王都ミレシア

「ソル、俺、ヴァルたちと買出しに行ってくる。何か必要なものある?」

 約10日の旅を終え、休息を兼ねて準備のために宿を取った一行である。イディオフィリアは旅の疲れも見せず早速準備のための買出しに出かけようとしていて、流石に若いというべきか。

「特にはないけど、解毒剤を大量に準備するのは忘れないでね。毒を持った魔物が多いから解毒剤が足りないと洒落にならないわ。それから……貴族街には近づかないこと」

 珍しく真面目な表情で言うソルシエールにイディオフィリアは驚いた顔をする。それくらいソルシエールの声は真剣な響きを持っていた。

「あそこの人たちは平民が入ってくるのを嫌がるし、お店は馬鹿高いから。買い物はスラムに近いほうの店がいいわ」

 そう理由づけるソルシエールにイディオフィリアは笑って頷くと、ヴァルターとティラドールを伴って出かけていった。

「本当の理由は彼の身の安全のため……というところですか」

 ソルシエールとふたり、装備の確認をしていたパーシヴァルが問う。

「彼の顔立ちは亡き妃殿下によく似ている。そこから彼の素性に気付かれては困りますからね」

「パーシィ、やっぱり気付いていたのね」

 ソルシエールはわずかに笑う。気付いていないはずはないと思っていたが、彼は何も言わなかった。何故自分が黙っていたのかも恐らく判っているのだろう。

「これでも貴族の端くれですからね。幼いころに何度か妃殿下にお目にかかったこともあります。王子は亡くなったとされていますが、貴女の師は大賢者ベルトラム様で、貴女がなんでもない1キニゴスに同行するわけがない」

 パーシヴァルは淡々と言う。

「同行してわずか10日ですが、彼は見所がある。流石はあの方のご子息というべきでしょう」

 パーシヴァルの言葉にソルシエールは微笑む。彼ほどの騎士がそこまで言うのは珍しい。『王子』に特別な思い入れを持ってはいるだろうが、それによって人物判定の評価を甘くするようなパーシヴァルではない。

「まだ、あの方はご自分が何者であるかをご存じないの。もっとあの方が力をつけるまで告げる心算つもりもないわ。そう……血盟を創設なさるまではね」

 キニゴスのイディオフィリアにいきなり特進リチェルカを受けさせたソルシエールに、パーシヴァルは何故急ぐのかと問うたことがある。そのときの答えが『彼を血盟主にするため』だった。その答えを聞いてパーシヴァルはイディオフィリアの出自に確信を持った。

「その日も遠くはないでしょうね。既に血盟に加入しそうな人もいますし」

 パーシヴァルはそう言って笑う。ヴァルターとティラドールのことを言っているのだ。

 既にヴァルターとティラドールはかなりイディオフィリアと打ち解けている。ソルシエールとパーシヴァルに対しては遥か上位の冒険者ということもあり一歩引いた感があるのだが、イディオフィリアに対してはまるで何年も行動を共にしているかのようだ。互いに言葉にも行動にも遠慮がなくなっていた。

 元々イディオフィリアは人懐こい性質たちのようで、物怖じしないところがある。自分がパルスに誘ったということもあって、自分から積極的にヴァルターとティラドールに話しかけていたのだ。それも彼らを打ち解けさせた一因だろう。

「イディオフィリア様は誰からも愛される性質たちのようですね。時折見せる表情には王者としての求心力がある。彼らもそれに惹かれているのでしょう」

「だといいわね。まずはストラテォオティスになっていただかなければ話にはならないわ。血盟を作り、力を蓄え、そして……」

「イオニアス殿とも連携を図るべきでしょう。このリチェルカが終わったら、私がイオニアス殿の許へ赴きましょう。とはいっても居場所は容易には知れないでしょうが」

 パーシヴァルの申し出にソルシエールは驚く。パーシヴァルがイディオフィリアの出自に気付いたとはいえ、まだキニゴスに過ぎずこれからどうなるかも判らないイディオフィリアのために動くとは。

