロスであるロデムはジェイエンよりも上位魔族であるため、雑魚の魔族はその姿を見れば逃げていく。従ってジェイエンから雑魚を引き離せるのだ。そして、その雑魚たちはマーナガルムたちが追い回し、引き回して分散させ、ソルシエールらに襲い掛かる魔物の量を調節するというわけだった。
「でかい豹……」
「初めて見た……」
「魔族……魔獣だよな」
ロデムの姿が消えたところで、ようやくイディオフィリアたちは体から力を抜く。初めて見た魔族に警戒は解いても緊張していたのだ。
「あれはフラウロスのロデムといって、ソルの一番高位の召喚獣ですよ。フラウロスですから、ここ翡翠の塔の第5階層最上階に出現する首領級魔族と同種です」
装備を確認しながら、パーシヴァルが説明する。
「フラウロス!? あれが? じゃあ、姐御って賢者なんだ……」
ティラドールが呆然と呟き、魔術に詳しくないイディオフィリアとヴァルターは不思議そうに彼を見る。
ティラドールは元々魔力が高く、戦士として冒険者登録するか、魔術師として登録するか迷っていた。魔術師等級についても調べ、戦士のほうが魔術師よりも向いていそうだと判断し、戦士として登録したという経緯がある。その分、他の戦士系初心者と比べて魔術については詳しかった。
「私の知る限り、フィアナでフラウロスを召喚できる魔術師、所謂賢者は3人だけです。そして、現役冒険者で賢者なのはソルシエールだけですよ」
その言葉に3人は目を見張る。つまりそれは、ソルシエールが現役魔術師系冒険者の第一人者であるということではないか。
「滅多にロデム殿を召喚することはありませんから、彼女が賢者であることを知っているのはごく親しい者とギルド幹部くらいのものです。冒険者階級も今まで敢えて4級のイエレアスに留めていたほどですからね」
3人は改めてソルシエールを見つめる。ソルシエールは精神を集中して召喚獣たちと交信しているらしく、3人の視線には気付いていないようだった。
「ソルがロデム殿を召喚したのは、貴方がたならば信頼に足ると判断したからでしょう」
パーシヴァルはそう言って3人に微笑んだ。