「私はオグミオスに仕えることが厭で冒険者となりました。貴女の兄君のように反抗勢力に身を置く勇気はなかった。けれどイディオフィリア様がいずれつというのなら、あの方に賭けてみたい。あの方にはそう思わせるものがあります」

 それこそがパーシヴァルの言う『王者としての魅力』だろう。この人を護りたい、支えたい、共に生き、行き、そして逝きたい。

 パーシヴァルの両親はフィアナ建国から長く続く歴史ある家の出で、パーシヴァルは幼いころから王家への絶対の忠誠を教えられて育った。亡父ボルスはディルムド王が子供のころは傅役もりやくとして、成人してからは側近の武将として仕えていた。そしてオグミオスの乱によって王と共に処刑された。

 王子が生まれて10日ほど経ったころ、パーシヴァルは父に連れられて王子と対面したことがある。

「この方にお前はお仕えするんだ。お前がお守りするんだぞ」

 父はそう言った。

「武芸や学問を教え、導いてやってくれ」

 王は優しい笑顔でパーシヴァルの頭を撫でてくれた。

「イディオフィリアの兄代わりとなって仲良くしてね、パーシィ」

 王妃は美しい微笑でそう願った。

 パーシヴァルはそれを誇らしく思った。再従兄のムスタファも王子の傅役となるのだという。兄とも慕う彼と共に王子に仕え、やがては王となる王子を支えるのだ。

 それからのパーシヴァルは一層武術の鍛錬にも学問にも精一杯努めた。王子の傅役として恥ずかしくないようにと。

 けれど、パーシヴァルが王子に仕える日はやって来なかった。

 オグミオスの乱によって王と父は死に、王妃と王子は王都から脱出した。パーシヴァルは母を護って領地に戻りそこで祖父母と共に暮らしていくことになった。

 やがて成人年齢に達する15歳が近づくと、どうすべきなのか迷った。周囲はオグミオスの王宮に仕えるのが当然だと言った。しかし、オグミオスは反逆者だ。代々正統の王に仕えてきたフェーレンシルト家の嫡男である自分が、反王などに仕えることは出来ない。自分の主君は今は行方の知れない王子だけなのだ。

 けれど、王宮に仕えなければ反逆の意志ありと処罰されるかもしれない。自分が処罰されるのは構わないが、反逆者と見做されれば家族にも一族にも累は及ぶ。

「貴方の思うままに生きなさい。心を殺して反王などに仕えることはありません」

 悩むパーシヴァルに母は言った。祖父母も頷き、パーシヴァルに野に下るように勧めた。

「いずれ反王の世は終わります。そのときのためにソルシエールは既に旅立っています。イオニアスも準備を進めているのですよ」

 祖母は言った。7年前に幼い再従妹ソルシエールは大賢者に引き取られている。その兄イオニアスは病弱を理由に一切公の場に顔を見せたことはないが、自分と共に剣の鍛錬をし、用兵術をはじめとした兵学を学んでいる。

 先王の侍従武官を務めていたムスタファは武人としてではなく文官として王宮に仕えるようになった。代々部門の重鎮を成してきたクロンティリス家の嫡男としての精一杯の反抗だった。

「王子とソルには重大な使命が課されています。ムスタファもイオニアスも兄としてそれを支える準備をしています。何よりもあの子たちもこのフィアナを愛している。それぞれが考え、悩んだ末に道を選んでいます。ヴェンツェル、貴方も自らの心のままに道を選びなさい」

 そして15歳になった日にパーシヴァルは冒険者登録をし、修行のためと称して旅立った。

 それから13年が過ぎ、今自分はかつて己が主君と定めた王子と共にいる。

 今のパーシヴァルはただ闇雲に彼が王子であり、自分が傅役だったという理由でイディオフィリアに仕えようとは思っていない。自分が仕えるに足る人物なのかを見極めた上で行動しようと決めている。今のところは仕えるかどうかは別として、彼が成長する手助けをしていこうと思っていた。






 イディオフィリアら3人が買出しから戻り、夕食を終えると翌日──ジェイエン討伐──の打ち合わせのために1室に集まった。

「取り敢えず、明日に関しては3人には装備を貸すわね。手持ちのものじゃ心許ないから」

 そう言ってソルシエールとパーシヴァルが運び込んだ武具に残りの3人は目を丸くする。

「イディオフィリア殿、ヴァルター殿の剣ではジェイエンに攻撃が中らない可能性もあるので、これを使ってください」

 パーシヴァルが渡したのは攻撃成功率が5割増しになるメイルブレーカーの5段階強化メガロマ・ベンデのものだった。冒険者たちは階級と習熟度・経験によって魔物への攻撃成功率が異なり、当然低位の冒険者は魔物に攻撃がかわされてしまうことも多い。それを補うためにこのような武器があるのだ。但し、メイルブレーカーはジェイエンによって刃毀れが生じる可能性のある剣であり、パーシヴァルはどんな魔族に対したとしても絶対に刃毀れしない特殊な長剣カリバンを使う。これは代々フェーレンシルト家に伝わる一種の聖剣であり、彼がイロアスとなったときに祖父から譲られたものだった。

 それからティラドールには片手弓であるサイレンスボウ(これもメガロマ・ベンデ)。片手弓であれば盾を装備できるため、その分防御力が上昇する。

 防具も長丁場になる可能性を考えて、軽い精霊の鎖鎧、雑魚魔物の状態異常魔法を防ぐために魔法抵抗力のある抗魔のヘルム・抗魔の外套・抗魔の指輪、攻撃成功率を高めるための剛力の篭手と、今のイディオフィリアたちでは到底手に出来ない高級装備且つメガロマ・ベンデのものばかりだった。

「このリチェルカは何が何でも達成しなくてはなりません。そしてその中心はイディオフィリア殿、ヴァルター殿、ティラドール殿、貴方がたでなくては意味がありません」

 ゆえに最善と思われる装備を貸し出すのだ。

「ジェイエンが出るまでの魔物は大量に発生したらソルの魔法で。そのほうが消耗を抑えられます」

「イディオとヴァル、ティラは常に同じ魔物を攻撃するようにね」

「5体以内であれば私が全て初撃を入れますので、3人で攻撃済みの魔物を処理してください」

「あら、それだとイディオたちが経験を積むことにならないから、複数出たら1体は完全に3人に任せたほうがいいわ」

「それもそうですね。複数の場合は1体は3人で、残りは私が最初の攻撃を入れます。3人で処理していただく場合はヴァルター殿が初撃を入れるのがいいでしょう」

 流石に実際の戦闘の立ち回りまでは今のイディオフィリアでは指示できない。ゆえに現場ではパーシヴァルとソルシエールが指示を出すことになる。ふたりから言われた現場での戦い方をイディオフィリアらは頭に叩き込む。

「ジェイエンが出たら、まずパーシィが攻撃ね。イディオやヴァルじゃ標的になったときに即死しかねないもの」

「ジェイエンがいるときに雑魚がいたら、私がジェイエンを引き離します。その間に3人で雑魚の処理を」

「雑魚が湧いたらティラドールが魔法で雑魚を攻撃して引き離す。それから3人で処理ね。私が援護するわ。でも、雑魚とジェイエンを同時に相手にしては駄目よ」

〔あまりに雑魚が多いようであれば、我々が引き受けます、レギーナ〕

 因みにマーナガルム3頭も打ち合わせに参加している。矢や魔石・回復薬などの消耗品を大量に持っていくための荷物持ちを兼ねている。

「明日は日の出と同時に出発ね。一番力の弱まる正午過ぎにジェイエンと向き合えるように調節しましょう」

 そう確認して打ち合わせは終わったのである。






 初めての首領級魔族討伐リチェルカに興奮気味のイディオフィリアら3人が部屋を出て行くのを見送り、パーシヴァルはソルシエールに向き直った。

「ソル、リチェルカの完了とイディオフィリア様主体でのリチェルカと……どちらに重きを置きますか?」

 パーシヴァルは打ち合わせでは聞けなかったことを尋ねる。今回のリチェルカはイディオフィリアらのために受けたものだ。それなのに主体である彼らが戦闘不能に陥ることが前提の話をすれば、彼らの士気に関わる。

 正直にいえばあの3人の実力では、翡翠の塔第1階層の魔族は雑魚といえども強敵だ。通常では太刀打ちできない魔族だろう。ずっとこのリチェルカを受ける者がおらず放置されていたということは、翡翠の塔第1階層には魔族が大量にいるはずだ。

 だとすれば、最悪の場合イディオフィリアら3人は戦線離脱することも有り得る。そうなった場合どうするのか。ジェイエンを討伐するのか、それとも一旦退いて仕切り直すのか。

 今回のリチェルカの目的は3人の特進である。当然主体はこの3人だ。3人のうちひとりでも戦線離脱すれば、彼らに経験を積ませ主体となって魔族討伐を行うというもうひとつの狙いは達せないことになる。

 パーシヴァルとソルシエールのふたりであれば、ジェイエン程度なら楽に倒せる。どれほど大量の雑魚がいようとも召喚獣たちが処理できるし、ソルシエールの範囲魔法であれば1、2回発動すれば処理可能だろう。だから、もし3人が戦線離脱してもソルシエールとパーシヴァルのどちらかさえ戦えるのであれば、リチェルカ遂行には全く問題はない。

「経験を積ませる主体でのリチェルカ遂行も重要だけど……イディオフィリア様をストラテォオティスに昇格させることが最優先だわ」

 いざとなったら討伐を優先する。リチェルカを完了したという実績。それを得ることが最優先事項なのだ。仮令たとえ戦線離脱していたとしても、討伐完了すればイディオフィリアの実績になるし、ヴァルターやティラドールも特進リチェルカ達成となる。しかし、仕切り直すとすればイディオフィリアたちの状態によってはリチェルカ期限に間に合わないことも有り得る。

 それに仮にも首領級魔族だ。ジェイエンを放置しておくことはマナの均衡にも影響を及ぼす。

「イディオフィリア様を血盟主にして、反王に対抗する勢力をまとめて軍を組織して反王を倒す。そして魔族を追い払う。途方もなく時間がかかるわ」

 ソルシエールの表情が曇る。

 否、戦うだけならば順調に行けば4~5年で終わるかもしれない。王都に残っているソルシエールの家族、セネノースの商業ギルド連盟、反オグミオス血盟、各地に散らばっているベルトラムの弟子、各地に雌伏している先王の近臣たち。そういった者たちが着々と戦いの準備を進めている。求心力のある旗印さえ現れればそれらを統合して戦うことは可能だ。

 けれど、反王を倒し魔族を追い払っても、すぐに世界の崩壊が止まるわけではない。マナの均衡を修正しなくてはならない。それが10年以内に終わらなければ、世界は崩壊する。

「妻が言っていました。マナの均衡がおかしくなっていると」

 パーシヴァルはソルシエールの表情から察する。パーシヴァルの妻オクタヴィアはソルシエールの姉弟子に当たる人物で、結婚を機に冒険者を引退している。彼女もベルトラムの弟子となるだけあって魔力は高かった。

「師匠に言わせると、この世界はあと10年程度で崩壊へ向かうらしいわ」

 敢えてソルシエールは淡々と言う。しかし、その内容にパーシヴァルは愕然とする。

「──確かに、それならばイディオフィリア様がストラテォオティスとなることを優先しなくてはなりませんね。1日も早く反王を倒さなくてはならない」

 そう呟くとパーシヴァルはしばらく思案する。

「昼間、このリチェルカの後、私がイオニアス殿のところへ行くと申し上げたが、私はこのままイディオフィリア様に同行しましょう。少しでもあの方の手助けをしたほうがいい。イオニアス殿の捜索はフォロスに依頼して、判明し次第皆で行くほうがいい」

 イオニアスは反オグミオス血盟【自由の翼】の盟主だ。冒険者はギルドを通じて互いに連絡が可能なのだが、例外もある。反オグミオス血盟に属する冒険者たちの一部は反王政府から指名手配を受けている者もいる。そのような冒険者の安全のため、一切の連絡手段がギルドにはない。イオニアスは過激な反オグミオス組織の盟主として第1級の指名手配を受けているのだ。因みに普通の犯罪者であればギルドもその逮捕拘留に力を貸す。

「そうね。フォロスなら【フェンリル】との絡みで情報も入ってくるでしょうし」

 ミストフォロスの所属している【フェンリル】も反オグミオス組織だ。【自由の翼】ほど過激な活動をしていないため指名手配まではされていないが、やはり血盟主のバレンティア=レオンハルト・ノイラートとはギルド経由の連絡は取れない。しかし、反オグミオス血盟同士、水面下での情報交換はあるだろうから、そこから情報は入ってくるだろう。

 それにミストフォロスはエレティクスだ。エレティクスはファーナティクスとの絡みもあり、種族全体が反オグミオスだった。そのため、反オグミオス血盟に属している者も少なくない。だとすればアンヌンを通して【自由の翼】の構成員と連絡を取ることは可能だろう。

「ええ、イオニアス殿の名は表立っては出せませんからね」

 明日の討伐を終えたらすぐにセネノースに戻り、そこに生活の拠点を置く。そして、討伐系のリチェルカを中心にこなし、とにかく半年以内にイディオフィリアをストラテォオティスに昇格させる。

 そう決めると、パーシヴァルはソルシエールの部屋を出た。

(世界の崩壊まで……10年。それを止める宿命を負ったのがイディオフィリア殿下とソルか……)

 部屋へと戻りながらパーシヴァルは深い溜息をつく。

 パーシヴァルは王子とソルシエールに告げられたという預言を知っている。

 パーシヴァルはソルシエールの実家と並ぶほどの名門旧家の当主だ。初代マナヴィダン王の片腕だった騎士が祖先であり、代々王の側近として仕え、王と国を護ってきた家柄だった。

 オグミオスの乱以降、パーシヴァルは領地で過ごしそこで育った。そこには母の実家もある。この母方の祖母がソルシエールの母方の祖母の妹で、ソルシエールとパーシヴァルは再従兄妹に当たる。ソルシエールの母方の家系であるから、つまりそれは聖者ブランの家系であり、そのことからパーシヴァルは王子と再従妹への預言を知っていた。

『ソルシエールには重い宿命が課せられているのよ。あの娘に世界の命運は委ねられているといっても良いほどの、重い宿命。だから、ヴェンツェル、貴方が護ってあげて』

 幼い再従妹がわずか5歳で王都を離れた夜、パーシヴァルは母からそう言われたことを思い出す。母とソルシエールの母は従姉妹というよりも本当の姉妹のように仲が良かった。ソルシエールのことも実の娘のように可愛がり、慈しんでいた。だから、パーシヴァルもソルシエールのことを妹のように思っていた。自分が勝気で幼い再従妹を護るのだと思っていた。

 そして冒険者となって家を出るときに、王子とソルシエールに告げられたという預言を聞かされた。

 再従兄として、友人として、傅役もりやくとして、パーシヴァルは出来るだけふたりの力になりたいと決意を新たにする。彼らを護り支えたいと願う。それに自分とて、冒険者として、フィアナの民として、この国を守りたいのだから。






 明日に備え体を休めるため早く寝なくてはならないのだが、初めての大きなリチェルカを前にイディオフィリアもヴァルターもティラドールも緊張してしまい、中々寝付けなかった。

 そんな3人に苦笑しつつ、自分にも覚えのあることだとパーシヴァルは彼らの不安を和らげるべく、様々な話をした。主にソルシエールと同行したリチェルカについてだ。

 ソルシエールと再会したのは約10年前。ソルシエールが冒険者となって間もない時期だった。当時パーシヴァルはストラティゴスで、最もイロアスになる可能性の高い冒険者として有名になりつつあった。

 王都に住む再従兄に呼ばれて行った場で美しく成長した再従妹と再会した。彼女の側には彼女を守るように漆黒に輝く毛皮をまとった大きな狼が3頭従っていた。

 当時ソルシエールはまだ15歳だった。ようやく成人年齢に達し冒険者となったばかりではあったが、既に魔術師階級は第1級となっており、マーナガルム3頭を易々と従えるほどの高い魔力を持っていた。

「パーシィ兄様、お久しぶりです」

 幼いころ共に遊んだ──パーシヴァルが子守をしたソルシエールはそう言って微笑んだ。勝気で可愛らしい再従妹は美しい少女へと変貌していた。

「クロンティリス一族には有るまじきことなんだが、アシャンは武芸がさっぱりでな。パーシィ、先輩冒険者としてこれを助けてやってくれ」

 強面の宮廷きっての能吏は苦笑しながらも妹への溢れんばかりの愛情を隠そうともせず、パーシヴァルに言った。

〔ムスタファ殿、我らがおるのです。今更アンスロポスになど頼らずとも良いではありませんか〕

 ソルシエールの側に従っていたマーナガルムが不満げにムスタファを睨む。そしてパーシヴァルを値踏みするような鋭い視線で見つめる。

「ちょっと、シュヴァルツ。あんた過保護よ。セイレーンといい勝負じゃない」

 呆れたようにソルシエールがマーナガルムに言うが、シュヴァルツたちは知らぬ顔をしている。

 そのことにパーシヴァルは驚いた。マーナガルムは翡翠の塔で見慣れているが、その魔獣が人の言葉を話すとは知らなかった。そして魔族である召喚獣がこれほど主である魔術師を守ろうとするとも思わなかった。

 尤も、ソルシエールの召喚獣たちが特別に主を敬愛しており、そのために過保護なのだということを後にパーシヴァルは実感するに至ったのではあるが。

 ともあれ、その再会以降、様々なリチェルカを共に行い、ふたりで冒険者としての経験を積んできた。

 その過程でふたりは信頼関係を築いてきた。パーシヴァルが難易度の高いリチェルカを受ける際にはソルシエールに同行を依頼し、ソルシエールが高難易度のリチェルカを受けるときにはパーシヴァルを同行者に指定するほどの信頼関係を。

 再従兄妹同士、親族で幼馴染であるという気安さもあったが、何よりも冒険者としての価値観や考え方が似ていたことも大きかった。

 ミストフォロスやアルノルトと知り合ったのもソルシエールを介してのことだった。彼らはベルトラムやティルナノグの長老からソルシエールを守るように依頼されリチェルカで出会ったのだという。彼らを紹介され、意気投合し、それからはよく4人でリチェルカを行うようになった。男3人が意気投合した大きな理由のひとつにソルシエールに対する愚痴があったのは言うまでもない。

 ベルトラムの教育のせいか、或いはその身に流れる武門の血ゆえか、ソルシエールは時折剣を持って戦おうとする。剣の腕は散々なものだというのに。それを咎めれば、不満げに攻撃魔法を連発する。面倒臭いのひと言で、必要もないほどの高位攻撃魔法で魔族を殲滅する。尤もそれによってパルスを危険に曝したりすることはなく、きちんと状況を見ての魔法乱発ではあったが。当時のソルシエールはまだ10代ということもあって、見た目は可憐な少女だった。その外見と行動のギャップに3人は溜息をついたものだ。

「貴族の姫らしく大人しくしてろ、このボケ」

「じじぃの妄想押し付けないでよね、フォロス」

「まぁ、俺らは慣れたしもういいけどさ。お前に憧れてるヤツだっているんだし、夢壊さないでやれよ」

「そうですよ、ソル。アルノルトの言うとおりです。そんなだから嫁の貰い手がないんですよ……」

「あれは師匠が邪魔してるんだもの。私のせいじゃないわ」

「尊師はある意味男たちの夢と幻想を守ってくれてるんだろうなぁ」

 そんな会話を幾度となく繰り返したりもした。

 それでも4人の間には確かに信頼関係が生まれ、彼ら4人に完了できないリチェルカはないといわれるようになった。冒険者最強のパルスとしてギルドから信頼を置かれるようにもなった。

「パーシヴァルさんとソルって……もしかして恋人同士だったりする?」

 パーシヴァルが語るふたりの信頼の深さに、ついイディオフィリアは勘繰ってしまう。既にソルシエールへの恋を自覚しているイディオフィリアにとっては重要なことだった。

「違いますよ。幼馴染で再従兄妹というだけです。あのソルの性格ですし、ソルが妻と私の間を取り持ってくれたせいか、少々頭の上がらないところはありますが」

 妻オクタヴィアと知り合ったのも、ソルシエールを介してのことだった。パーシヴァルがひと目でオクタヴィアに恋したことを知ったソルシエールは、自分の代理といってオクタヴィアをリチェルカに向かわせるなどして、仲を取り持ってくれたのだ。尤も、結婚を機にオクタヴィアが冒険者を辞めると決めたときには『協力するんじゃなかったわ。姉様を返せ』と文句を言ってきたのだが。

「そうなんだ」

 露骨にホッとするイディオフィリアにパーシヴァルは苦笑する。恋愛に縁遠い性格のソルシエール相手では苦戦するだろうと思いつつ。

 この状況下で恋などしている場合ではない……とは思わなかった。イディオフィリアは己の出自も宿命も知らない。世界がどれほどの危機に瀕しているのかも、まだよく知らないのだ。年若い青年にすれば、多少性格に難ありとはいえ、ソルシエールのような妙齢の美しい女性に恋をしてしまうのも無理はないだろう。

 それに、恋は様々な力の源となる。イディオフィリアがソルシエールに認められたいと思えば、彼は冒険者として名を上げるよう努力するだろう。今の彼とソルシエールでは格が違いすぎる。駆け出し冒険者とフィアナにその名を轟かせる高名な魔術師だ。少しでもその差を埋め、パルトナーとして相応ふさわしくあろうと努力するだろう。彼はそんな青年だ。

 だとすれば、それは結果的に自分たちの目論見の成功へと繋がる。彼が名を上げることはソルシエールやパーシヴァルの当面の目標でもあるのだから。ソルシエールへの純粋な恋情を利用するようでいささか後ろめたい気にもなるが、世界の状況と彼らの宿命を思えば、それも致し方ないとパーシヴァルは割り切る。

「ソルに求婚する人は多かったですね。何しろフィアナで随一の力を持つ女魔術師ですし、王家に連なる名門貴族の令嬢ですし、容姿もあのとおりですから。あの性格を知らない者からすれば、是非とも妻にしたいと思うのも無理からぬことでしょう」

「姐御って独身……ですか? あの年齢にしては珍しいですよね」

 薄々イディオフィリアの想いに気付いているヴァルターが尋ねてくれる。

「ええ。ソルの求婚者はことごとく師匠である大賢者ベルトラム様に撃退されていますからね。ベルトラム様はソルを溺愛しておられますから、生半可な男にはソルを渡したくなかったのでしょう」

 ベルトラムが聞けば『何を戯言を申しているのです、お前の目は節穴ですか。それでよくイロアスになれたものですね。一度死んで生まれ直して人生やり直しなさい』とあの美しく優しげな顔を歪めて吐き捨てるに違いない。

「ベルトラム様という分厚い壁を突破できた強者つわものはひとりもいませんでしたから、ソルシエール自身に求婚できた者は誰もいませんでしたよ」

 自分も夫の候補者だったことはこの際黙っておく。当時、悉く自分の意思に拠らずベルトラムによって結婚話を潰されて愚痴を零していたソルシエールを思い出し、パーシヴァルは笑う。ソルシエールが当時求婚していた男のうちの誰かを選ぶとはパーシヴァルには思えなかったのだが、それはそれ、ということだろう。

 自分の知らないソルシエールの話や、上級冒険者たちの冒険譚を興味津々で聞いていた3人だったが、突然現れたマーナガルムによってそれは中断される。

 床からぬっと顔を出したシュヴァルツは穏やかな彼らしくもなく怒った表情をしていた。

〔レギーナはとっくにお休みになられましたぞ。貴公らは寝不足で翡翠の塔に向かい、レギーナの足を引っ張るお心算つもりですかな〕

 主を第一に考える召喚獣らしい言葉にパーシヴァルは苦笑し、3人は首を竦める。

「申し訳ない、シュヴァルツ。もう休みます」

 代表してパーシヴァルが答えると、3人も大人しくベッドに潜りこんだのだった。